9
顔が痛い。
腕も足も、口の中は切れているみたい……血の味がする。
昨日から、もう何度目になるだろう。
私はまた攫われた。
鎖に繋がれたあの部屋で、両手を縛ってある縄を解こうとしていたら、部屋の後ろの壁が開いて、そこから見知らぬ男達が入って来た。
入って来るなり顔を思い切り叩かれた。目隠しをされ足を縛られた。男が私を担ぎ、どこかへと運ばれた。
馬車の荷台に放り込まれ、着いた所で荷台から下ろした男は私を床に転がせた。
乱暴に目隠しが外され、頭から水を浴びせられた。
次々と起こるこれまで知る事のなかった出来事に、体は震え声も出ない。
……私は何か悪いことをしたの?
縛られたり叩かれたり、水を浴びせられるような事をしているの?
床に寝転んだまま、震えていると衣擦れの音が聞こえてきた。
「あははっ、いい気味だわ!」
その声に顔を上げた。髪の毛が顔に貼り付きよく見えなかったが、私を嘲笑う声には聞き覚えがある。
「……クロエなの?」
家を火事で失い、遠くの街へと引っ越した商家の娘クロエが、真紅の豪華なドレスを身に纏い、私を見下ろしていた。
「あら、覚えていたの? 泥棒さん」
「……泥棒?」
「私のリボンを取ったでしょう? ふふふ」
それは違う。その事は彼女が一番分かっているはず。
「何よ、その顔。あんた、どうして自分がこんな目に遭っているのかわからない?」
分からない、わかる訳がない。
私はクロエに何もしていない。
虐められてはいたけれど、やり返した事もない。
クロエは私を見て、苦々しい顔をした。
「相変わらず嫌いだわ、その顔!」
嫌悪感を露わにするクロエを、私は見上げることしか出来ずにいた。
今いるこの場所に似つかわしくない豪華なドレスは、私に見せつける為に着ているのだろうか。
ドレスの肩口から露わに見える二の腕には、皮膚が引きつれたような痛々しい火傷の痕がある。
あの痕は、火事になった家から逃げる時に負ってしまったのだろうか。
その腕を見ていた私に、クロエが声を荒げた。
「あんたでしょう! あの日、私の家に火を放ち私達を殺そうとしたのは!」
「そ、そんな事してないわ」
「いいえ。メアリー、あんたがやったのよ!」
急にクロエは火がついた様に怒り出した。
「あんたが家に来た日に燃えた! やってもいない事を謝る羽目になった腹いせに火を点けたんだ! 私にこんな醜い火傷まで負わせて!」
クロエは私を睨みつけながら憎しみのこもった声で叫んだ。
私は何も言えぬまま、赤いドレスを見に纏った彼女を見つめていた。
「……ねぇメアリー、知ってる? 火傷の痕はずっと痛むのよ。忘れた頃にまた痛み出すの。ヒリヒリとした痛みを感じる度に、私はあんたのそのすました様な顔を思い出していたわ」
「なぜ……?」
ようやく出した私の言葉に、怒りに震えたクロエは、側においてあった木製のバケツを蹴り上げた。
真っ直ぐに私に向け飛んできたバケツは、ガンッ! と大きな音を立て足にぶつかる。
「…………!」
強い衝撃と痛さに顔を顰めた。
「なぜ? ですって? なぜ私があんたの顔を思い出すのか知りたいの? それともなぜ、火をつけた犯人だと決めつけるのかという事?」
そんな事も分からないのかと、クロエはまるで童話の中の悪い魔女の様に笑った。
「嫌いなの、私はあんたの全てが、顔も性格も、存在自体ずっと前から嫌いなのよ!」
そう言い捨てたクロエは小屋の扉の前に立ち、私を見下ろすと弓のように目を細めた。
愉しげな顔をしたクロエは、私を絶望の底に落とす言葉を告げる。
「今からあんたは燃えるのよ。私が知った恐怖を味わせてあげる。ああ、でも残念だけれど感想は聞いてあげられないわね。メアリー、あんたはそのまま焼け死ぬから」
「……燃える?」
「そうよ。私に感謝しなさい。死ねばあんたの家族に会えるんだから。みんなアッチにいるんでしょう? それにあんたが死んでも、この世に悲しむ人間は誰一人いないでしょう?」
あははははは、と高笑いをしながらクロエは小屋から出て行った。
クロエは私が、嫌いだったの……。
分かってはいたけれど、殺したい程憎まれていたとは……。
存在自体が嫌いだと言われたら、どうにも出来ない。
「おい! 早く離れろ、燃え移るぞ!」
外から大声で話す男の声と、バタバタと去って行く足音が聞こえた。
周りが静まり返る。
誰もいないと分かった途端、ゾクリと背筋が冷たくなった。
外からパチパチという音が聞こえる。
これって……?
火が放たれたの?
本当に?
クロエは私を燃やすの?
……私、こんな所で死ぬの?
いや、嫌だ。
死にたくない。
どうにか体を動かして縄が外れないかとやってみたが、縄で肌が擦れるだけで全然駄目だった。
おばあちゃん助けて….!
お母さん、お父さん助けて!
誰か……。
クロエの言ったように、私には誰もいない。
助けてくれる様な人はいない。
私を気にかけてくれる人は……。
ずっと私に贈り物をくれた、名前も知らないあの人……。
『メアリーはその人から愛されているんだねぇ』
おばあちゃん。私、誰かに愛されていたの?
『そうかい? でも赤い薔薇なんて愛してる人にしか渡さないんじゃないかねぇ』
たくさん贈り物も貰ったのに、私お礼も言えてない。
『君を愛してる』
カードに書かれていたあの言葉は本当?
私はクロエからは殺したい程憎まれている。友達だって少ない。
家族もいない、こんな私を愛してくれてる人がいるの?
さっきバケツのぶつかったところがズキズキと疼く。
「……は……うっ」
殴られた頬は熱を持った様に痛む。
水で濡れた髪には泥がついて汚くなっていた。
『綺麗だ、この柔らかい金の髪……』
昨夜私を攫った王様が、言ってくれたのに。
足枷は嵌められたけど、決して痛い物では無かった。
(……ううん、やっぱり足枷はダメ。どんなに綺麗な物だとしても、奴隷みたいだもの)
王様は変わっているけど優しい人で。
はじめて会った時も、矢で射られそうになって……。
(それもダメ、当たらなくて良かった)
私にご飯を食べさせて何故か嬉しそうに笑っていて。
変な事ばかりする王様だけど、それでも私を見る目はすごく優しくて。
こんな事を考えるなんて、私……。
木が燃える匂いと共に、煙が隙間から入ってくる。
「ゲホッ」
匂いに咽せて咳込んだと同時に、死の恐怖が襲ってきた。
ーー嫌だ、死にたくない!
必死にもがいて縄を緩めようとするけど、やっぱり動かない。
余計に締まった気さえする。
その間にも煙はどんどん入ってくる。
こんな小さな小屋なんてすぐ燃えちゃう!
助けて、助けて!
助けて
「た」
「助けてぇっ!」
誰にも届かないと分かっていたけれど、それでも叫んでしまった。
もくもくと煙があがり、意識が朦朧としてきた。
ーーその時。
バンッ、と音がして小屋の扉が開いた。
新鮮な空気と共に誰かが入ってくる。
煙で視界は殆ど無いのに、その人は迷わず私の下へやって来た。
グイッと力強く抱き上げられ、直ぐに外へ連れ出された。
「ゲホッ、ゲホッ」
小屋から離れた場所にそっと下ろされる。
「アダム、縄を外せ」
「はい陛下」
縄が外れ体が自由になった。
私の赤く腫れている頬にそっと手が添えられる。
「僕のメアリーに……よくも」
私の顔に掛かった汚れた髪をそっと優しい手が掬う。
そこには心配そうに瞳を揺らす、リシウス陛下がいた。
彼はせつなげな表情を浮かべ、私の手を握る。
その様子を横で見ていたアダムと呼ばれていた人が凄く驚いた顔をしていた。
「陛下が……そんな表情をするなんて!」
それを聞いたリシウス陛下は、スッと表情を無くし冷たい目でアダムさんを見上げる。
「何でもありません。お二人ともご無事で何よりです」
そう言ったアダムさんは一歩後ろへ下がった。
助け出された事にホッとしたのか、急に喉の渇きが襲って来た。
「み、水……水を」
朝から何も口にしていない。
さっきクロエに掛けられた水がほんの少し唇を濡らしただけだった。
「あ、水? アダム! 水!」
「はい陛下」
直ぐにこの場に似合わない綺麗なグラスに入った水がリシウス陛下に渡される。
リシウス陛下は力無く座り込む私を抱き抱え、グラスを手渡そうとしてくれた。だが、私の手は小刻みに震え、上手く持つ事が出来ない。
「僕が飲ませるよ」
リシウス陛下はグラスを口に運んでくれた。
ゆっくりと私の口に水を注いでくれたのだが。
「ゴッ、ゴフッ」
なぜか咳き込んでしまう。
飲みたいのに上手く飲めない。
「メアリー、ゆっくり飲んでごらん」
リシウス陛下はもう一度グラスをゆっくり傾ける。けれど飲む事が出来ない水が口の端から溢れ、私は咽せるばかりだった。
それを見たリシウス陛下は、自ら水を含み私に口移しで飲ませてくれた。
不思議と咽せる事なく、水は喉を通っていく。
コクン、コクンと水が喉を潤した。
「あ、ありがとう」
飲ませてもらったお礼を言い見上げると、リシウス陛下は顔を赤らめていた。
「え?」
「こういう事は、もっとちゃんとしたかった」
「えっ?」
「いや、コレは別だ。うん」
その様子を見ていたアダムさんは「おおっ! 陛下が照れている!」と言ってしまい、リシウス陛下から凍りつく様な視線を向けられていた。




