1
(ここは何処だろう?)
昨夜、私は自分の部屋のベッドに入り、本を読みながらいつの間にか眠りについたはずだった。
本を読みながら寝てしまう事は私にはよくあること。
いつもなら、窓から差し込む朝日の眩しさに目覚めるのだけれど……。
目を開くと知らない天井。
これまで見たことのない、美しく輝くシャンデリア。
ふかふかの、絶対に私の物ではない布団の感触。
(ここは……? 私の部屋じゃないよね?)
それに……。
すぐ横には男が座って、満面の笑みを浮かべ私を見下ろしているのだ。
そこ男は、どこかで見たことのあるような凄くキレイな顔の人。
どこだったかな……?
「おはよう。メアリー、気分はどう? ちょっと薬が多かったかな?」
……ああ、思い出した。
輝かしい笑顔を私に向けている銀髪で青い瞳の美形の男の人は、王国の者なら誰でも知っている高貴なるお方。
先日王座に着いたばかりの【リシウス・ド・フィンダム陛下】だ。
そんなお方が何故ここに?
なぜ国王陛下が、平民の私の名前をご存知なのでしょう?
いや、私はどうしてこんな豪華な部屋に?
それだけじゃない。
さっき「おはよう」「気分はどう?」の後におかしな言葉が続いていた。
(国王陛下『薬』って言ったよね?)
「おや? 僕に会えて嬉しさのあまり言葉にならないのかな?」
クスッと笑ったリシウス陛下は、寝ている私の髪を撫でた。
「目が覚めたようだから、まずは体を清めなければ。連れて来るためとはいえ他の男に触らせてしまったからね」
「手伝いを呼ぼう」そう言うと、リシウス陛下は部屋を出て行った。
シン……と静まり返った部屋の中。
頭がだんだん冴えてきた。
(連れて来たってなんの為? 王様がどうして私を?)
なんとなく、嫌な感じがする。
ここから逃げた方がいい気がする。
私の防衛本能がそう告げている。
上半身を起こし、掛けてある布をパッと取ると、足首に何かつけてあった。
(何? これは……足枷?)
何故か私の両足首に、鍵のついた足枷がはめてある。
鉄ではない、黄金で綺麗な花模様が彫刻された素敵な足枷。
(ーーいや、足枷に素敵とかないから!)
思わぬ状況に、ちょっとおかしな考えをしてしまった。
足枷が嵌められているという事は、私は捕らえられたという事だろうか?
(足枷って罪人に付けるものよね? これはすごく綺麗で高そうだけれど、でも…‥)
何も思い当たる節はないけれど、国王陛下自らが調べられるほどの何かを、私は犯してしまっているのかも。
……いや、そんな事はないはず。
私はこれまで静かに暮らしてきた。
悪い事などした覚えはない。
(それに罪人ならこんなにいいベッドには寝かせたりしないよね?)
とにかく王様がいない間にここから逃げよう。
足枷は、左右を繋ぐ鎖は短いけれど歩けない事はない。
私はベッドから降りると、チョコチョコと歩き扉へ向かった。
カチャリ……できるだけ静かに扉を開けたけれど、扉の前には既にリシウス陛下が立っていた。
私は悲鳴をあげそうになり、両手で口を押さえる。
「やあ、メアリー。僕の帰りが待ちきれなくて出迎えてくれたのかな?」
言い方は優しいが、リシウス陛下の目は笑っていない。
「は……はい」
その答えに、リシウス陛下は満足気に微笑む。
それから、私の足下に目を向けた。
「とてもよく似合っている。これはメアリーの為に作らせたんだよ。ほらその花模様、覚えているかな? 僕達が初めて会ったあの場所に咲いていた花だよ」
(初めて会った場所? 王様に?)
ふふふ、と笑みを浮かべたリシウス陛下は、私をヒョイと横抱きにしベッドへと下ろした。
(戻ってしまった……)
「覚えていない? あの日は僕の初めての狩だったんだ」
リシウス陛下は足枷を触りながら、うっとりとした表情で私を見ている。
(……狩……狩……?)
思い出した!
目の前で怖いぐらいに笑っているこの人が王様になる前、まだこの国の第三王子リシウス殿下だった頃、私達は会っている。
会っている……ではない。
正確には、私は狩られかけたのだ。
◇◇
あれは、私が九歳の頃。
「やったー! 野苺がたくさんある!」
隣り村に住んでたおばあちゃん家に遊びに行っていた時。
私は行く度に、その裏にある森に入って遊んでいた。
その森には危険な動物は生息しておらず、兎やリスといった小さく比較的安全な生き物だけがいた。
少しだけ奥に入れば、キノコや野生の果物がなる場所があった。
あの日は、一人で野苺を探しに森の奥に入っていた。奥といってもそう深い森ではない。それに何度も来た場所で、帰り道もちゃんと分かっている。
たくさんの野苺を見つけた私は、夢中になってカゴに入れていた。
ルビーのように艶やかな野苺を少し口にしながら摘んでいると、ガサガサと葉の擦れる音がした。
ドキリとしたが、騒ぐ事なく手を止めて静かに様子を見ていると、そこから兎がピョコンと顔を出した。
私に、気付いた兎は体を翻し逃げて行く。
「あー、ビックリした」
危険な動物はいないと知ってはいたが、やっぱり少し不安だった。兎でよかったと安心していたその時。
ピュンと体の真横を何かが通り抜けた。
「……!」
タンッと音を立て、私のすぐ横に生えていた木に矢が刺さった。
それは、金色の羽のついた高そうな矢。
兎を狙って放たれたのだろうか?
もう少し矢がずれていたら自分に当たっていたと思うとゾクリとした。
ガサッガサッ
また、葉を掻き分ける音がする。
そこから、一人の身なりの良い少年とその付き人らしき人が現れた。
美しい銀色の髪をした少年は、私の横に刺さる矢を見てサファイアのように輝く青い目を顰めた。
「外れた」
「いえ、当ててはなりませんリシウス殿下」
「持って帰ろうと思ったのに、何故だ」
リシウス殿下と呼ばれている少年は、矢を確かめると、私へと視線を移す。
付き人と話しながらも、ずっと私を凝視している。
最初は美しい少年だと思ったけれど、その目に怖さを感じた。
なぜか寒いわけじゃないのに体がゾクゾクする。
少年と付き人は、私の前で話を続けた。
「人を矢で射ることはなりません。それに許しなく持って帰る事は出来ません」
「許し? 誰に許しを貰うというのか? 私は王子だぞ」
「王子様であろうと人は持って帰る事は出来ません」
付き人は、諭すように少年に話す。
「では、誰に許しを貰えばコレを持って帰れる?」
そう話した少年は、私の手を取ろうと手を伸ばしてきた。
その細く白い手が気持ち悪く、私は咄嗟に体を引いた。
(コレって私のこと? この人達さっきから私の話をしているの?)
「あなた……私を持って帰ろうとしているの?」
まさかと思い、怯えながら少年に尋ねると、彼は一瞬目を見開いて、それから優しく微笑んだ。
「ああ、そうだよ、キミを気に入ったから。さぁ、僕と一緒に行こうね」
まるで犬か猫でも拾うように少年は言う。
「い……いやっ!」
顔立ちは美しいが、少年の笑顔に恐ろしさを感じた私は、野苺の入ったカゴを投げ捨て、森の中へ走って逃げた。
「まて!」
背後から、少年が叫ぶ。
まて、と言われて待つ人なんていないわよ!
私は必死になって森の中を走り抜けた。
簡単に追いつかれないように、クネクネと道なき道を進み、おばあちゃんの家に戻った。
そうして、その日は屋根裏部屋に閉じこもり過ごした。
もしかしたら、あの人達がここまで追って来るかも知れないとビクビクしていたが、少年は来なかった。
……よかった……。
せっかく摘んだ野苺は、残念だったけど仕方ない。
本当は、数日おばあちゃん家に泊まる予定だったけど、怖かった私は、翌日に両親に帰りたいと言い隣町の家に戻ったのだ。
何だかここに居ると、あの少年が来るような気がしたから。
両親と暮らす家に戻り暫くすると、あのキレイだけど怖かった少年の事を私はすっかり忘れてしまった。
◇◇
その翌年。
国では、タチの悪い流行り病が蔓延しだした。
残念ながら、私の両親も相次いで流行り病に倒れてしまい、回復の兆しも見せぬまま還らぬ人となった。
一人になってしまった私は、おばあちゃんに引き取られ、育てて貰う事になった。
おばあちゃんだって息子を亡くしたのだ。
きっと辛く悲しかったはず、けれど落ち込む私の前では「大丈夫だよ」と優しく笑ってくれていた。
それは、おばあちゃんと暮らし始めて半年が過ぎた頃。
ある日、私宛に真っ赤な薔薇の花束が届けられた。
「誰からだろうね? おや、カードが入っているよ」
入っていたカードをおばあちゃんが読んでくれた。
そこには『いつか迎えに行くから待っていて』とだけ書いてあった。
「まるで恋文のようだねぇ」
まだ十歳の私に、薔薇の花とカードを贈るなんてどんな人なんだろう?
その時は、ただそう思っていた。
さらにその半年後、名もなき人から贈り物が届いた。
それを運んで来たのはこの村の村長さんで、必ず受け取って使うようにと強く言われた。
もらった箱の中には、上質な青いリボンと薔薇の花束に入っていたカードと同じ紙のカードが入っていた。
カードに書かれていた言葉は、一言だけ。
『君の金の髪につけて欲しい』
差出人の名前は書かれていない。
「メアリーの事を知っている方のようだね、心当たりはないのかい?」
確かに、私の髪は金色だ。
おばあちゃんから、贈り物の主に会った事があるんじゃないかと聞かれたけれど、私にはまったく心当たりがなかった。
一体誰なんだろう?
贈り物の主は、私の事を知っているの?
これまでに会ったことがある人なの?