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異世界で探偵って需要あるんですか?  作者: 啄木鳥津月
File1: 異世界で探偵って需要あるんですか?
7/44

7話


 その後、俺は再び手錠をかけられ、第三騎士団本部にある牢にぶちこまれた。


 人生初の、それも異世界の獄中はどんなかって? そりゃもう超快適さ。 

 足元すら見えないほど明るいし、鼻が曲がるほどいい臭いが充満してるし、床を這う虫達がたくさんいるから寂しくないし、石床に敷かれた筵のベッドは非常に寝心地が良さそうだ。

 異世界最高。こんな高待遇を受けたのは生まれて初めてだわ。


 明日には俺は裁判にかけられて処罰を受ける。クリスティアさんいわく、重くて死刑、良くても終身刑だとさ。

 今日は本当に、疲れた。体力的にも、精神的にも。

 殺されて、逮捕されて、誰にも信じてもらえず、挙げ句また殺される。なんて素敵な人生なんでしょう。俺には勿体なさすぎて誰かに譲りたいくらいだ。

 半ば自暴自棄になりかけながらその場に寝っ転がり、目を閉じた。

 元々暗かった視界が完全に黒になり、俺は泥のように眠った。


 どれだけの時間そうしていたのかはわからないが、外の廊下から誰かが歩いてくる音で俺は目を醒ます。

 見張り番かな? どうでもいいけど。と俺はゴロンと寝返りを打った。

 その時。


「夕飯だ」


 と、耳に届いたのはそんな聞き慣れた冷たい声。

 上半身を起こしてみると、鉄格子を隔てた向こうにある淡い蝋燭の火が、銀髪の女騎士の姿を映し出していた。

 手には小さなお盆を持っており、その上には大きなパンとサラダ、そして湯気の立つスープが乗っていた。

 夕飯……もう夜になったのか。そういえば、朝も昼もなんにも食べてなかったな。

 それを思い出すのと同時、ぐぅと腹の虫が盛大に合唱を始めた。

 

「最後の晩餐になるかもしれんぞ。よく味わって食べることだな」

 

 クリスティアさんが格子の下の隙間から食事を入れてくれるやいなや、俺は犬みたいにがっついた。

 罪人の食事にしては、どれも美味しかった。パンは焼き立てみたいにふんわりやわらかいし、スープは具材たっぷりですごく体が温まった。

 これが最後の晩餐か……ご馳走じゃないか。

 なんて思いながら、黙々とそれらを頬張って咀嚼し、胃袋に押し込んだ。

 そんな我ながら汚い食いっぷりを、クリスティアさんは外にある椅子に腰かけてじっと観察していた。

 

「罪人の食事風景を眺めるのがご趣味で?」

「見張りだ」


 彼女はテーブルに肘をつき、足を組んで即答した。

 

「何をしでかすかわからんからな。今日はつきっきりで監視させてもらう」

「まさか寝ずにですか? お身体に障りますよ?」

「ああ、だが心配には及ばん。貴様が明日無事に処刑されたら、きっと枕を高くして眠れるだろうさ」


 あっそ、ご苦労なこった。

 俺はスープをすすりながら小さく呟いた。

 処刑か。もしそうなったらどうなるんだろうな。

 また別の世界で目覚めるんだろうか。それとも元いた世界に帰れるんだろうか。

 いまだに自分の身に何が起きているのかわからないけど、せめてここよりはマシな世界でありますように。

 贅沢を言うなら、推理小説みたいに探偵が全面的に信頼されてて、努力次第で人気者になれるような世界がいいな。あとは、もっと優しくて可愛げのある女の子がいてほしいかも……なんてね。

 そうあれこれ考えていたら、死への恐怖が少しだけ薄れた。


「ごちそーさまでした」


 言われた通りゆっくり味わって食べた後、食器をクリスティアさんに返した。

 さて、これからどうしたものか。歯磨きはできないし、風呂もないし、結局寝るしかないわけか。そうやってまた筵に横になっていたところ。

 カツンカツン、とまた石床を伝って足音が響いてきた。今度は誰だよと思って見てみると、それは意外な人物だった。

 

「ライア隊長!?」


 俺が言うよりも前にクリスティアさんの方が驚きの声を上げた。登場する度に誰か驚かせてるよな、この人。

 さわやか壱番隊隊長は、相も変わらずニコニコ笑顔で挨拶。


「やぁティア、お疲れ。見張りかい?」

「はっ! 今のところ異常はありません。隊長は見回りでしょうか」

「まぁね、近くまで来たから寄ってみた」


 外回り中の営業リーマンかあんたは。そんなフラッと軽く訪れるような場所じゃねーぞここは。

 俺は無視して狸寝入りを決め込もうとしたのだが、それは失敗に終わった。

 

「それでティア。お願いがあるんだけど……彼をちょっとの間貸してもらってもいいかい?」

「は!?」


 今度は俺の方がクリスティアさんよりも早く反応した。

 この期に及んでどういうつもりだよ……。


「隊長、いくらなんでもそれは……」

「大丈夫大丈夫。ちょっと二人で話がしたいだけだから。どうせ明日はいろいろな手続きで時間取られちゃうだろうし。頼むよ」


 ちらっとそこで女騎士はこっちをチラ見。敵意たっぷりな睨みが飛んでくるが、俺にとってはもうビビるほどのものでもなくなっていた。


「……承知しました。ですが、拘束は厳重にお願いします。脱走の恐れもありますので」

「ありがとう。悪いね」


 無茶な頼みとはいえ、上司の言うことに面と向かって逆らうわけにもいかず。とうとう折れたクリスティアさんは承諾して俺の牢の扉を開放した。

 

「出ろ」

「……」


 やれやれ、面倒くせぇな。

 心の中でぼやきながら俺はのっそりと立ち上がる。

 両腕は後ろに回されて再び手錠がはめられ、丈夫な縄で胴体をぐるぐる巻きにされた。明らかにここまでやる必要ないだろって言いたくなるくらいに。


「妙な真似はするなよ。もし隊長に指一本でも触れてみろ、死よりも恐ろしい目に遭わせてやるからな」

「あーはいはいはいはいわかってますよ」


 凄むように耳打ちしてきた彼女に、吐き捨てるように俺は返す。

 こんな雁字搦めの状態で何ができるってんだかまったく。

 

「さ、それじゃあ行こうか」


 ライアさんに牽引され、クリスティアさんに冷ややかな目で見送られながら、俺はその牢屋を後にした。

 

 ◆

 

 外はすでに真っ暗だった。

 天を仰ぐと、そこには満天の星が広がっていた。下界の明かりが弱いせいか、その分くっきりと輝いて見える。

 星空は……どこに行っても変わらないんだな。

 深呼吸してみると、澄んだ空気が獄中で淀んだ肺を浄化していく。


「気分は落ち着いたかい?」


 天然のプラネタリウムを堪能していると、ライアさんが訊いてきた。

 「ええ、まあ」とおざなりな返事を返すと、彼は俺の後ろに回って何やらやり始めた。

 するとガチャン、という軽い金属音と共に、動かなかった腕の自由が戻った。

 手錠を外した……? なんで?

 それだけでなく、彼は縄の拘束も解いて俺を完全に身動きができるようにしてくれた。


「……厳重に拘束しとけって言われてませんでした?」

「あんな状態じゃ、リラックスして会話なんてできないだろ」


 手錠と縄を足元に置いて、ライアさんはその場に座り込んだ。

 リラックスって……よく言うぜ、明日死刑になるかもしれないのに。

 釈然としないままでいつつも、俺は彼の隣に腰を下ろして尋ねた。

 

「で、話っていったい何です?」

「……君に見せたいものがあってね」


 ライアさんはそう言って、鎧の内ポケットから折りたたまれた紙みたいなものを渡してきた。

 中身を開いてみると、そこには几帳面な字の大群が等間隔で整列していた。手紙か何かだろうか?

 

「ティアが書いた今回の事件の報告書だよ。彼女の机に置いてあるのをこっそり持ってきた」

「は? なんで?」

「内容を読めばわかるよ……相当まずいことが書いてある」

 

 相当まずいこと? どういうことだ?

 不審に思いながらも、俺はその報告書を少しずつ読み勧めていく。

 ハードボイルド小説の原書を読みまくって、英語力を多少なりとも身につけていたのが吉と出たか、俺は難なくその文章を理解することはできた。

 

 以下がその要約である。


――――――――――


 被疑者、結城界斗は深夜女子兵舎に侵入しようとしたところ、飛び出してきた被害者ソフィア=ワトソンと鉢合わせした。

 通報されることを恐れた被疑者は、彼女の殺害を決意。しかし、思わぬ反撃に遭ってしまい、先に自分が負傷してしまう。

 その隙に兵舎の外へ脱出しようとしたソフィアを被疑者は追いかけ、階段に差し掛かったところで背中を突き飛ばした。

 これで殺したように思われたが、まだその時点では彼女の意識はあったため、所持していた棍棒で殴り、とどめを刺した。

 すぐさま逃走を試みたものの、被害者に負わせられたダメージが予想より大きく、その場で気を失った。

 

 別紙の物証についての資料と被害者の証言を踏まえ、犯行は上記のように行われたものと断定。

 罪状は、軍事施設不法侵入と、軍事関係者殺害。

 よって、本事件被疑者を第一級犯罪者として、斬首の刑に処する措置が妥当であることを報告するものである。


――――――――――



「……これは」

「な? まずいだろ」


 まずいで片付けられる問題じゃない。完全にでっち上げだ。

 こんなものが受理されたらどうなるかなんて考えるまでもない。


「まさか、これを明日の審判で提出すると?」

「無論僕はそんなつもりはない……と言いたいところだが」


 ライアさんは意味深に言うと、眉間を指でつまむ。

 

「厄介なことに、今回の事件の担当責任者はティアなんだ。だから所定の手続きはすべて彼女の手に委ねられているし、僕は特別な理由がない限り阻止することは不可能だ」

「これが事実無根だっていう立派な理由があると思いますが?」

「そんなことでいけるならとっくに手を打っているさ。でも駄目なんだよ、反証がない」

「反証って……」

「この報告書に書かれている内容が間違いであると証明できるものがなければ、結局は僕の勝手な憶測ということになる。それだけではどうにも止められない」

「これだって、俺が犯人であるっていう証拠にはなりえないでしょうが」

「けど状況的には筋が通ってる」


 筋が通ってるだぁ? こんな横車を押すという言葉そのものみたいな内容がか!?

 ってか、肝心の鎧が無傷だった件については何も書いてないじゃないか! 

 

「だが鎧が着せ替えられたという事実はなかった。それは今日はっきりしただろう」

「っ……」

「多分それについては『鎧が丈夫だったから運よく傷がつかなかった』程度に解釈されるだろうね。無理を通すような話だけど、法務委員会は何より証拠を重視するから」


 なんだよそれ。そんな馬鹿な話があり得るっていうのか。証拠ってのは他との矛盾を無視していい理由にはならねーんだぞ。それくらいわかるだろ誰だって!

 

「でも君は今回の捜査で真犯人を見つけることができなかった。それが君の疑いを晴らす唯一の方法だった。厳しいことを言うようだけど、今日君が明らかにしたのは全部可能性の話であって、何一つ確定した事実じゃないだろう」


 ……それは確かにそうだ。「おそらく」「かもしれない」という曖昧な事実を並べたって意味がない。

 その先にある揺るがない真実を掴んでこそ、推理したと言えるのだ。

 俺はまだ……それに辿り着いてはいない。


「別に君を責めてるわけじゃない。僕の方にも落ち度はある。こうなることは予想できて然るべきだった」

「どういうことです?」

「気づいてると思うけど、ティアには少々問題があってね」


 気づくも何も、問題という概念が足生やして歩いてるようなもんだろあの人は。あれで少々なら、この世界にはどんなやばい奴がいるんだっていう話だよ。ジェレイドが平和って言ってたけど、平和の基準値どんだけ低いんだ。

 

「彼女は悪事を絶対に許さないという正義感が強いばかりに、今日みたくキレて冷静さを欠いてしまうことがある。そうなると完全に自分の判断が正しいと信じ込んでしまい、犯人を処罰するためには手段を選ばなくなる」

 

 ライアさんは、疲弊したように溜息を吐く。


「加えて、今回は被害者がソフィアだったからね。ここまでやるのも無理もない話かもしれない」

「……そうですか」


 芝生をブチブチと引っこ抜きながら、俺は冷めた口調で返す。

 自分の判断が正しいと信じ込む……ねぇ。

 

「で、それを俺に伝えてどうしろってんです? 内容がどうあれ、この報告書はもう明日には受理されるんでしょ? なのにわざわざ呼び出したからには、他に理由があるはずだ」

「察しがいいね。話が早くて助かるよ。じゃあここからが本題だ」


 そう言って、彼は人差し指を一本立てる。

 

「この嘘の報告書が法務部の手に渡れば、確実に君は処刑される。だがそれを回避する手が一つだけある」


 へぇぇ、死刑にならなくてもいいってか。そんなものがあるならぜひともお聞きしたいところだ。

 ちぎった芝生を夜風に吹かしながらどうでもよさげに俺が先を促すと、ライアさんは静かにその方法を告げた。


「今回の事件を、事故ということにする」

「事故ぉ?」


 思いもよらない案に、俺が耳を疑ったのは言うまでもない。

 だが向こうは冗談ではないというように、真剣なまなざしで続けた。

 

「君が報告書が提出されるよりも前に、ティアにあれは事故であったと自白する。僕がその場に立ち会えば、彼女も内容を書き換えざるを得なくなるって寸法さ」


 ……何言ってんだこの人。

 今更そんなことして誰が信じるんだよ。最初からそう言ってたならまだしも、タイミングが遅すぎる。白々しい言い訳にしかならない。


「そこでティアのあの性格を引き合いに出すんだよ。あれだけの剣幕で凄まれたら、誰だって萎縮する。そのせいで今まで本当のことを言い出せなかったんだとしても不思議じゃないだろ」


 ライアさんは息継ぎもせず、ものすごい勢いでペラペラと唾を撒き散らした。


「いいかい、君はジェネレイドを来訪してきたばかりの異国人。土地勘のないこの場所で道がわからなくなり、その末にあの女子兵舎に迷い込んでしまったということにすれば、疑う者はそうそういない。それなら一応の話の筋は通る」

「……深夜に徘徊してるのが自然、ですか? そんなの信じるほど法務の人達はおつむのレベル低くないでしょうに」

「外出禁止令のことを知らなかった、と言えばいいさ。それも異国人故に仕方のないことで済ませられる。これは前例もあるから期待していい」

「ほーん……で? 階段からの突き落としや後頭部殴打の件は? なんて説明するつもりなんですか?」


 どう考えたって、故意にやったとしか思えないようなその痕跡。流石に事故で済ますには無理がある。

 すると第三騎士隊長は、待ってましたとでも言いたげに得意げに説明し始めた。

 

「事件当時は外は真っ暗だ。人と鉢合わせしたところで、それが誰かを認識するのは難しい。どこかもわからない場所で不安がいっぱいな時に、いきなり目の前に武装した人間が現れたらどうなる?」

「……パニックになってたと?」

「そう。取り乱した君は、とっさに護身用に持っていた棍棒を振り回し、それがソフィアに当たってしまう……その弾みで、彼女は転落した」


 おいおい……めちゃくちゃもいいとこだぜ。ソフィアさんは背中を押されたって言ってるのに、これだと証言と食い違うじゃないか。


「頭を殴られたショックで記憶がごっちゃになってたことにすればいい。当人はあの通り普段からもの忘れがひどい。背中と頭を間違えてるだけかもしれないと誰もが思うだろうさ」

「……」

「とにかく、これで確実に事故ということにできる。そうなればこの件から『犯人』はいなくなり、君が罪を着せられることもなくなるわけだ。怪我を負わせたと言っても殺したわけじゃないから、僕の権限でなんとか免責できると思う」


 そう優しくライアさんは言うが、俺は口をつぐんだままだった。

 聞こえはいいけど、要はこういうことだ。


 嘘に嘘を塗りたくって、真実を闇に葬る。

 やってもいない事実を認める。

よりにもよって、答えを探し出すのが仕事の探偵に……!


「……僕もできればこんな手段は用いたくないさ。だけど、もう正攻法では勝ち目がない。明日の朝には最終尋問が行われるだろう。それが最後のチャンスだ」

「……」

「君はまだ若い。未来のためにも、ここは賢い選択をすべきだ」


 俺の肩に手を置くと、諭すようにライアさんは言う。

 そんな彼に俺は目も合わせず、一言も言葉を発することはなかった。

 

 ◆


 話が終わると、俺は元通り手錠と縄で拘束されて、牢屋のある建物に戻された。


「ここをまっすぐ進んで突き当りを右に行けばさっきの牢部屋だから。じゃあ、お休み」


 入口の扉が閉まって施錠されると、俺は一人で淡い松明の光を頼りに廊下を進んでいった。

 まっすぐ行って、突き当りを右に。言われた通りの順路に従っていくと……。

 帰ってきたぜ、鉄格子付きVIPルーム。またの名を独房。

 だが。

 あれれ~おかしいなぁ。そこにいるはずの付き人が見当たらないぞ。

 見張りスペースには誰も座ってない椅子と、誰も突っ伏していないテーブルがあるのみ。

 まったく、どこ行ったよあの鬼軍曹は……。

 

「すいませーん。牢屋に入れてほしいんですけど―!」

 

 と大声で叫んでも返事はなし。俺の声だけが石の壁に反響するだけだ。

 しっかし我ながら何言ってんだろうね、自分から牢屋に入れろって……。まぁ脱走しようとも思ってないけどさ。

 きょろきょろと周囲を見渡していると、やがて隅っこの方に小さな扉があるのが見えた。あそこの先にいるのかな?

 俺はその近くまで寄ると、つま先で軽くノック。だが何回繰り返しても、何秒待っても返事はなし。

 試しに背中を向けて、ドアノブを捻って押してみるとあっさりと開いた。


「失礼しまーす」


 念のためそう前置きしてから中に入ってみると、そこはなんてことないただの部屋だった。

 ベッドに、タンスに、机。

 その他諸々、必要な生活用品がやや広めな空間に設置されている。

 なるほど、ここは見張り番用の宿直室みたいなものか。とすると、彼女はここにいた……?

 それを証明するかのように、ベッドの脇には彼女のものと思しき鎧や剣が置いてあった。しかし、肝心の持ち主はどこにもいない。


「もしもーし! クリスティアさーん!? いませんかー?」


 大声で呼びかけるも返事なし。参ったなぁ、いつまでもこんな動きずらい恰好でいたくないんだけど……。

 途方に暮れていたその時である。

 

「ふんふーん、らんらららん……」

 

 そんなかすかな音が、鼓膜をわずかに振るわせてきた。

 なんだ、空耳じゃないよな? 鼻歌か、これ? いったいどこから……。

 耳を澄ましてみると、部屋の奥の方に半開きの扉があった。どうやらその向こうから歌声はするらしい。何やってんのか知んないけど、人がこんなになってるってのにご機嫌でお歌とはいい気なもんだ。

 今までのこともあって無性に腹が立った俺は、ズカズカとその扉の前まで突き進んでいくと……。

 

「あのー! 牢に入るんでいい加減この拘束解いてくださいよ!」

 

 足で思いっきり、蹴破った。

 そして次の瞬間視界に飛び込んできた光景は――。


 湯煙。そして肌色。

 極限まで突き詰めて描写すればそれだけ。

 何? 全然わかんない? じゃあもう少しわかりやすく言おう。

 

 素っ裸で湯浴みをしていたクリスティアさん。以上。

なんとまぁ、ここは風呂場でしたか。迂闊だったわ。

 

「……ふぇ?」


 目と目が合う瞬間(とき)、一糸まとわぬ姿の彼女は歌唱を停止。そのままフリーズ。室温はホットなのに空気はコールド。

 俺はというと、そりゃもうガン見ですよ。

 二の腕や太ももはがっしりとしていたが、体全体はなめらかな曲線美を描いている。騎士らしいたくましさと女体の艶やかさを見事に併せ持つその肢体……魅入らないわけがない。


「な……な……なんで貴様、ここに……」


 パクパクと下顎を上下させながら、呂律の回らない声で言葉を紡ぐ彼女。

 紅潮した頬は入浴によるものか、それとも羞恥心のせいか。

 まぁどっちでもいい。

 すぐにそれは怒りゆえに変わったのだから。


「こンの……変態出歯亀男がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 ぶわ!!

 と体全体からオーラを吹き出す女騎士。銀髪は逆立ち、青い瞳の奥にはメラメラと炎が燃え上がる。

 あ、だめだわ。もうこうなったらどうしようもねぇわ。死刑回避とか考える前に私刑不可避だわ。

 武器は持ってないから、蹴りか? パンチか? それとも目潰しか?

 と、あまり意味のない予測を立てたものの、結果は全部ハズレだった。


 突如として、彼女の右手首のあたりが発光したのだ。


 まるで野球場のナイター並のまばゆさが襲い、俺は思わず顔を背ける。

 な、なんだ一体? 人体のどこにそんな光源体が!?

 

「見たもの全部忘れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 腕の隙間から見えた彼女は怒号とともに、発光した腕を振りかぶる。

 そして野球選手のようなフォームで、見えない何かを俺に投げつけた。


 額に真正面から受ける強い衝撃。

 のけぞり、吹っ飛ぶ俺の身体。

 体内を駆け巡る電気のような謎のエネルギー。

 それら全てを圧縮された時の中で感じたのを最後に、俺の意識は飛んだ。


 ◆


「はっ!?」


 何かの刺激によって俺は目を醒ました。

 今までのは夢か? もしかして現実に戻ってこれた?

 と一瞬でも思ったけど、相変わらずそこはじめじめした空気漂う独房だった。

 寝てたのか、俺……。ライアさんと話した後、建物入り口まで同行してもらって、一人でここまで歩いてきたけどクリスティアさんがいなくて……。

 ……あれ、そこからどうしたんだっけ、俺。

 思い出そうにも思い出せない。まるっきり、まるで事実そのものがなかったかのように、完全に頭から抜け落ちていた。なんで覚えてないんだろ……。


「ようやく起きたか」


 どこかで聞いたようなセリフと声。

 檻の外を見るとさっきまでいなかったはずのクリスティアさんが、外の椅子に座ってこっちを見ていた。

 だがなぜだろう、さっきよりも視線に込められた敵意が三割増しくらいになっている気がする。

 しかしおかしいな、さっきまでそこにいなかったはずなのに。気がついたら俺もこの人も元の位置にいたなんて。どうなってんだ……?


「えっと、クリスティアさん……今までどこ行ってたんですか?」

「!!?」


 さして変なことを訊いたつもりではなかったのに、それだけで彼女はビクッと肩を震わせた。


「な、なななななな~んの話だ? よくわからんな?」

 

 うまくもない口笛を吹きながらすっとぼける女騎士。それでごまかしたつもりかよ、疑ってくれと言ってるようなもんじゃん。


「いや、でもさっきここにいませんでしたよね?」

「さ、さぁ。ただの思い違いだろ? 私は貴様が隊長に外に連れ出されている間はずーっとここにいたからな」


 ……。


「なんで『さっき』って言っただけなのに、ライアさんと外に出てた間ってわかったんです?」

「ぎく」


 女騎士の肩に震度5弱の地震を確認。わかりやすいリアクションだ。


「それで……ああそうだ、そこの端っこの扉から宿直室みたいなところにお邪魔して―――」

「~~~っ!?」


 今度は椅子から立ち上がった。その顔は真っ赤で、目はぐるぐる回っている。よほど知られたくない何かががあるらしい。


「宿直室に入った後は……えー、確か……」

「あわわわわわわ……」


 試しに思い出そうとするフリをしてみると、大仰なくらいに慌てふためき出した。実に面白い。

 しかしやっぱり頭の中を引っ掻き回しても、あるはずの記憶は出てこない。


「……やっぱり思い出せないなぁ」

「ふぅぅーっ」

 

 ドチャクソ安堵してやんの。こうなると何が何でも忘れていた何かを突き止めたくなってきたな。さてさて、どうやって暴いてみせようか……。


「よかったー、肝心なところはちゃんと忘れていたようだな。やれやれ、まさか入浴中に突入されて裸を見られたなんて、屈辱極まりないからな。もし覚えられてたら二度とお嫁に行けないところだったよ、危ない危ない」


 先越されたよ。しかも隠してる本人に。

 思考ダダ漏れ。口の軽さはヘリウム級。ブレーキを踏んだら加速する欠陥自動車だな。ウケる。

 と、にやけていたのが顔に出たのを見て、彼女も遅れてようやく気づいた。


「――ハッ!? 貴っ様、この私を嵌めたな!」

「自分で頭から飛び込んでおいて何を仰います」

「ええい、罪人の分際で誘導尋問するとはなんと卑劣な! 恥を知れぇい!」


 現在進行系で恥かいてる人に言われたくない。

 一人で勝手に自滅したのが相当悔しかったのか、女騎士は床に穴が空くほど地団駄を踏みまくる。


「くっそー!! ちゃんと記憶消去の魔法は打ち込んだというのに! なんでこうなるんだっ!!」

「……はい?」


 きおく? しょーきょ? 今、そう言ったか?

 いやいや待て、それ以前に……魔法!?

 どういうことだ? 聞き間違いじゃないよな?


「あの、何かしたんですか? 俺に……」

「ああ? だから記憶を消したんだよ! この私の魔法でな!」

 

 特に否定するわけでもなく、彼女は平然と認めて自分の手の甲を見せた。 

 目を凝らしてみると、そこにはくっきりと紋章みたいなものが浮かび上がっていた。円形で、外枠には変な文字の羅列、中心には五芒星が描かれている。

 入れ墨か? いやそれとは違う……まるで映写機で映し出しているような……。だが、ここにはそんなものはない。

 

「魔法……これが?」

「そうだ。まさか見るのは初めてではあるまいな? あぁ、でも記憶消去(これ)は一部の上位騎士でしか扱えない高レベル魔術だからな、驚くのも無理はないか」

 

 まさかも何も、魔法なんてものがある事自体聞いてねぇよ!

 異世界にしては元の世界と変わらない点が多々あるなと思ってたところに、こんなイレギュラー概念ぶっこんでくるとは。

 にわかには信じがたい話だが、俺の記憶が抜け落ちていることは確実。それを消した本人が認めているのだから、疑いようもない。

 やっぱり、ここは異世界だ。こっちとは、根本からまるで違う。

 ……。


 ……おい、待てよ。

 記 憶 消 去? 

 意味は、記憶を消す。思い出させなくする。忘れさせる。

 それって……まさか!


「あーっ!! その顔!」

 

 ひらめきかけた俺に、クリスティアさんがすかさず指差して言ってきた。


「な、なんすか?」

「ふぅん、もしかして貴様……ソフィーが事件当時のことを思い出せないのは、記憶消去魔法を食らったからだー、とか言いたいんだろ!?」


 ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべるクリスティアさん。ほんっとこの人喜怒哀楽コロコロ変わりすぎだろ。多重人格者なんじゃないかと疑いたくなるぜ。

 で、そう言うってことは、ソフィアさんが色々忘れている原因は、記憶消去魔法とやらではないってことか?


「当たり前だ。そうであるなら、我々もとっくのとうに気づいていたさ」

「どういう意味です?」


 にぃ、と彼女は白い歯を覗かせると、テーブルの上に遭ったある小道具を取って格子の方まで早足で寄ってきた。

 そして……。


「こういうことだ!」

 

 それを、俺に向けた。

 見ると、そこに20歳くらいのナイスガイがこっちを見つめ返していたもんで、「誰こいつかっけぇ!」って思ったら。

 俺なんですよ。

 彼女が向けていたのは、小さな手鏡。なんでそんなものを差し出してきたのかは、すぐに分かった。


「……これは」


 その額には、くっきりと、彼女の手の甲に浮かんでいたのと同じ紋章が刻み込まれていたのだから。

 

「あの魔法を食らうと、こうして痕が残ってしまうんだ。要するに、ソフィーが記憶をこれで消されていたなら、どこかに紋章痕が付いていないといけない。でも、そんなものはどこにもなかった」


 クリスティアさんは、ゴシゴシとそのタトゥーみたいな魔法の痕を消そうとしている俺に得意げに語った。


「つまり、記憶が飛んでいたのは正真正銘階段から落ちたショックか、棍棒で殴られたものによるもののどちらかでしかないのだ。わかったか?」

「……これを治す方法とかってのは?」

「なんだ、そんなに痕が気になるか? 言っておくが擦ったり洗ったりしても落ちんぞ? その面のままで処刑台に立ちたくないというなら、明日メディックにでも頼んでおいてやる。専門の治癒魔法ならなんとかなるはずだ。まぁ元の記憶は戻らんけどな」


 俺は答えなかった。

 ただじっと、鏡の中の自分を見つめていた。

 

 そしてその顔は……どんどん表情が変わっていく。

 顰め面が綻び、口角が上がり、歯が剥き出されていった。

 俺は、笑っていた。


「そうか……そういうことだったんだ」


 ここに来て魔法。今まではそんな要素が「ない」という前提で話を進めていた。

 通りで行き詰まるわけだ。だってこれこそが、事件の鍵となる最も重要な要素なのだから。


 傷一つ無い鎧。

 落ちていた謎のプレート。

 誰も入れない武具保管庫。

 何故か一致した管理資料の識別番号。

 ベロニカさんのアリバイ。

 そして欠落した記憶と、記憶消去魔法……。


 これまでに見た数々の謎が流れ、溢れ出す。

 それらは、面白いくらいに俺の手の上で重なり、ぶつかり合い、壊れていった。

 

「? ……なんだ、何を笑っている」

 

 不審そうな目で見つめてくる彼女に、俺はゆっくりと立ち上がる。

 

「ありがとうございます、クリスティアさん」

「え?」


 いきなり礼を言われて当然女騎士は眉をひそめるしかない。

 それでも俺は溢れ出る感情が表に出るのを抑えられず、満面の笑みで第三騎士団壱番隊副隊長、クリスティア=エルキュールに言い放ったのである。



「謎は今、全て砕けました」

 

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