6話
「内部の……犯行? ここの人間がソフィーをやったと言うのか!?」
唇を小刻みに震わせながら、クリスティアさんは俺の両肩を掴んで揺さぶった。
ソフィアさんを襲ったのが同じ騎士団メンバーだとしたら、これはれっきとした不祥事。副団長という立場上、そんなことを聞かされたら取り乱すのも無理はあるまい。
「嘘だ……そんなことあるものか!」
「だが、坊やの筋は通ってるよ副長殿。他に思い当たる仮説もないし」
「いや、その仮説だって裏を返せば、侵入したら実行は可能だってことだろ! それだけでどうして内部の人間が犯人だと言い切れる?」
自分で言ってておかしいと思わないのかなこの人……。同じことを他人が言ったらどういう反応するのか見てみたいよ。
「さっきも言いましたけど、今回の犯行は偶発的かつ突発的なもの。だったらいちいちそこまで手の混んだことをするわけがないでしょう!」
「う……、じゃ、じゃあ! 何者かが兵舎内に侵入していて、そいつとソフィーが偶然鉢合わせしてしまった。だから逮捕される前にその場で襲った――それなら辻褄は合うぞ!」
「いいえ、合いません」
このまま喋らせとくと永遠に話が鈍行で進みそうだったので、間髪入れずにきっぱり否定しておいた。
「ソフィアさんはいきなり突き落とされたと言っていました。しかも階段の上で背中を押されて。この証言により、明らかになったことは二つ」
俺は一本立てた指を、クリスティアさんに見せつけて説明を続ける。
「一つは、彼女は犯人の姿をギリギリまで認知していなかった。不意を突かれているわけですから、そう考えるのが自然です。この時点で『鉢合わせしてその場で襲った』っていうのは状況的に合わなくなる」
「……そ、そうか」
「坊やの言う通りだね。それに、夜の兵舎内やポートピア大通りでも怪しい人間の出入りは目撃されてなかった。とすると犯人は、犯行後に女子兵舎に戻ってったと考えるのが妥当だ」
ターニャさんはそう補足しながら、俺の人差し指を長い爪で軽く弾いた。
「だけど坊や、それだとさっきの『ソフィアが犯人とのトラブルに巻き込まれた』ってのと若干噛み合わないんじゃないかい? 姿を全く見ていないと言うなら、なんで犯人はあの子を突き落とす必要があったんだろうねぇ」
「良い質問ですね。ここでもう一つの真相の出番です」
俺は中指を並べて立てて、簡潔に言った。
「トラブルが起きた場所は、実は階段ではなかったんですよ」
「何!?」
「彼女は敷地内の別の場所でいざこざに遭遇し、そこで犯人に殺すきっかけを与えてしまった。その後、階段に向かっていったところを狙われ……落とされた」
「なるほど、それならだいぶ納得がいくね。副長殿はどうだい?」
「ぬぅ……」
牙を根こそぎ抜かれたように、女騎士は再び着席。毎度感情の起伏の激しいことだ。
ターニャさんはもうそれを見飽きたとでも言いたげに大きくあくびをした。
「だけど、こうなるとそのトラブルとやらの詳細が益々気になってくるじゃないか。そもそもなんでゴタゴタの後、ソフィアは階段の方に行ったんだろうねぇ。例の緊急の用事関係かなにかか……坊やはどう思う?」
「推測ですが……」
一呼吸置き、俺は慎重に言葉を選びながら続きを述べた。
「彼女は、逃げようとしたんじゃないでしょうか」
「逃げた? 犯人からかい?」
「ええ」
直後に犯人のとった行動を考えると、ソフィアさんがその場から離れたのはトラブルが解決したからとはとても思えない。自分に殺意が向けられていると、おそらく当時のソフィアさんは気づいたはずだ。
だから逃げた。脱出路となる、兵舎の入り口に向かって。
「……ちょっとまてユーキ。ソフィーはさっき犯人の姿を見ていないとか言ってなかったか?」
「言いましたよ。『犯人が自分を突き落とす姿』は見ていない。背中からやられてるんですから。だけど、犯人が今さっき自分と揉めた人物であることはすぐにわかる……そいつが誰かを覚えていれば、の話ですが」
「……そうか。ソフィーにはトラブル時の記憶が抜けている……だから犯人の見当もつかなかったのか」
「そういうことです」
「さすが探偵坊や。こんな短時間てここまで明らかにするなんてね。見事なもんだ」
小さく拍手をしながら褒め称えるターニャさんに、俺は軽く一礼して応えた。
「いえいえ。ターニャさんが提供してくださった情報のおかげです。これで真相にぐんと近づきましたよ。どうもありがとうございました」
「そりゃよかった。他に聞きたいことはあるかい?」
「そうですね……ターニャさんの他にソフィアさんのルームメイトっていますか? いたらそちらの方にも話をお伺いしたいんですけど……」
「ああ、いるよ。じゃあ案内するからついといで。さっき話を聞いてきたばかりだから、まだいると思う」
「え? どこに行くんです?」
ターニャさんは立ち上がると、手招きしながらいたずらっぽく笑った。
「武具保管庫さ」
◆
食堂から出て数十秒歩いたところ、兵舎入り口の門から左に直進した突き当りにその建物はあった。
やたらと長いレンガ製の平屋。木製だった宿舎とは違い、非常に丈夫な造りになっていることが見てとれた。
ここが武具保管庫……まさかこのタイミングでここに来ることになるなんてな。
俺がまじまじとその重圧感漂う外観を眺めていると、ターニャさんが笑いながら言ってきた。
「現場に落ちてたっていうプレートの番号調べるんだろ? 手間が省けたね」
「ええ。それで、この中にもう一人のルームメイトが?」
「多分ね。じゃあ入ってみようか」
正面にある扉を手で押し開け、彼女は俺達を中に入れてくれた。
入った先は、小さなカウンターが一つあるだけの大部屋だった。
正面には重厚な鉄の扉があり、きっとそこが保管庫に繋がっているんだろう。とすると、ここは受付か何かかな。
ターニャさんはカウンターに寄りかかると、奥の方に向かって叫んだ。
「おーい、ベロニカー! お客さんだよー!」
その呼びかけに応じて、奥の控室から姿を現したのは……。
獣人のルームメイトの次はなんだろう、スライムか? オークか? なんてことを思ってたのだが、そのどれでもなかった。
眼鏡をかけ、軍人らしからぬ長い髪をした、人間の女性。レンズはきれいに磨いてあるのに、奥の目は曇っていてなんとなく気怠そうな雰囲気だ。
そんな彼女とは反対に、ターニャさんは快晴の笑顔で言う。
「ようベロニカー。よかったー、いてくれて」
「また? ……今度は何の用?」
すぐにでも舌打ちが聞こえてきそうな、不愉快そうな口調。なんだかまたひとクセありそうな奴だなぁもう……。
「探偵坊や、彼女がベロニカ。ソフィアのもう一人のルームメイト。庶務課に所属してて、こういう設備や資料の管理を任されているのさ。彼女はこの武具保管庫担当」
「……」
ベロニカと呼ばれた女性は、わざとらしくため息をしてみせると、ターニャさんの後ろにいる俺達を見た。
「副長と……あ、あなたは……」
ベロニカさんの眉間に一気にシワが寄る。本当に舌打ちされる前に、俺は慌てて頭を下げた。
「どうも、俺は――」
「ソフィー襲撃の容疑者だ。しかし一貫して容疑を否認しているだけでなく、真犯人が別にいるとかぬかしている」
おいこら鬼軍曹ォ! マイナスイメージしか抱かせない紹介で上書きするんじゃねぇよ。聞き込みは第一印象がキモだってのになにしてくれてんだ!
「真犯人が別にいる……?」
「そ。だから再捜査してるってわけ。しかもこの子、探偵っていう謎解きのエキスパートんだって。それであんたにちょいと事件のことで訊きたいことがあるとか」
「……仕事中だし、それに事件のことならもうあんたに大体のことは話したでしょ」
ベロニカさんは眉をひそめたまま一歩後ずさって拒否るが、すかさずターニャさんは食い下がった。
「まーまー。どーせ庶務課の仕事なんてただ座って書類の整理するか、帰り際に戸締まりするかしかないんだろぉ? 話す暇もないほど忙しいとは思えないけどねぇ」
「あんた……」
「ベロニカ。手間を取らせるようだが、これは騎士団全体の問題だ。そして貴様はソフィーのルームメイト。決して無関係というわけではあるまい」
「副長……まさか私を疑ってるんですか」
上司であるクリスティアさんにまで詰め寄られたベロニカさんはまた一歩後ずさる。
「そうじゃない。ただ事件の真相につながる糸口を探したいだけだ。なにか有力な情報があれば話してくれ」
そう言われても、ベロニカさんは表情を緩める兆しを見せない。
警戒心剥き出しって感じだ。まぁ俺のせいなんだろうけど。
「それはそうと、まだお互いにちゃんと自己紹介してないじゃないか。ほらベロニカ、探偵坊やにご挨拶しな」
「……ベロニカ・ウィンストン」
ターニャさんに促された彼女は目も合わせずに、ぶっきらぼうな口ぶりでそう言った。
かなりおざなりなものではあったが、俺は嫌な顔一つせずに元気よく右手を差し出す。
「初めましてベロニカさん。俺は結城界斗、探偵です。今朝のソフィアさん襲撃事件の容疑を晴らすべく、調査に協力させていただいております。どうぞよしなに」
「……なんで容疑者が自由に歩き回ってるわけ?」
握手など誰がするか、とばかりにベロニカさんは俺を睨む。そんなのクリスティアさんが傍にいる時点で察してほしいもんだがね。
そんな時、ターニャさんがまたすかさずフォローに入ってくれた。
「まぁまぁ、そう邪険にしなさんなって。ごめんね探偵坊や、この子昔っから人付き合い下手くそでさ、同じ部屋同士でもあんまり話したがらないんだよ。思ってることを伝えるのが苦手っていうか」
「そうなんですか……」
典型的なコミュ障ってやつか。どこの世界にも同じようなのはいるんだね。
と腹の内で苦笑しながら、顔の愛想笑いを崩さずに続けた。
「ええとですね、こうやって歩き回れているのはあくまで調査のためであって、決して釈放されたわけじゃないです。それも明日までという期限付きで、特別に許可を出してもらったんですよ。ライアさんっていう人に」
「え……」
瞬間。彼女が持っていた書類がドサドサと床に落ちた。
「だ、団長が……?」
「はい。最初は渋られたんですが、最終的に了承してくださいまして」
「嘘……あの人が? ありえない……」
ベロニカさんの声は明らかに震えていた。落ちた書類を拾うことすら忘れて動揺している様子。
俺は腰を下ろして、その散らばったA4くらいの羊皮紙みたいなものをせっせとまとめにかかる。
「まぁ、信じられないならどうぞご本人に直接確認していただければ。とにかく僕は必要な手順を踏んでここにいるので……」
そして束になったそれを彼女に差し出すと、にっこりと笑って言った。
「聴取、ご協力願えますか?」
◆
というわけで二人目の聞き込み開始だ。
俺達はその辺にあった小さなソファーにターニャさんとクリスティアさんと共に腰掛け、カウンターの向こうで書類仕事を再開したベロニカさんに質問した。
「まず、昨夜のソフィアさんの行動についてなんですけど――」
「夜なら私は部屋にいなかったわよ」
つっけんどんな態度でベロニカさんは言葉を遮った。
ピリついてんな……変に話しこじらされるよりはマシだけどさ。
「いなかった……と言いますと?」
「ベロニカは昨日巡回当番だったんだ」
隣のターニャさんが、しっぽの毛づくろいをしながら補足してきた。
巡回当番……さっきの話にもちょろっと出てきたな。
夜中に何人かの兵士がこの兵舎や周辺を見回っているってことなんだろう。ベロニカさんはそれで出払ってたってわけか。
なら、部屋で取り乱していたソフィアさんについては知りようがないが、それならそれで他に聞くべきことはある。
「巡回、というのは具体的にはどのエリアを? あなたの他には何人いました?」
「ここの敷地内。人数は私を入れて三人」
「三人……なるほど」
見る限り、この女子兵舎はそこまで広くない。外縁を一周するのに、走って2分もかからないだろう。外の大通りにも見回りがいることを考えると……色々と問題が出てくる。
「ソフィアさんは昨日の夜に自分の部屋を飛び出していったらしいんですが、見かけたりは……してませんよね?」
「見かけてたらとっくに報告してます」
ですよねー。
この回答は予想してたから、さっさと次の質問に移る。
「では、あなたが巡回をしていた時間っていつ頃かわかります? 大体でいいので」
「……夜の巡回時間は21時から翌日3時までだけど」
「ちなみに、ソフィアが部屋を出てったのは22時50分。あいつが部屋引っ掻き回してた時に『後10分で23時の消灯時刻になっちまうよー』って言ったの覚えてるから、間違いない」
「なるほど」
助かったー、と俺はこっそり安堵の息を吐いた。
というのも、どうやら時間の単位や刻み方はこっちの世界と共通しているようだからだ。ここでもまたそんなもの知らんなんて言われたら流石に目も当てられない。
「巡回当番だった他の二人も、ソフィアさんの姿は見ていないんですよね」
「ええ」
「しかし妙ですねぇ。これくらいの敷地に三人も警備を配置しておいて、誰一人飛び出したソフィアさんを見かけていないとは……失礼ですが、少々警備に粗があるのでは?」
煽り半分に言ってみたが、ベロニカさんの表情に変化はなかった。もとから不愉快そうだったせいもあるが。
「粗があるっていうよりは、向こうがコソコソ隠れてたんでしょ。騎士団であっても、正当な理由のない夜間外出は禁止されてるし。人に見られちゃまずい用事だったんじゃない?」
「ほぉ、それはどんな?」
「私が知るわけないでしょ。なんなのさっきから」
こっちの姿勢にさすがに苛立ちを隠せなくなってきたのか、ベロニカさんの声がまた一段回低くなった。回りくどい言い方はこのへんでやめにするか
「すみませんね。今までの調べから申しまして、この事件の真犯人は……ここの関係者である可能性が濃厚でして」
言った瞬間に、場の空気が張り詰めた音がした。
遠回しに容疑者扱いしているわけだから至極当然ではある。
正直ここいらでブチキレてくるものかと身構えていたのだが、ベロニカさんはふんと鼻で笑うだけだった。
「あっそう。じゃあ何、私が犯人とでも言いたいわけ?」
「可能性はありますね。それにあなたと一緒に巡回していた方々も。犯人は事件が起きた時刻にここにいた全員なので。だからアリバイ確認も兼ねて、昨日の23時前にどこにいたかお聞かせ願えればと」
彼女はまだ何か皮肉でも言いたそうにしていたが、やがて大仰にため息をつくと静かに語り始めた。
「その時間なら、私はこの武具保管庫の周囲を見回ってたわ」
「ここの周り、ですか」
「ええ。巡回エリアは保管庫、食堂、宿舎の3つ。三人でそれぞれ一か所を担当して見回る」
「それを他の人は証明できますか? 例えば誰かが持ち場を離れたとしても、すぐ気づけます?」
「是が非でも私を犯人にしたいみたいね!」
バン、と書類の束が持ち主によって強く机に叩きつけられる。
犯人にしたいわけではないが、自分の首がかかってるもんでね。と、言い訳する代わりに肩をすくめた
「残念だけど、証明はできるわ。交代時間があるもの」
「交代?」
「ええ。ニ時間ごとに持ち場をローテーションで入れ替えるの。だから私の後にやってきた奴に聞いてみれば?」
「交代……なるほど」
ソフィアさんが出て行ったのは22時50分。
そこからトラブルを起こして彼女を階段から落とし、頭を殴って鎧を着せ替え、23時の交代までに戻るとしたら……。
どう考えても、時間が足りない。彼女には到底実行不可能だ。
「ターニャさん、ベロニカさんの後の保管庫担当の人に話は――」
「聞いた聞いた。特に問題なく、いつもどおりに交代して終わったって。少なくともベロニカが疑わしいようなことは何も言ってなかったよ」
「……そうですか。どうもお手数おかけしました」
勝ち誇ったように笑うベロニカさんに、俺は両手を挙げてこれ以上問い詰めるつもりはないですよ、とアピール。
別の巡回当番にはあとで話を聞くとして……ここは次の用件に入るとするか。
「聞きたいことは終わり? だったらもう帰ってくれない? こっちは夜勤明けだから疲れてるのよ」
「ああそれは失礼しました。ですが、最後にもう一つだけ」
奥に引っ込もうとするベロニカさんを某刑事ドラマの主人公っぽく、人差し指を立てて引き止めた。
「実は、この武器保管庫にある資料を拝見させてほしいと思いまして」
「資料!? なんの!?」
裏返りそうな声を上げると、ものすごい勢いで彼女はこちらを振り返った。
事情を説明しようとしたのだが、クリスティアさんが手で制して自分がその役を請け負った。
「識別プレートの管理表だ。ソフィーのアーマーの番号が知りたい」
「……なんでそんなものを」
「事件現場から剥がれたプレートが見つかったんだ。耳を疑うようだが、ソフィーは被害に遭った後、着ていた鎧を犯人に着せ替えられてるようなんだ」
「……どうしてそんなことがわかるんです?」
俺達から目をそらすようにしてベロニカさんは押し殺した声で言う。
「彼女は階段から突き落とされてた。にもかかわらず、鎧が新品同様に傷一つない状態だったのでな。おそらく元々着ていた鎧に、何か証拠となるものが残っていた可能性がある。だからそれを隠すために着せ替えた……というのがユーキの立てた仮説だ」
「ソフィアさんに訊いてもよかったんですけど、どうやら自分の番号を覚えていなかったらしくて。それで、ここにある資料を確認させていただきたいな~と」
クリスティアさんの背中越しにそう頼み込むと、彼女の表情が露骨に強張った。
「困ります。そういうのはちゃんと許可取っていただかないと!」
「ああ心配いりません。それなら――」
「やぁ、ごめん遅くなって!」
その時、突如保管庫入口の扉が開け放たれ、慌ただしく誰かが入ってきた。
二枚目な顔つきに、さわやかな笑顔を振りまく、鎧を装着した若い男性。
ライア・デストルドー第三騎士壱番隊隊長であった。
「ら、ライア隊長!?」
大きな音を立てて立ち上がって驚きの声を上げたのは、ベロニカさん。
よほど想定外の客だったようで、声は上ずり、目は大きく見開かれていた。
ライアさんはここまで急いで走ってきたようで、肩を上下させながら彼女に会釈した。
「やぁベロニカ。お疲れ」
「……ど、どうも」
ベロニカさんはさっきの強気な姿勢から一転、蚊の鳴くようなオドオドした声で返事をした。
目線は下を向きながら、彼とは目も合わせない。まるで目の前に怪物でもいるかのような素振りだ。
「ど、どうしてここに……」
「もうティア達から話は聞いてるんだろう? 悪いけど、彼らをこの保管庫に入れてやってくれないか?」
「え!? でもそれは――」
「許可証なら持ってるよ。さっき用意してきたんだ。ほら」
ライアさんは、腰に巻いたポーチから丸められた紙を取り出すと、彼女の前で広げた。
紙面には印字されたアルファベットがびっしりと書かれており、下のほうには筆記体で署名がしてあった。おそらくライアさんのものだろう。
見る限り、文章は普通の英語だ。異世界だからてっきり文字もまったく見たことのないようなものかと思ってたのだが……。
そういえば言葉も通じるし、時計の文化も全く同じだったことを踏まえると、意外と共通している部分はあるのかもしれない。
「ありがとうございます、ライアさん。助かりました」
「いやいいんだ。事件を無事に終わらせるためだからさ。その代わり、僕も保管庫内には同行するよ。いいね?」
「はい、宜しくお願いします」
ほっと一安心する俺。そして対照的に、目がぎょろろぎょろと泳ぎまくってるベロニカさん。許可証を持つ手はガタガタと震えている。
そんな彼女の肩に、ぽんとやさしく手を置いてライアさんは笑いかける。
「大丈夫だって、すぐ終わるから。君が心配することは何もないよ」
「……わかり、ました」
ようやく折れた騎士団庶務担当は、許可証を引き出しにしまうとうつむき気味に絞り出した声で了承した。
そんなこんなで、いよいよ保管庫へ突入だ。
◆
「お待たせしました……どうぞ」
受付の奥の部屋に引っ込んでいたベロニカさんは、しばらくして何かを持って戻ってきた。
それは全長30センチはあろうかと思うほど大きな鍵であった、
非常に入り組んだ複雑な構造をしており、簡単には複製もピッキングもできなさそうだ。
「ありがとう。じゃあこれと組み合わせて……」
鍵を受け取ったライアさんは、もう一つ似たような形状の鍵を取り出すと。
その二つを、一つに合体させた。
なるほど、勘合符みたいにそれぞれ両方のピースを持っていないと開けられない仕組みか。それほど、この武具保管庫が厳重に管理されているということだろう。
鉄の大扉の前に立ち、彼は組み立てられた鍵を鍵穴に差し込んで、ゆっくりとひねる。
ごうぅん! と重々しい音が響き、扉の錠が解かれた。
ライアさんと俺は、一緒にその扉を両側から押して開け放つ。
ようやく中へと入れた俺は目に飛び込んできた光景を見て思わず溜息を零した。
クローゼットの洋服のように吊るされた鎧の数々。
かごに掃除道具のように放り込まれている槍や剣。
それ以外にも兜や盾、斧、マスケット銃のようなものまで……。
中二病はとっくの昔に克服したはずだったが、これは再発するのもやむなしだ。これは心が躍る。
そんな俺を微笑ましく見つめていたライアさんが、隣に並ぶと言ってきた。
「すごいだろ。女兵士1000人分のスペア装備が入っているからね。男子兵舎のだとこの十倍、二十倍はするよ」
「そんなにするんですか!?」
「するともさ。男兵士の総数は、確か現時点で13565人、だったかな」
そりゃすごい。さすが王国、治安が良くなるわけだよ。
これが……異世界なんだな。
まだ来て初日だというのに、俺は妙な納得感を覚えてしまっていた。
「さて、資料関連の場所はこっちだよ」
立ち話もそこそこに、 俺達一行はライアさんを先頭に、ぞろぞろと倉庫内を移動。
屋内だってのにちょっとしたハイキング気分を味わった後、たどり着いたのは待ちに待った資料コーナー。
分厚く、重たそうな書物が何百、何千冊とずらりとならんだ本棚に収まっている。武具のオンパレードの次は大図書館か……インパクト半端ないわ。
「ここには各人員の登録番号の他に、武器防具の発注履歴、廃棄や入庫の記録が保管されているんだ」
「なるほど、ということは更新も頻繁にしないといけないんじゃないですか」
「そうでもないよ。今のジェネレイドは平和だからね。だから必然的にこういった資料どころか、保管庫自体利用する機会がそうそうないんだ。僕だってここの中は久しぶりに入ったし。庶務課の担当が整理や掃除のために入ることはあるけど、それでも頻度は少ない」
「ふーん……ってことはベロニカさんも普通に出入りはするってことですか?」
俺が目を細めて彼に尋ねたが、耳ざとく聞き届けたベロニカさんがうんざりしたように口を挟んできた。
「それでも逐一許可証の申請は必要です。最後に入ったのは何十日も前。記録が残ってるはずですし、疑うならどうぞ自由にお調べになっては?」
「そうですよね、すみませんでした」
俺はおどけながら軽く謝罪し、会話を打ち切った。
「さて、識別番号の管理ファイルはこのへんだ」
と言って、隊長様は本棚エリアの一角で足を止める。
このへんと言われても、示された箇所には奥行き15メートルはありそうな棚が約10列ほど。
まさか、これ全部? パッと見4,500冊以上はあるぞこれ!?
「確かに多いけど、これだけ人手があれば大丈夫じゃないかな。じゃあみんな、手分けしてソフィアの資料を探そう。僕はこっちを調べるから、ベロニカはあっち、ティアとーニャはそっちで――」
ライアさんの指示のもと、分担して俺五人は資料の発掘作業に乗り出した。
あいにくと俺は文字が読めなかったので、かろうじて認識できる数字の部分に目を通し、ソフィアさんのプレート番号を探す。
ぶっちゃけ何時間かかるかわからない作業だけど仕方がない、ここには検索用のPCどころかデータベースの概念すらないのだから。
「うーん、ないねぇ」
「どこだ~ソフィーの資料~」
悪戦苦闘しているのは俺だけではなく、ターニャさんやクリスティアさんもだった。所属員でもすんなりといかないもんなのか。
ということを軽い気持ちでクリスティアさんに尋ねてみると、彼女はつまらなそうにこう答えた。
「今まで自分の資料しか読んだことがないし、場所もそこしか知らないからな」
「なるほど、それもそうですね。でもそれだったら、ソフィーさんに直接場所の在処を聞けば……」
と言いかけたところで、大仰にターニャさんが手を振った。
「ダメダメ。自分の番号もまともに覚えてない子だよ? 聞くだけ無駄さ」
「……ごもっともで」
だとすると、すぐに見つけるのはほぼ無理か。やれやれ。
そう肩を落として、重たい書物をしばらく棚から出し入れしていたのだが。
「おーい、あったってよ!」
突如、棚の向こう側でライアさんが大声で呼んできた。
マジかよ、もうか。結構……いやかなり早かったな。
見つけたのはベロニカさんらしい。全員は再集合すると、彼女が広げていた資料の一ページを覗き込んだ。
「……これは」
ターニャさんとクリスティアさんの期待してたような顔が、徐々に崩れていくのが横目に見えた。その理由はすぐにわかった。
ソフィアさんの写真が載っているそのページ。おそらく彼女の名簿だろう。
書いてある文字は訳すまでもない。
だってそこに書かれてある番号には……あの落ちていたプレートのものはなかったのだから。
「鎧番号は現在メインで使ってるのが2415、ここにあるスペアが3697と9845……あの落ちていたプレートのものとはどれも違うみたいだね」
「2415は……例の傷のない鎧の番号と同じだ。ということは……」
全員が一斉に俺の方を見る。
鎧の着せ替え、という仮説を提唱した俺を。
その線は、目の前にある証拠によって……たった今消えた。
何とか言えよ、と無言の圧力が俺にのしかかってくる。
ここで何か弁明しなければ、自分の言ったことが出まかせと認めることと同義。自分が疑われている今、沈黙は最も避けるべき行動だ。
それなのに。
それなのに俺は……何も言い返さなかった。
ただ歯を食いしばり。
ただこぶしを握り締めて。
静かに、無言を貫き続けた……。
◆
「どうやら推理は全部的外れだったようだな」
女子兵舎からの帰り道。
ライアさん達と別れ、とぼとぼと歩く俺に向かってクリスティアさんが嫌味たっぷりに言った。
「ともかくこれで鎧の着せ替えなんて起きていないことはわかったし、落ちていたあのプレートも今回の事件に関係しているかどうかも怪しくなってきたな」
「……」
「しかし、真犯人を捕まえてみせると啖呵切っておいてこれとは。探偵とやらも大したことないじゃないか、ええ?」
「……」
「ふん、反論する余地もないか。てっきり今度は犯人が資料の方の番号を書き換えたに違いない、とか言い出すものかと思ってたんだがなぁ」
鬼の首を取ったように、ぺらぺらと鬼軍曹は舌を高速回転させる。
きっと表情もすごくいい笑顔なんだろうけど、それを見る気にはとてもなれなかった。
「だが、保管庫は巡回時間開始から早朝までは入口から完全に施錠されている。犯行が起きた時間帯に保管庫には誰も入れない。必然的に書き換えるとしたら、事件が発覚した朝から私達があそこに来るまでの時間だ。でもその間に訪問者はいなかった。これはベロニカから証言が取れているし、記録も残っていなーい」
「……」
「とすると書き換えが可能に見えるのは、貴様が執拗に疑ってたベロニカ本人だ。だがこれも否定するだけの証拠がある。わかるか?」
俺は答えないつもりだったが、そもそもこっちの返答など聞くつもりもないというように、すぐに彼女は得意げに続けた。
「貴様も見たと思うが、保管庫の鍵は少々特殊でな。彼女が持っている鍵の他に、もう一つの鍵があって初めて開けられる。こちらの方は入室許可が降りなければ手に入らない。故にベロニカは保管庫内に侵入すること自体不可能なのだ」
「そっすね」
俺はそっぽを向きながら聞き流す。
それを納得してないふうに捉えられたのか、彼女はムッとして頬を膨らませた。
「あのなぁ。第一ベロニカには、定時連絡時のアリバイがきっちり取れているんだぞ? なんでそこまで彼女を怪しむんだ?」
「……ソフィアさんは夜中に宿舎の外へ飛び出した。その時間に屋外にいたのは、巡回当番の人だけ。トラブルが起きたのだとすれば、必然的にその人が関係していると考えたからです」
俺は自分の足元だけを見ながらため息交じりに釈明した。
もはや言うだけ無駄かもしれないが、それでも黙って彼女をつけ上がらせるのは何となく癪だったのだ。
「だったらベロニカだけに狙いを絞ったのは? なぜ交代後の巡回当番の奴は疑わない?」
「……ソフィアさんの言っていた緊急の用事です」
「あれがどう関係するんだ?」
「彼女が見つけた『何か』はソフィアさん、ターニャさん、そしてベロニカさんの部屋にあった。つまりそれはそのうちの誰かの所有物であったはずだ」
「……で?」
うんざりしたような口調で彼女は先を促してくる。うんざりしてるのはこっちだってのに、本当にムカつくなぁ。
さとられないレベルで不快感を露わにしながら俺は推理を続行する。
「まずターニャさんの持ち物である可能性はない。もしそうだったら、見つけた時点で彼女に確認するからだ。黙ってその場から持ち去るのはどう考えてもおかしい」
「……ならソフィー本人のものだったんじゃないのか? それを見つけて重要な用事を思い出したんだろう。忘れっぽい性格のあいつならありがちな話だ」
「以前から彼女に伝えられていた用事なら、外出が禁止されてる時間近くに飛び出さなきゃいけないほどのものでもなかったはずです。そんな約束なら最初からしないでしょう」
つまりソフィアさんが飛び出した理由は、彼女が『何か』を見つけたまさに22時55分に生まれた。そしてそれは……おそらくベロニカさんに関係している。
「『何か』はベロニカの持ち物だったって言いたいのか?」
女騎士の問いかけに、俺は無言で首肯する。
「ソフィアさんの緊急の用事は、すなわちベロニカさんに会いに行くこと。彼女が宿舎を飛び出して向かった先は……多分、武具保管庫だ」
「そこで彼女とトラブルになった、と?」
「……現状を見る限り、そうとしか考えられません」
「現状を見る限り! はっ! 片腹痛いな」
自分の額を軽く引っぱたいてクリスティアさんは一蹴した。
「現状を見るというのなら、あの一致した鎧の番号と資料は? ベロニカのアリバイは? どう説明をつけるっていうんだ?」
「……それは」
「あと忘れてないだろうな、貴様があの現場で倒れていたという事実を! あれこそ見て探るべき現状じゃあないのか? それにベロニカへの用事だって、突き落とされた後棍棒で殴られた理由だって、何一つ説明できていないではないか! 都合の悪いところに目を伏せておいて、よくもそんな口が叩けるな!」
……都合の悪いことには目を伏せて、か。
その言葉に、俺の胸がチクリと痛んだ。
探偵なりたい。そのために努力し続けるというのは非常に夢のある話だ。
だけど、犠牲にしてきたものも多くある。
親の信頼、教師の評価、友好関係。追えば追うほど俺は多くのものを失ってきた。
――探偵なんて無理に決まってる。
――将来の貯蓄しとかないと、生活が危うくなるぞ。
――それでこの先食っていけるわけないだろ。
そういった忠告を、いやってほど聞かされた。
そしてそのたびに、ムキになって反発し、自分を曲げずに押し通した。
誰もが愛想を尽かし、離れていった後……俺はようやく気づいた。
耳の痛い話ではあれど、あの時の俺にとってそれらは……間違いなく真実だったのだと。
推理小説と現実は違う。
シャーロック、ポワロ、明智、フィリップ……彼らが住む世界とは文字通り次元が違う。
所詮今やってることだって、客観的に見ればただの探偵気取りの推理ごっこそのものだ。
夢を見ることと、夢で生きていくことは天と地ほども違う。
だけど俺は今までも、そして今でも、その真実には目を背け続けている。
真実を暴くことが、目指してきた探偵の姿だというのに。
わかってる。わかってるんだよ……そんなこと。
下唇を血がにじむほど強く噛み締め、俺はうなだれた。
結局、死力を尽くした捜査は……強制的に打ち止めになった。