6話
「はーい、久しぶりだねぇ、探偵坊や」
 
俺達の顔を見るなり、彼女は赤みを帯びた顔でそう言った。
ターニャ=ルーシュ。
ネロさんと同じく獣人の女性で、文字通り女豹の姿を持つ。
彼女は第三騎士団の諜報部に所属しており、前回起きた「ロストメモリー事件」でも多大なる貢献をしてもらった頼もしい存在だ。
尋ねた用件はもちろん、入れ替わりを起こせる魔法のことについて訊くため。
ティアにも最初訊いたが、思い当たるフシはないとのことだったので、次に知ってそうなこの人に白羽の矢を立てたのだ
 
「どうも、ご無沙汰しております、ターニャさん」
「また会えてうれしいよ。しかも坊やの方から会いにきてくれるなんて、見かけによらず結構積極的じゃないさー」
 
ジョッキになみなみと注がれた酒を啜りながら、彼女は怪しげな微笑みを浮かべた。
ちなみにここはポートピア大通りの一角にある酒場。
ティア経由でターニャさんの行方を調べてもらったら、一昨日から休暇を取ってここにいるということだったので、こうして足を運んだというわけ。
「ふん、真昼間から酒とは。騎士団の風上にも置けんな」
 
そう面白くなさそうに、ティアが毒づいた。
が、それをターニャさんは鼻笑いで一蹴。
「あんたに騎士の風格についてとやかく言われる筋合いないね。懲戒免職くらった『元』副長殿」
「うぐ」
 
正論である。
辞めた理由が自主退職ならまだしも、クビだからね。私情で許可もなく勝手に二人(俺含む)殺しかけたからね。そりゃ何言っても説得力ないわ。
部下であった時代にも散々舐められていたただけに、余計悔しそうなティアちゃん。
 
「んで、あたしになにか訊きたいことがあるんじゃないのかい? デートのお誘いってわけでもないだろう」
「あぁ、それなんですけど……」
 
俺達は、彼女が座っている丸テーブルに同席させてもらい、今回の依頼の詳細について説明した。
「なーるほどね、なかなか面白い事件じゃないか」
 
一通り聞き終えたターニャさんは、ジョッキに入った酒をぐいっと呑み干してそう言った。
 
「それで、今日ターニャさんには入れ替わりのような現象を起こせる魔法か何かをご存じないかお尋ねしようかと思いまして」
「ほー。探偵坊やは、その事件を魔法の仕業だと思ってるのかい?」
「はい。現時点ではそれ以外にないと考えておりますので」
「ふーん、そうかい。なら出鼻をくじくようで申し訳ないけど、答えはNOだ。あたしの知ってる限りで、そんな魔法はない」
「……そうでしたか」
 
ジェネレイド一番の情報屋とも呼べる彼女が知らないんじゃ、おそらく本当に存在しないのだろう。
だとすると、一体どんな手を使ったんだ……?
 
 
「しっかし、ネロも厄介な事件に巻き込まれたもんだねぇ」
「え? ターニャさん彼のこと知ってるんですか!?」
「そりゃそうさ、ここの酒場には毎日来るほどの常連だったからね。いやでも覚えちまうさ」
そりゃ丁度いい。いろいろ調べてもらう手間が省けたな。
というわけで、早速俺は頼れる情報通に聞き込みを開始した。
 
「じゃあまず、彼がここの常連だったって話についてなんですけど……昨日は見かけたりしてませんか?」
「ああ見たよ、随分久々に来たからびっくりしちゃったねぇ」
「久々? 常連だったのでは?」
「おっとごめんごめん。常連って言っても、最近はあんまり顔見せてなかったんだよあいつ」
「マジすか!?」
「うん。で、昨日店の前をふらっと通りがかってきたもんだから、ここのマスターが声かけたんだ。一杯どうだって。そんで本当に一杯だけ飲んで帰ってった」
 
マスターに誘われて? じゃあ自分から寄ったんじゃなかったのか。しかも本当に一杯しか呑んでなかったとは……泥酔はしてないってのは本当だったわけか。
 
「で、顔を見せてない……ってのは、いつごろから?」
「んー、大体2,3か月くらい前かなぁ。頻度が徐々に減るとかじゃなく、いきなりばったりと来なくなったんだよ」
 
俺とティアはそこで顔を見合わせる。
あれだけ大酒呑みなのに、最近は来ていなかった……何があったんだろう。
別の酒場に浮気してたか、それとも仕事が忙しかったとか? なんにせよ気になるな……。
 
「その辺の事情はあたしも訊いたんだけど、はっきりとは答えてくれなかったよ。別に興味もなかったから、それ以上問い詰めはしなかったけどさ」
「……では他には彼に何かおかしな点とか、変わったところはありませんでしたか? どんな些細なことでも構いませんので」
「おかしなところねぇ……うーん、特にはなかったかな。悪いけど」
「そうですか……」
 
収穫なしか、と思った矢先。彼女の口から意味深な言葉が出た。
 
「何せ、あいつがおかしいのは、4年くらい前からずっとだからねぇ」
「といいますと?」
 
4年前……一体何があったんだろう?
続きが気になる俺達に、ターニャさんはつまみの干し肉を噛みながら語り始めた。
 
「あいつ、昔大通りの大型の靴屋で働いてたんだけど、そりゃもう熱心な働き者だったのよ」
「ということは、お酒も呑みまくるような方ではなかったと?」
「ああ。今みたいに粗暴で口も悪くないし、誠実で気前のいい好青年そのものだった」
 
物憂げな表情で、彼女は小さく息を吐く。まるで当時の彼とのやり取りを思い出すように。
 
「だけど4年前にその靴屋が潰れちまってねぇ。あいつは食い扶持を失った。再就職もうまくいかなかったみたいで、気が付けばここに入り浸る毎日ってわけよ」
「荒んでたんですね……」
「まぁここにはそういう奴がわんさか来るから、別段珍しい話でもないけどねぇ……おーいマスター、おかわり」
 
そう彼女は苦笑気味に言って、ゴブリンのマスターに向かってジョッキを振りかざした。
靴屋からアル中に転職ってか。どこの世界にも職業難に苦しむ人はいるんだな。
 
「それにしても、そのミャケちゃんっての? 昨日あたしも見たけど、あんなのいつの間に飼い始たんだい、あいつ」
「あれ? ターニャさんは、ミャケちゃんのこと知らなかったんですか?」
「ああ。少なくともここに通い詰めてた頃はあいつの口からは出なかったし、街で連れ歩いてるところも見たことなかったよ」
「マジですか」
 
ってことは、ネロさんがミャケちゃんを飼い始めたのは、ここに来なくなった2,3か月前から?
なんという奇妙なタイミング。何の因果関係もないとは思えないな。
そういえば「ミャケがいたから一杯だけにしようって決めてた」って言ってたな……まさか、ペット飼い始めたから断酒を始めたとか……?
いや、だとすれば部屋に酒瓶が大量に転がってるのには疑問が残る。この辺はもう少し要調査だな。
「わかりました。じゃあ、フランさんのことについては何かご存じないですか?」
「あー。彼女個人についてはよく知らないんだけど……ヴァイスって家なら多少噂はある」
 
そう言って、ターニャさんは二杯目の酒を喉を鳴らして呑み始める。
家名についての噂か……あまり良い話じゃなさそうだな。
 
「ジェネレイド王都を中心に、いくつかの企業を経営してる歴史のある名家さ。経済界じゃそこそこ有名だよ」
「ってことは……フランさんはいいとこのお嬢様?」
「――の可能性は高いねぇ」
 
……おかしいな。そこまで金持ちなら、どうしてあんな質素なマンションで一人暮らしなんてしているんだろう。
名家だったら、もっと豪華なお屋敷に住んでてもいいようなものだが。それとは真逆だ。
 
「まぁそれは置いておいて……重要なのはここからだよ、坊や」
「重要? なんです?」
 
俺が訊くと、ターニャさんは空になったジョッキを置いて、顔の笑みを消した。
 
「うろ覚えだけど、ネロが昔勤めていた靴屋は、多分……そのヴァイス家の傘下にあった店だ」
「「え!?」」
 
思わず俺もティアも驚きの声を大音量で上げた。
周囲の客が一斉に会話を止めてこちらに注目するくらいに、勢いよく。
「でも……靴屋って経営難で潰れたんじゃなかったんですか?」
「4年前、ヴァイス家は経営改革と称して、売上が落ちている店舗をかなりの数閉店させた。その中にネロの靴屋もあったってことさ」
 
つまり事業縮小の割りを食ったってわけか。
ここに来てとんでもない事実が判明したな。
単なる隣人同士かと思いきや……まさか過去の深い因縁があったとは。こうなると「仲の悪い」の意味合いもだいぶ変わってくるぞ……。
 
「おいカイト……これ結構まずくないか?」
 
すると横のティアが肘で軽く小突いてきた。
 
「ガット殿にとって、ヴァイス殿は自分の職を奪い、酒浸りの生活に変えた家の人間……恨みをぶつけるのに十分な理由がある」
「だけど、4年も前だろ。おそらくその時のフランさんはまだ子ども。事業縮小の決定に関わっていたとは考えにくい」
「ガット殿がそんな理屈を素直に受け入れると思うか?」
 
まー、思えねぇわな。
少なくとも好意的な目で見ることはできないだろう。
しかし、だからといって今回の事件をネロさんが引き起こしたと言えるのか。
まだ腑に落ちない点はある。入れ替わりの魔法については結局振り出しに戻ったし、ミャケちゃんのことやフランさん自身については以前不明のままだ。
それに……さっきのターニャさんのあのセリフも……妙に引っかかるんだよな。
 
「こうしちゃいられない。カイト、すぐに戻るぞ。いま彼らを二人だけにしておくのはまずい」
 
そんな俺の葛藤などいざしらず、ティアは切羽詰まった顔で俺の手をグイグイと引っ張ってきた。
 
「わかった、わかったよ。すいませんターニャさん、俺達はこれで失礼します。このお礼はまた後日改めて」
「おやぁもう行っちゃうのかい? お礼だったら今ここで済ませておくれよ」
「それは……酒代払えとかですか?」
「違うよ」
 
ふふん、と女豹は妖艶な笑みを浮かべて足を組んだ。
 
「この酒場の二階……娼館になってるの知ってる?」
「はいぃ?」
「まぁ開店は夜なんだけどさ。金を払えば部屋は貸してくれんのよ。酔った男女が火照った身体をさらに熱くするためにさ……」
 
そこでターニャさん舌なめずり。エロい。
 
「前々からあたし、坊やのこと結構興味あるのよねぇ。どう? 時間は取らせないから、かるーく一発……」
 
やべぇな、俺誘われちゃってるよ。異世界にきて初めての相手がメスケモか……それもそれで悪くないな。ていうかアリだな。
時間は取らせないって言ってるけど、そりゃそうだろうな。始まったら一分も保ちそうな気がしない。ていうかぶっちゃけもうこの空気だけで達しそうですわハイ。
 
「……と、言いたいところだけど、やめとくわ」
「え? な、なぜ……」
「後ろ」
 
と言ってターニャさんは俺の背後を指差す。
恐る恐る振り返ると……。
 
「カイト……貴っ様……」
 
めちゃくちゃおぞましい殺気オーラを放っている助手が一名。
わなわなと震える手はグーパンに化けるか、それともお腰の剣を引き抜くか。
うーん、こりゃ諦めるしかないな。おっぱじめる前に終わりそうだもん、俺の命が。
 
「で、ではターニャさん。お二階はまたの機会にということで……」
「あぁん!?」
「えー、またの機会にお礼は別の形でということで……」
「……ふん」
 
ようやくティアのオーラが収まった。心臓に悪い助手だぜまったく……。
 
「別の形か……そうさね……」
 
ターニャさんはしばらく空ジョッキの縁をなぞりながら考え込んだ後、今までのとは違う自然な笑みで呟く。
 
「じゃあ、あたしがなにか大きな事件に巻き込まれたら……解決しておくれよ」
 
……。
それを聞いた俺は、足を揃えて胸に片手を当て、恭しく一礼。
 
「かしこまりました。いつでもお待ちしておりますよ」
「おや、頼もしいね。……期待しちゃうよ?」
「ぜひとも」
 
顔を上げて、自信たっぷりに俺はそう言った。




