4話
「どうぞっス。散らかってますけど」
 
ネロさんに促され、俺達は彼の部屋の中に通された。
確かに中は散らかっていた。汚部屋というほどでもないが、足の踏み場はそう多くはない。
 
「ふん、自覚があるんなら片付けてから呼べばよかったのよ。整理整頓もできない分際でよくまぁ人を招けるもんだわ」
「んだと!?」
 
小馬鹿にして喧嘩を売るフランさんと、それにカッとするネロさん。
 
「まぁまぁ。我々は特に気にしてない。そう熱くならないでくれ」
 
そしてなだめるティア。これ延々とループするんじゃないだろうな。
若干不安に思いつつ、俺は軽く内部の様子を観察。
いたって普通の一人暮らし用の部屋。特に変わったものは見当たらない。獣人の生活も特に普通の人間と大差ないようだ。
 
強いて挙げるとすれば……酒瓶が多すぎるというところか。
床にはゴロゴロと空瓶が、テーブルやソファには飲みかけの物が転がっている。
フランさんは、ネロさんのことを呑んだくれと評していたが……あながち間違いではなさそうだな。
 
「くそ、ミャケの身体で好き放題しやがって……あいっつつ、頭が……」
 
そんなネロさんが急に額をおさえて呻きだした。
きっと、さっき瓶をぶつけられたところだ。投げたのが猫とはいえ、あんなのが直撃したらそりゃ痛いって。
だが、ぶつけた張本人は悪びれるどころかさらに嘲った。
「大げさね。どーせ二日酔いかなんかでしょ。自業自得よそんなの」
「お前……いい加減にっ……つぅ」
「にゃぁー!」
 
また頭を押さえてうずくまる彼に、すぐさま駆け寄ったのはフランさん……の姿をしたミャケちゃんであった。
彼女は心底不安そうな面持ちで、飼い主の頭をしきりにさする。身体の持ち主とはまるで正反対だ。
「ありがとうミャケ……ごめんな、心配かけて」
「にゃぁ……」
「ガット殿、大丈夫か? 血が滲んでるぞ」
「え? ああホントだ……」
 
見ると、彼の体毛には赤黒い血が少しだけ付着していた。ぶつけた時に切ったのだろう。
しかし、それを見たミャケちゃんは気が気でないように騒ぐ。
 
「にゃぁ、にゃあ!」
「大丈夫だよ、ミャケ。大したことはないから……」
「酒で消毒すればいいんじゃなーい? この部屋には売るほど有り余ってるみたいだし」
 
なおも嘲笑を止めない性悪猫をキッと睨みつけると、ネロさんはふらふらと立ち上がった。
 
「すみません、探偵さん。自分、ちょっと薬屋で止血剤買ってくるっス。それまで、ミャケのことお願いしていいっスか?」
「え? あぁ、はい」
「すんません、すぐ戻ってきますんで……じゃあ行ってくるな、ミャケ」
「にゃぁ……」
 
悲しげな顔をする少女の頭を撫で、彼は俺達に一礼すると、おぼつかない足取りで部屋を出ていった。
バタン。
と、ドアが閉まる音を合図に、俺とティアは後ろを振り返った。
瓶の上に偉そうに鎮座する、小生意気な猫の方を。
◆
「さすがにちょっとやり過ぎではないか、ヴァイス殿」
 
椅子に座るなり、ティアはフランさんに苦言を呈した。
これには俺も全く同意。話には聞いてたけど、ここまで毒舌だったとはな。
飼い犬に手を噛まれるならぬ、飼い猫の皮を被った人間にこき下ろされるか。ネロさんもよくまぁ今まで堪えてきたもんだよ。
 
「彼は身動きが取れないそなたのために、必死で我々を頼ってきたのだぞ? なのにあの仕打ちは、恩を仇で返すようなものではないか」
「……恩? 笑わせんじゃないわよ」
にもかかわらずに、当の本人はテーブルの上で寝そべってそっぽを向いたまんま。
そうするのが当然とでも言いたげだ。
 
「その分じゃあんた達、あいつの話を完全に鵜呑みにしてるみたいね」
「鵜呑み? どういうことだ?」
 
フランさんは目線だけを俺らに向けると、痰でも吐くように言った。
 
「あいつ、どーせ原因は全部あたしのせいだって言ったんでしょ?」
「……そうですが?」
「やっぱり、そんなこったろーと思ったわ」
 
鼻を鳴らして彼女は大きなあくびを一つかます。
どうやら、やはり認識に食い違いがあるようだ。
 
「フランさん。俺達は彼から『あなたが階段を急に駆け下りてきたせいでぶつかり、それが原因で入れ替わりが起きた』と聞いています。ですがそれは事実無根だということでよろしいですか?」
「駆け下りたのは事実よ。仕事に遅刻しそうで急いでたから。それでぶつかったのも間違いなし」
「それなら、やはり原因はヴァイス殿にあるということではないか」
「いや、そうとも限らない」
 
口を尖らせたティアに向けて俺は言った。
 
「ネロさんは確かに嘘は言ってない。だけど、重要な点を言わなかったんだ。これまでと同じようにな」
「? 重要なことって……」
 
眉をひそめる彼女に、人差し指を一本立てて俺は説明を開始する。
 
「ティア。この部屋に来る前に、俺達はどこを通ってきた?」
「どこって……階段だろ」
「そう、階段。そしてその階段は二人が入れ替わった現場でもある。あそこを見て、俺は妙に気になった箇所がある」
「気になった? え? どこに?」
「幅だ」
「幅ぁ?」
 
ぽかんと口を開けるティア。どうやら気にも留めてなかったようだ。
 
「あの階段の幅……多分俺が両手を広げても余裕で余るくらいあった。あれだけあれば、普通の人間なら三人、いや四人は普通に並べるだろうな」
「……それの何が妙なのだ?」
「わかんないか?」
 
俺は座っていたソファから立ち上がり、部屋をぐるぐると徘徊しながら喋る。
 
「今回の事件は、急いで下りてきたフランさんと、上がってきていたネロさんが『正面衝突』して起きたもの。でも、あの階段でそんなことが起きるとは考えにくい。だって、普通に避けられるスペースがあるんだから」
「……あ、そうか」
納得がいったのか、ぽんと元女騎士の助手は手を叩いた。
「階段を下りる時って、ほぼ確実に下を見るだろ。つまり、フランさんは上ってくるネロさんを視界に入れた時点で、横方向にずれればぶつかることはなかった」
「じゃあ、もしヴァイス殿が原因だというのなら……わざとぶつかったことになるのか」
「そうなるな」
 
俺は床に散らばる瓶を片付けながら、淡々と推理を続ける。
 
「でも仕事に遅刻しそうだってのに、そんな真似をするとは思えない。よしんばネロさんを痛めつけたいがための計画的な犯行なら、自分も怪我を負うかもしれないようなリスキーな手段は用いないはずだ」
「なら……ガット殿も、下りてくるヴァイス殿と同じ方向に避けようとして――ということはないか?」
「確かに。それなら辻褄は合うかもだが……よーく思い出してみろ、ネロさんは『避けようとした』って言ったか?」
「……」
 
答えはNO。
「避けきれずに正面衝突」。それが彼の供述だ。
だが、あの広さの階段で避けきれないというのは無理がある。
 
「では……一体どうしてあの事故は起きたというのだ……? 原因はガット殿にあるということか? でもわざと避けなかったというのもおかしいよな……?」
 
そう。何もかもが不自然で、不可解なこの事故。
だが、その謎を一発で砕くことのできるモノがある。そのヒントは、既に何度も出ていたのだ。
このネロさんの部屋を訪れた、まさにその時から。
俺は集めた瓶を黒猫の前に起き、静かに言った。
 
「フランさん。事故当時、ネロさんは……泥酔していたのではないですか?」
 




