2話
「はい。どうぞ」
「ど、どうもっス」
猫男は出された茶を一息で飲み干すと、大きく息をついた。
これで少しは調子も落ち着くといいが。
「えっと……まず、お名前をお伺いしても?」
「ウス! 自分、ネロ=ガットっというもんス。よろしく頼むっス」
猫男もとい、ネロさんは立ち上がって礼儀正しくお辞儀をした。
「さっきは、いきなり大声で押しかけて申し訳なかったっス。ちょっとパニクッちまってて」
「いえいえ、そういった方の力になるのが我々の役目ですから。それで……猫が立って喋る、とは?」
「実は……自分の飼い猫の話なんスけど」
「飼い猫?」
「ウス。ミャケっていうんス。こんくらいの」
と、ネロさんは俺達の肩幅くらいに手を広げた。
飼い猫……猫が飼い猫……。
シュールな絵面が頭に浮かんできたが、まぁそれはさておき。
「で、そのミャケちゃん? がいきなりそんな突然変異を?」
「まぁ、そんなとこっス……かね」
肯定はしたものの、語尾は消え気味で、目も若干逸らした。
嘘をついてるわけではないが、何か重要なことを言ってない。言えないわけではないが、言いにくい。ってリアクション。
「……信じてもらえるかどうか、わかんないんスけど。……うちの隣人なんスよ」
「隣人、ですか?」
「ウス。ミャケがいきなり立って喋りだしたっていうよりはむしろ、ミャケがその隣人になったっていうか」
「……?」
猫が隣人になる? どういうこっちゃ。
揃って首をかしげる俺とティアに、ネロさんは頭をかじりながら悩ましげに言った。
「つまりですね。その……入れ替わっちまったんです」
「入れ替わり? 入れ替わりって……あの?」
「ええ。多分想像しているので間違いないと思うっス」
入れ替わり。
人間の中身が、異なる人間と何らかの事象によって交換されてしまう事態。
俗にいう「俺があいつであいつが俺で」ってやつだ。
フィクションじゃありがちな話だが、よもや現実でそんなことが起きるなんて……。
と、考えたところで俺は首を振った。
ダメだ、そんな先入観を持っちゃ。
ここは異世界、剣と魔法が支配する全く別の世界。現実の常識は通用しないんだ。何が起きてもおかしくないくらいの気持ちでいなくっちゃ。
「ってことは、ミャケちゃんがその隣人さんと?」
「そういうことっス」
うなだれるようにしてネロさんは頷くと、事の次第を語り始めた。。
「昨日のことっス。自分、ミャケを連れて買い物に行ってて、夕方ごろに住んでる集合住宅に帰ってきたんス。それで、部屋に向かうために階段を上ってたら、いきなり隣人が慌ただしく駆け下りてきたんスよ」
「それで、よけきれずに正面衝突ってわけですか」
「ウス。で、二人と一匹で仲良く下まで落っこちて……気が付いたら、ミャケがいきなり怒鳴ったんス。『何すんのよこのバカ!』って」
なるほど、入れ替わりはその時のショックが原因の可能性があるな。
しかしネロさんじゃなくて、猫の方と入れ替わるとは奇妙だな。
「それからはもうてんやわんやの大騒ぎで。どの医者に見せても全然相手にしてもらえないし。どうすればいいかって困ってた時、この探偵事務所のことを聞いたもんで、藁にもすがる思いで来たというわけっス」
「なるほど」
確かに、にわかには信じがたい話だ。医者が門前払いするのも当然だろう。
だが、その手のミステリーに目がない俺には大歓迎な話だ。断る理由などない。
「わかりました。その依頼、お受けいたしましょう」
「マジっスか!?」
その言葉を聞いた途端、ネロさんは目を輝かせると何度も頭を下げた。
「あざっス! マジで助かるっス!」
「いえいえ。ところで、ミャケちゃんは、今日ここにはいないので?」
「あー、それが……連れてこようとは思ったんスけど、中身に猛反対されちまって」
「中身、ってことはその隣人さんにですか?」
「ウス。『自分の身体を放置したまま、出かけられるわけないでしょこのバカ!』って」
自分の身体……ああそういうことか。
入れ替わりと言うことは、当然その隣人さんの肉体には今、ミャケちゃんの魂が入っている。その姿で変な真似されないか気になるんだろう。
「ミャケはおとなしいから心配はいらないと思うんスけど、あいつは頑なに自分の目から離れた場所にやるのを嫌がるんスよ」
「一つ訊いてもよろしいか、ガット殿」
すると、今まで黙って話を聞いていたティアが挙手した。
「その隣人、とやらはもしかして若い女性だったり?」
「え? そうっスけど。それが何か?」
「なら、納得だな」
「何が?」
「わからんのか?」
揃って眉をひそめる俺とネロさんを、彼女は呆れたように見つめてきた。
「年頃の女性が、中身が猫の状態なんて無防備すぎるだろう。もし空き巣が押し入ってきて、そのまま襲われでもしたらどうする。猫が助けを呼べるか? 慣れない身体でまともに抵抗できると思うか?」
「あー……」
確かにそうだ。
おとなしくて勝手なことをする危険はなくても、危険が向こうからやってくることだってあるわけだ。猫の知能じゃ、ドアを開けて逃げるということすらできるか怪しい。そういう意味では、隣人さんの判断は適切だな。
「じゃあ今はミャケちゃんも隣人さんもご自宅に?」
「ウス。俺の部屋で待たせてるっス。なので、お二人にはこれから一緒に家まで来てもらいたいんスけど、大丈夫っスか?」
「もちろん、構いませんよ。ティア」
「ああ」
言わずともわかってるとばかりに、ティアはすぐに席を立ち、素早く外出の準備を始めた。
俺もすぐさまジャケットを羽織り、身支度を済ませる。
「さぁ、では行きましょうか」
「ウス! よろしく頼むっす!」
入れ替わり。それも猫と人間。
何もかもが奇怪な話だが、またとない機会でもある。
久々に砕き甲斐のある謎が舞い込んできたんだ。逃すわけにはいかない。
この事件、絶対に解決してやるぜ。
心躍る俺は、意気揚々と拳を打ち付けた。
「さぁ、謎を砕きに行こうか!」




