10話
「な、なぜ君がここに……」
ライアさんはこめかみをヒクつかせながら、わかりやすく狼狽え始めた。
さわやかなイケメンという外面が徐々に剥がれ落ちていくのが目に見えてわかるぜ。
「お、お前達、何をやっている! 外で見張って、内部には誰も入れないように命じただろう! なぜ彼を通した!?」
さすがにすぐに観念したりはしないようで、ライアさんはどもり気味な声で自分の部下を非難した。
しかし、彼を取り囲む男兵達は冷静に釈明する。
「申し訳ありません隊長……しかし、我々はあくまでご命令に従ったまで」
「命令だと!? もしかしてそこの彼にか!? ふざけるな、彼は罪人の身なんだぞ!」
「俺の命令? なわけないじゃないですか、やだなぁもう」
俺はへらへらと笑ってかけられた疑いを一蹴する。
彼の言う通り、結城界斗はまだ罪人。指示出ししたところで耳を貸す軍人様がいるかっつーの。
「君じゃないなら、じゃあ誰の命だっていうんだ!?」
「誰? ここまできてわかんないのあんた」
命令の上書きなんてことができるのは、その人より立場が上の人物。
この状況下でそれに当てはまる人物なんて、一人しかいない。
「まさか……」
向こう側も察したらしいな。ああ、そのまさかだよ。
俺は無言で頷くと、他の男兵ともども道を開けた。
すると、その先から誰かがコツコツと足音を立てて歩いてくる。
「ああ君」
そんなお決まりの言葉と共に。
「観念したまえよ」
第三騎士団総長、アーガス=ヘイジーは静かに、そして厳かに言った。表情こそ先程の温和なものと変わりなかったが、眼鏡の奥から覗く瞳には……静かな怒りが灯っていた。
その語気に気圧されるように、ライアさんは目を大きく見開いて後ずさる。
「そ、総長……どうしてあなたが……」
「ああ君、思い出したまえよ」
総長はアンティークな眼鏡を指で押し上げると、一歩ずつ近寄っていく。
それに対応して、ライアさんの方も一歩ずつ逃げるように後退した。まるで総長のことが自分を殺しに来た殺人鬼にでも見えてるみたいだ。
「言っただろう、事の次第は昨夜のうちに全て聞いていたと。この事件の真犯人は別にいること、そやつがソフィア君に記憶消去魔法を打ち、その証拠隠滅のために鎧を着せ替えたこと……」
ライアさんの背中が壁にぶつかったところで総長も足を止め、驚愕の事実を告げた。
「そして君が……全てを仕組んだ犯人であるということもだ」
「っ!? なんですって!? そんなバカな――」
「ああ君、答えたまえよ……」
否定しようとするライアさんの言葉を瞬時にぶった切り、アーガス総長は問うた。
「君は、ここで一体なにをしていたのかね?」
非常に単純明快なその質問は、彼の精神をかき乱すには十分すぎた。
ドッと彼の額に、頬に、首筋に、大粒の汗が浮かぶ。目は活きのいい魚のように泳ぎまくり、半開きになった口からは意味不明なうわ言がこぼれ出るのみ。
「わ、私は……ただ……」
「ああ君、そこに落ちている資料……誰の情報を見ていたのだね?」
「はっ!?」
指摘されて気づいたライアさんは、すぐにそれらを拾いにかかろうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
「はい没収~」
ワンテンポ速く走り出していた俺は、難なくそのファイルと紙を先に拾い上げ、中身を確認する。
ふむ、やっぱりな。何もかも予想通りだ。
「変ですね~。俺の目がおかしくなければ~、この資料の名前……」
それを後ろ手に掲げてみんなに見せて、俺は声高々に言った。
「クリスティア=エルキュールって書いてある気がするんですけど~」
その場がざわめきで満たされた。さすがの男兵達は動揺していたが、やがて自分達の後方に一斉に目を向ける。
彼らの視線の先にいたのは、今俺が話の槍玉にあげた人物。
第三騎士団壱番隊副長の若き女騎士、クリスティアさんは……立っているのがやっとなほどの茫然自失ぶりを見せていた。感情が全て抜き出された、空っぽの器のように。
彼女でもこんな顔をするんだな、と思いながら俺はファイルを総長に提出した。
その両方に目を通した彼は、かすかに震える声でライアさんを問い詰めた。
「ああ君、正直に話したまえよ。クリスティア君の資料が、このファイルにあるものとは別にもう一枚。しかも複製ではなく、鎧の番号部分だけが違っている。これはどういうことだね?」
「……」
「ああ君、答えられぬならワシが言い当てて見せよう。君が入れ替えようとした方の番号は……ソフィア君が元々所持していた鎧のものではないのかね?」
ライアさんは答えず、歯を食いしばって黙秘を貫く。
悟られないようにするためか終始うつむいていたが、もはやこの場では無意味だった。
さて、ここからは俺がバトンを受け継ごう。
「犯人はその番号を偽装のために自分のと入れ替えておいた。そのまま黙っておけば、この事実が明るみに出ることはないはずだった。しかし、事情は変わった……一斉調査が行われることになってな」
「……」
「このままじゃ自分の仕業であるとバレるのも時間の問題だ。じゃあどうするか、簡単な話だ。もう一度番号を入れ替えればいい。今度は自分ではなく、他人のものと。今回は『ソフィアさんの鎧の番号が記載されてる奴が犯人』という前提ですからね。見つかればその時点でアウトになる。で、あなたが今回濡れ衣の着せ先に選んだのが……彼女だ」
「すなわち」
そこでファイルを閉じ、総長はゆっくりと面を上げた。
「君はクリスティア君を……犯人に仕立て上げようとした。違うかね?」
「……」
どさっ、と後ろの方で物音がしたかと思うと、クリスティアさんがその場に膝をついていた。即座にライアさんの口から否定の言葉が出なかったことで確信したようだ。
「隊長……どうして……」
「……」
「昨日、ユーキからあなたが犯人であると聞かされた時、本気でこいつを殺そうと思った。こともあろうに隊長を疑うなど、冗談でも絶対許せないって」
彼女の表情は絶望一色に染まっていた。血の気が失せ、元から白かった肌がさらに脱色していく。このままいくと透明になってしまいそうなほどに。
「彼が自分の首を賭けてもいいと言っても、私の考えは変わらなかった。調査を総長に打診したのも、あなたの潔白を証明しようとしたからです! ユーキが絶対に間違ってると確信していたからです!」
今日、この瞬間までは。
長い間苦楽を共にしてきた、心優しい上官。だが真実の鏡が映したのは……罪を犯した上に、それを自分に被せようとする姿。
これまで培ってきた関係の全てを裏切りで返されたショックは……彼女が背負うにはあまりにも重すぎた。
「……違う、僕じゃない」
すると、震える唇を開いてライアさんが言い出した。
その顔はかろうじて笑ってはいたが、苦し紛れだと誰もが思うほど顔筋が引きつっていた。
「何言ってるんだ。言いがかりはやめろよ。こんなもので僕が犯人? ばかばかしい。まさかこれが君の言う証拠なのか? こんなもので何が証明できるっていうんだ!」
おうおう、今頃になって抵抗してくるか。
まぁ確かに、まだ完全に追い詰めたわけじゃないからな。ひとまずは言わせておこう。
「大体、なんで僕が資料番号を入れ替える必要があるんだ? 犯人は女子兵舎の誰かだと言ったのは君だろう!? 自分の言葉も忘れてしまったのかい!?」
「そのまま返すよ。忘れたか? 俺は犯人は『事件当時に女子兵舎にいた誰か』と言っただけで『女子兵である』とは一言も言ってないぜ?」
「っ!?」
「ターニャさんの調べではポートピア大通りの巡回兵は事件当時、怪しい奴はいなかったと答えた。でも改めて『ライア隊長とすれ違わなかったか?』ってクリスティアさんに訊いてもらったら……全員が『はい』って言ったそうだ」
「……」
「盲点だったよ。確かに夜間に出歩いているとは言え、あんたを怪しむ奴は一人としていないだろうよ。つまりライアさん、あんたはあの時現場近くにいたわけだ」
ライアさんの顔が凍りついた。
が、すぐに体勢を立て直して反撃してくる。
「とんだ屁理屈だねぇ。ここにあった自分の鎧とソフィアの鎧を入れ替えたのなら、犯人は間違いなくここの女子兵だってことだろう。男性である僕の装備は当然ここにはない、何をどう考えたら僕が犯人なんてことになるんだよ!」
彼はキザったらしくその前髪をかき分け、いつもの表情でそうまくし立てる。嘲りと、挑発と、蔑みのこもった爽やかな笑みで。
「それに、ソフィアの番号が書かれた方のデータは僕が用意した偽物じゃない。正真正銘本物の資料さ」
「何? どういうことだ?」
その時、彼の笑みからとうとう爽やかさすら消え、代わりに悪どさだけが残った。今まで隠してきたであろう負の感情が、じわじわと表ににじみ出てきていた。
そして彼は茫然自失としているクリスティアさんを指差し、言い放った。
「それは、僕が昨日ティアの執務机から偶然見つけたものだからだよ」
……こいつ。
この期に及んでシラ切るどころか、力技で捻じ曲げにきたか。
「きっと彼女が入れ替えたに違いないと思った僕は、今日この場でそれを確かめようとしてただけだ。そしたら案の定別のデータがファイルにはあった。つまりこれは、他ならぬクリスティア=エルキュールが犯人であるという証拠だ!」
「隊長ーっ!」
ティアさんは悲痛な叫びを挙げた。きっと何かの間違いだと最後まで思っていたのだろうが、その望みも完全に潰えたようだ。
「根拠薄弱な言い訳だと思うかい? だがよく考えてご覧よ! あいつはソフィアの第一発見者ではあるが、彼女自身がやってないなんて証拠はどこにある? 状況的に一番怪しいじゃないか!」
「……っ」
何も言い返せなかった。あれだけ威勢の良かったクリスティアさんが、今はただ親に怒鳴りつけられている幼児のように、泣きべそをこらえていた。見ててこっちも痛々しくなるほどに。
「自分で検挙すれば周囲に疑われないと思ったかい? それでバレようとしたら今度は僕を嵌めて犯人に仕立てようとするとは……見損なったよ、ティア」
ふふん、と勝ち誇ったように鼻で笑うとライアさんは胸を張って総長の前まで躍り出る。
「総長、彼女の言うことを鵜呑みにしてはいけません。真の黒幕はティアなんですよ……そして、そこの彼もね」
「!」
彼の狐のような蛇のようなずる賢い眼球が二つ、俺の方に向いた。
「おかしいと思いませんか? 彼は昨日、番号の入れ替えがなかったことが発覚しておとなしく引き下がった。それが今日になって、いきなりこんな大掛かりなことをやろうと言い出すなんて。これは二人が結託して私を陥れ、罪を逃れようとする浅ましい作戦だったとしか思えない!」
「……」
総長はそうやって説得しようとするライアさんをじっと見つめ返していた。
さすがに入れ替えようとしているところを見られている以上、白々しい言い訳にしかならないということは本人もわかってるはずだ。
だがそれでも奴は必死に、そして醜く食い下がる。
「総長、私は長い間この騎士団に全てを捧げ、このジェネレイドに忠誠を誓ってきた身。そんな私と、どこのものとも知れぬ異邦者とどちらを信じるのが賢い選択か……今一度お考えくださいませ」
「……ああ君、答えたまえよ」
総長は目を閉じて彼から顔を背けた。もうこれ以上、そのゲスな面を拝みたくないとでもいうように。
「その切り離されている方の資料は……確かにクリスティア君の執務机に隠されていたものなのだね?」
「はい。誓って嘘ではございません。そちらが正真正銘、本当のティアの資料です。番号もほら、落ちていたプレートの番号と一致しているはずだ。確かめてみてください」
「そのプレートってのは――」
すかさず俺は口を挟み、ポケットから取り出した金属片をちらつかせた。
「これのことか?」
するとライアさんは待ってましたと言わんばかりこちらに急接近すると、プレートをひったくった。
「ああこれだよこれ! ほら見てくださいよ総長。みんなも、ティアも、よく見ろ!」
まるでテストで満点取ったのを自慢する子供みたいに、彼はあちこちにそれを見せて回る。
「8488! まさにここに書かれている資料の番号と同じだっ!!」
そして、勝利を宣言するかのように彼はそう言った。
が、誰も拍手するわけでもなければ声援を送るわけでもない。ただ変わらず、冷ややかな視線を送るだけだ。
「なんだ? なんだよみんなその眼は! なんか言ったらどうなんだ!」
「ライアさん」
情緒不安定になりそうな隊長殿に、俺はとあるものを投げてよこした。
それはどうってことない、ただの濡れ布巾だった。
ライアさんは訝しげにそれと俺とを無言で交互に睨む。
一体こんなものでどうしろと?
最初はそう思っていたようだが、すぐに気づいたようだ。俺の思惑に。
彼の顔から余裕が褪せ落ち、狂ったようにその布巾でプレートをゴシゴシと擦り始めた。
「なっ……」
程なくして結果が出たのと同時に、ライアさんの身体が震え上がった。
そりゃそうだろう。
だってそのプレートに刻まれた赤い文字は、8488なんてものではなかったのだから。
「31……73?」
彼自身の口から真の番号が明かされる。
似ても似つかない、全く違う番号。
信じられない、一体どんなマジックを使った? とでも言いたげにライアさんの目は高速で白黒している。
そんな彼に、俺は無言で種明かしをした。
親指の腹にできた、裂傷痕を見せつけて。
「まさか……君が……」
「そ。書き換えといたのさ。血で」
「い、いったいいつ?」
「最初にあんたにこれを見せる直前」
彼と違って屈託のない笑みで俺はそう答える。
元々の文字が赤色だったのが吉と出たか、完全に騙せたようだ。
「資料番号のマスターがあるって言葉を聞いた時点で、絶対犯人はこの先隙を見て書き換えるだろうなと確信してた。だから壊れた手錠で指を切って細工をした……見せる番号を変えることで、誰がやったかを特定できるようにね。だからクリスティアさんがその番号に書き換えるわけがないんだよ」
「……あの時から僕を疑ってたというのか」
「もちろん」
心底悔しそうな顔をしているライアさんの前を横切りながら、俺は短く肯定した。
「だってあんた……ソフィアさんに最初こう言ってたよな。『あんな夜中に何をしてたんだい』って。でも、彼女が一昨日の23時前に部屋を飛び出したってことを言ったのはその後だ。なんで言う前にわかったんだ?」
「……」
「答えは明白だ。あんたが彼女を襲った張本人だから」
「明白? どこがだい? 明け方に発見されたんだから、昨日の夜に被害に遭ったと考えるのはおかしいことかな? そんな根拠薄弱な推測で犯人呼ばわりされたらたまったもんじゃない」
ライアさんは肩をすくめた。
「大体そのプレートだって、どうせ僕にかまをかけるために用意した偽物じゃないのか? 明白というなら、もう少しはっきりした証拠を持って来てほしいものだね」
「ご心配なく、それは多分今あんた自身が持ってるよ」
「何!?」
人差し指を振りながら、俺は鼻歌でも歌うように話し始めた。
「偽装のためにはクリスティアさんの番号をいじるだけじゃダメだ。すり替えるべきデータはもう一つある……そう、最初にソフィアさんの番号と入れ替えた奴のだ。でないと、またダブることになるからな。つまりあんたは今、クリスティアさんのだけじゃなく、そいつの偽装書類も所持しているはずだ」
「はっ!?」
言った途端、反射的にライアさんの手が、腰に巻かれているポーチに伸びたのを全員見逃さなかった。
ああそう、そこにあるのね。こりゃ親切にどうも。
「ああ君達、彼の所持品を改めたまえよ」
「御意」
総長の鶴の一声で、即座に複数の兵士達がライアさんを取り囲むと羽交い絞めにした。彼はやめろだの、僕は隊長だぞだのと弱弱しく暴れたが、到底かなうはずもなく……。
程なくして、そのポーチからは四つ折りにされた紙が出てきた。届けられたそれを総長が広げて読み上げようとしたその時……。
「いやっ、離してっ!!」
外の方で何やら甲高い声がした。なんだなんだ、とその場にいた全員が保管庫入口の方に注目すると。
半開きになっていた扉が蹴破られ、外の日の光と共に騒ぎの元凶が入り込んできた。
「おっす! お届け物でごんす!」
一人は、今まで見た中でも一際ガタイのいい男兵士。さっきターニャさんを捜索に行ったうちの一人だ。
彼は何やら大きな荷物を肩に担ぎ上げており、俺達の前でそれをひょいと床に放り投げた。
それは、人間だった。
もっと正確に言うと、後ろ手に手錠をかけられた眼鏡の女の子だ。
「ベロニカ=ウィンストン君……だね」
総長が偽装書類に書かれた名前を読み上げた。
そう、ライアさんが隠蔽しようとしていたのは……他ならぬ彼女である。
「言われたとおり、入り口で見張っていたらこっそり逃げようとしてたんで、とっ捕まえたでごんす」
「ああ君、ご苦労だった」
巨漢兵士の膝をポンと軽く叩いて総長はねぎらう。
ここの様子がおかしくなっていることに気づいて、自分だけトンズラしようとしたか。そう来るだろうと思って、一人兵士を配置しておいて正解だった。
俺はジタバタともがくベロニカさんの傍にしゃがみこんで、意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「やっぱり、あんたら二人はグルだったんだな」
「……」
「残念。これで、持ち場交代時間のアリバイは否定された」
彼女がキッと睨みつけてきたが、もう下手に出る必要はないので無視。
とにかくこれで容疑者全員確保完了。意外とあっけなかったぜ。
「アリバイって……あれは交代で来たメンバーの証言でしょ! どこが否定されたっていうのよ!」
「記憶消去魔法も、鎧の着せ替えも、あんたが実行するのは確かに不可能だった。だって、やったのはライアさんだったんだから」
「……」
「あんたがしたのは、偽装のために自分の鎧を彼に提供し、資料を書き換えたこと。つまり隠蔽の幇助だ」
空白の5分の間に現場の証拠隠滅をするのは不可能でも、そのための道具を一つ用意することはたやすい。
しかし、保管庫内部に入るための鍵は二つ必要。普通に考えれば、用意するのは不可能。
でもこの二人が手を組めばその条件はクリアできる。
保管庫の管理人と、入室の許可を出せるクラスの人間。どちらも片方の鍵は、自力で持ち出せるからな。
あとはライアさんに鎧の着せ替えを任せ、自分は交代するメンバーとバトンタッチしてアリバイを工作する。そうすれば全部辻褄が合う。
「共犯なら、相方が捕まった時点で自分も終わりますからねぇ。女兵であるベロニカさんを保管庫立ち入り禁止にしておけば、必ずもう片方が番号をすり替えに来ると踏んでたんですよ」
「要は捜査自体茶番だったってわけ……?」
「ええ。ライアさんを保管庫の警備に当たらせ、加えてターニャさんを行方不明ということにすれば、目立たずに偽装が行えると思い込ませられる。結果、その通りになった」
「ターニャの失踪騒ぎもあんたが仕組んでたの!?」
わなわなと肩を震わせたかと思うと、眼鏡っ子は金切り声を上げ、髪を振り乱し始めた。
「嘘、嘘! 陰謀よこんなの! なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの! なんでそんな資料一つで私が犯人扱いされなきゃいけないの! どうして私が番号を書き換えたってことになるのよぉ!」
キーキーとやかましい金切り声が俺達の鼓膜を震わす。かなり耳障りだったので、俺は唾で濡らした指先を両耳に突っ込んだ。
確かに、これだけじゃベロニカさんがライアさんの偽装工作に加担してたかどうかまで断定できない。
そう、これだけじゃ……ね。
「トリックの完成度というのは、どれだけ綿密に計画していたかに比例する」
「……何よ、いきなり」
「突発的な犯行だったがゆえに、細工も即興だった。故に粗が残ってたってことっすよ」
俺は指を一本立ててベロニカさんを見下ろした。
「それは……識別番号を『偽装していなかった』ことだ」
「!?」
唐突な発言に、そこにいた誰もが驚いたり小首をかしげたりした。無理もない、ここからは先はまだ誰にも話していなかったからな。
「ああ君、それはどういうことだね。書き換えは行われていなかったと?」
「いいえ、最終的には行われたんです。総長、私が言いたいのは……偽装された時間ですよ」
「時間?」
「事件直後、犯人の頭にあったのはあくまで鎧の着せ替えということだけ。識別番号の細工なんてことは、おそらくその時は考えてなかったでしょう」
落とした番号プレートにも気づかないような状態で、そこまで頭が回るとは考えにくい。
仮に回っていたとしても、タイミング的にやっている時間はないだろう。
保管庫から鎧を持ち出した時には交代の数分前だし、それを過ぎたらもう保管庫は別の人が見張っている状態。目立たず侵入する方法はない。
では一体いつ書き換えようと思うに至り、実際に偽装を行ったのか。
そして誰にも目撃されず、怪しまれず、どうやってここに侵入できたのか。
「たった一度だけ、犯人にはそれを可能にできる時間がありました。それは……」
「それは?」
ごくりと総長達が唾を飲み下す中、俺はライアさんの方に改めて目を向け、真実を告げた。
「俺が昨日、保管庫へ調査に行った時です」
「……!」
「ライアさん、療養所でプレート番号の件についてソフィアさんに訊いてた時、やけにタイミングよく出てきましたよねぇ。しかもご丁寧に資料のことについてまで教えてくれた」
「……」
「盗み聞きしてたんでしょ、どうせ。そしてあんたは自分の偽装が中途半端に終わってたことに気付いて焦ったはずだ。だが俺達がプレートの話題から保管庫の資料の件に行き着くのは、既に時間の問題だった。だからあんたは自らその話を持ちかけたんだ。自分も同行する口実を作るためにね」
「バカバカしい」
吐き捨てるようにライアさんが言う。
「僕は隊長として、君の行動を逐一把握しておく義務があったんだ。最初にもそう言ったはずだろう、だから――」
「いいや。単に同行したいだけなら、わざわざ自分が許可申請までやる必要はない。でもあんたはどうしても自分で許可証を用意する必要があった」
「はぁ? なんのためにさ!?」
「ベロニカさんに資料書き換えを指示するためだ」
と言って、俺は尻ポケットに突っ込んでいたあるものを取り出す。
それは、番号資料と似たような書類だった。違っている点は、びっしりと英字が敷き詰めてあること。そして下の部分には筆記体のサインが書かれていたことだ。
ここにいる人間なら全員が知っているであろう書類、当然俺も見たことがある……一回だけ。
「入室許可証……」
「昨日あんたがベロニカさんに渡したものだ。ここに来る時に、受付の机に入っていたのを拝借してきました」
言いながら、俺はひらひらとそれを彼に見せびらかした。
「一見ただの許可証に見えるけど、実はこれにはちょっとした細工がしてある。よく見てみないとわからないけど、いくつかの文字の上に小さく点がついてるんだ。その箇所の文字だけを抜き出すと、意味のある文章になる」
本だったり新聞だったりにメッセージを隠して渡す。ミステリーじゃよく使われる密通の手法だ。
ひとまず、それを総長さんや他の兵士達にも見せて回りつつ俺は解説を続けた後。
「で、それらを書き起こした文章が……これだ」
と言ってもう一枚、ノートの切れ端のようなものをみんなに見せつける。
そこに書かれていた短文は、非常に短くシンプルなものだった。
『番号を書き換えろ 8488』
「と、ゆーわけです。ま、庶務課で保管庫担当であるベロニカさんなら資料の在処くらいすぐわかるでしょうからね。彼女に任せたほうが早く済む」
「……」
「だけどそのためには、うまくこの指示を俺らに気付かれないように伝える必要があります。こっそり手紙を渡したりひそひそ声で話したりするよりは安全に伝えられるこの方法は、かなり効果的でしたね」
最初に探す場所を分担するとき、まずベロニカさんだけが最初に自分で決め、ライアさんが残りの担当箇所を決めた。
それは決してでたらめなどではない。
彼女が俺達に見つからず番号書き換えが行えるよう、監視ができるところに配置するためだ。
「しかもその時、クリスティアさんが自分の分の資料を取り出して見せたことで、図らずもあんたに場所を教えてしまうことになったわけだ。結局、見事に偽装まで漕ぎ着けたようだけど……残念、俺が暴いちゃったね」
「……っ!」
ライアさんは歯を食いしばりながらベロニカさんを睨みつけた。さぞかし「なんで早く許可証を処分しておかなかった」とでも言いたいのだろう。だがすべては後の祭りだ。
「二人共もういいでしょう。意地張ってないで、おとなしく罪を認めてお縄につきなよ」
「……」
そう言っても、どちらも自白をしてくる気配はない。
これ以上かばい合いしたって、余計に自分の立場を危うくするだけなのになぁ。
さてどっちが早く口を割るか、としばしの間待ってみたが……。
「……ふふ」
いきなりライアさんが笑い出した。
なんだ、追い込まれすぎて頭がイカれちまったか?
「くくく……はっはっは! 意地を張る? 馬鹿言うなよ、そうやって誘導してやってもいない罪を自白させるつもりかい! そんな姑息な手に乗るものか!」
はーい全然効いてねーよアピールいただきましたー。
犯人じゃない人が疑いをかけられると狼狽して否定するが、犯人の場合は逆に余裕ぶって言い返してくる。推理小説で嫌というほど見たパターン。
「君にはがっかりだよ……あれだけよくしてやったのに。その恩をこんな仇で返されるとはね……」
「よくしてやった? え、何? もしかしてクリスティアさんからかばったこと? はっ、笑わせないでくださいよ」
事の元凶たるお前に恩だと?
冗談じゃねぇ。我が物顔でよくそんな戯言が吐けるものだ。
「おいおい、もう忘れたのか! 実際にティアの度を過ぎた尋問から救ってやっただろ。昨日だって、罪が軽くなるよう手配するって提案してやったのに!」
「ああそうさ。だが俺はあれを恩なんてサラサラ思ってないね」
笑いと怒りを半々でこめた声で、俺は彼を一蹴した。
「だってあれも全部、事件隠蔽のための手口だったんだからな」
「何!?」
「もし俺に単純に罪を着せたいだけなら、クリスティアさんを止めずにさっさと俺を死刑に追いやればいいだけ。でもあんたはそうしなかった。それはなんでだ?」
「だからそれは僕の善意で――」
「いーや違うね」
真相は、善意なんかとは程遠い。
このまま問答を続ける気はないので、俺はさっさと種を明かす。
「クリスティアさんがネックになってたから、そうだろ?」
彼女は、自他共に認める懐疑主義者だ。どんな小さなことだろうと、一度疑ったら徹底的に洗い出す。
あのままいけば、最後まで俺は自分の無実を訴えたまま処刑台に送られていた。
だがその後、きっとクリスティアさんは疑問に思うはず。
「もしかしてあいつは本当に犯人ではないんじゃないか」と。
そうなったら大変だ。ティアさんが独断で調査を始めてしまったら、せっかくもみ消した真実が掘り起こされ、白日の下に晒されるかもしれない。ライアさんはそれを恐れていた。
「ではクリスティアさんの目を欺き、穏便に事を済ませるにはどうすればいいか。答えは単純、俺が罪を認めればいい」
「……」
「嘘でも自白すれば、彼女が疑う余地はなくなる。そうするためにあんたは俺を懐柔しようとした……野蛮なあの人とは違って、やさしーく接してな」
そしてある程度信頼を得たところで、取引をもちかける。
そう、昨日の事故に見せかける云々の件だ。
俺は罪が軽くなる、ライアさんは真実を完全に葬れる。
誰かを犯人に仕立て上げることが目的だったんじゃない。
この事件から犯人という存在をなくすこと。
それこそが彼の狙いだったのだ。
ご丁寧に、クリスティアさんが書いたという報告書まで用意してな。
「あれを見せれば完全に俺があんたの側につくとでも思ったんだろうが、あてが外れたな。俺は一目であの報告書が偽物だと気づいたよ」
クリスティアさんの懐疑主義は並大抵のもんじゃない。怪しいと思ったら、たとえ自分だろうと疑う。
だけど、そんな彼女をライアさんは「自分の考えが正しいと信じて疑わない人」と評した。報告書もまさにそんな奴が書いたような内容だった。
「だからこそ確信できた、これはあんたが仕組んだ罠だってな!」
ライアさんは小さな声で呻くと、俺から顔を反らした。
「そして俺は取引を蹴り、是が非でも真犯人を探し出そうとした。だからあんたはプランを変更せざるを得なくなった。その代替案が、今回の資料書き換えだ」
「……」
「自分にとって脅威である彼女を犯人ってことにすれば、それ以上事件をつつく者はいなくなるからな。これでめでたくハッピーエンドってわけだ。いやーおめでたいねぇ、あんたの頭はよぉ!」
最後の方の語気を若干強めに俺は言った。
ここがさっきの取調室だったら、俺は間違いなく机をひっくり返し、椅子を蹴り飛ばしていたかもしれない。それこそ最初のクリスティアさんのように。
「……ふん、大した妄想だ」
だが臆することなく彼は開き直り続けた。
「作家の才能あるよ、君。だけどね、これは小説とは違う。今ある事実こそが全てだ。そこに僕が犯人だっていう決定的な証拠があるのか? ないだろ?」
「いやあるだろ。これだけ揃っておいてなにを今更――」
「こんな簡単に偽装できそうな物証が何になるっていうんだ? そんなに僕を犯人にしたいなら、誰もが納得する証拠を見せろよ、僕がソフィアをやったっていう明確な証拠を!」
ライアさんは兵士達の腕を振り払い、なおも厚顔無恥な態度で俺を糾弾した。
やれやれ、ここまで来てまーだ証拠不十分ってか。ああ言えばこう言う奴ってのは、これだから面倒くさい。どの道、これ以上推理を聞かせたところで無駄みたいだな。
なので言われた通り、本当に動かぬ証拠を突き付けるとしよう。
「お待たせー」
開口一番、そんな軽いノリの口調でまた誰かが保管庫内に入ってきた。
二本足で歩く女豹。そして今までずっと行方がわからなかった御方。
ベストタイミングだ。
俺は彼女に向かってぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様です。ターニャさん」
「はぁい探偵坊や。お目当てのもの、見つけといたよ」
いつもと変わらぬ調子でターニャさんはそう言い、背負っていた大きめの袋を床に置くと、中に入っていたものを引っ張り出す。
全員がそれを見るや否や、小さなどよめきが巻き起こった。
鎧だ。
しかもひどく汚れて、傷だらけの。
何より特筆すべきは、胸の部分についているはずの識別番号プレートが剥がれていること。
間違いなく、俺達がずっと探し求めていたソフィアさんの鎧だった。
それがよもやここで登場するとは思いもしてなかったのか、ライアさんもベロニカさんもかなり顔を強張らせていた。
「ターニャ……あんた、一体どうしてそれを……」
「ヒヒッ、あたしがただバックレてただけとでも思ったかいベロニカぁ? んなわけないだろぉ、これこそが本当の目的だったのさ」
戦利品を自慢気に披露しながら彼女は誇らしげに言った。
「裏路地にある水路のゴミに混ざってたよ。もうちょい発見が遅れてたら、朝イチの清掃で全部持ってかれるところだったね」
「本当にありがとうございますターニャさん。助かりました」
「まったくだよ、夜通し休みなしで探し回ってもうくたくたさ。ツケは高いよ~」
言葉とは裏腹にまったく疲労してるように見えない調子で、ターニャさんはその鎧を総長の前に運んだ。
さすがの彼もこれには驚いてたようで、感嘆の声を漏らしながら目を丸くしていた。
「ああ君、まさかこれを見つけてくるとは……信じられない。一体どうやって?」
「それは探偵坊やに訊いておくれよ、アーガスの旦那。あの子の指示なしじゃ絶対に見つけられなかったんだから」
ねぇ? とターニャさんは俺に軽くウインクを飛ばした。
頼まれたとあっちゃ断れない。ということで、俺は彼女からバトンを引き継いだ。
「では解説をば。犯人は鎧を保管庫から調達し、ソフィアさんのものと着せ替えたとこまではいいですね? でも犯人にはまだやることがあった。そう、肝心の着せ替えた後の鎧の処分です」
とっくに処分しているだろうとは言ったものの、それだけでは様々な疑問が残る。
捨てるにしても、どこに? いつ? どうやって?
犯人の目線で考えてみよう。
鎧はでかいし重い。運ぶのは疲れるし、何より目立つ。途中で巡回兵に見つかったら即お縄だ。かといって保管庫に隠しておいてもいつか見つかる可能性がある。
ではどうするか。手っ取り早く、かつ安全に鎧を捨てられる場所とは?
「ヒントは巡回兵。彼らは王都中に探索網を張っているが、どんな網にも穴はあるもの。犯人はそれを利用したんですよ」
「ああ君、教えたまえよ。網の穴とは一体どこのことだね?」
「当然、この女子兵舎の入口周辺――ポートピア大通りですよ」
俺が即答すると、総長は拍子抜けしたような顔になった。
まぁ、まずそんなところから発見されるとは思わないだろうからな、灯台下暗しだ。
「クリスティアさんに聞きました。兵舎のような軍事施設は、その中で見回りを配置している代わり、周辺の方に人員は割いてはいないと。そうですよね、ターニャさん?」
「ああ。外で何かあったらすぐに飛んでいける、って理由でね。だけど見回りをしている本人が犯罪に関わってるとなると、もうそこは人目のつかない、隠蔽に最適な場所になるってわけさ」
「だから俺は昨夜ターニャさんに頼んだんですよ。大通りで巡回網に含まれてない範囲を徹底的に探索してほしいとね」
探索範囲が絞れたら、あとは物を隠すのに適してそうな箇所をピックアップして手あたり次第漁ればいい。
諜報部員である彼女なら、そういった行動はお手の物だろうからな。結果として、だいぶ手間はかかったものの、見事に証拠は見つかったわけだ。
「でも、巡回エリアなんてのは軍事機密の最たる例ですから。自分で担当する分だけならまだしも、区域レベルで知りえる人物は相当限られてるはずですよ。例えば……騎士団の隊長クラスの人とか」
薄ら笑いを浮かべながら、俺は取り押さえられている騎士団隊長の方を振り向いた。
「そーでしょう? ライア『隊長』?」
「……」
答えない。まぁ当然か。
だが生憎ここには黙秘権なんかない。閉ざされた口は、こじ開けるまでだ。
俺はターニャさんに目配せすると、彼女は言われるまでもないといったようにその鎧をひっくり返した。
背中の部分には、やはりくっきりと複雑な模様の描かれた円陣が刻み込まれていた。
魔法痕。今回の事件の決定的な証拠。
「Decrare-Lies Distorted……あんたの魔法名だねぇ、ライアの旦那」
外枠に書いてある筆記体の文字列を爪でなぞり、ターニャさんは口角を上げた。
「識別番号と違って、魔法名は騎士や魔術師にとって称号に等しい、第二の名とも言うべきもの。少なくともここにいる兵士は全員知ってる。だろ、お前さん達?」
男兵達から目立った反応がないところを見ると、どうやら本当らしい。当の本人も否定はしなかった。
「どうやらこれではっきりしたみたいですね」
俺は腕を振り上げ、大きく息を吸い込む。
さぁ言え。叫べ。真実にたどり着きし者だけが言える、あのセリフを!
「犯人は、あなたです!!」
バン!!
と、背後にでっかく効果音が出ている光景を思い浮かべながら、俺は人差し指をライアさんに突きつけた。
「さぁ、言い逃れるなら逃れてみてください。できるものならね」
しかし、あれだけ口の減らなかったライアさんの舌がそれ以上回ることはなかった。
そしてとうとう、全てを諦めたように両腕を上に挙げた。
まぎれもない、降参のポーズだ。
「わかったよ……認める。僕がやった」
その瞬間、総長はため息を吐き。ターニャさんは肩をすくめ。ベロニカさんは頸椎が折れたようにうなだれた。
男兵達は大なり小なり驚いていたようで、互いに顔を見合わせたりしている。今まで部下として仕えてきただけあって、心のどこかで彼の無実を信じていたのだろう。
「ああ君……なんということだ」
「申し訳ありませんでした総長……隊長という身でありながら、私は許されない過ちを犯した」
両手を地面につき、総長の小さな身長よりもさらに低い位置まで頭を下げ、ライアさんは謝罪した。
おう順番違うだろテメエ、謝るんならまず俺からだろうが。
……と、言い出したい気持ちでいっぱいだったが、なんとか我慢した。
「ああ君、白状したまえよ。なぜ、なぜ君ともあろう者がこんなことを……!」
その両肩に手を置いて、総長は力なくライアさんを揺さぶった。彼自身も少なからず今回の事実にショックを受けているようだ。それだけ信頼をおいていた部下だったんだろうな。
彼がこの犯罪を起こした動機。
というよりもまず、そもそもなぜ彼は女子兵舎にいたのか。なぜベロニカさんと一緒にいたのか。
察しのいい奴なら、この辺でもう想像がつくだろう。
つまり……。
「私とベロニカは……交際しておりました」
「……なんと」
総長の口がOの字に開いた。
兵士は恋愛禁止という規則があるわけではなさそうだが……それでも驚くべき事実ではあったようだ。
「かなり前から懇意ではありました。しかし、私は隊長で彼女は庶務課……日中は共にいられる時間はほとんどなかった。だから、外出禁止の掟を破って、夜間に逢瀬を重ねる他なかったのです……」
「……それを、ソフィア君に目撃されたのだね?」
ライアさんは無言で首肯した。
男女の秘密の密会……か。しかも女子の聖域で。
確かに外は巡回がうろうろしているから、連れ立って歩くことは危険だ。でも女子兵舎で、かつベロニカさんが見張り当番であったなら……容易に忍び込めるし、交代の時間までは何をしてても気づかれることはない。
そう思って油断してたところで見られてました、ってか。
とすると、ソフィアさんを襲った理由は……。
「口封じのため……ですか?」
「……ああ」
重々しく口を開き、彼はまた首を縦に振った。
「もちろん僕の不注意だし、自業自得だ。だけど、もし兵を率いる立場の者が不貞行為をしてたと知れたら……隊全体の士気、ひいては治安にどんな影響を及ぼすかわからない。それこそ僕だけの問題じゃない、騎士団全体の失態になる。それだけは何としても避けたかったんだ……」
拳を震わせながらの告白に、誰もが複雑な表情で聞き入っていた。
「だから……彼女を?」
「……傷つけるつもりはなかった。ましてや階段から突き落とそうなんて考えてもいなかった! ただ……忘れてもらおうとしただけだ」
「どっちにしろ、魔法痕をごまかすために身体を傷つけるつもりではあったはずだ。関係ないでしょそんなこと」
「……そうだね。理由がなんであれ、言い訳にしかならない。甘んじて罪は受け入れるよ」
さんざっぱら罪から逃れようとしておいて、何が「甘んじて」だよ。白々しいったらありゃしない。
とはいえ、もうこれ以上話がこじれる心配はなさそうだ。大いに手間はかけさせてくれたがな。
「ああ君、聞きたまえよ。これから君は法務委員会の審議にかけられる。幸いソフィア君は無事だったし、事情も事情だから、それほど大きな罰は下らないはずだ。だが、少なくとも今の隊長という地位は失うことになるだろう……よいかね?」
「はい。覚悟はできています」
ライアさんはそう言って、総長に両手を差し出した。
これで彼には手錠がかけられ、反対に俺のは外されることになる。
後の事後処理は、騎士団の人達に任せればいい。これで万事解決……。
なのに、なぜだろう。なんだかもやもやする。
歯の隙間にものが挟まったみたいな、喉の奥につっかえてるみたいな、もどかしい感じ。
真犯人は捕まった。俺の冤罪も晴れた。これで事件は終わりのはず。なのに……何かが引っかかる。
推理は間違っていなかった。なら見落としている点が他にあるのか? だとしたらそれは一体……。
得体のしれない疑念に焦り始めた俺は、何気なくベロニカさんの方を見た。
瞬間、リアルに「えっ」と声が出た。
みんなライアさんの方に注目していたから気づいていないようだったが、彼女は……ひどくおびえていた。
「いや……そんなのいや……私は……」
顔面は蒼白。肌は汗でびっしょり。短く速いペースの呼吸。明らかに異常だ。
罰はそんなに大きくならないだろうって言われてるにも関わらずだ。
それに、彼女は実行犯じゃない。量刑は確実にライアさんよりも少なくなるはずなのに、彼よりも過敏な反応を示している。
やっぱりだ、俺は何かを見落としてる。まだ謎は完全な解と成っていない……砕き切れていなかったんだ。
思い出せ、まだ残っている謎はないか? 手がかりだけ掴んでそれっきりのものは?
あるはずだ、絶対に。今回の事件で、ベロニカさんに関連した謎……。
「――はっ!」
あった。一つだけ、まだ砕かれてない大きな謎が!
くそ、なんで今まで忘れてたんだ!
「ああ君たち、ひとまず騎士団本部に移るとしよう。宿舎で待機中の兵には、一斉調査は中止になったと伝えておくように。では――」
「待ってください!」
一時解散させようとした総長を、甲高い声が止めた。
だが最初に言っておく。俺じゃない。
俺も言おうとはした。けどそれよりも早く、全く同じセリフを誰かが叫んだのだ。
みんながきょろきょろと周囲を見渡す中、その声の主は……保管庫の出入り口から現れた。
尖った耳、華奢な体躯……そして、頭と体中に巻かれた包帯。
すぐに誰だか分かった俺は素っ頓狂な声で彼女の名を呼んだ。
「ソフィアさん……?」




