五
リーデルとのお茶会が終わったあと、俺は二週間ぶりに宿屋へ戻ってきていた。
「はぁ……やっぱここが一番落ち着くなぁ」
「どうしたんですかレモンさん、久しぶりに戻ってきたと思ったらやけにさっぱりしていますし、随分と立派な服を着ていますね……お疲れのようですが」
一階の酒場の空いている席に座ると、シッチェが厨房から出てきた。
そういや子爵家で貰ったこの服、着たままだったな。後で返した方が良いのだろうか。
公爵家とのお茶会ということで、かなり奮発したらしい。しかもきちんと俺のサイズにぴったり合わせたオーダーメイド品だ。返したところで着れる人なんていないだろうけど、それでもばらして生地にするだけでも多少の元は取れる。
「いやちょっとお勤めしてきてさ。とにかく疲れた。エール貰えるか?」
「はい」
何が起こったのかさっぱり分からないシッチェは疑問だらけの顔をしていたが、俺がエールを頼むと厨房へと向かっていく。
リーデルは大貴族のお嬢様だけあって繊細で綺麗な顔立ちをしていたし、近くにいた侍女たちも全員美人だった。
貴族は美人な嫁を貰うからか、エルフには負けるけど誰も彼もみな美形揃いなのだ。あのギルドマスターだって意外と渋い顔をしているくらいだからな。
でも……。
エールを取りに行く眷属の背に声をかけた。
「……シッチェ、ただいま」
「お帰りなさい、レモンさん」
顔だけくるりと俺のほうへ向け、にこっと笑うシッチェ。
うん、やっぱ俺の眷属が一番可愛い。
「何を気色の悪い顔をしておるのだ、レモン」
シッチェの笑顔に癒やされていると気分を害する野太い声が届いた。
ギルドマスターからちゃっかり逃げ出したガンゼズだ。いつものようにエールの詰まった樽を脇に抱えて二階から下りてくる。
「おう裏切り者」
「冒険者たるもの危機的な状況からは逃げるが勝ちじゃよ。逃げ遅れたものなんぞ判断力不足じゃて」
で、何があった、と言いながらガンゼズは俺の前の席に座る。
詳しい話しをするべきか、それともしないべきか。
実は北区で迷子になってた女の子を案内したら、実はその子が公爵家のお嬢様で、その縁でお茶会に呼ばれてたんだよ、そして更に一週間後、今度は皇族も交えたお茶会に参加しなきゃいけなくなったんだ。
なんて言っても信用してくれるだろうか。
しかしパートナーには情報を共有して、いざという時に助けてくれるようお願いしたいのは事実だ。
なんと言っても皇族。いくら無礼講とリーデルが言ってもそんな言葉を真に受けて普通に話したら即座に、無礼者、と怒鳴られ牢屋行きなんてあり得る話しだ。
しかしガンゼズは不沈の二つ名の通り、アイの放つ上位精霊イフリートの魔法すら傷一つつかない防御力を誇るドヴェルグ族。こいつなら貴族街にある牢屋にきて俺を救い出すくらい出来るだろう。
ここは正直に話して助けを求めた方が良い。
「実はさ」
意を決してガンゼズに言おうとした瞬間、宿の扉が開かれた。
「レモングルド様、すっかり忘れていた件がありました」
「執事の爺さん!?」
宿に入ってきたのは案内を勤めてくれた、白い髭がお似合いの執事の爺さんだった。
爺さんはツカツカと俺の側へと駆け寄ると、一気にしゃべり始めた。
「下級貴族の着るようなその服装ではいくら何でも皇族のお茶会に参加は出来ません。当家でご用意いたしますので至急馬車にお乗り下さい」
「へ? あの?」
そう言うや否や指を鳴らすと更に外から侍女の大群が押し寄せてきた。
彼女達は俺を持ち上げると問答無用で宿の外へと連れ出していく。
「俺、さっき帰ってきたばかりなんだけど!」
「いやいやご心配召されるな。後のことは私めにお任せください。お前達、丁重にもてなせ」
「「「承りました」」」
宿の外にはこんな路地裏には不似合いな豪華な馬車が二台並んでいた。道幅にあまり余裕がなさそうで、非常に邪魔である。また、何事が起こったのか、とあちこちの家からこちらを伺っている視線を感じるけど、馬車を見れば貴族なんていう事ははっきり分かるだろうし、それ以上何もしてこない。
以前ギルドマスターが、公爵家が北区なんかに来たら非常に目立つ、と言ってたけど意図せず実践された形となった。
侍女たちは流れるように馬車のドアを開け、俺を詰め込む。まるでどこかへ出荷されていく気分である。更に逃げられないようにする為か、左右、更に前後と侍女たちに囲まれた。美しい女性たちに囲まれるのは悪い気分ではないはずなのに、更に膝の上に乗せられて背中に柔らかいものの感触まであり且つ前からも迫力あるものが顔面近くにあるのに、なぜか全くそんな気になれない。
「……一体何が起こったんじゃ?」
「あれ? エール持ってきたんですけど、レモンさんはどこ行きましたか?」
ガンゼズとシッチェの声が宿から微かに聞こえたと思った瞬間、馬車は猛スピードで路地裏を疾走し始めた。
なんの拷問だよ。
♪ ♪ ♪
「ふむ、君がレモングルド君かね」
とんぼ返りで公爵家に連行され、即座に服を作るために身体を計られたあと、俺は公爵家当主の部屋へと呼び出された。
ロイダーク=ルッテン=ハーレンス、帝国の重鎮であり帝国軍の軍権を持つ大将軍だ。ギルドマスターより若い三十代中頃にも関わらず、貫禄がやけにあるおっさんだ。とは言っても太ってなく、意外と鍛えられた身体を持っている。正直ギルドマスターより強いだろう。さすが軍のトップ、こうでなければいけない。
しかも自信があるのか部屋には俺と公爵、そして執事の爺さん以外人がいない。また護衛の気配すら感じられない。ちょっと不用心じゃないかな。もしかすると俺が感知できない程腕の良い護衛がいるのかも知れないけど、それほどの腕を持っている奴なんて俺は一人しか知らない。
それにしても君付けはよろしくないな。俺は君より何倍も長生きしている年上だぜ?
そんな事は口に出して言えないけどさ。
黙ったままの俺に公爵は軽く手を上げる。
「まずは娘のお遊びに付き合ってくれた礼を言おう。感謝する」
お遊びか。うん、まあそうだな。
俺に取っては一大事だったんだけど、公爵という立場から見れば娘のお遊びという範疇なんだろう。
「それは構わないんですが、良いのですか? 娘が見知らぬ男をお茶会に呼んでも」
リーデルは未婚の女性だ。まだ未成年だけど、悪い虫が付くのは良くないはず。それが一番気になっている。
その辺、父である公爵はどう考えているのさ。今回も無理矢理連行されたし、娘の蛮行は父であるお前が止めろよ、と暗に言っている。
だが公爵は軽く苦笑いをしただけだった。
「今はまだ構わない。リーデルも軍権を預かる公爵家の一員だ。独自のパイプを作り冒険者との繋がりを得て、魔物などの戦い方や世間の情報を収集することは正しい行為である。やはり帝都外の情報を得るには、実際に外へ出る冒険者や商人が一番確実で早いからな。ま、可能なら女性が望ましいがな」
あー、確かリーデルも、父も護衛で冒険者を雇っている、と言ってたっけ。
多分このおっさんも冒険者達とパイプを持っていて、色々情報を集めているのだろう。
「ただし、今は、だ。リーデルも二年後には成人し、婚約者も正式に決まるだろう。そうなれば市井の男を茶会に呼べる立場ではなくなる」
「それは二年間はお遊びに付き合え、という意味でしょうか」
「ははははは、まあそうなるな」
何がおかしかったのか分からないが、笑いながら俺の言葉を肯定した。
とにかく親公認で二年はリーデルとお茶会しても良いよ、という承認が得られてしまった。と言うことは、一週間後の皇族とのお茶会も参加しろ、という事になる。
できれば公爵本人から、たかが平民の冒険者が皇族と茶会など認められるか、と言われて宿に返して欲しかったんだけどな。
「さて、では本題に入ろう」
まあ仕方ないか、と思っていると、公爵の雰囲気が突然変わった。
それは今までは前哨戦であり、ここからが本当の戦いだ、と言わんばかりに威圧感が増す。
思わず反射的に武器を探しに腰へ手が伸び……丸腰だった事に気がつく。
公爵はそんな俺を見て、口元を歪めた。
「本題……とは?」
「率直に言おう。当家、いや帝国は君の名が欲しい。レモングルド=ダーマレイ君」
何故その家名を!?
と言いかけて何とか自制した俺を褒めて欲しい。
ダーマレイは俺の母親の家名であり、二百年も昔に滅んだ国の下級貴族だ。今の俺の冒険者カードにはその家名は入っていない。専属も、偽造も、どちらにも、だ。
更に言えばギルドマスターも知らない。知っているのは百年ほど付き合いのあるガンゼズくらいだろう。
落ち着け、落ち着け俺。まだ慌てる時間じゃない。
そもそも名が欲しい、ってどういう意味だ? 家名って売れるのか?
「名が欲しい、とは?」
「貴族が名を欲していると言えば、婿に来いと言う意味になるのだよ」
「……は?」
一瞬公爵が何を言っているのか分からなかった。十秒ほど噛み砕いてようやく理解する。
公爵家の婿養子に来い、とこのおっさんは言っている事に。
……何言ってんだこいつ?
「リーデルでもいいし次女のミレイシアでも構わない。また他家の娘がよければ私が交渉しよう。その場合は当家に養女として迎えた後になるがな。たださすがに皇女は難しいし、交渉の手間を省くためにもリーデルかミレイシアが望ましくはある」
つまり皇族を除く誰だって良いが、一番手っ取り早い公爵の娘が希望、って事だ。
何故そんな事をする? 自分の娘を差し出してまでダーマレイの名を得たとして、何の得がある?
しかも当家、ではなく帝国が、と言ったのだ。帝国にとってダーマレイの家名がそんなに重要なのか?
「分からないのかね? ダーマレイという家名は二百年ほど昔に我が帝国が滅ぼしたレイングリム公国の子爵家、だ」
俺が必死に悩んでいると、公爵は目を細めた。
そりゃ俺その国の生まれだしそれくらいは知ってるけどさ。しかしよくそんな事を調べたな。しかも二百年も昔に滅んだ国の下級貴族だぞ。
帝国の情報部みたいなそういう部署の仕事なんだろうけど、有能すぎるだろ。冒険者ギルドに欲しいくらいだ。
まてよ、そこまで調べたのなら俺がダンピールと言うことも知っているはずだ。それを知った上で自分の娘、つまり人間と結婚させるのかよ。
正気か?
まだ黙ったままの俺に、公爵はゆっくり話し始めた。
「帝国は苛烈すぎた。敵を滅ぼしすぎたのだ。今に至ってはそれが徒となり敵対する国は徹底抗戦してくるので、全て滅ぼせざるを得ないほどにな。勝てるならそれでも良いが、犠牲が大きすぎる」
帝国は苛烈で滅ぼした国の支配階層、つまり貴族を全て根絶やしにしてきた歴史がある。これからもそうだろうと周辺国は思っているわけだ。戦争を仕掛けられ殺されるなら徹底的に抵抗してやれってな。降伏しても殺されるなら、そりゃ抗うだろう。
その結果、帝国側も被害が大きくなると。
なんとなく分かってきた。
つまり昔滅ぼした国の貴族の生き残り、つまり俺を公爵家に迎え入れる温情程度は帝国にだってあるぞ、と実績を作って宣伝するのか。
「名を使って宣伝する、と言うことか?」
「端的に言えばその通りだ。帝国は滅ぼした国の貴族でも、更に人でなくダンピールすら優遇し、公爵家の一員として認める、と宣伝する。そうすればどうなると思うかね」
「帝国に従う国、或いは内通する者が出てくる」
「その通りだ。君という婿養子が当家に一人増えるだけで、帝国に降伏、あるいは内通を考える者が増える。あとはこちらが押して一人、二人寝返れば、後は放って置いても雪だるま式に増えていくだろう、しかも血の一滴も流れずに。女をたった一人君にくれて当家の婿養子にするだけでその効果が得られるならば、それは安い買い物だと思わないかね?」
ちっくしょう。国を預かる立場として考えれば、確かに効率が良い。
ただし親として考えるならば最低だよ、自分の娘を売り物のように扱って、俺みたいな得体の知れないダンピールなんぞに嫁がせるなんてな。
それが顔に出たのか、公爵は軽く目を閉じた。
「軍を預かる身として考えれば、これは当然のことだよ。何千、何万という命が失われる戦争を起こすより、余程人道的ではないかね。それに貴族は優遇されているからこそ、商品のように扱われるのだよ、私含めてな」
「確かにあんたの言うとおり、戦争を起こすよりはよほど良いだろう。でも他国を侵略しない、という選択肢はないのか?」
「ないな。この大陸を統一するのが帝国の最終目標だ。そしてそれがオーベンリスク帝国という国が生まれた理由でもある」
きっぱり言われてしまった、大陸統一が最終目標と。
帝国に住む人なら誰でも知っている話だから今更感はあるが、ここまで浸透しているとはな。
まだ返事を出せない俺に公爵はトドメを刺してきた。
「今すぐ決断しろ、と言ってる訳では無い。これは国家的戦略の一つになるから数年は猶予がある」
そして閉じていた目を開いて、まっすぐ俺を見てきた。
「君にはいくつか優遇措置を考えている。貴族であれば当然の義務である子を成せ、という事は言わない。そもそも君は我々より遙かに長く生きるだろうし、子を成す必要性が感じられないからな。また、君の選んだ伴侶を眷属にするのも構わないし、伴侶は人のままにして死んだら新しく別の女を娶っても構わない。仕事は当家の手伝いをしても良いし、今のように専属冒険者として活動しても問題ない。貴族でも冒険者になるものなど山のようにいるからな。つまり家名以外は好きにして良い」
そこまで言って、ちらと爺さんの方を見る公爵。
ずっと黙っていた爺さんだけど公爵に軽く頷くと、再び口を開いて説明し始めた。
この爺さんは公爵のブレインか。てっきりリーデルの執事かと思ってたのに、実際は公爵本人の腹心だったのかよ。
「ただし、残念ながら爵位はやれぬ。新しい家を興すのは非常に手間がかかるし、君にとっても当主になるとあらゆる面倒事が押し寄せてくるし冒険者などやる暇はなくなる。互いにメリットは少ない。最後に君の名だが、当家の婿養子として扱う事になるので家名は当家を使いミドルネームにダーマレイを入れる形になる」
つまり婿養子になると、俺はレモングルド=ダーマレイ=ハーレンスとなるのか。なげぇよ。
それはそれとして本気でこのおっさん俺の家名しか興味がないようだ。内容を聞く限り婿養子に入れさえすれば、あとは勝手にしてろって言ってるしな。
しかしどうしよう。リミットは数年だからまだ時間的余裕はある。でもいきなりこんな話を聞かされて今決断なんて出来るわけが無い。婿養子になるのか、なるなら嫁は誰がいいのか、なんて人生の一大事だぞ。
「私としてはリーデルが一番適任だと思っている。互いに知らない仲ではないからな。そうだな……リーデルが成人する二年後に決めて貰おう」
手間を省きたい、と言ってるようなものだよ、それ。
でもなぁ、確かに良い子なんだけど、彼女はどう思っているのだろうか。ってか、彼女はこのことを知っているのか?
まてまて、俺みたいなダンピールと結婚なんてダメだろ。そもそもまだ十三歳の小娘だぞ?
それ以前に「結婚ですか? 何の冗談でしょうか、寝言は寝てからにしてください」なんて言われたらそのまま帰って寝るくらいのダメージを負うだろう。
「……もし断ったら?」
「もちろん構わない。しかしその場合は遠慮無く君の名を使わせて貰う。ダーマレイ子爵は帝国の冒険者ギルドで大々的に活躍し、専属冒険者にまで選ばれている、とな」
それって公爵家の婿養子ではなく、帝国の冒険者という立場になるだけで、内容は変わらないじゃん!
本気で家名しか興味ないのかよ。
「どちらに転んでも同じ結果になる。ただし効果は当然専属冒険者より公爵家の婿養子の方が大きいから私はこうして提案をしているだけだ」
「何故俺なんだ? 他国の貴族を引き抜けば済む話なのに」
「パイプが無い。今からそれらを用意するとなると、誰を引き抜くか、という選定から入り、金を使ってパイプを作り、人脈を広げていってようやく交渉開始となる。二年や三年で出来るようなものではないよ。それに君の名……いや吸血鬼の子を成した貴族令嬢の話は意外と世間に知られているのだよ、実話としてな。それがすぐ近くにいるのだ、手を伸ばさない理由がない」
あっはい。つまり一番手っ取り早く、且つ帝都というお膝元にいて使いやすい駒の俺に声がかかったんですね。
まあすぐ近くに獲物がいるなら、わざわざ遠くの狩り場へ行くはずがないか。
「最後に……リーデルにこの件を話しても構わないか?」
「もちろん、リーデルにもミレイシアにも話して構わない。当事者になるかも知れないからな。ただしその二人以外にはまだ内密だ。当然ガーバイル卿にも、皇女にも、な。この話はまだ国の首脳陣しか知らない内容だ。機密情報として扱ってくれたまえ」
それで話は終わりだ、と爺さんに部屋から追い出された。
公爵は言った、お茶会など娘のお遊びだと。
確かに今の話から比べれば、皇族とのお茶会なんてお遊びレベルだ。
……本気でどうしよう。
いやまて、まずはリーデルに話しをしてみて、彼女の反応を聞いてからにしよう。