第1章ー4話 戦いは始まった
この世界にとっての勇者軍と魔王軍の全面戦争、というのは元の世界でいう世界大戦に等しいものである。
過去に勇者軍と直接ぶつかった大戦争は片手で数えきれるほどしかなく、今まで勝敗を交互に続けていた。
そして今日もまた、歴史に刻まれる戦争が起きようとしている。
王国軍の中でも精鋭を揃えた騎士団である勇者軍は、総勢一万人。
対する魔王軍は十万の魔獣たちで挑むのだ。
これは余裕だろうと楽観していたレオナではあったが、
「勇者軍は侮ってはいけませんよ。先先代の魔王は勇者軍に一度負けています。それで魔王は勇者に殺され、私が今の魔王軍を再編成したんです。なので勇者軍と戦うということは、それほど覚悟がいることなんですよ」
ということらしい。
そんなんを初任務に任せるなよ?
と思ったのも束の間、レオナは勇者軍との決戦の場に立っていた。
「あぁ、ほんと流されやすいなぁ俺……」
「大丈夫ですって。あなたにはしっかりと魔王らしい力が備わっているんですから」
「魔王らしい力? やはり魔王だからそれなりに強い能力を秘めているのか?」
「えぇそうです。魔王の持つ力は【畏怖】と呼ばれる能力です」
「畏怖……?」
名前だけで見れば魔王っぽい力である。
「はい。【畏怖】は、相手に恐怖心を与えれば与えるほど身体能力は上昇し攻撃の威力が増大するという能力です」
「おぉ……! そんなすげぇ力があるのか」
レオナは自分の隠された力がどんなものなのか、頭でイメージしながら期待度を上げていった。
あいにく、漫画とゲームに明け暮れていたレオナにとって、イメージすることは得意中の得意である。
勇者軍との全面戦争が始まるまで、あと十分。
魔王軍は、ドリムア王国最大の草原であるグアナ草原で待ち構えていた。
辺り一面草の地平線しか見えない草原は、戦争するにはうってつけの場所である。
魔王を先頭に、その後ろに総勢十万の魔獣たちがそびえている。
オークから始まり、リザードマンのようなモンスターや、中ボスのような鬼モンスターまで、まるで戦争を楽しみにしているかのように待ち構えていた。
その雰囲気に当てられたのか、それとも魔王という今までにない経験をしていることに興奮しているのか、レオナ自身も心の底ではわくわくしていた。
定刻まであと五分。
「ふぅ、さすがに緊張してきた……。やはり大きな戦いをする前は本当に体が震えるな……」
「びびってるんですか?」
マルカは少し挑発するような表情で問いかける。呆れたり笑ったり微笑んだり嘲ったり、本当に多彩な表情を持つ元魔王である。
彼女の煽りに、レオナは若干震えた声で答える。
「あぁ、びびってるさ。武者震いだなんて見苦しい言い訳はしたくねぇよ。ただただ戦うっていうことに怯えるのが普通の人間なんだからな。それよりも……」
「よりも?」
「――この世界に異常なまでに興奮してんだよ!!!」
その瞬間。
草原の地平線の奥から、大勢の人影が姿を現した。
沈みかけの夕日を背景にして向かってくるその大軍は、逆光で黒く染まっていてよく見えないが、強い殺気だけはレオナの体に響き渡ってきた。
次第に足音と、雄叫びが聞こえてくる。
その地響きを感じながら、対する魔王軍も戦闘の姿勢に整える。
その魔獣たちの目は、早く戦いたい、早く斬りたいと、血を欲するような目であったが、不思議とレオナには気味悪く感じられなかった。
それもそうである。
顔には出さないが。
この中の誰よりも、レオナが一番、この状況を楽しんでいるのだから――!
タイミングを見計らって、マルカは声をかける。
「そろそろこっちも行きましょう!」
「……おっしゃっ!」
レオナは自分の中で暴れまわる鼓動を抑えるほどに息を吸い込む。
「いぃくぞぉぉ! お前らぁああぁぁ!!!!」
「「「「「 ウオオオオォォォォォ!!!!! 」」」
人生で一度も出したことの無いような大きさで叫ぶレオナの一声で、勇者軍と魔王軍の全面戦争は、今、開戦した――。
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魔王軍の中で一番始めに動きを見せたのは、大きな鳥のような魔獣だった。
その魔獣は遠慮なく、ギリギリ視認できるほどのスピードで勇者軍へ飛んで行く。
「な、何だ!?」
「魔王軍の特攻隊長である、ルグルー様です。いつも戦闘では真っ先に敵陣に向かって陣営をかき乱す役割を担っています」
「す、すげぇな……」
レオナは未だ、この世界を侮っていたようだ。
ここは現実の常識は通じない、恐ろしい世界なのだ。
レオナは自分の目を疑いながらも、目を丸くしてルグルーの動きを追う。
彼は遠くの先頭の兵士たちを迎撃している。どうやらレーザーのような魔法を吐いているようだ。そのレーザーが当たった兵士たちが次々と吹っ飛んでいく。
「……圧倒されているだけですか?」
レオナの反応を見ていたマルカは、そっと声をかける。
「……そうだな」
マルカの一言でレオナの目は動揺から、覚悟のこもった目に変わる。
「よし、俺がただの引きこもりじゃないってとこを見せてやるよ……!」
レオナはそう格好つけて、勇者軍の大群へと直線に走って向かって行った。
マルカも置いて行かれないように追随する。
「……?」
「どうされました?」
敵陣に向かう途中でレオナはあることに気づいた。
「いや、俺ってこんなに速く走れたっけって……。昔っから運動は苦手中の苦手だったんだが……」
レオナはまるで自分の体ではないような感覚を感じ取る。自分の頭で考えている以上に体が動いている感覚。
重いと思っていた荷物がいざ持ってみれば軽かった、みたいな感覚だ。
「それはズバリ魔王だからですよ。体が魔王である今、運動能力は人間のそれとは比較できないほど上昇してます」
「まじか……それは余計自身湧いてくるな……!」
自分の力の上昇を実際に体で実感したレオナは、そのままの勢いで勇者軍の大群に突っ込んでいった。
数人の兵士たちが、レオナが、いや、魔王が向かってくるのに気づく。
気づいた兵士たちはみるみる表情が青ざめていき、終いには腰が引けている者まで現れた。
どうやら魔王というのは勇者軍でさえ恐怖でおののくレベルの存在らしい。
その状況を見て更に士気が上がったレオナは兵士たちに向かって渾身のパンチを繰り出す。
今まで人と喧嘩はおろか、殴ったことさえないレオナにとって、その流れは至ってぎこちないものだった。
しかし、
「ぐぅぁあぁあああ!」
結果的に言えば、レオナの繰り出した拳は兵士に届かなかった。
が、突き出した拳の風圧が、鎧によって100kg近くはあるような兵士を数人吹っ飛ばしたのだ。
これが魔力、というのだろうか。拳からの風圧に紫色のような空気が混じっている。
いかにも魔王の力を誇示しているような空気である。
突然の出来事に驚くレオナは、相手をなぎ倒した自分の拳を見つめる。
「こ、これが魔王の力かよ」
「はい。これぞ【畏怖】の力です」
人を殴ってもいないのに相手が倒れていくさまに、いまいち自分の力を信用できないレオナであった。
しかし、屈強な相手を倒していく、快感にも似た感覚を覚えたレオナは次々と兵士をなぎ倒していく。
いくら強そうな防具を着ていても、いくら硬そうな盾を持っていても、魔王を前に恐怖心に満たされた兵士たちの防具は、紙同然のように意味を成さなかった。
「これが魔王の持つ【畏怖】ってやつか……。やべぇ……クセになる……!」
今までに無かった感覚がレオナを襲う。
そう、強いて言えば初めてアクションゲームを触った感覚に似ている……。
いつも無関心で無頓着だった俺が、初めて目に光を宿した感じがした時だ……!
完全にハイになってしまったレオナはまだまだ敵陣に突っ込んでは、拳を突き出したり、人間の体では絶対にできなかった上段蹴りを出したりした。
「はは……」
レオナの目が段々と狂気に染まっていく。
しかし、体は止まらない。
何度も何度も、自分の内側の鬱屈した心を発散するように、何度も何度も攻撃を繰り出す。
「はは……ははは……!」
その度に兵士たちは飛んでいき、その光景を目の当たりにした兵士が恐怖し吹っ飛ばされ……。
「はははは! はは!!」
そんな永遠ループを続けていたレオナではあったが、その快感ループは勇者軍の五分の一ほどを殲滅した時点で終わってしまった。
ガギィン!!!!
一人の兵士が、レオナの出した拳の風圧を剣で防いだ。
「なっ……!」
その一瞬でレオナの目は少し正気に戻る。今まで我を失っていたが、冷静な気持ちに一旦帰った。
何事かと驚くレオナは音の先を見る。
音の先には、剣を構える1人の兵士が立っていた。
その兵士はいかにも今までの兵士とは違い、防具こそ一級品だが、その華奢な体は男ではないように見えた。
いかにも。
その兵士は、女だった。
「お前が新しい魔王だな……」
男っぽい口調ではあるが、その声が女である何よりもの証拠である。
「お、女……?」
意外な声にレオナは一瞬動揺する。
その動揺が気に障ったのか、その女兵士の口調はさらに荒ぶった。
「そうだ。勇者が女で悪いか? まぁ、今から死ぬお前には関係ないけどな――!」
「ゆ、勇者ぁ!?」
すると、どこに隠れていたのか、突然そばにマルカが現れた。
「そうですよ、このドリムア王国の勇者は女性です。でも侮ってはいけませんよ。あれでも勇者と呼ばれるだけの実力は持っています!」
マルカのアドバイスに耳を傾けるレオナを見て、勇者である女兵士はレオナに向かってすぐに飛びかかった――!
しまった、隙を突かれた――!
レオナは向かってくる勇者を注意深く凝視する。
美しくなびく髪と、白い肌。
サラサラとした赤い髪はむさ苦しい鎧と対照的で、夕焼けの光を浴びてキラキラと反射している。
その髪を風の流れに任せながら、彼女はレオナを見つめ、近づく。
魔王を睨むその赤い目は復讐心のような、そんな強い恨みに満ち溢れていた。
――あっ、これはっ……。
勇者の突き出した剣は、レオナの喉元の寸前まで伸びていった――!
「待って」
レオナの声と共に、その伸びた剣は喉の手前で止まった。
意外な状況に、勇者は混乱の表情を表しながら剣先を見る。
勇者の剣は止まったのではなく、レオナの手によって止められていたのだ。
「そんなっ……!」
勇者は異常に驚く表情を見せる。
そんなことにはお構いもせず、レオナは続けた。
「お前、名前は?」
「な、なんだ! 私の名前を聞いてどうする!!!」
突飛な質問に戸惑いながらも逆上した勇者は、突き出した剣に更に力を込める。
その瞬間、
バリィンッ!!!
無理矢理動こうとした剣は、掴んでいたレオナの手の力によって一瞬にして砕け散った。
散った剣の破片は風にさらわれて、横へ流れていく。
「頼む、教えてくれ」
砕いた剣には目もくれず、また表情も一切変えないレオナは、真剣な眼差しで勇者を見る。
先ほどの狂気的な眼差しとは違い、今は冷静な、芯の通った眼である。
剣先を割られて、少し怯んだ勇者は、不覚にも名乗ってしまった。
「ア、アリシア……。アリシア・カーライル……」
「アリシア……」
「そ、それがどうした!! 私の名を知ったところでお前に関係はないだろ!!」
そう言って、勇者アリシアはすぐさま砕けた剣の柄を捨て、腰の短剣を手に取って再びレオナの元へ飛びかかる。
その表情は怒り、憎しみ、悲しみ、寂しさ、色々な感情が混ざったような、そんな表情だった。
今まで魔王がどんなことをしてきたのか、その表情だけで十分理解できる。
今までの魔王の行いを、この世の最悪を断ち切るために、アリシアはレオナへ近づいた。
しかし。
レオナはそんな危険な状態でも、アリシアの怒りの顔を見ても、表情を一切崩さなかった。
なぜなら、彼は勇者アリシアに恋心を覚えたからである。
今までに恋というものを経験したことがないレオナがである。
特にタイプなわけでもない。
口は悪いし、男っぽいし、何より感情に流されやすそうな性格だ。
だが、なぜだろうか。
彼女の健気さに心惹かれてしまったのだ。
いわゆる一目惚れというやつである。
レオナは降りかかってくる短剣を避けて彼女に一言。
――「好きだ」と。
つい言おうとしてしまった。
こんなところで初告白なんてレオナの柄ではない。しかし、彼女の顔を見ていると言わざるを得なかった。
恋愛経験のないレオナにとっては、そこまで考える余裕がなかったのだ。
しかし。
ゴオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ
「――ううぅっ!」
頭の中で突然、轟音が鳴り響いた。
外から聞こえてくる音ではない。頭の中で鳴り響いているのは明白だ。
レオナはあまりの轟音に咄嗟に耳をふさぐ。しかし、頭の中で鳴っている以上、その行動に意味はなかった。
ゴオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォ
その音は容赦なくレオナの脳内を襲う。脳から足の先まで、轟音によって震えているような感覚に襲われる。
レオナの動きはそこで止まった。
そして思い出す。
マルカの言っていた言葉を。
『突然変な音がして……』
『気づけばこの様な状態に……』
マルカの声を思い出した瞬間、レオナの意識はそこで途絶えた。