第1章ー1話 夢の異世界へ
ある部屋の中には、一つの光が灯っていた。
暗く汚い部屋の中で光るそれは、夢のRPG世界を映し出していた。
魔法や妖精が飛び交い、獣人や竜が存在する世界。一千万を超える人々が街を行き交い、冒険し、談笑し合い、戦い合い……。
映し出されているその世界は、今世界中を虜にしている大人気
MMORPG『Dream World RPG』、略して『DWR』である。
DWRは予約受付時から即完売し、店頭に売り出された時には多くの人々が店に長蛇の行列を作った。
世間では『もう一つの世界』とも呼ばれるほど現実を忠実に再現している世界観は、多くのプレイヤーを魅了し、新しい世界に没頭させた。
真っ暗な部屋で引きこもり、ディスプレイの前でDWRに夢中になっている夕間玲央奈もまた、魅了された一人である。
彼の目は常に半開きで、『やる気』という感情が微塵も滲み出ていない。生気のない表情をしている。
しかしその表情とは対照的に、彼の瞳の奥ではDWRに対する情熱で燃え盛っていた。
高校二年の夏休み。
多くの高校生は学校にも慣れ、仲間と海へ行ったり遊園地に行ったりと青春を謳歌しているような時期である。
だが玲央奈は、一人外出もせずにDWRの世界に釘付けになっていた。
いわゆる『引きこもり』というやつである。
だが、そんな引きこもり玲央奈のプレイヤースキルに敵うプレイヤーは、少なくともこの日本にはそういない。
予約受付の段階から数少ない予約枠を速攻で勝ち取り、一通りのクエストを二週間でクリアした猛者の一人である。
そして一ヶ月でプレイヤーレベル、スキルレベル、武器レベルをマックスにし『マスタープレイヤー』の称号を得た腕前は伊達ではない。
「うーむ……。やはり火属性の剣だけは素材集めが難しいな……。ドルアーガ強過ぎるんだよな……」
マスタープレイヤーの称号を手にして五ヶ月経った今でも、玲央奈のゲーム意欲は衰えていなかった。
全武器をレベルマックスにしてもまだ、彼を飽きさせる要素にはならないだろう。
火属性の強ボス『ドルアーガ』の攻略法を調べ上げて、ギルド内で順調に作戦を練っていた玲央奈の画面に、突然メッセージが表示された。
『緊急クエストが発生しました。魔王が闘技場に出現しました。魔王の討伐に参加しますか?』
「は……?」
無我夢中でコントローラーを操作していた玲央奈の手は、一瞬で停止する。
ギルド内でのチャットでは騒然としているプレイヤーが徐々に増え、少しパニック状態になっていた。
『緊急クエスト』というのはDWRではお決まりのゲリライベントで、週に一度レアなモンスターが出現するようになっているシステムだ。
しかし、玲央奈を驚かせたのは突然現れた緊急クエストのことではなかった。
「魔王の討伐……?」
そう、緊急クエストで出現したのは『魔王』である。
魔王とは、その名の通りこのDWRの世界のラスボスであり、最強モンスターである。
マスタープレイヤーよりもう一段階上のレジェンドプレイヤーでさえ、歯が立たない相手だ。
魔王討伐はこのゲームでの最終目的であるが、倒した後どうなるかは、もちろん倒したプレイヤーが存在しないので分からない。
「マジかよ……魔王が相手ってか……?」
玲央奈は震えた声でそう呟く。
勿論のこと、魔王と対峙するのは初めてであり、攻略も詳しいところまで判明していない。
玲央奈の身体は徐々に熱くなり、心臓はドクドクと騒ぎ立てている。
普段半開きな細目も、段々と見開いていった。
しかし、これは負の感情に侵された反応ではない。
むしろ……。
「やってやろうじゃねぇか……!」
これを成し遂げたら俺は全プレイヤー中最強だ……!
突然出現した高難度のレアクエストに興奮を抑えきれなかった玲央奈は、震えた手で〈はい〉の選択ボタンを押した――。
――クエストを始めてから、数時間が経過した。
その部屋の中には、一つの光が灯っていた。
それと同時に、聞き慣れた勝利BGMが部屋の中で鳴り響いていた。
今までレベル上げに倒してきた雑魚を討伐した時のBGMだ。
聞き飽きたはずの勝利BGMだが、このBGMはこれまでのものとは全く違うように聞こえた。
その中で玲央奈は仰向けに倒れこみ、暗い天井を見つめて深く息を吐く。
「マジか……。勝ってしまった……。レジェンドプレイヤーでも勝てないやつに……」
何が起こったか解らないほどに玲央奈は興奮し、息が荒い。体が地についていないような、浮いているような感覚がある。
どうして勝てたのかは玲央奈自身、全く覚えていない。興奮と緊張で必死にコマンドを選び、押し続けた結果である。
おもむろに寝っ転がっている玲央奈の心の中は、今まで生きてきた十六年間の嬉しさを集結させてもまだ足りないほどの歓喜に満ち溢れていた。
今の所、魔王に勝てたプレイヤーはそういないだろう。
そう、もしかすれば玲央奈は世界で初めて魔王を倒したプレイヤーなのかもしれないのである。
「これは早速ツイートだな……」
興奮状態を抑えるためにも、玲央奈は側にあるスマホを取り、起き上がろうとする。
が、
「あっ……あれっ……?」
玲央奈の体はいきなり糸の切られた操り人形のように、力なく床に倒れ込んだ。
尋常ではないほどの神経を費やした体には、起き上がれるほどの体力は残っていなかったらしい。
「疲れた……。まじで……眠い……」
寝転んだ勢いもあって睡魔に襲われた玲央奈は、少しの仮眠程度だと思って眠りについた――。
サタンが倒れ、勝利BGMが流れるテレビの画面には、またもやメッセージが表示されていた。
『おめでとうございます! あなたはこの世界、DWRの世界に招待されました!』
そしてその下には、大きくこう書かれていた。
『ようこそ! 夢の世界へ――!』
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――ゴオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォ……
何かおかしな音が聞こえる。
強い風でも吹いているような、新幹線がすぐ側で走り去っていくような音だ。
うるさいな……。
すると、どこからともなく声が聞こえてくる。
女の子の声と、自分の声だ。
――『私の名前はマルカ……』
――『うあああぁぁぁ!……』
バリィン!
――「うぉっ……! 寝過ごしてしまったか……?」
突然何かが割れたような音がして目を覚ましたレオナは、数十時間は寝たような感覚を感じて飛び起きた。
先ほどの興奮はどうやら収まっているらしく、やけに冷静だった。
「ツイートも勝利写真も撮ってねぇのによく寝てられたなぁ俺……ってあれ?」
起き上がったレオナの目の前には、さっきまでいた自分の部屋とは違った風景があった。
暗いには変わりない。
しかし、明らかに部屋の広さが違っていた。
今まで漫画と攻略本で混雑し合っていた狭苦しい部屋ではなく、教室ほどの広さの部屋だ。レオナはその中心の大きなベッドに座っていた。
「まぁ、教室なんてのを見るのは久しぶりといえば久しぶりなんだが……。なんで俺こんな所に――」
「どうしました? 急に倒れ込んで」
見慣れない部屋に戸惑い、辺りを見回そうとするレオナの耳のすぐそばで、可愛い女の声が聞こえた。
甘い、幼女のような声である。
「うぉあぁっ!? 誰だっ!?」
咄嗟の反応で裏声のようなおかしな声が出てしまった。
その反動で少し後ずさる。
「だ、誰だって……もう忘れたのですか? お若いのにもう頭が弱くなったのですね……可哀想に……」
可愛い声だが、その煽ったような口調がどこか気に障る。
声の正体を確認するため、レオナは声のする方へゆっくりと頭を回した。
レオナの瞳孔が一瞬にして開く。
そこには、まるで妖精のような、可愛い女の子がいたのだ。体は本当に手のひらサイズで、可愛らしい羽を生やして飛んでいる。
サラっとした金髪ポニーテールで、白で統一したような大人しい服を着ていた。
妖精のような、ではない。
それは明らかな。
「よ、妖精だ……」
「あの……大丈夫ですか……?」
初めて見る妖精に興奮しているレオナに若干ドン引きしている様子だった。
「ひっ……!」
そんな妖精にもお構いなしに、レオナは彼女の体を触りまくった。少し嫌そうな悲鳴をあげる。
「お、おぉ……!」
感触は普通の人間である。
だがその羽はとてもふわふわとしていて、レオナの手を快楽の底まで墜とすような勢いだった。
「ちょ、やめ、やめてくださいっ……!」
「いや……せっかくの夢だし……」
その手つきは若干エロく、妖精も極度に嫌がったような顔をする。
夢なら何でもありなのだ。
だが、夢にしてはやけに感触がリアルである。
しかし、それは突然の出来事だった。
「や・め・ろおおおぉぉぉ!!!」
ゴゴゴゴゴゴォォォォォ!!!
可愛い妖精であった彼女が、急に肥大化し始めた。
手のひらサイズだった小さな体は瞬く間にレオナの身長を超え、細い腕はどんどん筋肉質になっていく。
彼女、いや、もう男のような体になった彼は、紫色の空気をまとっていた。
「うあああああぁぁぁぁぁ!!!」
その凶悪な姿に恐怖するのも無理はない。
まるでその姿は『魔王』そのものだった。
怒りの境地に達してそのような姿になったことは明白だ。
「お、落ち着け落ち着け!!!」
何て夢なんだ!!
可愛い妖精がいきなり魔王に変身するとかどんな奇怪な想像力してんだ俺は!?
「さっきから何ですか! いきなり混乱し始めたり、部屋中をウロウロしたかと思えばいきなり落ちてくる皿を必死でキャッチし出すし、急に倒れたかと思えばセクハラしやがって……!」
段々とですます調が崩れて来ている。怒りは最高点に来ているようだ。
セクハラと言えど、今の妖精は男にしか見えないのだが……。
それより、レオナは一つ疑問を持った。
「……部屋中ウロウロ? 皿?」
魔王のような何かである元妖精の怒っている内容は意味不明だった。そんなことを経験した覚えはない。
「わざとボケてんじゃねぇ!!」
遂に男っぽい口調になってしまっていた。
「いやいや……何も、何もボケてませんよ……?」
元妖精の威圧が恐ろしすぎて、レオナの口調がですます調になり始める。
「くそ……可愛い妖精と戯れる夢かと思えば何ておぞましい夢なんだっ……!」
昔から貧弱で喧嘩が弱かったレオナは、自分の体を守ろうと両腕をクロスさせて前に出す。そんなものが何の役にも立たないことは分かっているが。
すると、怒りが少し収まったのか魔王のような形相だった元妖精は、元の手のひらサイズに戻った。
厳ついような声も、崩壊していた口調も元に戻っていた。
「……夢? あなたさっきは信じてたじゃないですか」
その妖精は多少怒りを残しながらも不思議そうに質問する。
様子が変わった妖精を見て、レオナは恐る恐る防御に徹していた腕をどけて聞き返した。
「……さっき? 信じてた? 何を……?」
「――ここが異世界だってことをですよ」
「――え?」