『平和』な朝
キーンコーンカーンコーン♪
時代が変わっても、学校のチャイムというものの音階は、特に変わらない。
ということを、何かの本で読んだことがある。
とにかく、その音はのんびりまったりと村に鳴り響いて、時に僕らの足を早めさせ。時に授業からの解放を知らせてくれる。
今鳴っていたのは、朝の『三十分前チャイム』というやつで、まあ、要するにそろそろ家を出て学校に行かないと遅刻するよ、という、小さな村ならではの親切なチャイムだったりする。
もっとも、既に家を出ている僕には関係のない話でもあり、のんびりと歩きながら、昨日のお母さんとの会話を思い出していた。
いや、なんということもない会話だったんだけどさ。
なんか、お母さん、いつもより元気がなかったような気がするんだよね。
料理の味は我ながら完璧だったので、食事が口に合わなかったからということは有り得ない。
……いや?
もしかして、お母さんの好みより、少しだけパスタが柔らかかった…の、かも?
たったったったった……。
どがっ!
考え込んでいたら、後ろから軽快な足音が聞こえ。
特に気にしていなかったら、次の瞬間には背中に何か衝撃が来て。
気がついた時にはもう僕は地に伏せていた。
「……ハッ、だっせ」
視線を上げると、得意げな表情で僕を見下ろす、同級生の姿があった。
「……おはよう、学人くん」
幼馴染みの、岩崎学人くんだ。
「……どうして出会い頭から、僕を蹴るんだい?」
僕は背中を払いながら、学人くんに問う。
「お前の後ろ姿が隙だらけだったからだよ」
学人くんはまったく悪びれる様子が無い。
うーん。
学人くんは、悪い人ではないんだけれど、ちょいちょい不思議な持論でこういうことをする人なので、なかなか厄介である。
確かに、モンスターが闊歩するこの世界で、自分の実を守ることは大切だけれど、僕は非戦闘員の中学生で、しかも、ここは高い塀に囲まれ、守られた村の中なのだから。
ぼーっと歩くのがそんなに悪いことだとは思えない。
でも、それをどうやって学人くんに言うべきかを考えると、うまく説明ができないのだった。
「もう、学人くん! 朝から何してるの!?」
そんな僕に助け舟をだしてくれたのは、後から駆けつけて来た同級生。
すごい剣幕で学人くんに食ってかかっている、友里ちゃんだった。
「お前もみただろ? こいつの後ろ姿。スライムにだって一撃でキメられるぜ」
「そんなの、村のなかでは関係ないでしょ! それに、ひろくんが冒険者になるとでも思ってるの!? ひろくんと学人くんとは違うんだから! わけわかんないことを理由にして人に暴力を振るわないの!」
あのぉ、友里ちゃん。
さらっとひどいことを言ってるような気がしないでもないのですが…。
まぁ、事実と言えば事実なので仕方が無い、か。
僕は苦笑しながら友里ちゃんに微笑む。
「友里ちゃん、おはよー」
「おはよう……」
友里ちゃんが一瞬、毒気を抜かれたような表情になって、そこから微笑んだ。
「もう、本当に、ひろくんは人が好いんだから」
「そんなことはないよ?」
僕は友里ちゃんの笑顔が見たかっただけ。
だって、友里ちゃん、小さい村の中では、という条件はあるものの、その中では確実に、一番の美人さんだからね。
美人さんの笑顔が朝から見られるなら、ちょっと蹴られるくらい、なんてことないさ。
そんなこんなで、朝の騒動は、いつものように曖昧になって、僕達は並んで学校への道を歩き出す。
僕達3人は、幼馴染みだ。
小さな村で、年齢が近い人というのはそもそも少ない。
その中でも、僕達は住んでいるところが近かったし、親同士も仲が良かったから、学校に通い出す前から、一緒に遊ぶことが多かった。
気が強くて、腕っ節も強い学人くん。
優しくて、でも、学人くんに大しては結構遠慮のない、優等生の友里ちゃん。
料理が得意だけど、それ以外にこれと言って特徴のない僕。
いろいろと、バラバラな僕達は、今でこそ放課後一緒に遊んだりすることは少ないけれど、こうやって、登下校の時間が合えばなんてことない話をしながら歩く程度には仲が良い。
「そういえば、友里ちゃん、昨日の数学の宿題、分かった?」
「あ、ちょっと難しかったね?」
「一問だけどうしても分からなくて…」
「合っているかは分からないけど、私で分かる問題なら、休み時間に教えるよ?」
「じゃあ、お昼休みに頼もうかな?」
「学人くんはわかった?」
「へっ。あんな問題。30分で終わったぞ」
「おーしーえーてー」
「けっ。二人でやってろよ」
「学人くん。私からもお願いしていい? ちょっと、自信ないのよ」
「……しゃぁねーなー」
会話はなんてことのない、普通の中学生の話題だ。
友達の話。先生の話。学校の勉強の話。
村の人の話。
外にはなかなか出られない環境なので、話題は自ずと限られる。
どれだけ村の外にモンスターが闊歩していると言ったって、そのことばかり考えて生きている訳ではない。
僕達にとっては、全てが日常の一部だからだ。
でも、やっぱりここは、平和な世界ではなくて。
たまにそれを思い知らされるような話題が、ふっと、出ることがある。
「そういえば、大山さんの件、お気の毒だたっね」
ふと、友里ちゃんが声を潜めてそう言った。
大山さんと言えば、この村出身の、有名なスライムハンターの勇者さんの名前だ。
お気の毒……ってことは……。
考え込んでいる僕の表情を見て、友里ちゃんが暗い表情で、一言だけ、言った。
「亡くなったの」
「そっか……」
「なんだ、お前、知らなかったのかよ」
学人くんが意外そうな声で言った。
すぐに僕を馬鹿にする学人くんも、人が亡くなった話題の時にふざけた態度はとらない。今の声色にも、僕のことをあざけるような響きは全然なかった。
つまり、学人くんは、ああ見えて、決して悪い人ではないんだよね。
多少悪ぶっているところはあるけれど。
それにしても……そっか。
「それっていつのこと?」
「亡くなったのは一昨日だって。昨日、お知らせが回ってきたよ」
「そっか」
「遥拝式は今日だって」
遥拝式というのは、この時代になって発達したお葬式の形式だ。
モンスターが闊歩するこの世界では、遺体を遠方まで運ぶことが基本的に難しい。勇者に守ってもらえば不可能ではないけれど、多額のお金もかかってくるし、基本的に、政府の命令で、勇者もライフライン確保の為の任務を優先させるため、そもそも依頼を受けてくれる勇者がとても少ないのだ。
だから、地元を離れてなくなった人のお葬式のときには、村の教会に小さな祭壇が作られる。人々は教会に集まり、祈りを捧げ、小さな宴席をこしらえて、亡くなった人の御霊を、遥かな地から偲ぶのだ。
「今日……か」
そういえば、お母さんは緊急の会議で遅くなるって言ってたな。
晩ご飯のメニューも……あ、そっか。昨日のサラダで使った南瓜が結構大量に残ってるから、カレーに入れてみようと思ってたんだっけ。
それなら、家に帰ってからちょっと仕込みをして、それで十分間に合うなぁ。
「僕も行くよ」
どうやら都合がつきそうなので、僕も行くことにする。
「わかった。待ってるね」
友里ちゃんがふわりと微笑む。『一緒に行こうね』じゃなくて、『待ってる』という表現になるのは、友里ちゃんのお家が、遥拝式の式場となる教会だからだ。
キーンコーンカーンコーン。
また、チャイムが鳴った。
「あ、そろそろ急がなきゃ」
僕達はお喋りを辞めて、足を速めた。
(……そっか、お母さんが、元気がなかった理由は)
色んなことに納得がいった朝は、なんだか胸が痛くて、さっきまでは平和な音色にしか聞こえなかったチャイムが、祈りのように、僕の心に響いた。