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小説の書き方(脱線)

 つまりまぁ、此処まできて何を言いたいのかって言うと、小説の書き方には種類があって、よっぽど自分が無い……人聞きが悪いからニュートラルにしよう……人でなければ自分の書き方を変えるという事は難しいだろうし、つまりそれはこの文章には『へぇ、こんな書きかたしてるんだ』と感心(または驚愕、落胆などでもいい)するか、『おぉ、自分と同じか』と共感するくらいしか使い道が無いって事だ。


 でも小説を書くのって楽しいね。書かない人の大半はそんなこと思いつかなかった人で、あと殆どは恥ずかしいからだろう。誤解を覚悟で言うと、小説を知人に読まれるのは恥ずかしい。そもそも書いているのがばれるのは恥ずかしい。(当たり前だが)僕の周りには日本人だらけなのでそこからしかデータを取れないから苦しいが、日本人は【格好つけ】を異様に恥ずかしがる風習がある。実際、僕も恥ずかしい。これは思春期っぽいから……今風に言えば【厨二】っぽいからだろう。心が痛いのである。だから格好付けができない僕としては堂々と自分の欲求を追い求めている厨二病患者(電波系とも言う)な人々をそれなりに、ある程度、そこはかとなく尊敬している。多分ああ言う行動は僕は一生涯することは無い……んじゃ無いかなぁ。


 話が脱線した。ちなみにライト・フライヤー号は滑走路ではなくレールから離陸するようになっていたそうだ。横にではなく上にそれたんだね。……段落の頭に『脱線した』なんて書いた割りに中々本題に入らないじゃないか、と仰られるかも知れない。仕方ない。戻そう。えーっと、(前の方を読み返している)そうそう。小説は恥ずかしいかだったね。たとえばこの文章みたいに誰か知らない人に見せるんなら問題ない。問題なのは知人である。


 知人に見せるのは滅茶苦茶恥ずかしい。これはちょっと可笑しな話だ。世界中にインターネットで公開しておきながら千人にも満たない人に見せるのが恥ずかしい。これは人間が感覚的に世界を把握するには地球が広すぎたからではないかと睨んでいる。勿論、本当に睨んでいるわけではない。いきなり虚空を睨み始めたら確実に怪しい人だ。痛い人かも。とにもかくにも、知人は自分を知っている。インターネットの画面の向こう側の人間は自分を知らない、と言うのがあるのではないだろうか。


 たとえば、貴方が一つ詩を作ったとする。これをたとえば世界のどこかに張るのと親や先生に見せるのとどちらが恥ずかしいだろうか。此処で重要なのは【世界のどこか】がどこか、だ。アクセス数が少なければアマゾンの奥地で、アクセスが多ければ東京駅、と考えると分かりやすい。多分この文章は奥羽山脈あたりじゃないかなぁ。それなら絶対に後者の方が恥ずかしい。アクセス数で考えれば絶対に前者のほうが多くの目にさらされることとなる。これがリアルでその詩の隣に自分が立っていたら恥差プレイかも。まあ、人数的に考えれば前者の方が恥ずかしいのに後者の方が恥ずかしいのは相手が自分を知っているからじゃないかと感じる。


 ……と、まあ書いてみたが如何だっただろうか。書きたきゃ書けば?と言うだけの話ですが。


 

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