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秋桜の丘・星の降る夜

作者: 広河陽

 青空を、シャトルが飛んでゆく。最後の月行きシャトルだ。3年前だったら、とても信じられない光景だったろう。その反対の空では巨大な彗星が大きな尾をひいている。大半の人はその彗星を禍々しい悪魔と呼ぶ。私はその彗星を、美しいと照れずに言える。

 私はそんな空を、秋桜が一面に咲いている丘から眺めている。シャトルと彗星と秋桜、なんてとりあわせだろう……。


 3年前、米国宇宙管理局が「巨大彗星が地球に衝突すると発表した。それから、たった3年間で科学、特に宇宙に関する分野は異常なまでの速さで発展し、数多くのシャトルやスペースコロニーが造られたのだ。

 今では地球人口の約99%は月と火星に移住してしまった。残った1%の人々は私と同じ。私のように地球と最期を共にする意志のある人だけ。

 私は、地球と、死ぬ。

 何故なら、この星が彼女の眠る地だからだ。


 5年前、私は高校生だった。あれは高校生になりたての頃。市立図書館で私は本を読んでいた。題名は思い出せないが、その本は上下巻の2冊に分冊されていた。私はその上巻を読んでいた。やがて読み終え、下巻を捜すために立ち上がった。ところがないのだ。私が上巻を手にした時は確かにあったのに。私はあきらめ、その場を立ち去ろうとした。

 そこに彼女が来た。私の捜していた下巻を持って。彼女は上巻を手にしている私を見て、驚いたような顔をした。それから彼女と私は図書館の公園で、話しこんだ。

 彼女は画家になるのが夢だと言った。そして、私に描きかけのカンバスを見せてくれた。そこには淡いピンクの秋桜が描かれていた。

 私は放課後、毎日、市立図書館に通った。彼女はいつもいた。いつも外の公園で私と彼女は話をした。彼女は、時々私に自分の絵を見せてくれた。絵にはいつも何処かに秋桜が描かれていた。私が彼女にたずねると、彼女は笑って言った。

「秋桜が好きだから、よ」


 ある時、彼女が言った。

「笑わないで答えて。ね」

 私はうなずいた。

「どうして空は青いのだと思う?」

 私は一瞬とまどったが、「大気が重なったその色が太陽の光で青く見えるからよ」と、試験の解答のような、彼女に相応しくない、夢も何もない答えになってしまった。

 彼女は嬉しそうな顔をした。訳を尋ねると、この質問をするとたいていの人は笑うか馬鹿にするかして、まともに取り合ってくれないのだという。今考えると、かわいそうだ。彼女ではなく、彼女の質問を笑う人たちが。

「こういう質問、これからも時々していいでしょう?」

 私はその質問が気に入ったので承知した。


 ある日突然、彼女が図書館に来なくなった。なんとなく淋しい気がして、初めて気づいた。

 私は彼女の名前を知らないのだ。私は彼女の名前を呼ばなかったし、彼女も私の名前を聞かなかった。私たちに名前は必要なかったのだ。ただ、イニシアルだけは知っていた。いつもカンバスの隅に書かれていたので。

 Y.S。それが、彼女のイニシアルだ。


 彼女を見たのはそれから3日後のことだった。正確には彼女自身ではなく、彼女の写真であり、テレビカメラを通してだったけれど。

 つまり彼女をテレビのニュースで見たのだ。

 ニュースキャスターの右下に「女子高生ひき逃げされる」という白い文字があった。

 私は初めて彼女の名前を知った。

 彼女の名前は佐々原夕ささはらゆう。私と同い年だった。

 私はその後、小説家になることを決心した。本当は彼女、夕の夢を継いで画家になりたかったのだが、わたしには画力がない。私は夕の描きたかったものを文字で書こうと思ったのだ。


 私の小説が初めて出版された日。私が初めて働いて得たお金で夕食を楽しんでいる時、そのニュースが流れた。

「巨大彗星が地球と激突。猶予は3年」

 私は初めての収入で4つの物を買った。

 まずは土地。大半の人が地球を脱出しようと考えていた時期のこと、土地は驚くほどの安さで広範囲が買えた。

 秋桜の種。夕の好きだった秋桜の種。

 最後に、真っ白な飾り気のない便せんと、夕の好きだった青空色のインク。

 土地には秋桜を植えた。3年前、100粒だった種は、今では丘を覆って見わたす限りの秋桜畑になっている。

 私は紙に青インクでこの文章を書きつけている。もう夜になったのだが、彗星のおかげで満月より明るく、文字が綴れる。

 あと一時間ほどでこの地球はなくなるだろう。地球は飛び散って粉々になって、私なんかは微塵も残らないだろう。だけど、この文章を書いた紙、私が最初にして最後に夕のことを書いたこの紙は、ずっと残るに違いない。

 きっと、残る。確信できる。


 街の最後の灯りを秋桜の丘から見下ろす。

 星が零れ落ちてきそうな地球最後の澄んだ夜に、本当に星が降ってくる。そして、それはもう、誰にも止められないのだ。

 変だ。

 胸がどきどきする。頬が上気してくる。そして何故か、嬉しい。どうしてだろう。私はこれから死んでしまうというのに。死ぬことはおそらくとても嫌なことに。

 ああ、この星と死ねるのが嬉しいのだ。

 私は気が狂ってしまったのだろうか。ちがうと思う。

 狂ってしまったのは、たぶん──。


 空気は澄み、優しく、そして冷たい。

 宇宙は碧く、無限に広がり始める。

 秋桜は大きく開こうとする。秋桜。彼女が好きだった花。

 私は、最後の呼吸をする。

 白の花びらが風に舞う。

 夕が、来てくれたのかもしれない。

 そよ風に揺れる、秋桜。

 そして、星が降ってくる。


FIN

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