3 ごはんになりたい。(1)
このような経緯で書かれた私の初めての長編「緑の冠」は、色々と残念なことになってしまいました。
一年近く経って、どこがまずかったのかも少しずつわかってきたので、改稿しようと思い立ったわけですが、改稿作業に移る前に、まず小説書きとしての自分について棚おろしをしてみたいと思います。
私は、「小説家になろう」ではと断りを入れるまでもなく、ネットの底辺をうろうろしている趣味のオンライン作家の一人です。信者やファンなんていませんし、感想も滅多にもらえません。
マゾい作者なら、「どーせオレの書くものなんかつまんないから感想もらえないんだよう~」と自虐プレイに走って快感に打ち震えるのかもしれませんが、「どちらかというとS」「むしろ総攻」などとその手のテストで診断されることの多い私の趣味ではありません。
冷静に判断するなら、思わず感想書きたくなるほど面白いわけでも、ツッコミ入れたくてたまらなくなるほどアレでもないと、そういうことなんでしょう。
自分の作品があまり面白くならない理由の一つに、「山場が作れない病」が挙げられるかと思います。ふと気がつくと、患っていたのです。
短編ならヤマ=オチに見えるのでなんとなくごまかせても、長編はそうはいきません。「緑の冠」ではそれを思い知りました。
この話では、作者想定の山場は二カ所あります。そのうちの後ろのほうの山場が話全体の山場になるはずだったのですが、盛り上げきれませんでした。
読み終えたときの、スコーンと突き抜けるようなカタルシスは、きっちり作ってある山場からこそ、もたらされるのではないでしょうか。
今回はそのあたりを考えながら、改稿していきたいと思っています。
さて、欠点だけを取り上げてそれを改善していったら、面白い作品になるのでしょうか。
私はならないと思います。欠点のない作品と面白い作品はイコールではありません。
それでは、面白い作品とはどんなものでしょうか?
いろいろな作品を読んでみたところでは、魅力のある作品です。
欠点は少ないほうが望ましいが、あってもそれが気にならない、そんな魅力のある作品は強いです。さらに言えば、作品の魅力と長所は合致することが多い。
欠点を改善する努力と一緒に、長所を伸ばす工夫も必要だと私は考えます。
作品における長所は、書き手にとっては武器なのです。
自分の武器は何なのか明確に自覚し、意識的に使うことによって、もっと魅力的な作品を書けるようになるのではないでしょうか。