2 そして、落とし穴にはまる
こうして、短編を何本か書いた後、初めての長編を書くことになり――落とし穴にはまりました。
書き始めてしばらくした頃、何かがオカシイということに気づいたのです。
なんだか話が平坦で、盛り上がらないような……?
そこで、知り合いの長編をよく書いてる作者さんたちに相談してみました。
【長編は、起承転結の各エピソードの中に、更に起承転結入れなければいけない】
考えてみれば当たり前のことですから、普段から長編を書いてる方は、何を今更とおっしゃるかもしれません。
私は短編をそのまま長く書きさえすれば長編になる、と思い込んでいたのです。
そりゃ、単調な展開にもなりますわいなあ。
作者のテンション、激萎えです。
そんな状況でも、幸いなことになんとか完成にこぎつけることができました。
それは、プロットがあったからだと思います。
あらかじめ作っておいたプロットに沿って、ただ書き続けることだけに集中して、完結させることができました。プロットがなければ、間違いなく挫折していたことでしょう。
私自身の場合だと、プロットが脳内にある限りは変更がきくと自分自身に甘えてしまい、却って落ち着かず、ふらふら迷った挙げ句に書き続けることができなくなってしまうようです。
一方、根っからの長編書き、生まれついてのストーリーテラーみたいな人は、脳内プロットだけで長編を完結することができます。
なんとなくとか無意識で貼っておいた伏線を、物語のラストでまるで手品のようにきっちり回収しやがるんです、やつらは。
その分、無駄になる伏線も多いという本人談もありますが、ともあれ羨ましい才能です。
オンラインで作品を発表している人の作品リストを見回したとき、未完結(放置)作品のほうが目につくということは、そんな風に「生まれながらの長編書き」の能力に恵まれているのは、小説書いてる人たちの中でも多くはないということなのではないでしょうか。
よく、展開に悩んで続きが書けないとおっしゃる作者さんがいらっしゃいますが、そういう方は「生まれながらの長編書き」ではないのでしょうし、最初でプロットを作ってあったらそういうこともないと思います。
私も、未完結作品を量産していた頃は、プロットは作っていませんでした。脳内プロットで十分だと考えていたからです。今でも、短編を書くときは脳内プロットのみです。脳内プロットで制御できる規模でないと、短編としてはまとまらないようです。
しかし、今回初めて長編を書いてみて、自分には長編を脳内プロットで書き上げることは無理だと悟りました。
並行して走る複数のストーリーライン、伏線の敷設と回収――プロットにこの全てを詳細に書き込むわけではないですが、簡単な箇条書き、あらすじ程度のものであっても、一度脳内から出すことによって落ち着くように思います。
「生まれながらの長編書き」のように曲芸みたいな書き方はできなくても、そういうことができない人間にはできないなりの、魅力的な長編のスタイルがあるはずです。
それは、きっちり練った設定、無駄のないエピソード、物語の終焉に向けて張り巡らされた伏線でかっちりと組み上げられた作品ではないでしょうか。
曲芸は本職に任せて、それができない私たちのような人間は、ひたすら地道に考えていこうではありませんか。