第5話 ――家の地下は、世界の裏側だった
地下室に広がる黒い円は、翌朝になっても消えていなかった。
コンクリートの床に、まるで最初から存在していたかのように馴染んでいる。
光を吸い込むその縁は、わずかに脈打ち、生き物のようにも見えた。
「……夢じゃないよね」
ひよりが、恐る恐る距離を保ったまま呟く。
「鑑定眼でも、はっきりダンジョンって出てる」
恒一は冷静を装いながら答えたが、内心はまったく落ち着いていなかった。
《ダンジョン:未分類》
《管理者:なし》
《階層数:不明》
管理者なし。
それはつまり、国家の管理外ということだ。
普通のダンジョンなら、発生と同時に管理課へ通報が義務づけられている。
だがここは――自宅の地下。
しかも、発生原因すら分からない。
「……どうする?」
ひよりの問いに、即答はできなかった。
通報すれば、家は封鎖される。
立ち入り禁止。
調査。
最悪の場合、立ち退き。
だが黙っていれば、違法ダンジョン保持になる可能性もある。
「……まずは、確認だけだ」
恒一はそう言って、自分に言い聞かせた。
「浅いところだけ。
入って、すぐ戻る」
ひよりは少し考えてから、頷いた。
「……一緒に行く」
「ひより」
「資格、もう取ってるもん」
確かに、彼女は法律上、ダンジョンに入れる年齢だった。
「無理だと思ったら、すぐ戻る。約束だ」
「うん」
こうして、二人は自宅の地下で、世界の裏側へ足を踏み入れることになった。
黒い円に触れた瞬間、恒一は以前と同じ感覚を覚えた。
視界が歪み、足元が消え、身体が引き込まれる。
次の瞬間――
そこは、見覚えのある空間だった。
「……あれ?」
石造りの通路。
薄暗く、湿った空気。
だが、どこか違う。
「広い……」
ひよりの声が反響する。
一階層目にしては、やけに天井が高い。
管理課のEランクダンジョンとは、作りがまるで違っていた。
そして、恒一の頭の中に、再び情報が流れ込む。
《スキル再判定中》
《ダンジョン固有補正、適用》
「……え?」
思わず声が漏れる。
《追加取得:アイテムボックス》
《容量:30トン》
《時間停止:あり》
「……は?」
鑑定眼MAX、剣術に加えて、アイテムボックス。
しかも30トン。
普通、初心者が得られる容量ではない。
「お兄……私も、なんか来てる」
ひよりの顔は、驚きよりも戸惑いが勝っていた。
《取得スキル:錬金術(全て)》
《取得スキル:魔術(全て)》
《取得スキル:アイテムボックス》
《容量:無限》
《時間停止:なし》
「……無限?」
恒一は言葉を失った。
錬金術の全系統。
魔術の全属性。
そして、無限容量のアイテムボックス。
代わりに、時間停止はなし。
だが、それを補って余りある能力だった。
「……なにこれ」
ひよりは呆然と呟く。
「私、そんなすごい生き方、してないよ?」
恒一は、静かに首を振った。
「……違う。してきたんだ」
家族を支えたいと思い続けたこと。
我慢して、考えて、準備してきた時間。
それが、このダンジョンでは、力として評価された。
「このダンジョン……普通じゃない」
恒一は確信した。
ここは、EでもDでもない。
見た目は弱く、だが底が知れないダンジョン。
通路の先から、ぬるりとした音が聞こえた。
「来る」
現れたのは、スライム。
だが、数が多い。
恒一は剣を構える。
剣術の感覚が、自然と身体を動かす。
一体、二体――
スライムは次々と消え、素材が残った。
《ドロップ:スライム素材》
《ドロップ:魔核(小)》
「魔核……」
鑑定眼で確認する。
《魔核:小》
《エネルギー含有量:低》
《水との反応:持続的発電》
ニュースで見た通りの性能だ。
「ひより、拾える?」
「うん、ボックスに入れる」
無限容量のアイテムボックスに、魔核が消える。
「……生き物は入らないんだよね」
「うん。さっきスライムで試したら、弾かれた」
冷静に確認している妹を見て、恒一は思う。
――この子は、強い。
数体倒したところで、恒一は剣を下ろした。
「今日はここまでだ」
「え、まだいけそうだけど」
「ダメ。初日だ」
ひよりは少し不満そうだったが、頷いた。
二人は来た道を引き返し、
再び黒い円をくぐる。
地下室に戻った瞬間、
現実の匂いが、急に重くのしかかった。
「……帰ってきた」
恒一は深く息を吐く。
「ねえ、お兄」
「ん?」
「このダンジョン……秘密にするんだよね」
ああ、と頷く。
「少なくとも、今は」
管理課に知られたら、全てを失うかもしれない。
だが、放っておけば、いずれ問題になる。
「強くなろう」
恒一は言った。
「守れるくらい、強く」
ひよりは、力強く頷いた。
こうして、
誰にも知られない自宅ダンジョン探索が始まった。
それは、
世界の常識から外れた、
兄妹だけの戦いの始まりだった。
自宅にできたダンジョンと兄妹の本当のスキルが確定しました。
このダンジョンは「弱いが底がない」という異質な存在になります。




