第二十八話 ユリウス・アルバート来訪
春の光が、王都の尖塔を照らしていた。
青空の下、ノクティス帝国の紋章を掲げた黒塗りの馬車が、王宮から学園へとゆっくり進む。
沿道には好奇の視線が並び、誰もがその姿を一目見ようと息を呑んだ。
――それもそのはずだ。
ノクティス帝国第二王子、ユリウス・アルバート。
彼はかつて、数々の外交交渉を成功させた“影星の国”の天才と呼ばれる青年であり、その容姿もまた伝説のように語られていた。
黒曜石のような髪に、銀糸の装飾を散らした制服。
深紅のマントが風を受けて揺れ、その瞳は夜のように静かで冷たい。
光を纏うレオンとは対照的――まるで、闇の中で輝く星そのものだった。
――◇――
セレスティア魔導学園・大講堂。
使節団歓迎の式典。
カトリーナは最前列の貴族代表として、王国側の令嬢たちと並んでいた。
扉が開く音。
その瞬間、空気が張りつめた。
視線のすべてが、黒衣の青年へと向かう。
彼は、王太子レオンの隣に歩み出る。
黒と白――昼と夜のように対照的な二人が、並び立つ光景。
その瞬間、学園の空気がわずかに揺らいだ。
「ノクティス帝国より来訪した、ユリウス・アルバート殿下であらせられる」
司会の声に合わせて、礼儀正しく一礼するユリウス。
その仕草は一分の隙もない完璧さだった。
しかし次の瞬間――彼の視線がふと動いた。
真っすぐ、カトリーナを射抜く。
黒い瞳が、わずかに笑う。
口元がゆるやかに動き、低い声が落ちた。
「……噂以上だ」
一言。
それだけで、周囲の空気が息を呑むほどに変わる。
令嬢たちがざわめき、教師たちが互いに顔を見合わせた。
「(……“噂以上”? あらあら、ずいぶんと率直な方)」
カトリーナは軽く扇を開き、微笑みだけで応じた。
その静けさが、逆に挑発のように見えたのかもしれない。
隣に立つレオンの瞳に、一瞬だけ強い光が宿る。
「ユリウス殿下。この国では、“淑女を評する前に杯を交わす”のが礼儀とされています」
その声音には穏やかな笑みを乗せながらも、わずかな棘があった。
ユリウスは微かに唇を上げる。
「そうでしたか。我が国では、“印象を言葉にすること”が最上の礼なのですよ、王太子殿下」
二人の視線が交錯する。
金と黒。
昼と夜。
互いに微笑んでいるのに、どちらも一歩も退かない。
政治的な緊張――いや、それだけではない。
男同士の本能的な牽制が、言葉にならぬまま場の空気を支配していた。
カトリーナはその空気の中で、ただ静かに二人を見つめていた。
その目に、ふと奇妙な感覚が宿る。
「(この人……“台本”の外に立っている)」
レオンが、原作の“王太子ルート”から外れたように。
ユリウスもまた、この世界の設計を無視して存在している。
まるで、自分と同じように。
「(……そう。あなたも、“星の外”の人)」
カトリーナは扇を閉じ、静かに立ち上がった。
周囲の視線が一斉に集まる。
「ユリウス殿下。ようこそ、セレスティア魔導学園へ。星々の加護が、貴国にも光をもたらしますように」
完璧な礼。
その声に、ユリウスは微笑みを返した。
その笑みは礼儀のものではなく――観察者の笑み。
「あなたが“影星”のグレイス公爵令嬢ですね。……確かに、星々の外にいるようだ」
そして、そのまま何気なく言った。
「――あなたを、ぜひ我が国に招きたい」
講堂がざわめく。
教師たちが息を呑み、貴族令嬢たちが目を見開いた。
だがカトリーナだけが、動じなかった。
扇の陰で、微かに唇が動く。
「まぁ……唐突ですこと」
その声音は柔らかく、しかしその奥には緊張があった。
レオンが一歩、前へ出る。
その金の瞳が、冷たく光を放つ。
「ユリウス殿下。それは――外交上の申し出と受け取ってよろしいのですか?」
ユリウスは答えず、ただ微笑んだ。
黒髪の隙間から覗く銀の装飾が、光を弾く。
そして、背を向ける直前に一言だけ残す。
「意味は――いずれ分かりますよ、殿下。この“世界”の形ごと、ね」
彼の声が遠ざかると同時に、風が一陣吹き抜けた。
カーテンが大きく揺れ、光が一瞬、黒髪を照らす。
カトリーナはその背を見送りながら、心の中でそっと呟いた。
「(――世界の形、ですって? やはり、あなたも知っているのね。この“運命コード”の乱れを)」
講堂のざわめきが戻る。
だが彼女の耳には、もう何も届かなかった。
ただ、次に訪れる嵐の気配だけが、静かに胸の奥で膨らんでいく。




