第二十六話 次なるバグの気配
春の陽射しが、石畳の回廊に柔らかく差し込んでいた。
学園の庭には花が咲き誇り、生徒たちは合同行事の準備に浮き立っていた。
そんな穏やかな昼下がり――グレイス家の紋章を掲げた馬車の前に、見慣れぬ青年が立っていた。
銀灰の髪に、深い緑の瞳。
まだ少年の面影を残すその青年は、旅塵をまといながらも姿勢を正していた。
カトリーナが応接室に入ると、彼はすぐに膝を折る。
「初めまして、グレイス公爵令嬢。私はノルド辺境伯の嫡男、セイン・ノルドと申します」
「ノルド家……王国の北端、霜の谷の領主ですわね。遠方から、わざわざわたくしに?」
青年は頷き、真剣な眼差しで口を開いた。
「はい。実は、我が領で星霊の暴走が起きております」
その言葉に、カトリーナの指先が止まった。
星霊――この世界における魔力の根源、星神の加護そのもの。
その“暴走”など、原作には一度も登場しなかった出来事だ。
「……詳しく聞かせていただけます?」
「領地の祠に封じられていた星霊核が、不規則に輝きを放ち始めたのです。魔導師たちは制御不能と判断し、王都に報告を――。しかし、返答が遅れており、私が直接助けを求めに参りました」
セインの言葉は震えていた。
それが恐怖だけではなく、何か焦燥に似た感情から来ていることを、カトリーナは見抜く。
「……星霊の暴走、ね」
カトリーナは思わず小さく呟いた。
ペンを取り、紙の上にさっと線を走らせる。
“星霊”――“暴走”――“北の祠”。
どれもこのゲーム『セレスティアル・ハート』には存在しないワード。
「(原作にない。つまり――これは“追加イベント”)」
胸の奥で冷たい感覚が広がる。
この世界の出来事は、基本的に“ゲームの筋書き”に沿って動いていた。
だが、ヒロインであるエリスが退学し、舞台から消えた今。
その中心の“空白”を埋めるように、物語が新しい筋書きを紡ぎ始めている。
「(……世界が、シナリオの欠損を“自動補完”している?)」
カトリーナは紙に「バグ」と書き、すぐその上から線を引いた。
この世界の“運命コード”が乱れている。
エリスが消えたことによって、本来固定されていたルートが歪み始めているのだ。
「殿下には、もう報告を?」
「いえ。王太子殿下は合同行事の準備でお忙しいと伺い……」
「正解ですわ」
カトリーナは穏やかに微笑んだ。
しかしその瞳の奥は、研ぎ澄まされた光を帯びている。
「これは、今の段階では“仮の事件”です。下手に報告すれば、王都全体が混乱します。わたくしから――然るべき筋に伝えましょう」
セインは深く頭を下げた。
「感謝いたします、グレイス様」
その言葉を背に、カトリーナは小さく息を吐いた。
セインが退室し、部屋に再び静寂が戻る。
「……ルイス」
「はい、お嬢様」
「調査を始めましょう。北の祠について、王都記録に残っている情報をすべて洗って」
「承知いたしました」
ルイスが出て行くと、カトリーナは机の上に手を置き、独り言のように呟く。
「エリスがいなくなって、物語が動かないのなら……世界自体が“代わりの筋書き”を生む、というわけですわね」
紙の上に描かれた文字列――星霊、暴走、祠。
それらがまるで、無数のコードが錯綜するように意味を変えていく。
「(世界が自己修復を始めた。つまり、もう“固定ルート”は存在しない。そして――この乱れは、やがて誰かを飲み込む)」
カトリーナは、胸の奥でぞくりとした感覚を覚えた。
ゲームという枠を超えた“世界”が、自分たちを観察している。
運命そのものが、動的に書き換わっている。
「まるで……生きているプログラム、ね」
自嘲気味に笑ったその時――扉を叩く音がした。
戻ってきたルイスの表情は、いつになく硬い。
「お嬢様、王城より急報です」
「……また?」
「はい。“隣国アーベント王国の王子殿下が、王都に到着された”とのこと」
カトリーナはゆっくりと目を細めた。
「……そう。まるで、この混線に合わせるようなタイミングですわね」
窓の外には、春の雲がゆっくりと流れていく。
その隙間から、一筋の光が差し込んだ。
まるで、それが“新しいルート”のロード画面であるかのように。
「(――幕が変わる。次は、隣国の王子。けれど、彼の登場も本当に“予定されていた”ものなのかしら?)」
カトリーナの唇がわずかに笑みの形を描いた。
だが、その笑みの奥に宿るのは冷静な覚悟。
世界が乱れていく。
そして彼女は、再び“シナリオ外”を歩き始める。




