第二十三話 空位になった“ヒロイン席”
エリス・ベルフェリアが退学してから、一週間が過ぎた。
あの大騒動が嘘のように、セレスティア魔導学園は穏やかな日々を取り戻していた。
廊下では笑い声が戻り、昼休みの中庭には花冠を作る令嬢たちの姿。
そして、誰もが一度は口にするのだった。
「最近、静かになったわね」
「ええ、“彼女”がいなくなってから本当に」
誰もが名前を出さずに、しかし皆が同じ人物を思い浮かべていた。
エリスという名の“光”が消えたあとの学園は、奇妙なほど平和だった。
だが――平和は長くは続かない。
人は空席を恐れる。
ひとつの“中心”が失われれば、次の誰かをそこに据えたくなる。
学園内で、すぐに新しい噂が芽を出した。
「次の“星の乙女”は誰かしら?」
「やっぱりグレイス令嬢では? 断罪の時、あれほど堂々としていたもの」
「でも、“影星”ですもの。……少し怖いわ」
――その名前が囁かれるたび、カトリーナは静かに笑った。
「困りましたわね、ルイス。どうやらわたくし、また余計な注目を浴びているようです」
「お嬢様ほどのお方なら当然です。ですが……お気をつけください。人々の称賛は、すぐに“新しい嫉妬”に変わります」
「ええ。だからこそ、火の粉が舞う前に別の的を置いて差し上げましょう」
カトリーナは、窓辺に咲く白百合に目を向ける。
――清らかに見えて、周囲の色を映す花。
まるで、誰かが“ヒロイン”を求めて空席を埋めようとするこの学園のよう。
数日後、カトリーナは新入生の中からひとりの令嬢を見つけた。
ラヴィニア・オルコット。侯爵家の娘で、穏やかな性格だが人前に出るのが苦手。
それでも、舞踏の所作は美しく、声にも不思議な温かみがあった。
「(ええ、あなたがいいわ。次の“中心”は)」
カトリーナはすぐに動いた。
授業の場でさりげなくラヴィニアの意見を拾い上げ、お茶会では「彼女のドレス、本当に可愛らしいですわね」とわざと周囲に聞こえるように褒める。
誰もが“悪役令嬢”の口から出た言葉に反応する。
そしてその注目は、自然とラヴィニアに向かっていった。
「ラヴィニア様って、意外と華がありますのね」
「最近すごく人気よね。グレイス様が一目置いているらしいわ」
新しい中心は、静かに生まれた。
カトリーナはその様子を遠くから眺めながら、扇を軽く開く。
「ふふ……これで少しは風向きが変わるでしょう」
ルイスが呆れ半分の笑みを漏らす。
「まるでチェスをしておられるようですね」
「わたくしは“悪役”ですもの。誰かを陥れるのではなく、流れを操るのが役割ですわ」
――◇――
そんなカトリーナの振る舞いを、見ている者がひとりいた。
王太子レオン・アシュフォード。
中庭のベンチから、遠くに見えるカトリーナを見つめながら、彼は静かに息を吐いた。
令嬢たちに囲まれても、決して傲らず、称賛されても浮かれず、必要なところで身を引く。
彼女の“抜き方”は、美しいほど自然だった。
「(あの立ち居振る舞い……もはや貴族教育の手本だな)」
胸の奥に湧く感情を、レオンはまだ名前にできなかった。
けれど、ひとつだけ確信している。
「(――彼女を、簡単に手放してはならない)」
その想いを胸に秘めたまま、レオンは立ち上がった。
春風が制服のマントをはためかせる。
――◇――
その日の夕刻。
王宮から緊急の伝令が学園に届いた。
宰相の封蝋が押された書簡には、重々しい筆跡でこう記されていた。
『来月、アーベント王国との合同学園行事を実施する。両国の代表生徒は、各学年から選出予定。』
使者が去ったあと、職員室に一瞬の静寂が流れる。
――そしてその報は、すぐに学生たちの間にも広がった。
「隣国との合同行事ですって!」
「まさかアーベントの王子が来るのでは?」
ざわめく声を遠くに聞きながら、カトリーナは手元の紅茶を見つめた。
琥珀色の液面に、微かに揺れる自分の瞳。
「(……やはり来ましたわね。原作の第二章、“隣国の王子登場イベント”。)」
扇を閉じる音が、静かな部屋に響いた。
「さて――舞台の幕が、再び上がるようですわ」
ルイスが息を呑む。
カトリーナの微笑みは、まるで星明かりのように冷たく、美しかった。




