第二十二話 余波と新しい噂
断罪の幕が下りてから三日。
セレスティア魔導学園の空気は、まるで別の世界になっていた。
これまでは「影星の令嬢は怖い」「グレイス家は不吉」という囁きが廊下を満たしていたのに、今は真逆だ。
噴水のそばで談笑する生徒たちが、口々にこう言っている。
「実はグレイス令嬢って、すごく落ち着いた方だったのね」
「むしろ聖女エリスの方が裏で色々してたなんて……信じられないわ」
信じられない――そう言いながら、皆が信じていた。
映像という真実の力は絶対で、もはや誰もカトリーナを悪く言わない。
悪役令嬢の名は、いまや優雅な策士令嬢の代名詞へと変わっていた。
当の本人は、そんな噂の渦の中心にいながら、ため息をひとつ。
「……少し、やりすぎたかしら」
朝の紅茶を啜りながら、カトリーナは窓の外を眺めていた。
中庭には笑い声があふれ、まるで断罪劇などなかったかのようだ。
侍女のルイスが穏やかに微笑む。
「いえ、カトリーナ様。これでしばらくは安全です。誰ももう、あのような浅はかな策略を仕掛けてはこないでしょう」
「そう言われると、少し寂しい気もしますわね。悪役令嬢とは、舞台があってこそ輝くものですもの」
冗談めかして言うその横顔に、ルイスは苦笑した。
「お嬢様は本当に、度胸がおありです」
けれど、カトリーナの胸の奥には、かすかな引っかかりがあった。
――レオンの言葉。
“君たちが作り出した物語の都合に合わせて演じていた”
あの一言が、なぜか頭から離れない。
あの場で守られた安堵と、心に生まれた微かな痛み。どちらも、これまで彼女が感じたことのない感情だった。
「(あの方は……なぜ、あそこまで私を庇ったのかしら)」
窓を打つ春風が、ふと薔薇の香りを運ぶ。
その香りに、カトリーナは小さく目を閉じた。
――◇――
その日の午後。
ルイスが廊下の角で息を切らせながら駆け込んできた。
「お嬢様! レオン殿下がお見えです!」
「……まぁ」
カトリーナは扇を手に取り、鏡の前で表情を整えた。だが、その瞳にはわずかな揺らぎがある。
「(今は――駄目ですわ)」
心を読まれるわけにはいかない。
王太子の庇護のもとに立つ令嬢ではなく、自らの力で立つ悪役でなければ。
「ルイス。申し訳ないけれど、殿下にはこうお伝えして」
「……なんと?」
「“あいにく外出の予定がございます”と。少し、図書塔で本を探すとでも言っておきましょう」
ルイスは困ったように眉を寄せたが、やがて小さく頷いた。
「かしこまりました」
カトリーナは扇を軽く鳴らし、歩き出す。
静かに廊下を抜けながら、胸の奥で自分に言い聞かせた。
「(距離を取るの。今は、まだ)」
だが――その選択は、予想外の余波を呼んだ。
――◇――
翌日、学園の談話室。
いつものようにお茶を飲む令嬢たちの間で、また新たな噂が生まれていた。
「ねぇ聞いた? 王太子殿下がグレイス様に会いに来たのに、お断りされたんですって!」
「えっ、そんな……! まさか殿下がお慕いしているとか?」
「だって、あの断罪のあと庇ってらしたものね。まるで騎士と姫みたいだったわ!」
瞬く間に噂は広がり、翌朝には廊下の掲示板より速く学園中に行き渡っていた。
カトリーナ本人が歩くたび、囁き声がついて回る。
「(……やっぱり、外出で正解でしたわね)」
表情ひとつ変えずに歩きながらも、内心では苦笑が漏れる。
断罪劇は終わったはずなのに、舞台の幕は勝手に上がり続けている。
――◇――
その日の夕刻。
王都の北、国境警備塔から一本の早馬が駆け込んだ。封蝋には、隣国アーベント王国の紋章。
「報告! アーベント王国の第二王子が、親善視察の名目で来訪されるとのこと!」
報告を受け取った執務官が顔を上げる。
影星の家グレイス家にも、その連絡はすぐ届いた。
ルイスがカトリーナに封書を差し出す。
「お嬢様。国境より急報です」
カトリーナは封を切り、淡い光を帯びた紙を開いた。そこには、簡潔な一文。
『アーベント第二王子 セドリック殿下、近日王都へ到着予定』
「……セドリック殿下、ですって」
静かに呟くその声には、どこか懐かしい響きがあった。
そう――“原作”にも登場した、第二の攻略対象。そして、もう一つの運命の分岐。
カトリーナはゆっくりと笑みを浮かべた。
「どうやら、本当に幕間はくれないようですわね」
夕陽が窓を照らし、金色の光が彼女の髪を染める。
悪役令嬢の物語は、次なる舞台へと動き始めていた。




