第二十一話 王太子の介入
静まり返った大広間に、まだ誰も動けずにいた。
記録魔導具が示した映像は、残酷なほど明確だった。
ヒロインが裏で糸を引き、悪役令嬢が静かに守っていた――
その構図を、否定する余地はもうどこにもない。
けれど、沈黙というものは脆い。
誰かの咳ひとつで、容易く崩れる。
――最初に口を開いたのは、皮肉にもエリス自身だった。
「ち、違うのです……! あれは誤解で……!
あれは、わたくしの声ではなくて、似たような魔法の干渉で……!」
声が震えていた。
あれほどまでに完璧に演じていた聖女の仮面が、ひび割れていく。
焦りと恐怖と――取り繕うための必死な笑顔。
しかし、その言葉は広間の冷たい空気に飲み込まれていった。
どこからともなく囁き声が広がる。
「やっぱり……」
「映像があるのに」
「魔法のせいって……」
そしてそのざわめきを断ち切るように、高く、鋭く響く声があった。
「――もうよせ」
レオン・アシュフォード王太子が、静かに立ち上がっていた。
金の装飾を施した制服の襟がわずかに揺れ、その姿に視線が一斉に集まる。
彼は壇上へとゆっくり歩み出ると、全員を見渡しながら、まっすぐに言葉を放った。
「君たちが、これ以上エリス嬢を責める必要はない」
その一言に、場の空気が一瞬だけ揺れる。
王太子がヒロインを庇うーー原作どおりの展開。
だが次の瞬間、彼の声がさらに強く響いた。
「――そして、考えるべきだ。カトリーナ嬢のことを。彼女は確かに悪役と名乗った。だがそれは、誰かを傷つけるためではなく、君たちが作り出した物語の都合に、自らを合わせて演じただけだ」
その言葉に、広間全体が静まり返った。
まるで空気そのものが止まったかのようだった。
「君たちは悪役令嬢という言葉を面白がり、彼女にその仮面を被せた。だが、誰も気づかなかった――その仮面の下で、彼女がどれほど冷静に、礼を守っていたかを」
レオンの声には、怒りではなく、静かな悲しみがあった。
それがかえって重く、胸に響いた。
カトリーナは息を呑む。
まさか、ここで彼が口を挟むとは思っていなかった。
「(殿下……あなたまで舞台に上がるなんて、予定外ですわ)」
心の中でそう呟くが、指先がわずかに震える。
――守られるなんて、想定していなかったから。
レオンはゆっくりと彼女を見た。
金の瞳が、ほんの少しだけやわらかく光を宿していた。
「君は、ずっと演じていたのだろう?強く、優雅に、冷たく見えるように。だが、それは誰かのためだった。この学園のため、王国のため、礼節を守るために」
広間に再び沈黙が落ちる。
レオンの言葉は、まるで断罪の反転だった。
罪を問うための場が、いつの間にか称賛の空気に変わっていく。
カトリーナは一歩前に出た。
目を伏せ、扇を軽く開く。
「……殿下。お優しいお言葉ですが、わたくしはただ、役目を果たしただけですの」
「その役目を果たす者がどれほど少ないか、君は知らないだろう」
その一言で、カトリーナは一瞬だけ視線を逸らした。
それは、彼女がこの世界に来てから初めて見せた素の表情だった。
戸惑い、そして――ほんのわずかな安堵。
「(……そんな顔、するんだな)」
レオンの心の奥で、言葉にならない感情が波紋を広げていく。
そして、学園長がゆっくりと立ち上がった。
年老いた手で書簡を広げ、厳粛な声で告げる。
「――本日の件に関し、調査の結果、偽証および学内秩序を乱した者が確認された」
エリスの肩が震えた。
彼女は信じられないという顔で壇上を見上げる。
「ま、待ってください……殿下、どうして……?」
その声は、今までのような清らかな聖女のものではなかった。
揺らぎ、掠れ、ただの少女の声。
レオンは彼女を見たが、何も言わなかった。
ただ、その沈黙がすべてを物語っていた。
学園長は厳しく言葉を継ぐ。
「エリス・ベルフェリア殿。記録魔導具による証拠、および関係者の証言をもって、あなたを――一時退学処分とする」
その瞬間、広間全体が静まり返った。
エリスの顔から血の気が引き、手元のレースが床に落ちる。
誰かが小さく息を飲んだ。
それが、長い騒動の終わりを告げる音のようだった。
――◇――
判決が下り、学生たちが次々と退室していく中。
カトリーナはひとり、その場に残っていた。
レオンが近づき、静かに言う。
「……終わったな」
「ええ。けれど、殿下――舞台はまだ終幕していませんの」
「そうか?」
「ええ。ヒロインが退場しても、物語は続きます。
――これからが本当の幕ですわ」
その笑みは、どこまでも静かで、どこまでも気高かった。
レオンは思わず小さく笑う。
「本当に、君は面白い人だ」と呟くその声は、彼女の胸の奥に、不思議な熱を残した。
こうして、長く続いた断罪への物語は幕を閉じた。
だがその裏で、まだ誰も知らぬ第三幕ーー
王太子と悪役令嬢の、運命の物語が静かに始まろうとしていた。




