第二十話 “悪役令嬢ですわ”の真意
大広間に響いた「悪役令嬢ですわ」の宣言は、
まるで雷鳴のように人々の心を揺さぶった。
そしてその余韻が消えるよりも早く――
カトリーナ・エルノア・グレイスは、一歩前へと進み出た。
長い銀青の裾が、大理石の床を滑るように流れる。
その姿は、断罪される者ではなく、まるで裁きを下す女王のようだった。
「……お聞きになっていた皆さま。悪役令嬢とは、何か――ご存じですか?」
その問いかけに、誰もが息を呑んだ。
声を上げる者はいない。
ただ、エリスだけが不安げに眉を寄せる。
カトリーナは静かに扇を開き、その先で宙を描いた。
「悪役とは、礼を失い、悪意をまき散らす者ではありません。本来の意味は、場を締める者。
――礼節をもって、場の空気を整え、誰かの感情を受け止める役割ですわ」
観客たちの視線が揺れる。
騒めきが、ゆっくりと広がっていく。
「ですから、わたくしは悪役令嬢で構いません。誰かの感情を、静かに引き受ける立場にありますもの。ーーですが」
扇が静かに閉じられた。
カトリーナの声が、少しだけ低くなる。
「礼を欠いた悪意まで、黙って受け入れる理由はありませんわ」
その瞬間、彼女の周囲の空気が変わった。
重く、しかし澄み切った気配。
まるで長年張りつめていた糸が、一気にほどけていくようだった。
「先ほど色々とおっしゃられていたようですが、それらの証言、いくつかおかしな点がありますの」
静寂を切り裂くように、カトリーナの声が響く。
彼女は一枚の書簡を取り出した。
エリスを庇うように発言していた令嬢たち――その名が記されていた。
「例えば、夜会の夜、わたくしがエリス様にワインをこぼしたと申されましたわね。ですが、その夜、わたくしが着ていたのは銀青色のドレス。あなたが述べた紅のドレスではございません。このとおり、王宮の衣装管理台帳に記録がございます」
手元の書類を差し出すと、学園長が目を見開く。
確かに、ドレスの色が一致していない。
騒めきが広がった。
それでも、カトリーナは微笑みを崩さない。
「もうひとつ。舞踏会の夜、エリス様と私が廊下で口論していたという証言。けれど、その時間――わたくしは殿下と、来賓への挨拶に同行しておりました。殿下、覚えておいでですか?」
レオンは短く頷いた。
「確かに。あの時間、君は私の隣にいた」
――ざわっ、と会場の空気が揺れた。
証言のほころびが、次々と露わになっていく。
観客たちの表情が、徐々に「信じていた悲劇」から「違和感」へと変わっていく。
そして、カトリーナはゆっくりと最後の一手を放った。
「……それから、皆さま。これをご覧くださいませ」
ルイスが一歩前に出て、小さな水晶玉を掲げた。
中に淡い光が宿り、空中に映像が投影される。
――エリスが、廊下の陰で令嬢たちに話しかけている姿。
『お願いね、“彼女はわたしを睨んでいた”って言ってちょうだい。そうすれば、全部丸く収まるから』
その声が響いた瞬間、空気が凍りついた。
生徒たちが息を呑み、誰かが「嘘……」と小さく呟く。
魔導具の光が消え、再び静寂が訪れた。
カトリーナは静かに言葉を継ぐ。
「これは、わたくしに協力してくださった方々を責めるためのものではありません。むしろ――彼女たちは勇気を持って真実を告げてくれた。だから、これ以上の追及はいたしません。ただひとつ、申し上げたいのは……」
彼女はエリスを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、怒りでも侮蔑でもなく、ただ理解している者の静かな光があった。
「――嘘を積み重ねた物語は、いずれ崩れ落ちるということですわ」
会場中の誰もが息を飲む。
聖女と呼ばれていた少女が、壇上で青ざめていた。
彼女の唇が震える。
「そ、そんな……違うの……わたしは……」
けれど、もう誰もその声を拾わなかった。
観客たちの心は、すでに別の方向へと傾いていた。
「本当は、彼女が仕組んでいたのでは?」
「記録に残っているなら……」
「王太子殿下も証言している」
低いざわめきが波のように押し寄せる。
ヒロインの物語が、音を立てて崩れていく。
カトリーナはその中で、ただ穏やかに微笑んだ。
それは勝者の笑みではなく、舞台を終えた役者の微笑。
「(――幕は、もう降りたわ)」
エリスの肩が震え、彼女はゆっくりと後ずさる。
胸の奥に込み上げるのは、悔しさか、恐怖か。
「……こんなはずじゃない。これは、原作の……」
その言葉は、誰にも届かなかった。
彼女が頼りにしていた運命の台本は、今、悪役令嬢の手で完全に書き換えられたのだから。
カトリーナは一礼し、背筋を伸ばして言った。
「――どうか皆さま、忘れないでくださいませ。悪役令嬢とは、場を締め、秩序を守る者ですわ。礼と誇りをもって、この世界を支える存在。それを、わたくしは悪とは呼びません」
その瞬間、陽光が差し込み、窓辺のステンドグラスがまるで彼女を祝福するかのように輝いた。
学園全体が静まり返る中、彼女の言葉だけが、鮮烈に、そして美しく残った。
――悪役令嬢ですわ。
その一言の意味を、誰もが今、初めて理解した。




