第十八話 断罪の下準備
春星の舞踏会から数日。
学園の空気は、穏やかさを取り戻したようで――その実、目に見えない緊張が張りつめていた。
講義の合間、誰かが小声で噂を囁く。
「グレイス令嬢、やっぱり恐ろしい方だったのよ」
「彼女は殿下に庇われているだけですわ」
そんな不安定な声が、昼下がりの校舎の廊下を漂っていた。
そしてその中心に、エリス・ベルフェリアがいた。
――◇――
放課後の校長室前。
扉の隙間から、金糸の絨毯の上に跪く少女の姿が見えた。
薄桃色の髪が光を受けて揺れ、柔らかな声が響く。
「……学園長様。どうかお聞きください。私はただ、カトリーナ・グレイス様に少しでも認められたかっただけなのです」
その声音には涙が滲んでいた。
けれど、その瞳の奥には、確かな“演技”の光。
「彼女は私を……いえ、何でもありません。ただ、少しずつ距離を取られるようになって。私、何かいけないことをしてしまったのかと……」
学園長は眉を寄せ、深くため息をついた。
“庶民出身の特例生”と“公爵令嬢”。
立場が違いすぎる二人の不和は、王宮への報告案件になりかねない。
――そして、エリスはそれを狙っていた。
王家の前で、断罪イベントを再現させるために。
――◇――
その夜、私は執務机の上で書類をまとめながら、ひとり考えていた。
窓の外では月が冴え冴えと光り、塔の影が部屋の中まで伸びている。
「……なるほど。ついに学園長ルートを使ってくるのね」
原作では、断罪イベントは学園祭の最終日に王子の前で行われる。
だが、エリスはもうそこまで待てないのだろう。
――今、彼女は焦っている。
机の上に並べたメモを指先でなぞる。
彼女が仕掛けてくるタイミング、周囲の動き、噂の伝播速度。
どれも一致していた。
「お嬢様」
控えていたルイスが近づき、静かに囁いた。
「生徒のひとりが、エリス様が学園長室に通っていると話していました。どうやら、告発の準備をしているようです」
「ふふ……予定通りね」
私は微笑んで立ち上がる。
ルイスは驚いたように目を瞬かせた。
「予定、でございますか?」
「ええ。彼女が断罪イベントを起こそうとするなら――こちらは、新しい脚本を用意すればいいだけのこと」
窓辺に歩み寄り、夜空に浮かぶ星を見上げた。
その光は穏やかで、どこか懐かしい。
「ルイス、あの記録魔導具を準備して。彼女と私の会話、すべてを記録するの」
「まさか……本当に罠を張られるおつもりで?」
「いいえ、舞台を整えるの。悪役令嬢が断罪される劇を――でも、脚本は私が書くわ」
ルイスは息をのんだ。
私の瞳が、静かな決意の光を帯びていた。
「彼女が観客を欺こうとするなら、私は観客の心を奪う。演技で挑むなら、より美しい演技で返すだけ」
私は扇を開き、ゆっくりと微笑む。
月の光がドレスの刺繍を照らし、淡く輝いた。
「悪役令嬢の断罪劇――いいじゃない。最後に笑うのが、私か彼女か。次の幕で、はっきりさせましょう」
――◇――
一方そのころ、エリスは鏡の前で淡い口紅を塗り直していた。
窓の外に広がる夜空は、どこまでも澄んでいる。
「……もうすぐね。断罪イベントが始まれば、殿下はきっと私を庇ってくださる。そうすれば、原作通り――私はヒロインに戻る」
微笑む唇の端が、わずかに震えた。
焦りと期待、そして恐怖が入り混じったような色。
けれど彼女はまだ知らない。
次の舞台で、誰が観客を味方につけるのか――
そのすべてを、すでに脚本家が書き換えていることを。
月光が窓を照らす。
その光は、まるで幕が上がる直前のスポットライトのように冷たく美しかった。
「(さあ、第二幕はここで終わり。次は――断罪の幕開けよ)」




