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第十七話 王子の視線

王宮の春は、学園のそれよりも少し遅れて訪れる。

 城壁を越えて吹き抜ける風には、まだ冬の名残があった。

 けれど、今朝の陽射しはやわらかく、まるで新しい季節の兆しを告げるようでもあった。


 ――そんな中、私は珍しく王宮へ呼び出しを受けていた。

 舞踏会後の騒動について、正式な報告と経緯説明を求めるもの。

 だが、私の胸の奥には別の予感があった。


「(……彼が、来る)」


 報告を終え、王宮の中庭で待機していると、足音が近づいた。

 振り向けば、予想どおり――レオン・アシュフォード王太子が立っていた。

 陽光にきらめく金の髪。完璧な立ち姿。

 それでも、どこか以前よりも近くに感じられたのは、私の錯覚だろうか。


「グレイス令嬢。お時間を少しいただけますか」


 低く穏やかな声。

 私は礼をとり、静かに頷いた。


「ええ、殿下。もちろんですわ」


 二人きりになった中庭は、静かすぎるほど静かだった。

 噴水の水音と、遠くの鳥の声だけが響く。

 レオンはしばし口を閉ざしていたが、やがて真剣な瞳で私を見た。


「……どうして、あれほどまでに彼女を庇う?」


「彼女……と申しますと?」


「エリス・ベルフェリア。君は、あの夜会でも、そしてそれ以前も、彼女を擁護し続けている。普通なら、誤解を恐れて距離を取るものだ。それなのに――君は、真逆の行動をしている」


 その言葉に、私は小さく笑った。

 胸の奥で、心臓がひとつ跳ねる。


「(ああ、やっぱりそうよね。原作なら――あなたの運命の人はエリスなのよ、殿下)」


 私は内心で呟く。

 けれど、もちろんそれを口に出すわけにはいかない。


 扇を閉じ、丁寧に一礼してから、静かに答えた。


「殿下。あの方は特例生であり、王宮からも注目を集めておられます。万が一にも、舞踏会のような場で不祥事があれば、その影響は王家にも及びます。ですから、わたくしは――

王国の顔として、礼を尽くしただけですわ」


 レオンは少し驚いたように眉を上げ、そして小さく息をついた。


「……なるほど。だが、それだけではないような気もする」


「お褒めに預かるのなら光栄ですわ」


 私が冗談めかして返すと、彼の唇がわずかにほころんだ。

 けれど、その瞳には笑みではなく、何か別の感情が宿っていた。

 ――探るような、興味のような、そして少しだけ温かい光。


「君は、いつも役割の中で生きているように見える。でも、あの夜……君の言葉は、まるで心から出たもののようだった」


「……それはきっと、星祭の魔力のせいですわ」


「魔力、ね。君のような人が運命を信じるのは、少し意外だ」


「信じるというより――知っているのですわ。星神は、時に人の道筋をいたずらにねじ曲げますから」


 私の言葉に、レオンはしばし黙り込んだ。

 春風が髪を揺らす。

 金の光と銀の光が、一瞬交わる。


 やがて彼は小さく笑い、歩み寄った。


「……グレイス令嬢。君のような人を、悪役令嬢と呼ぶのは――失礼だな」


 その言葉に、胸の奥が少し熱くなる。

 けれど、私はいつものように微笑みだけを返した。


「悪役にも、物語を彩る役目がありますの。誰かが光を浴びるためには、影も必要ですから」


「……それでも、君が影に甘んじるのは惜しい」


 レオンの瞳が、真っすぐ私を捉えていた。

 その視線の強さに、思わず息を呑む。

 心のどこかが、不意にかすかに震えた。


「(……まずい。これは、シナリオ外の感情)」


 私はすぐに扇を開き、笑みでそれを隠す。


「殿下。お優しいお言葉をありがとうございます。

けれど――わたくしは、悪役の立場でこそ輝けますの」


 そう告げて一礼し、背を向けた。

 けれど、歩き出した瞬間――背中に残る熱が消えなかった。


 レオンは、彼女の去っていく姿をしばらく見つめていた。

 陽光の中、銀青のドレスがゆらめき、風に溶けていく。


「(あの時も今も、彼女の言葉には義務の裏に、確かな誇りがある。

 ――そんな人を、どうして悪と呼べるだろう)」


 王太子の胸の奥に、静かな炎が灯る。

 それはまだ恋という名には程遠い。

 けれど確かに、彼女を見る目が変わった瞬間だった。


 春風が吹き抜け、庭園の花々がそっと揺れる。

 その音は、誰にも聞こえない好感度上昇の鐘のように、静かに響いていた。


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