第十四話 舞踏会事件の予兆
春の終わりを告げる風が、学園の塔を抜けていった。
その朝、校門の前で王国の紋章を刻んだ封書が届けられる。
それは、王宮後援による夜会――春星の舞踏会への正式招待状だった。
星神への奉納舞を披露した学生たちの中から、特に優秀な者が選ばれ、王族や高官の前で舞う栄誉を与えられる。
まさに、次代の社交界へと繋がる晴れの舞台。
そして、その招待リストには――
グレイス公爵令嬢カトリーナ・エルノア・グレイスと、特例生エリス・ベルフェリアの名が並んでいた。
「(……原作通り。舞踏会事件、来たわね)」
私は封書を静かに閉じ、机の上に置いた。
頭の中で、あの断罪ルートの記憶をなぞる。
原作では、エリスのドレスにわざと飲み物をこぼしたカトリーナが非難を浴びるーーそれが「悪役令嬢の転落」を決定づけるイベントだった。
だが、今の私には台本も運命も関係ない。
「ルイス」
「はい、お嬢様」
「今回の夜会、彼女とは距離を取るわ。同じテーブルに座らない、人前では近づかない。接触すれば、それだけで罠になるもの」
ルイスはすぐに頷いたが、少しだけ考えるように眉をひそめた。
「……ですが、お嬢様。もし、向こうから近づかれたら?」
私は微笑を浮かべる。
その笑みには、わずかに挑発の色が混じる。
「その時は――庇うわ」
「庇う、でございますか?」
「ええ。悪役令嬢がヒロインを庇う。これほど痛快な皮肉、ないでしょう?」
ルイスが思わず笑いを漏らした。
「ふふ……確かに、それは見ものですわね」
私は紅茶をひと口飲み、瞳を細める。
窓の外では、学園の庭に春の花が揺れていた。
花びらのひとつひとつが、まるで運命の歯車のように舞い散っていく。
「(さて、エリス。あなたはどんな手で来る?)」
これまでの裏の仕掛けでは足りないと、きっと彼女も悟っているはず。
ならば次は――表で、誰の目にも明らかな形で、私を陥れようとするだろう。
私はゆっくりと扇を閉じ、鏡に映る自分を見つめた。
鏡の中の私は、もう悪役ではなく、舞台の脚本家の顔をしていた。
――◇――
その頃、別の場所。
学園の談話室の片隅では、淡い桃色の髪が光を受けて揺れていた。
エリス・ベルフェリア。
彼女は微笑を浮かべながら、同級生の令嬢二人と話していた。
「ねえ、エリス様。夜会、楽しみですわね」
「ええ、とても。王宮のホールで踊れるなんて、夢のようですわ」
そう答えながらも、彼女の瞳には冷たい光が宿っていた。
心の中では別の計算が働いている。
「(前みたいに褒められて、庇われて……そんな展開、もう二度とさせない)」
カトリーナの完璧な演技を何度も崩せずにきた。
彼女を傷つけずして悪役に仕立て上げるのは、もはや不可能。
ならば――舞台で、転ばせるしかない。
エリスは、紅茶をカップに注ぎながら、隣の令嬢へと微笑んだ。
その声は、あくまで柔らかく、しかし確かな毒を含んでいた。
「ねえ、あなた。……ひとつお願いしてもいいかしら?」
「な、なんでしょう?」
「ほんの少しでいいの。舞踏会の夜――彼女が通るタイミングで、ドレスの裾を踏んで転ばせて。あとは、私が助けるわ」
少女の瞳が一瞬だけ怯えを見せる。
だが、エリスは穏やかな笑みを崩さず、そっと指を唇に当てた。
「大丈夫。あなたの名前は、誰にも出させません。
――わたくしが、責任を持って演出しますわ」
その声は、まるで天使のささやきのように甘い。
けれど、その裏に潜むのは――冷たい策略の香りだった。
外では、夜の帳が降り始めている。
次の舞台の幕が、静かに上がる音がした。




