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僕らの推しはスーパーノヴァ

作者: 天埜鳩愛

 ぽつぽつ、ぱらぱら。足元を見たらアスファルトが見る間に水玉模様になっていく。そのあとはもう、すごい勢いで大粒の雨が落ちてきた。


「うわあっ、雨」


 朝から雲行きが怪しかったけど、天気予報よりずっと早い降り出しだ。

 僕は慌てて本の入った袋を胸に抱え走り出す。中身を絶対に濡らしたくなかったので、目についた喫茶店のひさしの下に逃げ込んだ。

 間一髪、本も自分も守れたけど、傘をもってこなかったから当分ここで足止めだ。

 鈍色の空が頭の上に広がっていて、あたりはどんどん暗くなっていく。風もどんどん激しくなってきて前髪が揺れて視界を塞がれた。

 うーん。まだまだ夏っぽい暑い日が続くなって思っていたのに、秋空は気まぐれで風に乗って当たる雨が冷たくて堪らない。ぶるりっと背筋が震えて二の腕に鳥肌が立った。僕はちらりと後ろを振り返る。

 今いるのは喫茶店のひさしの下だ。飛び込む瞬間に目に入った、いかにもおいしそうなパフェや色鮮やかなクリームソーダにナポリタンなんかの食品サンプルにワクワクと心惹かれる。

 朝昼兼用のパンを少し齧って慌てて出てきたから、ぐうぐうお腹がなって堪らない。そのままガラスに映った自分の姿を見た。

 中学生でも通るかもしれない目ばかりきょろっと大きい童顔に、湿気で余計に重たく見える前髪。長袖シャツにダボっとしたズボン。スニーカーはおしゃれ雑誌を見て親に強請って買ってもらった通学用からまだましで、今日のファッションでイケてる部分といったらこれぐらいだろう。だけど残念ながら通気性がいいスニーカーだから雨に濡れて靴下までひんやりしてしまっている。まあ、それはいいとして。どこをどう見ても高校生かそれ以下にしか見えない。

 残念ながら分煙していない喫茶店に未成年は入れないのだ。

 あーあ。真っ赤なケチャップが甘酸っぱくてピーマンのアクセントにジューシーなベーコンのナポリタン、食べたい。腹が減って堪らない。食後にクリームソーダもいいなあ。雨の憂鬱を吹き飛ばせるよね。

 店に入るのは諦めて、ガラスにもたれかかったまま俺はもう一度空を見上げた。

 どのくらいで止む雨なのだろう。袋を片手に抱え直して雲の流れを目で追った。

 スマホで天気予報をチェックしたけど、この雨は予報外だったのか閉じた傘マークがついてるだけで全然宛てにならない。

 残念ながら当分止みそうもないあ。バイト代が入ったから、今日は朝から即本屋に出かけた。待ちに待った大好きな漫画の第十五巻、他にもジャケ買いした数冊を抱えてる。買ったら即帰宅して、最新刊に目を通したあと全巻を読み返すつもりだっだ。土曜の今日は一日物語の世界に浸って過ごす、明日は一日バイトだからそのくらいの楽しみは許されるよな。

 なのにいきなりにわか雨に足止めを食らって、「はあっ、早く帰りたい」なんて溜息をついてぼそぼそ呟く。そしたら斜め後ろでカランっと扉についたベルが鳴る。俺は音に反応してビビる猫ぐらいぴょんっと飛びのいた。そしたら喫茶店のガラス戸を開け外の様子を伺う端正な横顔が目に入る。このイケメン、見おぼえある。「あっ」と大声を上げかけて慌ててそれを飲み込んだ。ばくばくばくっと心臓が高鳴り始めて痛いほどだ。なんで、なんでだ? どうして日比野君がこんなところにいるんだろ? 

 高校でこの春同じクラスになったばかりの、日比野侑斗(ひびのゆうと)君。

 この人何等身だろうって思わず指先で遠目に測っちゃうほど小顔で、佇まいが大人びて完成されたルックスをしている。

 目鼻立ちも整っていてとにかくビジュがいいってやつだ。いわゆるクラスのカースト上位で賑やかな集団の中にいても、すんっと澄ましたクールな雰囲気が逆に人目を惹いている。だけど俺にとって日比野君の印象はそれだけじゃないんだ。

 入学式後、教室で間近で彼を見つけた瞬間、心臓が止まるかと思った。なぜなら日比野君は僕が今まさに胸に抱えている少女漫画の推しキャラ、顔面国宝級アイドルの『アキ』にものすごく似ていたからだ。

 『アキ』は『ボーイズ☆ステージ』というアイドル漫画の中でデビューした七人組の一人で、主人公『ミツキ』とはオーディション番組の時から苦楽を共にしてきた相棒的な存在だ。

 歌もダンスも初心者ながら、熱い思いでアイドルを目指すミツキ。ミツキにとって、アキはライバルでもあり一番の理解者でもある。一生懸命だけど努力が空回りしてしまうミツキと、完璧主義がゆえに仲間への要望も強く孤立してしまうアキ。二人ははじめ激しく反発をしあう。グループの中でも最年少の二人は思春期真っただ中で、葛藤も他のメンバーよりずっと激しい。だが二人は親元を離れての寮生活の中でお互いに助け合い、励まし合いながら夢に向かって成長していくのだ。

 その推しであり憧れのキャラ「アキ」を実写化したらこんな感じかも! とか僕は勝手に日比野を重ねていた。

 息を殺して、窓と一体化している気持で目だけはギンギンに見開いて日比野君の横顔を見てる。

 ああ、やばい、ああ、今日もイケメンがすぎる。なんでこの顔でアイドルデビューとかしてないんだろ。世の中に見つけられてないの奇跡すぎ。特典しおり欲しさにわざわざ遠くの本屋まで来たかいがあったとしかいえんし。まさか最新刊買った帰りに日比野君に会うとか、ボク得すぎて死にそう。


 少女漫画からそのまま抜け出てきたような、目元が涼し気な綺麗系な顔がアキと似ている。だが骨格はしっかりしていて長身でスタイルがいいところも似ている。

 教室で日比野君の席は僕より前の方だから、ちらちら見てもバレにくいのが嬉しい。だからいつも制服風ステージ衣装を来たアキが近くにいるという妄想でつまらない授業も乗り切っているんだ。日々の潤いを僕に与えてくれるんだ。日比野君だけに。

 

 漫画のような偶然の出会いに俺はときめきを通り越して、興奮冷めやらぬ気持になった。

 日比野君も喫茶店の扉から雨の様子を眺めているようだ。いつ止むかな、と思っているのかも。声をかけてみたいけど、無理。こうして眺めているのが精いっぱい。推しの邪魔をするつもりはありません。

 それにさ、クラスの陽キャ集団にいる日比野君とと陰キャまでは行かないが普メンの僕では同じクラスメイトとはいえ何というか、違う層にいるみたい。顔見知り程度、取り立てて親しいわけではないし、僕の名前を憶えているかどうかだって微妙だ。声をかけて首とか傾げられたら泣いちゃうかも。

 だけど教室にいるときと違って、誰もいないこのほんの一瞬だけは彼が自分だけの為にそこにいるような気分になっちゃう。

 ごめんね。こんな風に男にじっと見られるのってきっといやだよな。不審者丸出し。だけど今だけ、この一瞬だけだから許してね。

 そんな風に心の中で詫びながらも、額から顎のラインまでが超絶に綺麗なその横顔をそっと盗み見た。シンプルな服装にエプロンを付けただけの姿でも、まるでこういうドラマの一部を見ているみたいに様になっている。エプロンってことは、ここでアルバイトでもしているのかなあ。それにしても絵になる人というのは何をしていても、どこにいてもこんな風に人の心を打つんだ。まるでドラマのワンシーン見たい。うんうん。素敵だ。

 そんな僕の至福の時間はあっけなく終わりを告げた。不意に突風が吹いて、店の前の看板に置いてあったメニューがかかれた看板が凄い勢いで音を立てて倒れたんだ。風の勢いに押された看板は止まらない。倒れた状態で、がりがりがりと音を立てて信号の方まで動いていく。

 あああ、まずいぞ。まずい。このまま車道に飛んでったら大変だ!

 僕はスマホをポケットに押し込むと、濡れるのも構わずに看板を追って駆け出した。

 短時間で水たまりができるほど局地的な大雨だから、こないだ下ろしたばかりの白いスニーカーはもう完全にご臨終……。でもいいや。そんなこと構ってられない。

 バシャバシャとアスファルトを蹴り、僕は看板をまず片手で抑え込む。そうしたら後ろから追いかけてきた日比野君が、僕のすぐ隣で助太刀するように看板に両手をかけた。

 その間僅か、一分あるやなしや。もうその場所は横断歩道の直前で、往来する人に当たったりはしなかったものの、赤信号で止まっている車にはあと一歩の距離だった。


「危なかったあっ」

「危なかった。ありがとうございます」


 二人同時に同じ言葉を言って顔を見合わせる。日比野が大きな目を見開いて「佐倉真秀(さくらまほろ)?」と呟かれた。


「ひゃっ、あ、ああ。はいっ」


 うそ! 僕、推しに認知されてたあっ! しかもフルネームって! 流石に顔は知っているとは思っていたが、きちんと名前を憶えて貰っていたとは驚いた。どんな顔をして何を言ったらいいのか分からない。挙動不審なほどばちばちと瞬きしてから、僕はやっとのことで「こんにちは」とだけ呟いた。

 身体を起こしながら木の小さな看板を持ち上げた日比野君は僕に向かって大きな手を差し出した。


「立てる? ずぶ濡れだな」 


 そう言われて初めて僕は咄嗟にびしゃびしゃの地面に片膝をついてしまっていたと気が付いた。ちなみに今日に限ってパンツも薄いベージュである、僕ってやつは……。膝はどろどろ、染みもひどい。

 日比野君が折角僕に差しだしてくれた手、だけど地面について汚れた手を出すの事が気が引けた。そうしたら日比野君がもっと腕を伸ばして迷いもせずに僕の手を掴んでくれた。


「きて」


 そのまま地面から力強く引き起こされ、何故か手を繋いだまんま、喫茶店まで駆け足で戻ってきた。

 なに、このシチュエーション、まるで漫画じゃん。『ボーイズ☆ステージ』でもアキが落ち込むミツキの手を引っ張って走るシーンがあったなあ。あの時は確か夜の公園に紫陽花を見に行ったんだっけ。

 なんて思って僕は自分がミツキになった気分で広くてしなやかなアキ君ならぬ日比野君の背中を穴が開くほどじっと見つめてしまった。

 喫茶店の扉についたベルがカランっと鳴った。そのまま日比野君が躊躇しないで中へと入っていこうとしたから、僕はびっくりして泥除けのマットの上で足を止めた。

「待って!」

 怪訝な顔で振り返る日比野を見上げて、僕はおずおずと彼の顔を見つめた。いや、ちょっと恥ずかしくて正確には顎のあたりで目線を止めちゃったけど。


「……喫茶店って未成年は入っちゃダメなんじゃ……」

「いいって。今、閉店作業中だし。客は誰もいないよ」


 いやいや、それじゃあ余計には言っちゃ駄目なんじゃあ。だけど手は相変わらずしっかり握られたままなので、従うしかない。

 初めて足を踏み入れたそこは、テレビドラマで見かけるような古典的な喫茶店だった。クラシックな空間が僕にはどっちを向いても物珍しくて、きょろきょろと店内を見渡してしまう。

 きっとこれが昭和レトロというのかもしれない。どこか古めかしい匂いと、染みついたたばこの香りが店全体に漂っている。大人の世界に急に迷い込んだ気がした。

 煉瓦色のソファーが並び、くすんだ白い天板のセンターテーブルの上には小さなガラスの器に赤い花が差してある。見覚えがあると思ったが、店の前に咲いていたゼラニウムだと納得した。


「クシュっ」


 結構濡れてしまって、雨のせいか気温がぐっと下がったみたいだ。今日はそんなに寒い予報じゃなかったから、僕は薄手の長袖シャツ一枚しか着ていない。すると日比野君がすっと僕の背後に回った。


「これ着てて」


 ふわっと身体が温かなもので包まれてから、それが日比野君がさっきまで着ていたパーカーだと気がつく。なにこれ、仕草まで全部イケメンかよ……、なんかいい匂いするし。


「ありがとう」


 ダボダボのパーカーに袖を通し、しばし最推しから手厚いファンサを受けたような心地でぼーっとしてしまった。その間に日比野君はどこをどう通ったのかいつの間にかカウンターの向こうにいて「こっち来て」と僕を手招きする。


「頭、とりあえずこれで拭いて」


 カウンタの前まで行くと、どこか知らない会社の名前と電話番号が書かれたタオルをカウンター越しに手渡された。このへんも、なんかレトロ。その後すぐ、目の前に氷の入った水とおしぼりとを置いてくれた。


「いただきます」


 濡れて汚れた手を拭くと、遠慮なくコップに口をつける。ただの水ではなくレモンの爽やかな香りが口の中に広がる。ほっとして席に座った瞬間、僕は抱えていた袋の事を思い出して血の気が引いて来た。

 袋の中から単行本と雑誌とを取り出してカウンターの上に広げておいた。


「わあ!!! どうしよう!」


 単行本はビニールがかかっていて無事だったけど、一緒に買った雑誌の方は角が水が沁み込んでる。慌てた拍子に濡れた髪からもさらに雨の雫が落ちて、表紙の『アキ』が泣いているみたいに雫が垂れてしまう、もう最悪だ。


「あああ、やっぱ濡れちゃってる」


 自分の事は二の次にして僕は借りたタオルで必死に雑誌の表紙を拭いていたら、カウンターの向こうから長い腕がぬっと伸びてきて、頭の上をふわっと乾いたタオルで覆われた。


「風邪ひくだろ。まず自分の頭ふけって」

「でも、でもこれ今拭かないと!」


 視界がタオルで遮られたから分からないが、感覚的に大きな手で頭を両側から覆われてわしゃわしゃと頭を拭かれている。クールな見た目と違って、意外と面倒見がいいみたい。

 そういえばさっきこの大きな手が僕を引っ張り上げてくれて、今は丁寧な手つきで僕の頭を拭いてくれているんだ。その仕草がアキの普段はクールなのに主人公にはさりげなく優しい仕草と重なって、ぼっと頬が熱くなる。

 僕は表紙をタオルで包むと手を止めて、素直に頭を差し出し、日比野君のされるがままになった。

するとイケボが「うちのワンコみてぇ」と朗らかに笑う。そう。彼は声もアキのイメージにぴったりだ。


「ひ、日比野君、もう自分でやるから大丈夫」

 すると手が止まったので僕は頭を上げる。すると二重がくっきりした綺麗な目が僕の事を見下ろしていて笑う。

「あー、よかった。お前、俺の名前知らないのかと思ってた」

「し、知ってるよ。知ってるにきまってるじゃん。同じクラスになってもう半年経つだろ」


 食い気味に応えたら、「ふーん」とかいいながら日比野君自身も頭にタオルを載せた姿でこちらを流し目で見てくる。まるでコミック4巻のシャワー上がりの色気漂うアキみたいでドキドキが増しましになった。


「さっき、吹っ飛んだ看板止めてくれて、ありがとな。事故でも起こしたら、なんで早くしまわなかったんだって、姉貴にどやされるとこだった」

「姉貴?」

「そ。ここ、姉貴の嫁ぎ先のじいちゃんの店。普段閉店した後の掃除に姉貴が手伝いにきてんだけど、甥っ子が熱だしたっていうから俺が代わりに来たんだ」

「そうなんだ」


 日比野君は何気ない仕草で濡髪をかき上げる。綺麗な額が出ているのがまた、いつもと違ってちょっと雄みがましてワイルドだ。ひう、濡髪、ちょっと乱れてた姿もカッコいい。思わず声に出して色々称賛の声を上げてしまいたくなったが、ぐっとこらえた。


「それ、ごめんな。看板追いかけた時に濡れちゃったんだろ?」


 明らかにファンシーな色合いの漫画雑誌の表紙が視界に入り、違った意味でお腹の当たりがひゅっとなった。や、やばい、日比野君にがっつり表紙を見られた。高校生にもなって、少女漫画が好きって引かれてるかも。

 言い訳、言い訳……。できるか? 雑誌もそうなら単行本もどこをどう見ても少女漫画だ。土曜日の男子高校生が大事そうに抱えていたアニメ漫画グッズ専門店の袋の中に少女漫画、こんなん言い逃れができると思えない!

 イマジナリー妹をでっちあげる? うち弟しかいないけど、それとも母のおつかいってことにする?

 苦しい言い訳が頭の中をぐるぐる回るけど、顏が真っ赤っかだろうし、目は泳いでるだろうし、明らかにおかしいってバレバレだろ。

 まさか君に似たイケメンが登場する少女漫画を愛読して日々ときめいています、なんて口が裂けても本人に言えないし! そしたらちょっと間があって、日比野君が長い指ですっと表紙の端っこを指さした。


「もしかして日比野も『スーパーノヴァ』好きなの?」

「え、ひゃい?」


 爪まで綺麗な指先を見れば、そこには実在するボーイズグループの写真が載っていた。


「すーぱー、のば?」


 癖なんだけどまた目をしぱしぱしながら日比野君の顔を見つめたら、みるみる彼の顔が真っ赤になっていった。


「え、あ。違うか。俺、勘違いして、はずっ」


 照れで口元を拳で覆う仕草も格好が良くて、ずるいなあと思う。アキ君の妄想新スチルを見たみたいにそっちにいたく感動してしまったが、よくよく表紙を見たら確かに『スーパーノヴァ』が載っていて納得した。

 漫画『ボーイズ☆ステージ』の作者の先生が大人気ボーイズグループ『スーパーノヴァ』の大ファンで、最近など絵柄も彼らの顔面に寄せているのでは、と噂が囁かれていたほどなんだ。

 新刊記念に『ボーイズ☆ステージ』が巻頭で表紙に来た今月号では単行本の帯と雑誌のシールを一緒に送ると有償だけど彼らと『ボーイズ☆ステージ』のアキとミツキが一緒に載った新規絵のクリアカードがもらえる。僕は普段は単行本派だけど、今回それ欲しさに雑誌を買ったといってもいい。


「あ? あ、ああ。『スーパーノヴァ』」


 でもボーイズアイドルグループの名前を日比野君がいうなんて意外だった。女子中高生に人気だけど、男子高校生で周りに推してるって声はほとんど聞かないから。日比野君はなんかまずいって感じに焦った顔をしてる。この顔は教室で見たことがない。心のストレージに撮りためておきたいところだ。

 それにしてもいきなり詰め込まれすぎた情報量を整理し、気持ちを落ち着けるために。僕は濡れた顔までタオルでごしごしっと擦ってすっきりさせてから顔を出した。


「『スーパーノヴァ』好きだよ。楽曲どれもいいし、デビュー曲のあのエモい奴とかプレイリストの先頭にいつもおいてて通学中、いつも聞いてるよ」

「俺もいつも最初にあれきく」

「おんなじだあ」


 まさかこんなところで憧れの相手との接点があるとは思わなくて、さっきまで声をかけようかどうかと悩んでいたことなど頭から抜け落ちてしまった。

 僕は好きな話はくそデカボイスで意気揚々としゃべりたい方だ。普段はこういう時、食い気味に話すと相手にひかれると思ってぎゅうぎゅう抑えているのだが、今はもうただただ嬉しくてテンションが爆上がってしまった。


「スーパーノヴァってさ! みんな背も高くて顔も爆イケだし。ダンスのスキルもすごいよね。年上のメンバーも年下のメンバーもみんな仲良くて和気あいあいとしているの和むし、最近CMでも雑誌でも見ない日ないし」


 すると日比野君が教室では見たことがない程、ワンコみたいな人懐っこい笑顔を浮かべた。


「そうなんだよ。日本だけじゃなく、世界中にファンが増えてるし、こないだ出たアルバムのコンセプトも神がかってたし、次のツアーでこっちきたら、絶対に行こうと思ってたんだ。こんな身近に『スーパーノヴァ』の話できる奴がいるとは思わなかった。俺、実は『ステラ』なんだ。小さい頃から姉貴と母親の影響で色んなグループのコンサート行くことが多かったんだけど、最近じゃ家族で『スーパーノヴァ』に嵌ってる。オーディション番組の時から」


 ステラとは『スーパーノヴァ』のファン名のことだ。日比野君が本物のファンなのだと納得してしまった。生き生きと目を輝かせて好きなものの事を語る日比野君に僕も刺激されてしまう。

 高校の同級生には少女漫画が好きなことを黙っていようかと思ってたけど、テーブルの上についていた手をぎゅうっと握ってどんどんっと相槌を打ちながら、「わかるぅ」とうんうん首がもげそうなほど大きく頷いた。


「実はさ、僕、『ボーイズ☆ステージ』から『スーパーノヴァ』知ったんだよね。先生が『スーパーノヴァ』を輩出したオーディション番組からヒントを得て漫画を描いたって言ってたから、デビューまでの道のりが分かる番組も全話みたし。最後とかマジで泣きそうになった」

「俺も月一で名場面集見返すほど見てる。こないだオーディションの時の番組の主題歌の曲やったライブ配信みた?」

「見た! もうさ、レイ君あの頃より、パフォーマンスすごく上手くなってたよね」

「身体が大きくなってて、ボーカルも安定してたな。成長期だし。年が俺らと一番近いよな?」

「だよね。番組参加した頃って、ちょうど今の僕たちと年が同じかもしかしたらちょっと下だよね」

「たしか、そう」

「僕が同じ立場だったら、あんな風に年上のライバルたちの中で一発勝負のライブにかけて、ふるい落とされないように必死で練習してってできるのかなあって思う。見ると胸がぎゅうっと苦しくなったり、熱くなったり。仲間がいるっていいなあ、夢を追いかけられるっていいなあって思うんだ。特にさ、絶対的に相手を信頼し合ってる、アキとレイとか、他にも相性のいい二人の仲良しライブとかああいうの、見守るのが好き。なんか胸がぽかぽかしてくるんだ。で、すげぇ羨ましくなる。僕もああいう人が欲しいなあって思う」


 僕は高校に入ってからも中学生の時も、そこそこ仲の良い友達はいたけれど唯一無二の存在というのはいなかった。学区域ぎりぎりの中学校に入学したせいもあって、周りはもう関係性が出来上がっていたからかもしれない。そのうえ部活にも入らなかったし、これといって打ち込めるものがなかった。だから仲間づくりができなかったせいもあると思う。

 今も昔も小さな教室の中で、その時だけなんとなくしゃべる友人達とは趣味の話は出来ないし合わない。心底楽しめる仲間は出来なかった。

 ただ一つだけ僕に居場所があったとしたら、それは小学生の頃から地元のダンスサークルだと思う。そこは女の子ばかりのチームで、男の子は僕一人。今でも地域のイベントで踊ったりはしていた。

 『ボーイズ☆ステージ』はそこでチームメイトの女の子たちに教えて貰って、ドはまりしたんだけど。そのダンスサークルも、受験生だった去年は一年休んでしまい、ごく最近復帰したばかりだ。

 せめてあそこに気の合う男子の友達がいてくれたらなあって思ってたっけ。ちょっとしんみりしていたら、「分かるよ」って言われたから、初めて真正面から日比野君の顔を見た。


「俺もそう思う。佐倉が言葉にしてくれて良く分かった」

「分かる? あーよかった。伝わって。でも、日比野君はさ、クラスの中でも陽キャ集団に馴染んでるよね。女子とも気楽に話してるし。僕はちょっとあのノリ無理。楽しそうだなって思うけど、中には入れない」

「馴染んでるように見えるか? 会話が合わなくて、いまいちかみ合わんから喋ってないだろ。あいつら二言目にはやりたいだの、女子と遊びに行くからお前も来いとか」

「あー。確かに。日比野君来たら日比野君目当ての女子の参加率高そう」

「……面倒だろ、そういうの。だからまあ、興味ある話しか喋らん」

「なるほど。だから無口なんだ。ずるいな、イケメンは。喋んなければクールっていって女子にキャーキャー言われて、男子に一目置かれるなんて、顔面強つよのやつはこれだから」

 日比野君がもう一度すっと腕を伸ばしてきた。タオルを受け取ろうとしているのかと思って顔ごと差し出したら、頬を指の背でなぞられた。

「ひぎゃ?」

「なんて声出してんだよ。ここ。さっきタオルで擦っただろ。ちょっと赤くなってる。あんま柔らかくないタオルでごめんな」


 すまなそうに少しだけ眉をひそめてそんな風に言われたら、顔面の暴力にはたかれて血でも吐いてしまいそうになる。前言撤回だ! 顔面だけじゃない。多分こういうこと無自覚に女子にしてるんだろうな。沼だ、沼。こいつまだ高一のくせして沼男要素がありすぎ。まあ、そういうとこもアキ君みたいで、嫌じゃないから困ってしまう。

 だってさ、俺は多分ちょっとだけ、女子より男子の方に興味があって、好意を持っちゃう自覚があるんだ。だからなんかちょっと好きって顔に出そうになるから、僕は重ための前髪で表情を隠そうって俯いた。あーあ。しゃべりすぎたかも。中学も高校も当たり触らず、人から嫌われることもなければ取り立てて死ぬほど好かれることもなく、どこにでもいそうなモブキャラとしての自分を自覚してきたのに。

 今初めて自分自身の持ちうる全部出しきって、人と喋っている気分になった。頭から湯気が出そう。じんじんてっぺんが熱い。顔も熱い。だってさあ、日比野君がこんなに近い。


「お前、喋ると大分イメージ変わるな。すげー喋るじゃん。面白い」

 

 おおおい、日比野君ったら俺のぺしょった前髪をかきわけるんだもん、なにすんだよ。顔隠させてくれよ! 恥ずかしいから!


「僕さあ、ずっと周りの男子でこういうの話せる相手って中々いなかったからさ。女子とは喋れたけど、女子は大体女子の友達が一番になるだろ。男子はなんか、みんなもっとなんかけっこう生々しい恋バナばっかしてるし、少女漫画好きとか言えなくて。あんなの読んで面白いのとか言われたら……、俺、怒って相手との関係悪くなるかも」

「佐倉って大人しいんだかはっきりしてるんだかわかりづらいね」

「よく言われる。明るいんだか暗いんだかわからないって。でもそんな風にどっちかで割り切れないだろ、人間は」

「急に哲学的だな。やっぱお前、面白い」

「あー、でました。おもしれぇ奴、貰いました。イケメンがいうとやばすぎる」

「あはは、なんだそれ。でもさ、いいだろ。別に今どき少女漫画が好きなぐらいで誰も引いたりしないだろ。引くならそいつが駄目だって」

「でもさ、『ボーイズ☆ステージ』はさ、ちょっとあの……」

 少年同士の熱い絆を描いているというとそれまでだけど、お互いの事を想いすぎて時には嫉妬をしてしまうことまである描写とかもあったりして。そうなんだ。あのお話、いわゆる少しだけBL寄りだと言われている。僕が少女漫画でさらにBL要素にも萌えて居るとかエクストリーム過ぎて流石に言えない。説明が難しい。男子高校生が少女マンガ好きでBL要素に萌えているって、ひっくり返って寝転んでまた立ちあがって右向いて、みたいにややこしいだろ。

 それに多分僕、日比野君の事ちょっと特別に、みちゃってるから。なのにさ。


「BLっぽいってこと? 別に姉貴の部屋いったらそういう漫画沢山あったから慣れてる」


 あっさり納得してるしぃ!


「ああああああ、そうそう。そうなんだけど……。その単語日比野君の口から聞くとなんか衝撃強すぎ」

「なんで?」

「だってさ、だって……」


 改めてまた顔を見たら、まるで僕が『ミツキ』で『アキ』に話しかけられているような妄想に囚われたのはオタクの妄想力のたまものだ。まあミツキみたいに『きゅるん』と擬音が付くような顔では日比野君を見つめていないとは思うけど。だけど日比野君がちょっと目を見開いて僕の顔をしげしげと見つめてきてぽろっと「すごいでっかい目、子猫みたい。可愛い」とか呟いてた。聞き間違いかもしれないけども。


「と、ところで。『ボーイズ☆ステージ』ってか、『スーパーノヴァ』で誰が一番推し?」

「それ聞かれると難しいな」


 日比野君は癖なのか口元に拳を置くと思案気な顔つきになり、その後雑誌の表紙にあるグループの写真の上を指先でぐるっと輪を描き囲った。


「基本箱推し。みんな好き」

「分かる~、全員キャラが立ってて誰一人かけても『スーパーノヴァ』じゃないって思うし、二人ずつの組み合わせでもカラーが変わって別の魅力がでてくるよね。モデルチーム、ダンサーチーム、バラエティーチームみたいに。でも僕はやっぱり不動のエース「アヤ」かな」


 何しろアヤは『ボーイズ☆ステージ』の僕の最推し、アキのモデルになった人物なのだ!

 グループで年齢も上から二番目、年下のメンバーへの気遣いも素晴らしくて優しく見守り時には励まし、みんなの精神的な支えになっている。気遣い上手でまさに漫画で言うところの「スパダリ」属性があるカッコいい人なんだ。


「俺もしいて言うならやっぱ『アヤ』だな。あんな風に自在に身体を動かせたら気持ちいいだろうなって思う」


 そう言われて、すかさず「同担」と深く頷いて手を差しだしたら、ちょっとまだ冷たい手で日比野君が握り返してくれた。

 そのまんま、僕は思わず「日比野君、アヤに似てると思う」とぽろっと口を滑らせてしまった。

 すると日比野君は耳の先を赤くして、さっき僕にそうしてくれたみたいに、頭に乗せたままだったタオルの端で顔をごしごし擦り始めた。


「……髪型、アヤ意識してるの、バレたか。佐倉には恥ずかしいとこばっかバレるな」

「や、やっぱりそうなんだ!」


 僕のヲタセンサーは間違っていなかった!!! 寄せてたんだ! 通りでにているわけだ! 握った手を離して顔を片手で覆う日比野君はなんだか可愛い。可愛くてカッコいいからやっぱりずるいと思う。


「周りは女の子のアイドルグループ好きな奴ばかりなのに、男子グループが好きとか」

「えー! 男子グループカッコいいじゃん。憧れる気持ちわかるよ! それに日比野君、そもそもビジュがアヤに似てるんだもん。寄せて何が悪いの? 僕入学した時からずっと思ってたよ。何にも悪くないよ。日比野君は俺にとってどっちかっていったら『ボーイズ☆ステージ』のアキの2.5次元って思ってたんだから。あー言っちゃったよ。本人の前で。すげぇ恥ずかしい」


 ついにいっちゃった。もうこうなったら、恥ずかしいついでに一発ガツンとかましやるぜ!

 僕は背の高い椅子からぴょんっと飛び降りた。


 今の僕の持ちうる全てをつかって表現して、こいつの視線、今度は僕に向けてみたいって心が震えたんだ。

 借りたパーカーを脱いで椅子の座面に置いて、僕は肩を上げ下げしたり、ズボンが張り付いて気持ち悪いけど、足を伸ばしたり縮めたりして軽く身体を動かし始めた。

 急に何すんだろって思うよね? 驚いてるね? 日比野君。

 急に何かをしでかしそうな僕の姿を日比野はカウンター越しに真剣な顔で見守ってくれてる。まるでアキが初めての振り付けに苦戦して、一晩中リビングで踊っていたミツキの事を見守っていた時みたいに。


「アヤはさあ、アイソレーションの神だからさあ。あれ、『ハートアタック』のサビのとこ、わかる?」


 スマホを取り出した日比野がすぐに『スーパーノヴァ』のニューシングル『ハートアタック』をかけてくれた。俺は身体を緩く動かしながらリズムに乗っていく。カウンターの端っこにあったCDラジカセがブルートゥースに接続した。小さなスピーカーから音楽が流れる。


 ここはそんなに広くない天日だけどカウンターとソファー席の間にちょっとだけ通路がある。

 僕は観客を煽るような仕草をしながら笑顔で身体を動かす。サビのフレーズに差し掛かった瞬間、曲のコンセプトである魅惑的な死神を彷彿とさせる嫣然とした笑みを浮かべた。

 思い描くのは、アヤの指先まで美しいダンス。悩ましいくいっとした腰つきや、しなやかに腕を振る仕草、全身の流れを途切れさせないぬるりと官能的なダンス。

 僕はたった一人の観客の為に、雨音と大好きな曲をバックに、憧れの人の前で踊る恍惚感はどこか夢の中にでもいるような心地に誘ってくれる。

 ダンスの師匠がいつも言ってるんだ。『ダンスの名人は髪の毛の先まで操る』。師匠のキレのある動きを踏襲し、指先はおろか髪の毛の動きにまで神経を行きわたらせる。


 ああ、やっぱダンス楽しい。久々に人前で踊るの、すごく楽しい。途中からはもう、楽しい方が勝っていて、日比野君がカウンターをでてこちら側まで来ていることにすら気が付かなかった。


「佐倉!」


 音楽が終わるや否や、僕は足元が浮いてしまう勢いで長身の日比野君に力いっぱい抱きしめられる。



「お前、すげぇ。アキの振り、完コピしてた」


 そのまま身体を腰の腰のあたりに手を回して持ち上げられて、勢いをつけてぐるぐる回られた。

 はわわ、目が回る。その上ソファーや机ぎりぎりだから怖くて参ってしまう。だけど日比野君の興奮が僕にも乗り移ってきて、踊り終わった後だけでない心臓のばくばく苦しいほどだ。

 文字通り『ハートアタック』を起こしてしまいそうになって、顔を真っ赤にしたままぱしぱしと日比野君の背中を遠慮なく叩いた。


「ちょっと! おろしてって!」

「ダンス習ってるのか?」


 なんとか足の裏は床についたものの、そのままお気に入りのぬいぐるみにでもするように逞しい腕にぎゅうぎゅうっと抱きしめられてしまった。日比野君のアイドル顔負けの美貌がぐっと近い距離で僕の事を覗き込んでくる。近い近い、止めてやめて。死にそう、色々死ぬ……。

 さっき『スーパーノヴァ』の話をしていた時と同じぐらいに輝いた笑顔を見せられて、キュンを通り越してぎゅぎゅっとハートが絞られる。学校でこんな顔を日比野にさせる相手、他にいるだろうか。


 今この瞬間は、僕だけが日比野君の視線独り占めできているんだ。


 いつもみたいに教室の隅から盗み見るのではなく、真っすぐに正面から。アイドルのステージを見ていた時みたいな高揚感に近いけど、それよりももっとすごい。だってリアルだから。


 この胸の高鳴りは誰かから与えられて、外から心をノックされたものじゃないんだ。

 僕の内側から沸き起こってドンドンと胸を打つリズムだ。

 ダンスの後で観客から拍手をもらった時にだけに訪れる達成感や満足感、そして少しだけ増す自信。忘れていたあの感覚を思い出して僕は唇をむぐむぐっと引き結んで泣きそうになるのを耐えた。下を向いたらまた髪の毛が影を落としてくれる。だけど日比野君にわしゃわしゃと頭をかき乱されて興奮気味に両頬を掌で包み込まれた。隠すのは許さない、って感じで、顔を明るい方に向けさせられる。


「佐倉、お前。前髪ないと顔の印象大分変るんだな? 凄く可愛い顔している」


 あああ、こいつはさあ。またそんなことを言って人の心を直に掴んで揺さぶってくる!

 やめてよ、やめて。心臓がもたない。ああああ、やばい、やばいぞ。

 僕は乱れた前髪を整えようと必死に手を額にやる。


「みないで! ニキビできてるから」

「別に気にならないけどな?」


 せっかく直したのにまた額を出させようとするから、僕は目を吊り上げて自分も手を伸ばして悪戯な日比野君の頬っぺたをきゅうっとつねって応戦した。


「こんな綺麗な肌してる奴に言われたくない! デコにニキビできやすいから前髪下ろしてるだよ。察しろよ!」

「前髪があると刺激で余計にニキビできやすい気がするけどな。もう一人の姉貴が美容師で、そんなこと言ってた気がする。」

「え……。そうなの? どうしたら日比野君みたいな綺麗な肌になるかな……。」

「俺は元々肌が強い方だけど、姉貴たちが買ってくるやつ適当に使っている」

「肌まで強い……」

「今度姉貴の美容室一緒に行ってみるか?」

「うん」


 素直に頷いたら、日比野君も満足げににこっとした。

 その笑顔、心のストレージにいただきます。

 はあ、神様は不公平だなあ。綺麗な人はどこもかしこも綺麗なんだもん。こんなに気のいい奴だなんて、惚れちゃう要素デカすぎて明日からまた姿を目で追いまくっちゃうよ。

 恋なんて絶対にしてやらない。したら、苦しくなる。今日だけ夢を見たってことで、今だけ、夢……。目を閉じて網膜に焼き付けようとか僕は変なことを考えた。うな垂れたら、顎をくいっとすくわれた。

 反射的に目を開ける。

 そしたら教室では見かけたことのなかった日比野君の蕩けるような満面の笑みが視界に飛び込んでくる。


「なあ、佐倉、俺もさ。心から信頼出来てなんでも……、好きなものも、嫌いなものも何でも話せる相手が、ずっと欲しかった」

 

 ああ、まるでキスでもされるようなゼロ距離感から繰り出される、日比野君の本心。

 なにそれ、なにそれ、僕にだけそんなことを言うの?

 沼オチ確定じゃん。

 僕は彼の長い腕の中から上目遣いに何度見ても見飽きない素敵な顔を見上げた。

 もっともっと、今だけだから、もっとしっかり見つめたい。

 前髪が邪魔。髪をかき上げて彼の温かい腕が背中に回ったのを感じて、僕も彼の背中に腕を回した。

 外は雨が上がっていたのか、光が窓から差し込んできた。眩い、夢から覚める一瞬みたいに。

 だけど夢なら、覚めないで欲しい。ずっとこのままでいたい。


「ならないか、俺たち、そういう、相手に」


 そういう相手っていうの中にはどこまでが含まれているのだろう。濡れたシャツをぎゅっと掴んでしまった。

 日比野君のいう、そういうのっていうのは多分友達の事だろう。だけどこの距離は友達の距離じゃないよね。ああ、もちろんキスはしちゃ駄目だろうな。でもしたいなあ。こんな距離で抱き合って見つめあうって、これは恋なんじゃないかと思うんだけど。違うのかな。

 でもさ。今、わざわざ確認しなくてもいいかなとも思った。アキとミツキだってオーディション編を通して色んな試練に立ち向かいながら少しずつお互いの存在を認め合っていったんだから。

 僕らの物語も今始まったって思ったら。ちょっとエモいよね。


「いいよ。なろう。そういうの」

 

 日比野君がニコッと微笑んだ。年相応の笑顔は可愛くて、僕はアキの分身みたいに思い込んでいた日比野君を、今初めて自分と同じように悩んで好きなものを全力で楽しんでいる同い年の少年だって思えたんだ。


「じゃあ、僕らのちょっとした試練編としてさあ。日比野君、僕と一緒に文化祭のステージ立ってみない?」

「え?」

「さっきの曲。僕がダンスの先生ともうちょっと簡単に二人用にアレンジした振りつくるからさあ。僕と一緒に踊ろうよ」

「また、急だな」


 日比野君の呆れた声にもどこか楽しそうな響きがこもっていた。


「ステージに立ってみたらわかるよ。僕等はアイドルじゃないけど、表現は出来る。見るのも楽しいけど、踊るのもやっぱ、すっごい楽しいんだ。うちの高校の卒業生が、うちのダンスのサークルに居てね、僕は中学生の頃にステージを見に来てた。それからずっと、文化祭で僕もステージ立ちたい、でもやめようかどうしよか、そう迷ってたんだ。一人で踊るんでもいいんだけど……。やっぱり誰かと踊ってみたい。誰かとこの湧き上がる感じ、共有したいんだ。それで今日、日比野と話して、目の前で踊ってみて決心がついたんだ」

「俺と?」

「やりたいことや表現したいこと、好きなことを好きっていうこと、そういうの我慢しない方がこんなに楽しいんだって。どっかで誰も僕を理解してくれる人はいないって諦めてた。ダンスだって、僕が躍らなく立って世の中には上手い人が沢山いるし。だけどそうじゃなかった。こんな身近に理解して応援してくれる人がいたんなら、世界に向けて発信したらきっともっと沢山いるよ。僕らみたいな人」

「そうだな」

 

 日比野君が僕を抱きかかえていた腕を離すと、カウンターの上に置いていたスマホの画面をタップする。

 もう一度ハートアタックが鳴り響いた。僕はぴょんぴょんその場で小さく飛び上がってリズムに乗っていく。もう日比野君から目を逸らさない。お互い向かいあってリズムにのる。

 サビに差し掛かる手前で、日比野が長い手を上に振り上げて合図をした。


「え!」


 向かい合わせで鏡を見るように、日比野がハートアタックの振り付けを難なく踊りだす。

 推しのパートなだけあって、雄々しくもセクシーな魅力あふれる動きを良く表現しきれている。窓の外は急に晴れ渡って、店の中も明るくなったから、そこに浮かび上がる日比野君を見て、ああこいつはやっぱり天性のスターなんじゃんって、僕は胸が熱くなってきた。


「教室でダルそうにしてるより、今の方が断然カッコいいよ!」

 

 推しに誉められた。やばい。お互いだけを映し、目と目で見つめあって、心が躍った。湧き上がる何かがそこにはあった。

 踊り終わった後、今度は僕の方から日比野君に向かってジャンプして飛びついた。


「なんだよ! お前踊れるんじゃん!」


 興奮してたから、無意識に大分砕けた口調なって、日比野君の腕の中に納まった。


「ここだけ、アヤがソロパート踊っているみたいに毎回カメラで抜かれるから覚えたんだ。ダンスは元々興味があって、高校からはダンス部にはいろうかとも思ったんだが……」

「言わなくていいよ。女子の間でお前を巡る争いが勃発したんだろ? 想像つくよ」


 日比野君は困ったような顔ではにかんだ、そんな表情だってさせてみたくて仕方ないぐらいに格好がいい。もしも自分が所属しているダンスサークルに呼んだとしても勃発しまうかもしれないが、元々少人数のサークルでもあるし、みな彼氏持ちだから大丈夫だろうと高をくくってみた。


「よし、じゃあ真面目に。三週間後の文化祭までにこのダンス仕上げて発表しよう!」

 

 ああ嬉しいって気持ちが全面に顔に出てたからだろう、「お前の方がアイドルみたいだな。きらきらしてる」なんて日比野君に褒められた。照れるぞ。


「うわ、身体冷えそう」


 くしゅんっとくしゃみが出たら、日比野君が僕の肩に両手を伸ばす。眩しいものでも見るような顔つきになってる。そのままそっと身体を引き寄せられた。


「なんだろうな、この気持ち。初めて感じる」


 耳元で囁かれた声が少しかすれていて、なんだかぞくっとしてしまう。

 そのまま僕を温めてくれるみたいに、腕の中に閉じ込められた。

 ああ、本当に暖かい。あったかいなあって、僕は彼のエプロンに顔を擦り付けた。エプロン越しでもあたたかい。しがみ付いて暖をとったら、ぽすっと日比野君の頭が僕の方に伸し掛かってきた。

 いい匂いがするけども、ちょっと重たいよ。


「……みんなに佐倉の事を、見せたいような。自分だけのものにして独り占めおきたいような感覚」

 独り占めかあ、僕も分かるよ。そういう感覚。

「僕も何度か感じたことがあるよ。これが多分キュンってするってやつだと思う。こういうの何度も味わいたいから、少女漫画読んじゃうんだよなあ。アキ様カッコいいし」

 

 そう言って顔を上げてたら、日比野君が秀麗な顔をむすっとさせた。なにそれ、カッコいいし可愛い。


「アキ様……」

「なんだその顔、そんな顔でもイケメンかよ」

「そのうち佐倉に、推しより俺のがカッコいいって言わせてやる」


 そんなヤキモチみたいな台詞を言われたら、特大のきゅうんっをもよおしてしまうに決まっている。


「それはこっちの台詞だよ。日比野君の視線、推しより沢山奪ってやる」

 

 潤んだ目で見上げたら、少しずつ日比野君の顔が近づいて来た。土曜の、喫茶店の、雨上がりの、二人っきり。

 互いに雰囲気に流されまくり、互いに自然い寄せられていく唇の距離。ドキドキしながら目を閉じようとしたその時、カランっと扉が鳴った。


「あー。ユウにい、キスしようとしてる~」


 額に保冷シートを張った幼児が母に抱っこされたまま僕らを指さしてきたから、続いてかかった推しグループの明るいラブソングが流れる中、日比野君は慌てて僕の事を腕の中に抱え込んで隠して扉に向かって背を向けた。


 二週間後、文化祭でハートアタックを完コピした二人の動画が「イケメンすぎる男子高校生コンビ『ハートアタック』踊ってみた」と生徒の一人に拡散されて大評判となり、そこに推しから「いいね」と『楽しく踊る姿がいい』とコメントを貰えることになり、事務所からお声がかかったりとかしたのだが……。

 それはまた別のお話だよ。


                                                                 終

 



 

 

 



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