7
次の日、二人は廊下ですれ違うが、お互いに挨拶もせず素通りする。
透は春香を横目に捉えたものの、何の感情も見せず、そのまま足を進めた。
透の冷たい態度に胸の奥がチクリと痛む。それでも、何もなかったように振る舞い、仕事へと意識を集中させる。
お昼時になり、春香は既に食堂にいたが、後から来た透に気が付き声をかける。
「先生……ご一緒しませんか?」
(不自然じゃないよね?)
表情、声のトーン、いつもと代わりないよう、昨日の事など何でもなかった事だと努めながら。
透はほんのわずかに躊躇し、それから少しだけ口角を上げる。『ああ、そうだな』そう言いながら、向かいに腰を下ろした。
テーブルの上に置かれたトレーの音だけが響く。気まずさが絡みつく中、透が静かに口を開く。
「……昨日はよく眠れたか?」
「あ、はい」
(お酒をたっぷり飲んで寝たとは言えない)
「俺は……酒を飲んだけど、あんまり眠れなかったな」
「お酒……飲まれたんですか?あまり飲み過ぎは良くないですからね、ほどほどに。」
自分の事を棚に上げて言うと、透は苦笑いしながら頷く。
「そうだな、ほどほどにしないと」
そのとき彼の携帯が鳴ると、透の目がわずかに細まり、一瞬だけ緊張した影がよぎる。そして画面を確認し、無言のまま通話ボタンを押した。
「はい、こちら神崎。はい。今行きます」
透は急いで食事を済ませ、席を立つ。『すぐに戻るから』そう言って徹は急いで食堂を出て行く。
(戻ってくるなら、また話せるかもしれない)
だが、彼の言う『すぐ』は訪れる事はなかった。
午後4時を過ぎても透の姿はなく、退勤時間が近づいていた。
(……電話、してみるべき?出なかったら、それはそれでいい。でも……もし出たら……)
『はい、こちら神崎』
「あ、先生?」
『どうした?』
春香は勇気を出して食事に誘ってみる事にした。
「お時間があれば夕食でもどうかと思って」
電話越しに、一瞬の沈黙。まるで透が何かを迷っているかのような時間が流れた。
『そうだな、夕食くらいなら行ける。場所はどこがいい?』
病院からほど近い居酒屋を時間とともに指定し、春香は透を待っていた。しばらくすると、時間通りに透が居酒屋に現れる。入り口で軽く周囲を見渡し、春香を見つけると、少し口角を上げて歩み寄ってくる。
テーブル席の向かいに席を勧め、『お疲れ様でした』と声をかける。
『春香も一日お疲れ様』その言葉に、ほんの一瞬だけ心臓が跳ねる。いつも通りなのに、なぜか特別に感じた。
運ばれてきたビールのグラスを軽く合わせ、二人は一口飲む。そうして乾杯をしてしばらくの間、他愛もない話を延々とする。
しばらくの間、楽しく会話を交わしていた二人だったが、いつの間にか酒杯が十杯を超える。
透の頬はすっかり赤みを帯び、目元もどこかぼんやりしている。ゆっくりとグラスを置く仕草すら少し頼りない。
ふと時計を見ると、すでに午前2時。店内には透と春香の二人だけが取り残されていた。いつの間にか二人とも酔っ払ってしまっていた。
透は微笑みながら、ふらつく春香をじっと見つめる。『春香、家まで送ろうか?』ほんの少し言葉が滲んでいたが、優しい声音だった。
「あ、はい」
少しだけふらつく足で立つ。透が支えようと手を伸ばすが、自分も酔っていることに気づき、ためらう。しかし結局、春香の腰を掴んで支える。
「ごめん、俺も酔ってるみたいだ」