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そばにいさせて

作者: 花河燈

「拓斗くんの何番目の存在でも良いから側にいさせてくれないかな」

ゴミ箱の中身を焼却炉に捨てに行っている最中の事だった。校舎裏で女子生徒が小笠原拓斗おがさわら たくとに告白していた所に遭遇してしまう。

本当に人気あるんだ…あいつ。

噂では聴いてたけど、まさかこの目で見ることになろうとは。二人に見つからないように木の陰に隠れた。

「何番目とか、いらない。好きな人は一人だけで良いから」

「…やっぱりダメかぁ」

「自分を一番だって言ってくれる人を探したら?」

そう言って、無表情で拓斗はその場を後にした。

私の知っている拓斗とは別人だ。

フラれた女の子は渡り廊下の所に待っていた友達と合流し、キャーキャー言っている。

「やっぱ、ダメだったよ」

 ダメだった割には、そこまで落ち込んでないらしい。

「なんか何十人も玉砕してるって話だし、ドンマイ」

「ダメ元だったし。でも、かっこよかった!!!一番にしてくれる人を探したらって言うんだよ」

 かっこいいよねと、むしろウットリしてる。

「余計惚れるやろー」

「うん」

女の子の方は、フラれたのになんだか嬉しそうなのが不思議だ。

それとは対照的な拓斗の表情が脳裏に浮かんでくる。

嬉しそうな顔をしてニヤけるとかもなく。

何の感情も動いてなかった。

あんな無表情なヤツだったっけ?

私の知ってる拓斗は全く違うイメージだったから違和感だけがつのる。

掃除の時の事が頭に残って、放課後の陸上部でも、つい短距離の拓斗がいる方を見てしまう。

同じ陸上部でも長距離の私とは練習メニューも違うから、ほとんど接点はない。

だから中学校に入ってから拓斗とは、顔を合わせたら挨拶するくらいの仲になっている。

拓斗は淡々とフォームを綺麗にするためのドリルをやっていた。

「可奈。誰に見惚れてるんだ?インターバルやるぞー」

よそ見をしていた私の頭をコツンと叩いて、二つ上の信之のぶゆき先輩が笑っている。ストレッチをやめて、先輩の後に続いて立ち上がる。

「違いますー!短距離のフォーム参考にしようと思ってたんです」

ちょっと苦しい言い訳をしつつ練習に戻った。

インターバルトレーニングは長距離選手の中で短距離が得意な方な私にとっては楽しいメニューだ。

貧血で長い距離走れない状態の今は特に嬉しい。

短めの距離をダッシュし、一定のジョグで繋ぐから唯一、みんなについていける練習だった。

スランプの私にしては凹まなくて済むから助かる。

ハードな練習を終え、家に帰った時に事件は起きた。



「えぇぇぇっ????マジで?なんで?」


「可奈、うるさい。まずは『ただいま』でしょ」

ママが苦笑いを浮かべ、玄関先で靴も脱がずにパクパクしてる私に苦笑してる。

だって、そりゃ驚くでしょ。

部活が終わって、へとへとになりながら『森家』の表札をくぐってみれば、ママの横に、さっきまで学校にいた筈の小笠原拓斗が立ってるんだもん。

「ただいま…ってか、なんで拓斗がウチにいんの?」

「おかえりぃ」

フワフワタンポポの綿毛みたいに拓斗が笑って、手をヒラヒラさせてる。

学校とは別人すぎて引きつり笑いが浮かんでしまう?

イタズラが成功したみたいな顔だ。

目を開くと大きな目なのに、笑うと糸目になるのが良いなって思う。

拓斗の笑顔は、口元にえくぼが浮かんで、心底楽しいですって顔になるから。

ちょっと可愛い…って、萌えてる場合じゃない。

「実は、拓斗くんのママさんが、お仕事で骨折って入院する事になってね。パパさんは単身赴任でいらっしゃらないから、その間ウチでお預かりすることになったのよぉ~」

ママが呑気に拓斗と『ねぇ?』とかいっつ和んでる。

…ママ、拓斗だって年頃の一応男なんですケド…。

小さい頃から一緒にいた、いわゆる幼馴染という感じだから解んないのかもしれないけどさ。

昔は私より小さくて色白で下手な女の子よりも可愛くて、いっそ私の方が男と間違えられてたくらいではあるから。

拓斗が男ってのを意識させないのかもしれないんだけど。

今では私より5センチは身長高いし、細いけれど声変わりもしてるし。

ジャニー◎顔負けの美少年って周りに言われてて、男子とは仲良くしてるけど女嫌いと有名で。

コミュ症を理由に女子を全く近付けさせないようなヤツなんだけど。

しかも、運痴だった昔と違って、なんでも出来るようになっちゃってる。

さっきの部活でも、校庭にあた美術部の女子達が黄色い歓声をあげながら拓斗の走ってる姿を描いてたくらいだもん。

昔は、体育の授業で跳び箱も跳べず上に乗っかっては涙目になってたクセに。

何より、学校一のモテ男になってるようなヤツと一緒に生活なんてしたら、女子全員に殺されるんですケド。

なんか、フラれる時に言ってもらえる言葉がカッコいいとの噂で、更に拓斗に告白する女子が急増してるらしい。

普段女子と全く話さないから話してもらえるだけで嬉しいとの事。

私が聞いた話だと

『せめて思い出に手を繋いで欲しい』

って言った子に

『ゴメン。触りたいって思う子は一人だけなんだ。君にも見つかるよ、君だけを見てくれる人が…。それまでそういうのはとっておきなよ』

なんて拓斗がスマートに断って。

『いいな。拓斗くんに触りたいって思って貰える子』

そう呟いた子に更にスーパーな言葉を上乗せした。

『でも、大事すぎて、おいそれと触れる事も出来ないでいる情けない男だから』

なんて少女漫画のヒーローさながらの台詞をぶちかましたらしい。

目の前で、さっきからニコニコしてるコイツのどこがクールでカッコイイのかと小一時間ほど問い詰めたい。

…にしても、拓斗にも触りたくても触らないような子がいる事に若干ショックを受けた。私にとっての拓斗は守ってあげたい感じの可愛くて可愛くて目の中に入れても痛くない位に溺愛してる弟って感じなんだけど。

いつのまにか私の知らない間に一丁前に恋をしてたんだ!

生意気な。

拓斗とは中学に入ってから、クラスが違うのも手伝って、ほとんど交流してなかったから、私と拓斗が幼馴染なのを知ってる人も少なかったりする。

同じ小学校から今の中学にきた子も少ないし。

「拓斗的には困るんじゃないの?」

外野の女子達が拓斗と生活するって知れたら黙ってないに決まってる。

それに拓斗に好きな子がいるなら誤解させちゃうかもしれないし。

「え?何が?むしろラッキーって感じなんだけど。可奈とクラス離れちゃって中々、学校で接点みつからないし」

ヘラって笑うんじゃない。

「ほらほら、拓斗君もこう言ってるし、イイじゃないのよ。その間は可奈の部屋一緒に使ってね。二階の奥よ。荷物は適当に置いておいて良いから」

「はいっ」

拓斗がスポーツバッグや学校バッグ一式を持って、階段を駆け上がっていく。

「え…」

 ママ…今、かなり問題発言ブチかましてくれた気がするんですけど。

 私の部屋を一緒に使えってぇ?????!!

 …イヤ…ないっしょ…。

 絶対困る。

…ってか、今朝寝坊して私、下着とか出しっぱなしにしてなかったっけ?

 目を白黒させている私に、ママがクスクス笑ってる。

「大丈夫よ~。可奈のカオスになってた部屋は片付けておいたから」

「あ、ありがと…って、そういう問題じゃないでしょ!!!あいつ一応男だよ?」

「拓斗くんだから大丈夫よ」

 どんな信頼デスか。

 たしかに拓斗は、私に懐いてる。

それはまるで、親鳥を見た雛のように。

刷り込みが入っているのか、私にだけ甘えてくるし、態度が違う。

学校では殆ど見せることのない、綿毛みたいな笑顔も、ガンガン見せてくれる。

それを可愛い…って思わなくもない。

いや、思ってしまうから困るわけで。

だって、拓斗が私に向けてくるのは、親鳥に向ける信頼のようなものだし。

でも最近の私は、ちょっとおかしくて。

拓斗のことを昔みたいに弟のように可愛いとは思ってなくもないけど、それだけではなかったりするから…。

本当に一緒の部屋とか無理。

蛇が脱皮するかのように可愛いからカッコいいに変わった拓斗。

守ってあげたいって思ってた幼稚園の時ならいざ知らず、今の状態はマジで無理。

最近の拓斗の変わり方に少し戸惑ってる私としては、どうしたら良いのか解らない。

心臓が飛び出る。

「ママぁ…」

半泣きで訴えれば、ママがポンと私の頭に手を置いた。

「拓斗くんに限って心配はいらないんだけどな。そんな心配なら寝る時だけママのベッドにこれば良い事だし。ね?」

ね?…じゃないよぅ。

優しいケド、言い出したら曲げないママの台詞にガクりと項垂れた。

一階で部屋着に着替えて、トボトボと階段を上って自室のドアを開ける。

チョコンと、テーブルの側に座ってる拓斗が目に入った。

…ちょ…、本当にいるんだけど。

って、当たり前なんだけど、拓斗が昔と変わらない無邪気な笑顔で手招きしてる。

「可奈、宿題一緒にやろ~」

こういう所は変わってない。

体は大きくなってカッコよくなっててもフワフワしてる。

この信頼しきった顔やこの緊張感のなさは、ママの言う通り、そういった意味での心配はいらないのかもしれない。

私は、筆箱、英語のノートと教科書をカバンから取り出して、拓斗と向かい合わせに座った。

「へへ、なんか久しぶりに可奈が近くにいる」

正方形の小さなテーブルなだけに距離が近い。

拓斗の睫毛までがハッキリ見えて鼓動が速くなる。弟的存在な筈の拓斗にこの動機はNGな気しかしない。

それを誤魔化すかのように教科書を広げた。

「はいはい。さっさと宿題やるよ?拓斗」

「うん、あれ?可奈の教科書、訳が書いてある」

拓斗が身を乗り出して私の教科書を覗き込んだ。

拓斗の整った顔が間近に迫って、思わず仰け反る。

息が触れそうな距離とか、ホント心臓に悪い。

「あ、コレね。隣の席の怜太が教科書忘れた時に書き込んでくれたの」

その時に、落書きまでされたのだと、教科書左下のイラストを指差してみせる。

怜太に言わせれば、私を描いたらしいんだけど、ここまで可愛くはないと思う。

ブイサインでドヤ顔をしてる。

「ふーん」

拓斗の目が一瞬、色をなくした。学校にいるときに近い顔をしたっていうのかな。

私が違和感を感じて首をかしげれば、拓斗はすぐにいつもの表情に戻す。

何もなかったようにノートを書き始めた。

「可奈、消しゴム貸して」

「いいよ」

ポンと、筆箱から取り出して拓斗の手元に置けば、拓斗が眉をよせた。

「何コレ」

貸した消しゴムをジっと見据えてる。

『俺の』って落書きされてる消しゴムに目をやって私はため息をついた。

「ヒドイよね。浩二に貸したら落書きされて、戻ってくるんだよ?」

「本当ヒドイ…ね」

拓斗から出てくる声が一段と低い。

目を離しちゃいけなかった…って私に聞き取れないくらいの早さで呟いた。

目を離しちゃって何から?怜太や浩二ってそんなに危ない奴だったっけ?

怜太は、女言葉を使ったりする癖はあるけど、いたって真面目な生徒だと思うし、浩二に至っては、拓斗と人気を二分するようなさわやか系イケメンだって有名だけど。

「拓斗?」

「なんでもない。宿題に戻ろ~。可奈のクラスも誰かを紹介する文を作れって言われてなかった?」

「言われたかも」

「なら、拓斗の事書いてよ。拓斗も可奈のこと書くから」

あ、小さい頃から変わってないとこ発見。

自分のこと拓斗っていう癖。

こういうのってなんかホッとする。英語の宿題だって二人でやるのってゲームみたいだ。

確かに拓斗の言う通り、紹介文ばかりで埋めれば、一気に宿題も終わるし。たまには良いこというじゃん…とばかりに私も書き始めた。

ただ、男子の事を書いてるって言われると周りの女子が煩そうだったから、全部『彼(He)を彼女(She)』に変えて。


「見せて見せて~」

書き終わった頃合いを見計らって、拓斗が私のノートを奪っていく。



She is junior high school student.

(彼女は中学生です)

She is member of the track and feald club.

(彼女は陸上部に所属しています)

She is a very good runner.

(彼女はとても優秀なランナーです)

She has many many many many many many many boyfriends.

(彼女は超沢山のボーイフレンドがいます)

She is very cute.

(彼女はとても可愛いです)


「可奈…コレ色々突っ込みどころ満載なんだけど?」

拓斗がノートを持ちながらプルプルしてる。

「なんで?なんか変なこと書いた?」

「まず、拓斗は『He』だからw陸上褒めてくれてるのは良いとして、男友達多くて当然だからね!これじゃ尻軽女みたいじゃん。…で…可愛い。可愛い…」

拓斗が自分で言って凹んでる。出来ればcoolかっこいいが良いな…と涙目で訴えてきた。

「嘘言ってないもん。拓斗はノートに何書いたの?」

拓斗のノートを取り上げて読み上げる。


You are my sunshine, my only sunshine.

(君は僕の太陽、僕だけの太陽だよ)

You make me happy when skies are gray.

(空が曇っている時も、君は僕を幸せにしてくれる)

You'll never know dear, how much I love you.

(僕がどれほど君を愛しているか君にはわからないだろう)

Please don't take my sunshine away

(僕の太陽をどうか奪わないで)



拓斗がドヤ顔でこちらを見てる。

うーん。素敵な文章だね。

こんなの拓斗に言われたら、学校の女子達はクラクラしちゃうよね?

…でも、コレさ。


「えへへ。良いでしょ?コレ」

無邪気に笑うな。

「拓斗。良いとは思うけど…コレ歌の歌詞全パクりだよね…ってか、私のこと紹介してなくない?」

「いやいやいや、拓斗の可奈へのアツい想いを」

最後まで言わせず、丸めたノートで拓斗の頭をポンって軽く叩いた。

拓斗のいう愛情は、親鳥に向けるものだな…って本気で思う。

意識してたら二人きりの部屋でこんな文章なんて書けるはずないもん。

「『私=太陽』…って事は、それだけ丸いって事?」

「や、そりゃ確かに中学入ってから、ふっくらとはしてきたな…って思…ぐ」

最後まで言わさずに、拓斗に蹴りを入れた。


「お風呂入りなさいよー」

ママの声が一階から聞こえ、拓斗を羽交い締めにしていた手を緩める。

「拓斗、お風呂だって。先に入って良いよ」

「えぇ~!折角だから一緒に入ろうよー」

 ニコニコ笑顔の拓斗が電車ごっこでもするかのようにのたまわった。

「は?」

何言い出してんの?コイツ…。

「ダメ?」

あざとさ全開の上目遣いはやめて欲しい。

「駄目でしょ…普通に。学校で拓斗君変態~ってなるよ確実に。先入って良いよ?」

「ちぇ~。なら、拓斗は後からで良い」

 ぶーって叱られた子供の用に唇を尖らせている。

「…まさか、途中で乱入しようって思ってないよね?」

「ぅぐ」

「…拓斗が先に入りなさい」

「ヤダヤダヤダヤダ」

拓斗が駄々っ子のように首をブンブン振った。まるで幼稚園に送った時にお別れを渋る子供のようで可愛い。

つい、ほだされてあげたくたるけど。

そこは無理でしょ…普通に。

「先に入った方が、湯が綺麗だよ?」

「拓斗にしてみたら、可奈の後の方がご利益ありそうだし。ほら、可奈優秀だし爪の垢を煎じて飲め的な?」

「人を出汁か何かみたいに言わない」

「まぁまぁ、マジで可奈が先にお願いシマス」

居候の身で一番風呂は気を使うからと、私が否と言えないような気遣いで私を部屋から押し出した。

いつもの薔薇の入浴剤を入れてお風呂に入る。

途中、拓斗が入ってくるのではないかとヒヤヒヤしてたけど、拓斗は入っては来なかった。

後から風呂に入った拓斗をリビングで待つことにする。

拓斗のはしゃいだ声が聞こえて、その無邪気さに意識するだけ無駄な事だと苦笑いを浮かべた。

「可奈のベッドの横に拓斗君の布団を敷こうかと思うんだけど、可奈はママの部屋で寝るの?」

風呂上がりの飲み物にって、ママがフルーツ牛乳をコップに2つ入れて持ってきてくれる。

「どうしようかな」

「可奈が私の部屋で寝るなら、お布団敷くの手間だし、ウチにいる間は拓斗君に可奈のベッド使って貰おうかと思ってるんだけど」

「え?!」

今、なんとおっしゃいましたか。

ママ様。

拓斗に私のベッドを使わせる??


え、拓斗の匂いが私のベッドにつくじゃん。

そんなの、拓斗ママが退院して拓斗がお家に戻ったあと、私が睡眠不足確定じゃん?

ムリだよ…それは。

なら、拓斗は私の事を女だとは思ってなさそうだし、安全そうだから、一緒の部屋で寝た方がマシ。


「どうする可奈?」

「自分のベッドで寝るので、布団を敷いてやってクダサイ」

息子が出来たようで嬉しいらしいママはご機嫌だ。

兄弟同じ部屋で生活してるのに憧れていたらしい。

スキップ状態で二階に上がっていくのを見送って、私はガクっと台所の机に突っ伏した。


「お風呂ありがと~」

白い肌をピンクにしながら、パーカーとハーパンで出てきた拓斗が可愛いすぎて萌え死にそうになる。

なんだろうこの可愛い守ってあげたいのと、カッコいいのが同居してる感じ。

変な色気ある。

でもゆるい雰囲気とは裏腹に、挨拶とか礼儀とかさりげにしっかりしてるんだよな。

こういうところ良いな…って思う。

フルーツ牛乳を差し出したら、嬉しそうにゴクリと飲み干した。

喉仏が上下するのをなんとなく見てしまう。

髪が濡れたままなのを発見して、拓斗を椅子に座らせ、新しいタオルを持ってきて後ろから拭いてあげる。

「拓斗、風邪引くよ」

「あ、ありがとう。可奈の手…気持ちいい」

基本、拓斗は人に触られたくないって公言してるのに、今も私に髪の毛を拭かせてくれてる。

たとえ親鳥扱いだったとしても、特別感があって、ちょっと嬉しい。

「冷たい?」

「そんな事ない。へへへ」

ふにゃんってアイスが溶けそうな顔をした。

少し顔も紅い気がする。

長湯して逆上せたのかな。

「どうしたの?」

「同じ匂いだな…って」

自分の腕の匂いとかクンクンしてる。

「そりゃそうでしょ。同じ入浴剤やシャンプー使ってんだから」

「そうだけどさ、なんか嬉しい」

そんなに気に入った匂いなら、今度入浴剤のメーカー教えてあげよう。

ご機嫌な拓斗がスキップしそうな軽い足取りで階段を上っていく。そして、私の部屋のドアを開いた瞬間、ビクっと固まった。

「どうした?拓斗」

「い…いや、何でもない。布団が敷いてあるなぁ…って」

 瞬きもせずに、部屋の入口で立ち尽くしている。

「だね」

 さっきママが布団敷きに階段上がってたからね。

「ここで…寝るの?」

案に私も?…って事だろう。

「だね。拓斗は布団ね」

 苦笑いで答えた。

「…」

 あれ?

何故か拓斗が固まってる。お風呂の時みたいに一緒に寝る?とか言い出すかと思ったのに。

「何、嫌なの?」

 失礼な。拓斗の分際で!

「や。やじゃない。むしろ大歓迎…なんだけど。う…嬉し過ぎて眠れないかも…なんて」

 引き攣り笑いを浮かべてる。

「そんな繊細じゃないでしょ」

背中を押して、躊躇する拓斗を部屋の中に押し込んだ。

次の日の朝、拓斗の目の下にクマが出来ていたから案外、繊細なのかもしれない。



「可奈~♪」

1限目の休み時間。次の教科の準備をしようとしていた私の耳に、学校ではほとんど聞いた事のなかった拓斗の声が届いた。

学校でのクールさとは180度違う、ウキウキした拓斗の声音に女子全員が振り返る。

 普段の学校で見る拓斗は女子に何か話しかけられても『ああ』とか『うん』とか『別に…』って答える程度の薄い反応しか返していないらしいから。

 たとえるなら、一匹狼なイメージからウサギに変貌したくらいのギャップがある。

 私も告白されているところを見て、はじめコレが拓斗なの?って思ったくらいだもん。

『えぇー?あの拓斗君がなんで可奈ちゃんの名前呼んでるの???』

的なオーラが凄い。

背中に刺さる視線が痛かった。

恐る恐る廊下のドアに目をやれば、笑顔全開の拓斗がヒラヒラ手を振ってる。


やれやれとばかりに私が席を立つよりも先に、何故か浩二と怜太が拓斗の所に歩いていった。

三人が揃うとアイドルユニットか何かのようだ。

爽やかを絵に描いたよう浩二と茶道が似合いそうな美人系の怜太、クール(といわれる)な美少年の拓斗の揃い踏みである。

モテ男たちの集まりに、女子から黄色い声が上がった。

様子を伺ってみると、コソコソ話を交わした後、三人は肩を組んで互いを茶化し合ってるようだ。

コミュ症って普段言い放ってる癖に、拓斗は男友達を作るのがやたらうまい。

多分、浩二は陸上部で一緒だからわかるもしても、怜太は今日初めて喋ったんだろうに、旧知の仲のようだった。

確かに、拓斗が女の子達と話してるところは、ほとんど見た事ないけど、コミュ症なら男友達を作る事だって難儀な筈だから。

名前を呼ばれたものの、廊下に出るべきかどうか迷ってたら、今度は3人に手招きされた。

あとが怖いと思いつつ、女子の視線をかわしながら廊下に出る。

「何?拓斗」

「うんとねぇ、今日一緒に帰らない?…って言いに」

ちらっと、怜太や浩二の顔を見た後で、拓斗がニコって笑った。

なんか、素直な拓斗らしからぬトゲのようなものを感じたのは気のせいだろうか。

「え?そんなのアリ?なら俺も一緒にかえりたいし」

浩二が吠える。

「なら、僕も一緒に帰る」

怜太までもが話にのってきた。

「浩二は部活が一緒だけど、帰る方向違ったよね?怜太は帰る方向は一緒でも部活が違うから時間がズレちゃうよね?」

私が素朴な疑問を口にした瞬間、二人がガクリと項垂れた。

「せっかく、一緒のとこ帰るんだから良いでしょ?」

拓斗よ。

私より高い場所から器用に上目遣いで聞くな…萌える。


「「なんだよそれ」」


浩二と怜太の声が被った。

「可奈と一緒の家で生活してんの。ね~ 可奈」

二人の顔が固まる。

それと同時に教室の中までがシーンとした。

あ…あとが大変そうだ。

空気で自分の運命が解る。

きっと質問責めにあうに違いない。

少しの沈黙の後、え?同棲してんの?…的な騒めきが教室の中からも聴こえてくる。

軽く目眩がしてきた。

「あ…うん。昨日から少しの間ね」

拓斗の家の事情を説明したら、やっと二人が納得してくれる。

「でも、昨日は一緒に寝たもんね」

拓斗が空気を読まない台詞をぶちまけた。

「…正確には同じ部屋なだけで、布団は違うから!!」

部屋数が少なくて、仕方がないのだと説明する。

全く。

拓斗のヤツ、枕が変わって眠れなかったっぽいし、睡眠不足で変なテンションになっちゃってるんじゃないの?

「にしても。何その美味しいシチュ」

浩二が舌打ちし。

「ウチのクラスの級長に指一本触れたら許さないんだからね」

怜太が女言葉で、拓斗を指差した。下手な女子より美人になるからたちが悪い。

「こんな可愛い拓斗くんが、可奈に何か悪さするわけでないじゃない」

拓斗まであざとく子鹿のような顔で目をくるんとさせる。

「「可愛こぶるな」」

浩二と怜太のツッコミが又々重なった。

なんだかんだ言って気があうなぁ。

二人とも心配しすぎだし。

拓斗本人の言う通り、こんな人畜無害系の草食動物を絵に描いたような子が何かする筈もない。

『好きじゃない子は触りたくないから触らない』

『好きな子は触りたいけど大事だから触れない』

なんて公言してるような子だもの。

二人は誤解してる。

可愛こぶるんじゃなくて、拓斗は可愛いんです。

クールって言われてるけど、こっちが本当なのー。

ってちょっと得意げな気持ちになる。

「可奈、気をつけろよ。何かあったら俺に頼れ」

さりげなく、空手の市大会10連覇もしてる浩二が携帯番号の紙を渡してきた。

「僕もかけつけるから。これでも柔道黒帯だから」

怜太もそれにならう。

あれ?天使のような拓斗がちっ…て舌打ちをした…気が。

「拓斗?」

「ん?何?可奈」

気のせいだったっぽい。

ホットケーキの上に乗せたバターが蕩けるようにフニャって笑う。

クラスの女子達から歓声が上がった。

中学校に入ってからというもの、学校で笑った顔を見せた事がないっていう噂の拓斗の笑顔に女子たちの悲鳴が物凄い。

確かに、小学校の時でさえ外では、あんまりこういう表情しなかったかも。

幼稚園の頃は普通にこんな顔ばかりだったから私としては違和感がないのだけども。

でも、なんか嬉しくない。

そんなダラシないカオをするな!

今まで皆んなが見たことのない顔を私だけ独占出来てたのに。

そう思ったらムカムカする。

ゴンって拓斗の頭に八つ当たりした。

「痛い痛い痛い」

そう言いながらも拓斗は超笑顔だ。

「「何、その笑顔。ムカつくんだけど」」

浩二と怜太の声が又々被る。二人から蹴りを入れられても、拓斗はヘラっと上機嫌さを崩さなかった。

「拓斗、調子に乗るなよ!敵は俺らだけじゃねーんだからな?」

浩二が一瞬真顔になる。

「敵が多いのは、今に始まった事じゃないし」

浩二に向き直る事で私に背を向ける形になったから、拓斗の顔が見えないけど、若干声が堅い気がした。

「同級生にチェックを入れてる事位は知ってるさ。部活一緒だしな。でも他にもいるのを見落としてるぜ…って話」

「…それって」

拓斗の声が更に低くなる。

「敵に塩送るかよ。せいぜい可愛こぶりながら、化けの皮が剥がれないように守ってやれよ?」

浩二がそう言って教室に戻っていく。

「可奈が怪訝そうな顔をしてるわよ?」

怜太がニコっと笑う。

そして私の頬に手をのばした。

怜太に女言葉を話されると、中性的な顔なだけに男子っていう事を忘れてしまう。

「あら?可奈のホッペにホコリついてる」

「ありがとう。怜太」

 普通に女友達に言うようにお礼を言った。

「礼なんか言わなくて良いよ。こんなセクハラ野郎に」

拓斗が唇を尖らせてる。

ん?

いつものふて腐り顔なんだけど、目が険しい。

怜太を手でシッシッと追い払った。

「もう…消毒」

拓斗が私の頬に手を滑らせる。

そのカオがいつもの拓斗の無邪気なカオではない、大人の男の人みたいで。

なまじっか整っているだけに、ドラマの中にでも入ったような錯覚に陥る。

その瞬間。

一気に鼓動が速くなった。

ヤバい…多分、私…顔が真っ赤だ。

気付かれたくなくて、拓斗を力一杯殴り飛ばした。

「拓斗のバカ!あんた前の時間体育で外駆けずり回ってたでしょ?その手で顔触ったら、ばい菌塗り付けてるようなものじゃん」

「…あ。そっか。ごめん洗ってくる」

「そういう問題じゃないでしょ」

拓斗を廊下に座らせてお説教モード全開で腰に手をあてれば、叱られている犬のようにシュンとしてる。

やっぱ拓斗は可愛い。

…でもそれと同時に、私のホッペを触ったって事はさ。

拓斗にとっての触りたくても触れられない相手という訳ではないんだな…って事がわかってしまって、なんかちょっと胸が痛い。

弟みたいにお気に入りって思ってるのなら、痛くはならない筈なのにな。

その理由を知りたくなくて、見ないふりした。


そして。

休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴って、拓斗は後ろ髪を引かれながら、自分の教室に帰っていった。

席に戻った瞬間。

同じ陸上部で仲良しなりんちゃんが声を掛けてくる。

目がキラキラしてるのに嫌な予感がした。

そういえば、凛ちゃん拓斗の事前々から美形って叫んでたっけ。

凛ちゃんはスポーツ万能で積極的な子だから、聞きたいことはズバズバ聞いてくる。

「可奈ちゃんって、拓斗くんと仲良いんだね」

「ハハ、幼馴染だしね」

「羨ましいなぁ。拓斗くんと一緒に住めるなんて」

「そっか?」

「代われるものなら私が一緒に住みたいかも」

意味深に私の目を見て微笑んだ。

なるほど。

拓斗を狙ってるって宣言デスか。

凛ちゃんは色白で可愛いくて、本人もそれ自覚してるから、狙った獲物は逃がさないって、校内で密かに有名だしな。

拓斗の隣に並ぶ凛ちゃんを想像したら胸がキュって締め付けられた。


「あはは。拓斗のママが怪我して入院しちゃってるから、仕方ないんだよ」

頑張って笑顔でいようとするのに、とってつけたような笑顔になってしまう。

先生が来たよって凛ちゃんに促した。


そして授業が終わった後の部活。

拓斗や浩二や凛ちゃんは短距離だから陸上部と言っても交流はない。

長距離の私が、先輩達とペース走をしてる時に、拓斗と凛ちゃんが話してるのが目の端に入ってきた。

浩二もそこにいたんだけど、普段誰とも話さない拓斗が珍しく相手をしてる。

心の中にモヤモヤが拡がっていくのを感じて、軽く首を振った。

「調子悪い?一回抜ける?」

三年の信之先輩が背中を押してくれる。

ペース走は効率良いフォームと心肺を強化する為に決められたペースで集団で走るトレーニングだ。

遅れるわけにはいかない。

だから信之先輩の言葉に首を軽く横に振った。

「無理するなよ?」

信之先輩は2歳も年上なのに先輩後輩の分け隔てなく接してくれる。

走っている時は真剣なんだけど、それ以外はとっても気さくな人で、毎日のようにLINEくれたり、体調を気遣ってくれたりして1番大好きな先輩なんだ。

頼りになるお兄ちゃんって感じ。

私の体調の変化にも敏感で、貧血にもいち早く気付いてくれた。

今も貧血で、選手としては使い物にならない私を気遣ってくれてる。

小学校の頃は県大会でも上位取れてたくらいだったのに、今の私は何の取り柄もない。

信之先輩は大会に出たら、毎回上位の人だし、拓斗も浩二も凛ちゃんも活躍してる。

私だけが何も出来てなかった。

今も、無駄に切れる息を持て余してる自分が悔しくて仕方がない。小学校の頃はペース走も余裕だったのに。

こんな所で自分に負けたくなかった。

「まだいけます」

荒くなった息で信之先輩に答える。

「いや、抜けた方が良いって」

その言葉に首を横に振った。

先輩が止めるのも聞かずに走り続けたら、何周目かで急に足が上がらなくなって視界が暗くなる。酸欠かな…と思った時には遅かった。



「「「可奈!!」」」



何人かの声と、足音が耳の端に届いたのを最後に意識を手放してしまう。


次に気付いたのは、保健室のベッドの上だった。

茜色に保健室全体が染まっている。

時計に目をやれば17時を指していた。

冬時間になり部活が終わって生徒たちは下校してるハズの時間だ。

ベッドの周りに人の気配を感じて見回せば、拓斗と浩二と信之先輩がいた。

「…あ、私」

「気が付いた」

拓斗がホッと息をついた。

「無茶するなって」

浩二が、苦笑いしてる。

「列から抜けろって言っただろ?たまには先輩の言う事に従いなさい」

普段は上下関係を取っ払ってる信之先輩が珍しく、私を先輩という立場から窘めた。

三人の顔を見たら、とても心配をかけた事がイヤってほど分かる。

三人の顔が憔悴しきっていた。

「ごめんなさい」

叱られた子犬のように項垂れる。

本当に最近の私は足手まとい感しかない。

なんで迷惑ばっかかけてるんだろう。

「可奈さん、貧血の時は無理厳禁よ。医者には行ってるの?」

保健室の先生が腰に手を当てて、呆れている。

「はい。鉄剤も飲んでます。だから平気かな…って」

「貧血は戻るまでに3.4ヶ月はかかるから、焦ったら駄目よ」

「分かりました」

夏休み明けに診断されたから12月の持久走大会までに戻るか戻らないかという事だった。

少しずつ楽にはなってきてる。

運動場一周走っただけで息が切れて走れないって事はもうない。

ただ11月に入ったのに、中々元の速さまでに戻らなくて、焦っている自覚はあった。

皆んなに心配をかけてしまった事が情けない。

「そういえば拓斗のヤツ、可奈が倒れてからのダッシュの速さヤバかったんだぜ?」

シュンとしてしまった私を気遣ってなのか浩二が明るい声で話し出した。

「え?」

拓斗の方を見れば、バツが悪いのかムと口を尖らせている。

「ちょうどたまたま同時に足を攣った凛が、拓斗に助けを求めてたんだけどさ。凛を見捨ててに運動場の反対側にいる可奈に向かって一心不乱に駆け出した」

「え、凛ちゃん平気だったの?」

正直、選手底辺な私と、凛ちゃんなら陸上部の短距離エースの足の方が大事だと思う。

「大丈夫、近くにいる先輩に、足攣ったみたいだからヨロシクって頼んどいたし」

凛ちゃんが大丈夫だったならいいか。

全くこれだから、親離れ出来ない雛鳥は…。

私の後を付いて回ってた頃の拓斗に戻ったみたいで少し嬉しい。

「俺も同時に走り出したのに追いつけなかった」

これでも、校内最速なんだけどな。どこにそんな力を潜ませてんだよ…と浩二が拓斗にエルボをくらわせた。

「でも、結局間に合わなかったし」

ムムムムムと眉間に拓斗がシワを寄せて信之先輩を見据える。

「可奈、もっと食った方が良いよ。軽すぎ」

信之先輩がウィンクした。

「信之君、王子様みたいでカッコよかったわよ。お姫様だっこして、荷物持った家来二人連れて入ってきた時には」

保健室の先生がウフフと笑う。

お…お姫様だっこ…されちゃったンスか…私。

きっと、皆見てたよね…。

恥ずかしいすぎる。

「拓斗が運ぶって叫んだのに、信之先輩がフライングしたから」

恨みがましいジト目で拓斗が信之先輩を睨んだ。

「聞こえなかったしな。短距離にいるからだろ?出遅れた方が悪い。すぐに運んでやった方が良いに決まってるだろ?」

「だから、我慢したんです~」

拓斗がふて腐った。

「力なら俺が一番あるから、本当は俺が適任だったんスケドね」

上背も横もある、ガッチリ体型の浩二が細身の信之先輩や拓斗を見て言う。

「信之先輩も浩二も帰っていいよ。方向違うし」

拓斗がシッシッと追い払う仕草をする。

「おま、先輩に向かってその態度」

信之先輩がケラケラ笑いながら拓斗を羽交い締めにした。

「冗談はさておき、二人とも遠いでしょ?そろそろ帰りなさいよ」

学区の端に位置してる信之先輩と浩二が渋々帰路についた。

二人が抜けただけで保健室に静寂が訪れる。

「可奈さんは…起きられる感じ?」

「あ…はい。大丈夫です」

「何なら拓斗がオブっていってあげるよ」

「いい。潰れそう」

「これでも力強くなったんだからね!可奈くらいなら拓斗だってお姫様だっこできるし」

拓斗が力こぶを出してみせる。

たしかに昔よりはるかに逞しくなったな…って思った。

でも、今の拓斗にオンブや抱っこはムリ。

心臓が壊れるから…。絶対。

「なら、荷物だけ持って」

私のバッグ、忘れ物をしたくなくて全教科入ってるから、殺人的に重いけど。

「…可奈、これ何の罰ゲーム」

前後ろに、学校指定のナップ。

両手にスクールバッグを持った拓斗の姿がアニメに出てくる『やられメカ』のようで、思わず笑ってしまう。

「ゴメン、ゴメン。無理なら持つよ。もう平気だし」

私が手を出したのに首を横に振って拓斗は歩き始めた。

同じ家に帰るんだな…って思ったら、なんかくすぐったくなる。

「可奈と一緒に帰るの久しぶりだね」

「うん。お腹減ったね。ご飯何かな」

そう言いながら、家に帰る私達はまだ知らなかった。


ママの書き置きに悲鳴をあげることになる事を。



『親戚のおじいちゃんが亡くなったのでパパと通夜と葬式に行ってきます。3日分の食費を置いていくのでよろしくね。拓斗君と喧嘩しないように ママより』



「えぇぇぇっ!!!!????」

置き手紙を持つ手が震える。

ママやパパがいないって事は、この家に拓斗と二人きりって事?

…ない。

マジであり得ないんだけど?

あ、でも雛鳥な拓斗にしてみたら、私を異性としては見てないだろうから平気なのか。

やったーって同居が決まった時みたいに無邪気に笑うのかな。

チラリと拓斗の顔を盗み見れば、拓斗も珍しく口を押さえて固まってる。

若干顔が赤い?

今日の練習疲れたのかな。

荷物持たせたの、重すぎた?

熱でもあるのかな。

「…拓斗?」

「っ!!」

熱を測ってあげようと思っておデコに伸ばしかけた手を掴まれる。

思ったよりも骨張ってて大きな手にドキッとしてしまう。

拓斗の瞳がいつもと違う。

獲物を捕らえるような鋭さと熱を帯びている。

今まで見たこともない拓斗に戸惑いを隠せない。

「…なに?」

掠れた声が私の口から漏れた。

「あ…今、ちょっとヤバいから。…放っておいて」

拓斗の声がいつもと違う。変に艶やかだ。

「え?マジで大丈夫?熱でもあるの?」

「…平気だから…ちょっと数分待って」

拓斗は私の手を離すと、トイレに逃げるように篭ってしまう。

ダイニングに取り残された私は、まず冷静さを取り戻そうと深呼吸した。


うん。


不測の事態なんだから仕方がない。

私みたいに頼りない奴と二人で生活するのが不安なのかもしれない。

しっかりせねば!

とりあえず晩ご飯の用意をしよう。

炊飯器をチェックしてご飯がある事を確認し、重要な事に気付いてしまう。

家庭科の調理実習を除いたら、私は一人で料理を作った事がない。

しかも、家庭科の班の子曰く、若干ヌケた所がある私には皿洗いの仕事しか回ってこなかった。

まともなものが作れるかどうか。それすらわからない。

さて、どうしたものか。

卵焼きくらいならママが作るところを見てたし、出来るかもしれない…と、高い所にあるアルミのボウルを取ろうとして、指をすべらせてしまう。


ガラガラガッシャーンという派手な音が室内に響き渡る。


何事かと慌ててトイレから出てきた拓斗がプっと吹き出した。

「…可奈は椅子に座って待ってれば良いよ。晩御飯は拓斗が作ってあげるから」

ニコって、いつものユルい顔に戻ってる。

拓斗はテキパキと冷蔵庫から肉や野菜を取り出した。

野菜を切る包丁捌きが慣れていてコックさんみたいだ。

片手で卵を割って、フライパンをフライ返しなしで綺麗に返す。

片方でみじん切りにした野菜を炒めながら、片方のコンロでスープを作ってる。

料理上手なママに負けず劣らずな手際に瞬きも忘れてしまう。

「拓斗、料理上手できたんだ。意外」

「あ、うん。親仕事でいない事が多いから一人でご飯作って食べる事多いんだよ」

そういって並べられたのは、ポトフとオムライスだった。

ケチャップを渡されたので拓斗のオムライスに大きく花丸を描いてあげる。

口で素直に褒められない私の性格を知り尽くしている拓斗は、それだけで嬉しそうだ。尻尾があったらブンブン振っているのが簡単に想像できた。

「「いただきます」」

二人で手を合わせた後食べ始める。

見た目以上に美味しい料理に目を見開いた。

「拓斗、いつでもお嫁にいけるよ」

「なら可奈がお婿さんになってよ」

 なんか、この雰囲気良いな。ままごとしてるみたい。

 でもさ…ここは普通私がお嫁さんでしょ。

「私が男だというのか、拓斗は」

たしかに、我ながら女子度低いな…とは薄々感じてはいたけれども。

やっぱり女扱いされてないんだ。

ちょっと凹む。

顔で笑って心で泣いてやる。

「食べたら、鉄剤飲んで先にお風呂はいってらっしゃいね」

完全に奥様になりきってる拓斗が食べ終わった食器を片付けながら、ニッコリ微笑んだ。


 先にお風呂に入らせてもらう事にして、じっくりお湯に浸かる。

 美味しいご飯を食べた後のお風呂は最高だった。

 練習で疲れた体をゆっくり休める。一日目ほど緊張せずに入れたのは拓斗が入ってこないって解ってるからだろう。

いつもより長めに浸かってしまう。

お風呂から出て来たら、拓斗がソファに腰掛けて、リビングのテーブルと睨めっこしていた。

何を睨みつけてるのか気になって、視線の先を追えば、私のスマホがチカチカ点滅しながらLINEの着信を告げている。

「拓斗?」

「あ、うん。LINE来てるよ。信之先輩から。ゴメン見る気はなかったんだけど」

少し不機嫌な拓斗が机から取って私に手渡してくれた。

トップページに新着内容が表示される仕様だから、見えてしまって気まずいのかも。


『可奈、貧血は大丈夫か?』19:00

『拓斗に何もされてない?』19:01

『あいつ色々ヤバそうだから』19:01

『心配なので返信するように』19:02

『心配だよ』19:03

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:04

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:05

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:06

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:07

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:08

『まさか拓斗の野郎Σ(゜д゜lll)俺の可愛い後輩に…』19:09


どうやら私がお風呂に入ってる間中、送られてたらしい。

信之先輩、心配性すぎる。

これじゃ拓斗が不機嫌になるのも無理はないかも。

全く信用されてないもんね。

濡れた髪の毛を拭いていたタオルを首に掛けて、ソファに座り返信を打つためにLINEの画面を開いた。

いつのまにか、ソファに座っていた筈の拓斗が私の後ろに移動してる。

「今日は拓斗が髪拭いてあげるね。可奈は、打ってて良いから」

首に掛かってたタオルがスルっと引き抜かれて頭に被された。

拓斗が宝物でも弄るように優しく水気を取ってくれる。

『可奈?無事か?変なことされてないか?』

返信を打つ前に、次々と送られてくる。

《返信遅れてすみません。お風呂に入ってました》

私が送れば、間髪入れずに返信がきた。

よほど心配なんだな。

この分だと両親がいないなんて言ったらヒドイ事になりそうだから、言わないでおこう。

『風呂???!!!余計ヤバいじゃんか!!湯上りの可奈とか濡れ髪とかだとマジヤバいから!拓斗が近くにいるなら今すぐ離れろ』

「…ヤバいのは先輩の方だろうが」

先輩のレスが髪を拭きながら見えるんだろう。

拓斗が低く呟いた。

いつもの柔らかい口調ではなくて。

《平気ですって!拓斗に限ってそんなことするわけないですもん。悲しませたくないんだっていつも言ってるくらいなんで》

打った後で、拓斗にねぇ?…と同意を求めて斜め後ろを見上げた。

目が合ってニコっと笑えば、拓斗が片手をタオルから離して口元を抑えた。

「ちょ…可奈。色々…信用しすぎだからね」

拓斗が困ったように眉を下げる。

『戒律とパンストは破る為にあるから。絶対あいつ真っ黒だから』

先輩の返信に、拓斗が舌打ちする。

「真っ黒なのは先輩の方だろうが。可奈、マジで警戒心足りないよ」

「え?なんで?」

意味が分からずに首をかしげる。

「先輩、可奈をガチで狙ってるよ?部室で二人きりとかなったらダメだからね」

「え?そんなわけないでしょ。信之先輩、可愛い後輩が…って」

「言ってるだけって事もあるから。人を信用しすぎだよ?」

拓斗が髪を拭く手を止める。

「いやいやいやいや。ないでしょ。普通に」

色気ゼロだし、モテる方でもないから。

『〇〇が可奈好きだって』って噂を耳にする事はあっても、実際に告白とかほとんどされた事ないし。

「っ」

拓斗がいつもと違う。苦い物食べたみたいな顔してる。

「拓斗?」

「…どうするの?先輩が言うように拓斗、可奈に手を出したくて仕方がないのかもよ?」

「え?」

後ろからグッて抱きしめられた。

いきなりで、頭が回転しない。

え?

なんで拓斗が?

ええ?

コレ抱きしめられてる?

なんで?

拓斗の頬が私の頬にくっついてる。

何が起こってるのか把握できなかった。

心臓が破裂する。

「どうする?ほどけないでしょ?」

 耳元に拓斗の声がかかって、ビクっとなってしまう。

思ったより力が強くなってて、回された腕を振り払う事も出来ない。

「拓斗?」

「もし、拓斗がその気になったら襲っちゃう事だって出来るんだから」

耳元で囁かれて、全身が硬直してしまう。

拓斗は私を嗜める為にやってるだけなのに私だけが意識してしまってる。

それが悲しかった。

好きな人には触れないって言ってる拓斗が私には平気で触れるんだ。

「拓斗はしないもん。そんな事。先輩はどうか知らないけど、拓斗だけは信じてるもん」

涙声になってしまう。

それに気付いた拓斗が慌てて手を解いて前に回り込んだ。

「ごめん…傷付けるつもりなかった」

いつもの優しい顔と声に戻ってる。

「拓斗のバカ、アホ、カス」

半ベソで文句を言えば、拓斗が困ったように笑った。

「うん。ごめん…今のは拓斗が完全に悪いから」

頭を幼子をあやすようにポンポンと撫でてくれる。昔は逆だったのにな。

なんか私の方が雛鳥みたいだ。

チラっと手に持ったままのスマホを見たら、また信之先輩からのLINEがいっぱいになってしまっていた。


『返信止まったけど平気か?』

『おい?なんかあったの?』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』

『返信希望』


あぁ、どうしよう。

なんて返せばいいんだろう。

「貸して」

拓斗が私の手からスマホを奪っていく。

「え?」

「拓斗が打ってあげる」

サササと流れるようにフリックして送信ボタンを押して、私にスマホを返してくれる。

《安心して良いっスよ。俺、先輩と違って戒律とパンストは破らない主義なんで。ここから宿題やるんで先輩も受験勉強ファイトっス。じゃ》

返信不要の投げ捨て的な投稿だった。

そこから、スマホゲームをやろうとした拓斗の首根っこを捕まえて、リビングで宿題をやり始める。

「えぇ~。せっかく可奈のママさん達もいないから羽伸ばせるって思ったのに…」

「《戒律とパンストは破らない主義》なんでしょ?有言実行しなきゃ…ね?」

ニッコリ口だけの笑顔を浮かべる。

「ゔゔゔ」

今度は拓斗が涙目になりながら、課題を終わらせた。

そして、全部が終わって床につく。

真っ暗だと寝られないから豆球をつけてベッドに入った。

中々寝付けられないのか拓斗が寝返りを何度も打ってる。

「拓斗。起きてる?」

「…うん」

「一つ聞いていい?」

「うん」

「拓斗って好きな人、いるって本当?」

ずっと聞いてみたかった疑問を投げかければ、拓斗が息を呑んだ。

室内に掛け時計の秒針が進む音だけが響き渡る。

「いる」

やっぱ、いるんだ。ヤバ…なんかダメージでかい。

そのダメージのデカさで、拓斗への気持ちが昔の弟みたいに好きって気持ちと今の気持ちが違ってしまっているのに気づかされる。

でも認めたくない。

拓斗とはこのままでいたいから、まだこの気持ちに名前はつけたくなかった。

「どんな子?」

平静を装って聞いてみる。

「天然な小悪魔。拓斗はいつも振り回されっぱなしだよ。その子のためなら何でもしてあげたい」

優しそうな、愛おしくてたまらないって声。

なんて胸が締め付けられるような声を出すんだろう。

「そっか」

 私の言葉の後、沈黙が訪れる。

 そして、少しした後、切ない拓斗の声が室内に響く。

「でも、それと同じくらい苦しい。拓斗だって男だから、好きな人抱きしめたいし、 それ以上のことだってしたい」

欲望を持て余したような熱情のこもった声だった。

「でも触れないんだって、告白された子に言った事あるって聞いたよ?」

「冗談ならともかく、本気では触れない。触ったら多分止められない」

さっきは、相手が私なら余裕で触れたし、私がテンパっただけですぐやめてくれるくらい余裕だったのに。

拓斗に想って貰える子が羨ましかった。

「そんなに、好きなんだ」

「好きだよ。本当に…手に入るなら、他には何もいらないくらい」

拓斗は絞り出すように吐き出した。

切なくて聞いてるこちらが泣きそうになるような声音だ。

「幸せだろうね。拓斗に想われてる子」

気持ちが届くと良いねと続け、拓斗に背を向けた。

「…だと良いな。お休み…可奈」

「おやすみ」

触れない子というので、部活の時の凛たゃんの顔が思い浮かんだ。

好きだから足が攣った凛ちゃんに触れなかった?

唯一、学校で拓斗が女子と話してるのを見た事があるのは、凛ちゃんだけだもん。

もしかしたら拓斗が好きな人は凛ちゃんなのかもしれない。

そう思ったら、涙が出そうになる。

こんな洗濯機でグルグルまわされるような気持ちなんて一生しりたくなかった。

バレないように寝たふりを決め込んだ。


「…いつまで、かわいい弟でいなきゃいけないのかな」

夢現の中、拓斗の声が聞こえた気がした。


 翌日、学校に行ってみたら、信之先輩にお姫様抱っこされた事が噂になっていて引き攣り笑いを浮かべてしまう。

 信之先輩も困ってるだろうな。

 私なんかと噂立てられて。

 信之先輩ファンの女子たちからも恨みがましい目を向けられるし。

 昨夜の拓斗に後ろから抱きしめられた方のインパクトが強すぎてすっかりわすれてたけど。

こちらの噂は噂で先輩に申し訳がないので勘弁してほしい。

「え?ちょっと。どういう事なのかしら」

 その場にいなかった怜太が不満そうに唇を尖らせている。

「先輩合憲発令だもんな俺がその役をやりたかったのに」

 浩二も不満たらたらだ。

「貧血の馬鹿ぁぁぁ、一回先輩に謝りに行った方が良いかな。これは」

 私が言えば、怜太と浩二がやめておけと止めた。

 浩二曰く。

「行けば、噂が現実にされるにきまってる」

 だそうだ。

 そんなわけないのに。

 二つも年下の子供なんてそういう対象になる筈もない。

 先輩から見たら、私なんて意地張って迷惑をかけてしまう手のかかる妹のようなものだろう。

「拓斗も同意。先輩のとこには行かなくて良いと思うよ」

一緒の家に住むようになったからか、拓斗がウチのクラスに来ることが格段に多くなった気がする。

「なんでお前がこの一組に来るんだよ」

浩二がうんざり顔で追い払う仕草をした。

「酷いなぁ。本当は嬉しいく、せ、に」

拓斗が浩二にしなだれかかる。

BL好きな女の子達から歓喜の声が上がった。

凛ちゃんも嬉しそうに目を輝かせてる。

「拓斗くん、最近よく来るね」

凛ちゃんが浩二達の所に行って拓斗に話しかけた。

「うん。逢いたい人がいるから」

拓斗が、普通に笑顔で答えてる。

応えて貰った凛ちゃんが、よそ行きの甲高い声で、「えぇ?誰…」って聞きながら、期待の眼差しを拓斗に向けてる。

あんな風に、いかにも気があるって感じで、可愛くされたら、男の子なら誰でも好きになっちゃうよね。

その光景を見てるだけで気持ちが下がってくる。

やっぱ、凛ちゃんが好きなのかな。

そう思い始めたら、教室にいたくなくなってしまう。


拓斗がこちらを向いて、手を振ろうとしたけど。

気付かないフリをして、手元の本に目を落とした。

だって二人が話してるの見てたくないもん。

だから次の休み時間は、拓斗が来る前に図書室に逃げ込んだ。

陸上部の三年の井上先輩と会ったから、入れ違いざまに会釈をした。

運動部の人でも本を読むんだな…って、自分のことを棚に上げて、失礼な事を思ってしまう。

誰もいない所で一人になりたかったから、死角になる棚と棚の間に身を滑り込ませて、読みかけの本を読み始める。


頭には入ってこなかったけど、教室にいるよりはマシだから。

図書室の静寂に身を置くことにする。

本の埃を含んだ匂いが不思議と落ち着く。



「あれ?さっき井上がココで会ったって言ってたんだけどな」

読み始めて数分も経たない間に、信之先輩が来た。

図書室の扉の前で仁王立ちしてキョロキョロ誰かを探してる。

井上先輩と会ったのは私だから、探してるのは私?

これは。

私と付き合ってるって噂になってしまってることへのクレームかな…。

呼ばれる前に出て行こうとして、思い留まる。


「邪魔」

という聞き慣れた低い声と共に、信之先輩が前につんのめったから。

「イッテェなぁ。誰だよ」

「図書室の扉の前で立ってたら邪魔ッス」

聴こえたのは拓斗の声だった。

なんで顔を合わせたくない本人が来るんだよぉ~!って死ぬほど思う。

二人に見つからないように息を潜めた。

「それが先輩に対する態度かぁっ!」

信之先輩が部活では聞いた事のないケンカを売るような剣呑な口調で拓斗に言い放つ。

「…」

拓斗はシレっとソッポを向いた。

「無視かよ。それで、お前何しに来たんだよ」

信之先輩が舌打ちする。

「いや、どうせ先輩も探してる相手一緒でしょ?」

拓斗の声も氷のように冷たい。

保健室で見た、漫才みたいな掛け合いではなかった。

「さあ?」

「あいつドコっすか?」

拓斗がクルっと視線を図書室に向ける。

自分から話しかけてるくせに、信之先輩の顔すら見てない。

表情は全く顔に出ていない、クールと言われる私の知らない拓斗だった。

「知ってたとしてお前に言うと思うか?」

「…知らないンスね」

 冷たく嗤う。

「は、何故分かった」

「『戒律とパンストは破る為にある』なんて言ってる衝動的な奴が見つけてて声掛けてない訳ないから」

小馬鹿にしたような絶対零度の顔。

私が見たことない顔がまた現れる。

「なっ…!!!」

信之先輩が口をパクパクさせた。

「俺なら、絶対そんなことしないし」

拓斗が自分の事『俺』って言ってる。

いつも私の前では甘えたような声で『拓斗』って言ってたのに!


…誰?

ここにいるのは誰?


「お…お前こそ、本性こっちだろうが!!何、無害装って、かわい子ぶってんだよ」

「似合ってないッスカ?」

口元を歪めてシニカルに笑う。

拓斗が大人の男の人みたいだ。

「ふてぶてしく、ムスっとしてて普段愛想笑いもしねぇようなヤツが、急にキャラ変えして、周りの女子達が大混乱してるぞ?」

「…ハッ」

どうでも良さそうに、拓斗が髪をかきあげた。

「二重人格なの?お前」

「別に、どうでもいいやつら相手に表情筋動かすのが億劫なだけだし」

「クールな拓斗君が、ヤバいくらいあざと可愛い時がある~…って年下趣味の3年の女子までが騒ぎ始めてるぜ?」

どんだけモテるんだよ…と信之先輩がボヤく。

「…フン、どうでも良いし」

心底、モテる事になんの意味もないとばかりに拓斗はメンドくさそうに図書室の窓を眺め目を細めた。

「そこまでして、あの子に媚びてんじゃねーよ」

「キャラ変え…ってワケじゃないンスけどね。…しいといえばガキの頃に戻してるだけだし」

「子供っぽくして油断させようって魂胆かよ」

信之先輩が吠えた。

すると拓斗が一瞬目を伏せて苦笑いを浮かべる。

なんか私が見た事ない顔ばっかりだ。

いつのまに、外見だけじゃなく中身まめこんなに成長してたんだろう。

「いや、我ながら無理あるとは思うし…。ま、周りからどう思われても関係ないっていうか」

その表情が酷く大人びていて私は目を見開いた。



「…あいつが…望んでるから」


「は?」

信之先輩があっけにとられてる。

私も拓斗の声の優しさに、池の中に雫が落ちるようにドキンと鼓動が跳ねた。

「だから…一緒に住んでたとしても、信之先輩が心配する事にはならないっすよ」

手を出す気は毛頭ないからと拓斗が静かに言った。

「お前も、あの子が好きなんだよな?」

信之先輩の言葉に、私の心臓が一気に鼓動を早めた。

自分の心臓の音で、二人の声が聞こえなくなりそうなくらいだ。

拓斗はなんて答えるんだろう。

息を潜めて、耳を澄ませる。



「好き…って言葉で足りないくらいには?」


拓斗の切ないような自嘲するような声に息を呑んだ。

私自身その言葉を欲しがっていた事が嫌ってほど分かる。

心の中がブワって灯油撒いて引火させたみたいになったから。

でも、拓斗が私に見せないようにしていた心の中を、私が覗いて良いわけがなかった。

私がここにいたらダメだ。

聞いてはいけない領域だって本能が警鐘を鳴らす。

でも逃げようにも本棚の隙間に身を潜めているから、私には逃げ場所がなかった。

「そんなに好きなら、キャラ変えなんかせずに、口説けば良いだろ」

「だから、あいつが望んでない事はしたくないって言ってんの。あいつが弟的な俺を望んでいる以上、それに応え続けるだけだ」

拓斗、無理してたんだ。

私の望むままにしてくれようとしてた。

急に成長した拓斗にどうしたら良いか戸惑ってた事に、拓斗は気付いてて。

できるだけ変わらないように私の前でだけしてくれてたんだ。

「お前が弟キャラでいるからって、手を抜いてヤル気ねぇよ?俺だって本気だから」

信之先輩が戦線布告する。

それを拓斗が解ってると小さく頷いた。

「絶対傷付けたくないんだ。あいつに手を出すなら、あんたでも許さないし、傷付けるのが俺なら、俺自身でも許さない」

拓斗の真剣な瞳が、信之先輩を射抜く。

その気迫に信之先輩が小さく息をついた。

「…お前、ちょっと見直した。俺なら同じ部屋で寝るってなったら、自分抑える自信ねぇよ。お前枯れてんの?」

「…なわけないだろ。あんたはバカか」

拓斗の口から敬語が消える。

「ちょ、先輩に向かってバカはないだろうが」

「好きな相手、目の前にして平気な訳ないッス。触りたくて触りたくて気が狂いそうだし。俺の頭の中は多分アンタ以上にイカれた事思ってると思うし」


え?今…なんて言った?

下ネタのシの字も出さない、清廉潔白な拓斗とは思えない台詞なんだけど。

イカれた事…っていうのが具体的に何かが分からないけど、分かりたくないようや気がした。



「ムッツリか」

信之君が眉間に手を当てる。

「フン」

 あ、ソコ否定しないんだ…

「なら、地獄なだけじゃねーの?一緒に住むのって」

「まぁ…それはそれで。そばにいられるからいい…自分の欲求押し付けて、あいつの笑顔がなくなる方が嫌なだけ。幸せに笑ってられるなら、どれだけでも可愛い弟でいてやる」

 拓斗の言葉に、鳥肌が立った。

 どれだけ想ってくれてるんだろう。

 ダメだ。

 認めたくないなんて言ってる場合じゃない。

 こんなの聞いてしまったら、認めないわけにはいかなかった。

 拓斗が近くにいて胸が高鳴るのも。

すべて拓斗の事が好きだからだ。

拓斗の言葉と共に昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り始めた。

「あ、クソっ。貴重な受験生の昼休みをお前と話して終わるとは」

信之先輩が舌打ちする。

「それはコッチの台詞っす」

「結局、あの子何処にいたんだろうな」

「…さぁ?」

二人の声が図書室から遠くなっていく。

一つ大きく息を吐いて、私は本を本棚に返し教室に戻った。

頭の中は真っ白で、午後の授業も部活も心ここに在らずになってしまう。

だって、拓斗の好きな人が私だって解ってしまったから。

どうしたら良いんだろう。



今日もまだママ達は帰ってこないのに、拓斗と二人きりの夜がまた来ようとしてる。



「可奈~見て見て!クッキー焼いてみた」

 私が貧血の薬を医者に貰いに行っている間に焼いたらしい。

 どおりで家の玄関を開けた時にバターの良い匂いがした筈だ。

 拓斗の気持ちを知ってしまって、どんな顔をして同じ部屋にいたら良いのかと悩んでいたのに、エプロン姿の拓斗を見たら一気に脱力してしまった。

学校の図書室での事が嘘みたいに無邪気に笑ってる。

 自然過ぎて、思わず肩の力を抜いてしまう。

 それ以上に格好も格好だったのだけど。

 だってママが台所に掛けてあったヤツだから、白いフリフリのエプロンなんだもん。

 カフェエプロンだったら、逆にドキドキが増幅されてヤバかったかもしれない。

 ママのフェミニン趣味にちょっと感謝した。

 キッチンテーブルに置かれたトレーの中には可愛い動物の型抜きをしたクッキーが並べられている。

 リスにパンダにクマにウサギに。

 プレーンクッキーとココアクッキーの二色で可愛く作られてる。

 これ、下手な女の子より上手いんじゃないかな。

 …っていうかお店出せそう。

「可愛い可愛い可愛い~!!」

 目がハートになる。

 モロに趣味なんだもん。

 丸っこくデフォルメされたファンシーな動物とか最高に可愛い。

 甘い物も大好きだから自然と笑顔になる。

「へへへ、近くの雑貨屋でこの型を見た時、絶対可奈のツボだって思って」

 紅茶を淹れてくれながら、拓斗がニコって笑った。

 ミルクを沸かして作ったロイヤルミルクティーだ。

「わぁ、ロイヤルミルクティー大好き」

 クッキーを食べながら、それを飲む。

 どちらも美味しくて、顔がフニャンって緩んでしまう。

「良かった喜んでもらえて」

 拓斗も同じようにフニャンって笑った。

 美味しいものをご馳走になったんだもの、拓斗がお皿を洗ってる間に洗濯機にかける。

 これくらいなら私でもできるから、とお風呂洗いをしながら洗濯が終わるのを待った。

 洗濯物を洗濯機から出してカゴに移して二階の寝室に持っていこうとする。

室内干し用に寝室に洗濯を干すスペースがあるから。

 カゴを片手に階段を登り出したところで、キッチンから慌てて出てきた拓斗が走り寄ってきた。

「ダメダメダメダメ!ちょっと待ったー」

「え!?」

 振り返った拍子にバランスを崩して階段を踏み外してしまう。

 あ、ヤバ落ちる…っと衝撃に備えたけど、その衝撃はいっこうに訪れはしなかった。

 なぜかって。

 拓斗が私を受けとめたから。

「危な…ゴメン急に声掛けたから」

「あ、うん。それより拓斗は平気?」

 声が直接、拓斗の胸板から伝わってくる。

拓斗の上に馬乗り状態になってる事に気付いて、慌てて退こうとしたらかなわなかった。

拓斗が私を背中に回した手を自分の方に引き寄せられたから。

「平気…ゴメンちょっとだけ、このままでいて」

 抱きしめられて、呼吸が止まりそうになる。

 拓斗の心音と自分の心音が混ざって、どちらの音かわからなくなった。

「…あの時、図書室にいたでしょ?本棚と本棚の間」

 切り出されて、今度こそ息をするのを忘れてしまう。

「…な、んで」

 解ってたの?と続けようとするけど言葉にならない。

 見つかってないと思っていた。

「図書室の窓に映ってたから、拓斗と信之先輩の話聴いてたよね」

「…」

 言葉にできずに小さく頷いた。

「拓斗が好きなのが誰なのか。さすがに可奈も解ってるよね」

 ひどく優しい声が届く。

 そんな甘い声を聴いて、誤魔化す事なんて出来る筈もない。

 頭を上下に動かした。

「可奈は拓斗が怖い?」

 クルんて反転されて、いわゆる床ドンされてる状態になる。

 顔がまともな見れない。

 恥ずかしくて拓斗がどんな顔してるのか視線を合わせられなかった。

「拓斗」

「俺の事、見てよ」

 勇気を出してチラっと見た、拓斗の顔が昔、転んで泣き出しそうな時と同じ顔をしてる。

 なんとかしてあげたくて、私から手を伸ばして拓斗の頭を抱え込んだ。

「怖いわけないじゃん。拓斗だもん」

「だって、今の拓斗…可奈の好きな可愛いままではいられないよ?俺、可奈の事が好きなんだ。ゴメン抑えられなくて」

 弟のままでいてあげられなくて、と私の体を起こし解放してくれる。

そして拓斗は廊下にもたれ体操座りになって泣きそうな声で言った。

「…謝らなくて良い。私も同じだから」

 私が言えば、拓斗が顔をあげる。

「…可奈?」

「自覚したのは、ついさっき(図書室の時)だけど」

 多分私もずっと前から同じ気持ちだと思うって告げた。

「可奈」

「好きな人に触りたいのに触れないって言ってたくせに、私に触ったのがショックだった。どうでも良いんだ…って」

「ゴメン、抑えられなくて。だって目の前に無防備でいるから。コッチは理性保つのに必死なのに。あおるような事ばっかいうから…」

 拓斗が責めるように私を見る。

「でも、やめてくれたけど」

「そりゃ、大事だもん」

 触りたいけど、大事なんだと続けた。

 どうしよう、嬉しい。

 拓斗の困ったような顔が、媚びてもないしっかり男子のそれで。

カッコいいのに、可愛くてたまらない。

「やっぱ拓斗、可愛い」

「え。今、俺媚びてないよ」

 一人称が「俺」呼びだっていつもの拓斗だ。

「でも、可愛い」

 照れた顔までが可愛くて仕方がない。

「せめて、カッコいいにして…」

「やだ」

「そんな事言うと抱きしめるよ?」

 ちょっと肉食獣な危険な匂いをさせるけど、拓斗が私の嫌がる事をするわけないもん。

「戒律とパンストは破らない主義なんでしょ?」

 私は悪戯っぽく笑うと、拓斗から逃げるように、洗濯物を持って階段を駆け上がった。

「あ、ちょっと待って!!拓斗のパンツが入ってる!自分で干すから」

 あとを追うように拓斗が階段を駆け上がってくる。

 二人で洗濯物を干す姿に、新婚ってこうなのかな…って顔を見合わせて微笑み合う。

 窓の外には大きな満月が顔を覗かせていて、二人して「「月が綺麗ですね」」と言って笑った。

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