帝国記(96) 六ヶ月戦線27
その日の夜半に降り始めた雨は、明け方には本降りに変わった。
「この様子では、敵も今日は攻めてはこなさそうですな」
ルアープの部隊の副官であるモリスが、窓の外を眺めながら淡々と口にする。
「そうだな。油断はできないが、弓兵部隊の出番はなさそうだ」
ルアープはそのように返答しながら、職人の手元をじっと見つめる。
今回の戦い、雨が降ると敵の動きが鈍る。ほぼ攻めてこないと言う日が目立っている。
おそらくは、この戦場の特異性による部分が大きいのだろう。通常の戦場であれば、雨は奇襲の好機ともなりうるが、この砦は周囲にぐるりと無数の防壁を張り巡らせている。
余程の土砂降りでなければ、砦に近づく敵兵は丸見えになるため、奇襲が難しい。なれば、ただただ攻めにくいだけの天候となる。
さらに、連合軍は防壁破壊の一点突破を選択している。そのため、効率の悪くなる雨の日は休みと定めているのかもしれない。
正直に言って、守備側にとっても助かる話だ。特に弓兵部隊は常に出ずっぱりで敵を射掛けている。
前線で戦う兵士たちに比べれば危険は少ないが、それでも息つく暇のない戦いが連日続くのは負担が大きい。
もちろん雨でも警戒を怠れはしないし、時折小勢がこちらを伺う動きを見せることもある。が、そのくらいであればルアープの部隊の出番はあまりなかった。
「ところで、順調ですか?」
モリスは窓から身を離し、ルアープの元へ近づいてきた。
ここは砦の一角に設られた鍛冶屋である。今回の戦い、当初より長期戦が見込まれたため、エンダランドは様々な職種の一般人を砦に呼び寄せていた。
無論、強制ではない。任意での募集であったが、多数の市民がこの砦に入っている。
こういった市民の支持が、グリードル帝国の強みだ。ルアープはしみじみとそう思う。
傭兵稼業で平原の各地を転々としていたルアープの考え方では、国とは詰まるところ、民の事だ。王は国ではない。
民が本気で動けば、王など無力なものだ。
故に王たちは、時に宥め、時に騙し、時に力尽くで、民が立ち上がる方法を奪い取ろうとする。
民を虐げ過ぎ、失敗したのがウルテアである。人々は自ら新たな統治者を選び、新たな国を受け入れた。
その点陛下は人の使い方が上手く、必要以上の搾取もしない。だから義勇兵が集まるし、戦場でも協力を惜しまぬ一般人がいる。
今この場で、ルアープのために新しい弓を拵えている鍛冶屋もそのうちの一人。他にも鍛冶場では、多くの職人が武器の修繕に忙しく動き回っていた。
わざわざ新しい弓を設えているのは、武器庫にルアープの希望するような規格外の弓はなかったためだ。
当然といえば当然で、誰も使いこなせないような武器をわざわざ備品としておく必要などどこにもない。
そのためこうして新しく作ってもらう事になったのだが、微調整も考えると、使えるかどうかは実際に触ってみない事には分からなかった。
とはいえ、対抗する手立てが他に思い当たらぬ以上、急造の長弓でなんとかするしか選択肢はない。
「どうじゃ、様子は?」
むさ苦しい人々が籠もる工房に、ひょっこりと顔を出したのはオリヴィア。サリーシャ様も一緒だ。
「この雨で少し時間にも余裕ができたので、まあ、なんとか……」
そんなルアープの返答に対して、職人の手元を覗きながら、サリーシャ様が疑問を口にする。
「ルアープ、単純な疑問なのだけど、聞いても良いか?」
「なんでしょうか?」
「気を悪くしたらすまない。弓を強くすれば、当然、それだけ膂力も必要になる。君の技術に疑う余地はないが……引けるのか?」
「……引けます。以前にもこの手の弓を扱った事自体はあるので。ですが、通常の弓ほどに狙いは安定しません」
「しかしそれでは、外した時に……」
そうだ。当然相手も射ってくる。ルアープが外せば今度こそ、その矢がルアープをとらえるだろう。顔も知らぬ相手だが、きっと次は外さない。確信に近い予感があった。
「ルアープ、分かっておると思うが……」
オリヴィアが言葉を切った。
ここでルアープが討たれれば、士気の低下、戦力の低下の両面から、砦が窮地に陥るのは必須。それはルアープも十分に理解している。
「分かっています。大丈夫、必ず」
初めて扱う弓、安定しない狙い。それでも、ルアープが再び破れれば、敵は射程範囲外からこちらを好きに狙い続けられる。負けるわけには行かない。
ある程度満足のできる長弓ができたのは、翌日の事だった。
雨はそれから2日降り続け、
そして、
雨雲は夜明けとともに去り、朝から青空が広がる中。
連合軍は再びにわかに動き始める。




