帝国記(95) 六ヶ月戦線26
レグナの指揮官であるサランの陣幕に、サランとタイズだけがいた。タイズは憮然とした表情を隠そうともしない。
「仕留め損なった? お前が?」
サランが再度確認すると、タイズは、「何度も言わせるな」と吐き捨てる。
サランにとっても、やや信じられない報告である。タイズは極めて不遜な人間ではあるが、その実力に疑いはない。
ほうぼうで揉めて恨みを買い、その実績を握りつぶされていなければ、十弓に数えられてもおかしくないほどだ。
特に、想定外の射程からの強矢はタイズの独壇場。初見で対応できる者など、今までは存在しなかった。
そのタイズの一撃を避けたと言うのか。
「しかし、グリードル兵は随分と混乱していたようだが、あれは将官が討たれた証左ではないか?」
砦内には随分と求心力のある将がいたようで、敵方は思いの外早く立て直してきた。が、一時でもあれほどの状態に陥ったのは、タイズが敵の弓兵部隊の指揮官を屠ったがためとしか思えない。
「あいつ……直前で自分から倒れ込んだ。その分だけ僅かに矢がそれたのだ」
「偶然か?」
「いや、偶然ではないな。狙ってやった行動だ」
タイズが断言するのならそうなのだろう。
「しかしそうは言っても、無傷ではなかったはず。ならば、敵の弓兵部隊の弱体化には成功したと言えよう」
「ああ。そうだな。しばらくは前線に出てこないかもしれん。だが……」
タイズは怒りに燃えた目をサランに向けてくる。言いた事は分かったが、あえて聞いた。
「だが、なんだ?」
「“あれ”は俺の獲物だ。他のやつが手を出さないように、部下共によくよく言っておけ。でないと、まとめて貫くぞ、とな」
想像通りの答えに、サランはいつもの微笑みを見せながら、
「ああ。通達しておこう」
と、乱暴に陣幕を出てゆくタイズを見送った。
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「ルアープ、無理をするな」
エンダランドの苦言を聞きながらも、ルアープは武器庫で弓を漁っていた。
正直、ここの所ルアープは調子に乗っていた。グリードルで最も弓が巧みな天才。そんな風に言われて、己が大陸最高の弓使いであると勘違いしたのだ。
とんでもない思い違いだ。それを今回の一件で思い知らされた。この程度の腕で、何を思い上がっていたのか。恥ずかしさと悔しさが、何度も胸から込み上げてくる。
ルアープを諌めるのはエンダランドだけではない。騒ぎを聞きつけてやってきた各将が、口々に「落ち着け」という。
未だルアープの顔の左半分は、包帯でぐるぐるに巻かれており、うっすらと血も滲んでいるのだから当然の判断だろう。
だが。
ルアープは弓を漁る手を止め、居並ぶ諸将を振り向く。
「別にただ仕返しのために、意地になっている訳ではない。俺を狙った相手、あれは放置しておくのはあまりにも危険」
通常の射手では不可能な射程からの、強力な一射。今回はルアープが狙われたが、その矢尻が他の味方に向かない保証はない。むしろ、野放しにすれば、将官全員が手頃な獲物となる。
まして、砦にはサリーシャ様もいる。敵がサリーシャ様の存在に気づいたかどうかはわからないが、気づけば確実に狙われる。
「多分、俺を狙ったやつは、俺が紙一重で避けたのも気づいている。だから、多分、もう一度俺を狙ってくる」
「なぜそのように断言できる?」
エンダランドの言葉に、ルアープは苦笑。この辺りの機微は、弓使いでなかればわからない。
「あれほどの妙技。自分の腕に誇りを持っているはず。そんな奴が仕留め損なった。俺が逆の立場なら、誇りに賭けて次は必ず仕留めたい。剣や槍で戦う武人なら、一騎打ちでとり逃したような気分でいると思う」
ルアープの説明に、何人かが理解を示す。それでもまだ否定的な雰囲気が漂っている。
そんな中で、「良いと思うぞ」と最初に賛意を示したのは、オリヴィアだ。
「オリヴィア? しかしな……」
慎重なエンダランドなどはまだ納得がいっていないようだが、オリヴィアは続ける。
「どの道、ルアープがやられたままでは、弓兵たちも落ち着かぬ。いつ、どこから狙われているかも分からぬのだからの、それに、士気にも影響がある。この戦況で士気の低下は致命傷となりうるぞ」
「ぐ、それはそうだが……」
エンダランドが言い淀むと、オリヴィアはルアープへと視線を移す。
「よもや、負けはすまいな? ここでのお主の負けは、グリードルを滅ぼすと同義。それを正しく理解しておるか?」
背筋がぞわりとするほどの、静かだが確信的な一言。言下の『ただの私情では済まされない』との意味が明確に伝わってくる。
「分かっている。……あいつは俺が、片付ける」
「……うむ。では一つ、知恵を授けてやる」
「知恵?」
「多分じゃが、ルアープを狙った相手を我は知っておる」
そう言ってオリヴィアは、その正体について話し始めた。




