帝国記(93) 六ヶ月戦線24
砦から指揮を執っていたエンダランドの視界の先で、突然、弓兵部隊からの支援が止まる。
矢の雨によって停滞を余儀なくされていた、ランビューレとレグナの連合軍は、ここぞとばかりに勢いを増してゆく。
もとより大きな兵数差のある戦いだ。前線で対抗していた味方兵は、物量の差で後退を余儀なくされる。
弓兵は未だに混乱が続いていた。これはまずいと即座に判断したエンダランドは、慌ててその場から駆け出した。
「すぐに前線に出るぞ! 遅れるな!」
このままでは味方が一気に崩壊しかねない。そうなれば、状況は一気に悪化の一途を辿るだろう。
走りながら部下に矢継ぎ早に命令を飛ばしつつ、エンダランドは混乱の原因を考える。
弓兵部隊があれほどの動揺を見せているのは、ルアープに何かあったのかもしれぬ。しかし、一体何が?
弓兵達の台座は、そうそう敵兵が登って来れぬ造りになっている。また、ルアープ程の男が、簡単に狙い撃ちされたとも考えにくい。
と、エンダランドはそこで一旦思考を止めた。原因を探るのは後だ。まずは味方の立て直しを急がねば。
もしもルアープが討たれたのであれば、今後の戦い方も変更を検討しなければならない。
もちろんルアープの事は心配だが、残念ながら今のエンダランドは、ルアープ1人に気を配っていられる立場にはない。
とにかく先を急ぐエンダランドだったが、妙な歓声を耳にして立ち止まり、窓から身を乗り出して最前線へと視線を走らせた。
つい先程、崩壊しかかっていた味方軍が、俄に押し返し始めている。だが、弓兵の方はまだ足並みの揃った支援攻撃を再開できてはいない。別の理由で修正が図られている。
「ジベリアーノか?」
真っ先に思い当たったのは、ジベリアーノが異変にいち早く気づき、手を打った可能性。
見たところ、エンダランドがこれからやろうとしたように、自らが前線に立って部隊を立て直しているのだろう。
だがその予測はすぐに打ち消された。ジベリアーノ本人が、同じように出撃準備をしながら走ってきたのだ。
「エンダランド様! 私はすぐに前線に向かうゆえ、砦は貴殿に……」
ジベリアーノの言葉を遮り、エンダランドは前線を指差す。
「私も同じことを考えたが、あれを見よ。どういう訳か持ち直してる」
「まさか、いや、しかし確かに……」
「だが一過性のものかもしれん。いずれにせよ、私かジベリアーノが一度前に出たほうが良いだろうな」
「……」
「さて、どちらが前線に出るか……おい、ジベリアーノ? 聞いておるか?」
「……」
反応のないジベリアーノは、口を開けたまま硬直して、前線を見ている。
「何をそんなに……」
次の瞬間。エンダランドとジベリアーノは揃って、前線に向かうために全力で駆け出した。
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時間は少し遡る。
グリードル帝国の一兵卒であるウォリーは、帝都近くの集落の出身である。
あまり裕福ではない家の三男坊。両親はウォリーの将来について、いずれはどこかの商家にでも、見習いとして送り込めないかと話していた。
ただ、ウォリー自身はあまり商売事に興味がなかったし、若さ特有の根拠なき自信が漲っており、何か大きなことを成し遂げたいと漠然と考えていた。
ドラクの変、そう呼ばれる反乱が起きたのはその頃のことだ。
ウォリーの地元でもあまり評判の良くなかった王が、ドラクという田舎の貴族に討たれた。しかもドラクはその勢いで軍を起こし、王都を目指している。
ドラクの元には多くの民が義勇兵として集っているという噂は、ウォリーの集落でも持ちきりとなる。
年配の者達は暴挙に眉を顰め、若者達は興奮しながら、ドラクという人物の名を口にした。
ウォリーもまた、何かわからないが凄い事が起き、またそれが現在進行中でこの国に変革をもたらすと感じ、取るものもとりあえず義勇軍に参加すべく集落を飛び出した口だ。
ウォリーの期待の通り、グリードル帝国は大きくなった。ウォリーも多額の給金をもらい、独り立ちの目処もたった。
幼馴染の娘との婚約にもこぎつけたのだから、選択は間違っていなかったように思う。
この戦いが終わったら、その給金で婚儀をあげよう。
そう固く約束を交わして、ヘインズの砦にやってきた。
敵は無数にいるが、こちらの準備も万端。ウォリーはグリードルが負けるとは思っていない。
今もこうして、後方から味方の正確な矢が次々と敵兵を打ち取り、ウォリー達は怯んだ相手に槍を突き出すだけ。怪我をしたり、疲弊が色濃くなった者は順次交代して、前線を保っている。
確かに徐々に後退しつつあるが、まだまだ当面は耐えられるし、耐えていればきっと、皇帝陛下が援軍を送ってくれるのは間違いない。偉い人たちならちゃんとやってくれるはずだ。
そんな事を考えながら槍を突き出していたウォリーは、ふと、違和感に気づく。味方からの矢が急速に減ったのだ。それに伴って、敵兵がここぞとばかりに勢いを増す。
「うわあ!」
ウォリーの隣で槍を突き出していた兵士が、肩を貫かれ悲鳴をあげた。そいつを後方へ引っ張る前に、また別の仲間も傷つき倒れる。
味方の被害が加速的に増えてゆき、ウォリーも身の危険を感じ僅かに腰が引ける。そのような中で、味方兵士の一人が勝手に敵に背を向けた。
連動するように、一人、また一人と逃げるものが出始める。といっても、ここは味方が作った迷路の最中だ。
逃げる先は砦の方角しかない。敵兵と対峙するために進もうとする兵士と、逃げ始めた者達の間で混乱が起き、迫る敵によって、背中から刃を突き立てられる味方も出てきた。
指揮官が大声でなにか指示をしているが、ウォリー自身も焦りと緊張で混乱してしまい、うまく指示を聞き取れない。
そうこうしているうちに、ウォリーは3人の敵兵に取り囲まれてしまう。
畜生! ここで終わりか!
瞼の裏に婚約者の顔を思い浮かべながら、死を覚悟したとの時。
「ぐえっ」
悲鳴を上げたのは敵兵の方。瞼を上げれば、額に矢を受けて倒れてゆくのが見えた。
そして続けてもう一人。残った一人が動揺を見せ、ウォリーが闇雲に槍を出すと、そいつの太ももに突き刺さる。
目の前で倒れ、のたうつ敵兵を見下ろしながら、吹き出した汗と動悸が止まらない。生き残ったという実感が、ゆっくりと湧いてくた。
押し寄せる安堵感。ようやくほんの少し落ち着きを取り戻して初めて、よく通る澄んだ声がウォリーの耳に飛び込んでくる。
「落ち着け! すぐに弓兵は援護を再開する! 冷静に対処せよ!」
防御壁の上に立つ女性。
その姿には見覚えがあった。
「なぜあのお方がここに?」
ウォリーだけではない。皆が一瞬、その姿に目を奪われる。
「このサリーシャ、お前達の勇姿を必ず陛下に伝えると約束しよう! さあここは今から、大功を得る場となったぞ! グリードルの底力を見せつけてやるがいい!!」
自らも弓を持ち激励する帝国妃。
その姿に、ウォリーは何か腹の底から湧き上がるものを感じて、獣のような声を上げながら敵兵に向かって走り出した!




