帝国記(9) 春嵐9
王の率いるドラク討伐隊は、ゆるゆると道を進む。
急ぐ必要はない。いや、むしろなるべくゆっくりと歩みを進め、民にその威容を見せつける事こそが、この出陣の目的である。
兵力差を鑑みれば、ドラクに万が一にも勝ち目は存在しないのだ。それよりも問題は、ドラクの発した圧政に対する檄文の方。これを真に受けた間抜けが蜂起するかもしれぬ。故にこそ、こうしてわざわざ大軍を発している。
この王に、デドゥに逆らったらどうなるか、愚民どもにしっかりとその目と耳で覚えさせてやる必要があった。
大軍を起こした分の戦費は、萎縮した民どもからしっかりと回収させてもらうとしよう。
「クフフ」
デドゥは笑う。
ゆっくり、ゆっくり進めば良い。
8000の兵は、デラッサ領まで残り半分ほどの辺りを進んでいた。
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「領内に入られたらもう終わりだ。とにかく出る」
出陣を決めたドラクはすぐに準備を済ませると、馬上の人となる。部下には「逃げたい奴は逃げていい!」とだけ言った。ついてくるかどうかはあいつらの自由だ。
だが少なくもドラクが見る限り、脱落した奴は少ない。多くの私兵がドラクを追ってついてきている。
「どこまでゆく?」
並んで馬を走らせるエンダランドが問う。夜襲となれば、相手が野営をするような場所でなくては意味がない。
近くに町があれば王は領主館にでも宿泊するだろう。そうなっては夜襲など不可能だ。
「大回りをして、とにかく一旦奴らに近づく。相手の動きがわからないと話にならん!」
「それもそうだな。本来なれば先に偵察を出したいが……悠長なことは言ってられんか」
こうして強行軍で進み、王の軍の位置を確認。そうして再び距離を取ると、ドラク達は森の中に身を潜め、強行軍の疲れを癒していた。
「この辺りなら、周囲に大きな町もない。狙い所としては理想的だ」
エンダランドはそのように言うが、まだ陽は高い。8000の敵兵の歩みは遅く、この辺りにやって来るのは暫く先とはいえ、夜になる前に通過しそうだ。
相手もわざわざ不便な場所で、一夜を明かすことなどすまい。
「いっそ、敵の通過を見送って、夜、背後を突くのは?」
フォルクの提案。悪くない。今日が野営とならなくても、背後を取り続けるのは優位性がある。
「フォルクの案を採用する。奴らが通り過ぎるまで待つぞ。気づかれないようにだけ気をつけて、それぞれしっかりと休んでおけ」
ドラクがそのように決めると、各自思い思いに休息に入った。
しかし、思った以上に厳しいな……
デドゥ王が怒りに任せて進撃することを期待したが、王の軍の歩みには余裕がある。無理して野営をする必要などない。
ドラク達の予測はまた、外れた。このままでは一矢報いるどころか、ただ指を咥えているしかなくなってしまう。
何か、何かねえか?
きっかけになる何か。
ドラクは隣で休むサリーシャを見た。気丈に振る舞っているが、疲れはあるはずだ。
勝負は決まったようなもの。変な意地は捨てて、いっそこのまま逃げるか?
無理に攻めたところで、待っているは犬死だ。それよりはこの国を捨てて、見知らぬ場所でささやかに生きるのも悪くないんじゃねえか?
そんな思いが胸をよぎる。
どうしても行き場がなければ、盗賊まがいに身を落として、この国に嫌がらせをするって手もあるな。
ドラクはこの戦いを諦め始めていた。
だがその時、ドラクの運命を変える、女神の気まぐれが起こる。
「雷?」
目を閉じ休んでいたサリーシャが、小さく疑問を口にした。
見れば、向こうのほうから黒い雲が近づいてきている。
ゴロゴロ
今度ははっきりと聞こえた。
しかもあの雲は……
何かを探して空を眺め、日々を過ごしてきたドラクだ。“あれ”がどう言う雲なのか、経験上知っている。
空が、大きく荒れる。しかも、急速に。
そう判じた瞬間に、ドラクの頭にも閃光が走る。
「……いけるかもしれねえ。いや、ここしかねぇ。おい! お前ら!」
凶暴な獣のように歯を剥き出しにして、部下を立たせたドラク。その頬を、早くも大粒の雨が叩き始めたのだった。
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突然、目も開けていられぬほどの土砂降りが討伐軍を襲う。
「なにごとだ! おい! すぐに天幕を用意せよ! 高貴な私が身体を冷やしたらどうするつもりだ!」
デドゥが怒鳴り散らし、親衛隊が慌てて設営の準備を始める。
その様子を見て、各所で天幕を広げようとするも、手元すらおぼつかぬ豪雨だ。そこここで小さな混乱が起こった。
しかも豪雨が声を掻き消し、指揮官の命令がうまく伝わらない。
各所で兵士が慌てて動き回っている。そんな兵士達に混ざって、王の元へと真っ直ぐに走る者達に気づくものはいない。
その者達は、とても耳の良い男を先頭にひた走る。目標は、天にも悪態をついているこの国の王。
先頭の男は耳障りなその声を、豪雨の中から正確に聞き分けた。
「おい! まだか!」
デドゥは豪雨の中でやたらに怒鳴り続けている。
まさかそれが、自分の命を縮める行為だとは毛ほども思ってはいなかった。
デドゥのすぐ隣にいた守兵が馬から崩れ落ちる。だが、デドゥは気にもとめず怒鳴り散らす。
そんな王が最後にその目に映したのは、
春雷の中でギラつく目をこちらに向けたドラクと、ドラクの持つ槍の穂先であった。
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グリードル帝国初代皇帝、ドラク=デラッサ。
これより30年余に渡り戦場を駆けることになる覇王は、この日初めて、天に触れた。