帝国記(80) 六ヶ月戦線11
「何? もう一度言え」
ズイストの将、スクイーズは己の耳を疑う。
伝令の言葉が理解できなかったのは、スクイーズだけではないはずだ。
スクイーズに命じられた兵士は、跪いたまま、一段階声を張り上げて繰り返す。
「ロスターが謎の勢力の急襲を受け、陥落! 味方の安否は不明でございます!」
再度聞いても意味が分からなかった。確かに今、ロスターの守備は手薄だ。何せロスターに配属された兵士の多くは、このグリードル討伐軍に参加している。
とはいえだ、一体どこが攻めてきたというのか?
真っ先に思い当たるのはグリードルではあるが、当の相手は今からこちらが攻め入るところだ。ズイストだけではない、4国の連合軍が一斉に攻め込むのだから、守りに手一杯のはず。
では、連合に参加しなかったエニオスか?
しかし、エニオスがこちらを攻め立てる理由がない。仮にエニオスの手の者であったとすれば、グリードルが滅んだ後、自ら次の標的に名乗りを挙げたようなもの。
考えうるのは、エニオスがグリードルと同盟した。或いはその傘下に降った。
なくはない。なくはないが、同時に現実的でもない。エニオスとズイストは4国連合の前から同盟中だ。裏切るとしても、どこかしらの筋から何らかの情報は入ってきそうなものである。
残るは、ルデク。エニオスのように山を越えて大鷲が攻め込んできた。
これも少々首を傾げざるを得ない。
エニオスの場合は、ヨーロース回廊がある。ゆえにこそ、比較的気軽に威嚇のような出兵ができたのだ。
対してルデクからズイストに直接攻め込むには、細くて危険な山道を越えなければならない。
山を越えてくれば簡単には撤退もできぬ。ならば、ルデクが本格的に平野に進出する覚悟がいる。
それならばやはり、大軍を送り込みやすい、エニオスから切り取り始めるのが定石。我が国を最初に狙うのは効率が悪すぎるはずだ。
あとは、4国連合に参加しているレグナが裏切った。
だがこれは一番考えにくい。ロスターはズイストでも南部に位置している。ズイストより北に位置するレグナが裏切った場合、わざわざズイスト領内を縦断して、ロスターへ向かわねばならない。
それでも念の為、と、スクイーズは一人の将に視線をやった。
「ルービス殿、何か聞いておられるか?」
ルービスはランビューレの部隊の女性指揮官だ。我が軍のお目付け役らしい。だが、ルービスも困惑の表情を浮かべ、眉毛を寄せる。
「私の元には何も。少なくとも、レグナが裏切ったという事はあり得ぬかと……」
「私もその可能性は無いように思う。では、エニオスがグリードルに付いたか……」
どれも信じがたいが、思いつく選択肢の中では、エニオス軍である場合が最も腑に落ちる。
まさか、という気持ちは拭えないが、スクイーズの考えに、集まった諸将は一定の賛同を示す。
そんな中、スクイーズの言葉に頷かなかった人物が一人。ルービスだ。
「非常に申し上げにくいのですが、可能性ならばもう一つ……」
ルービスはそこで言葉を切った。控えめな人物で、ここまでの道中もほとんど口出しをしなかった。そんな将が、困った顔でスクイーズを見ている。
「貴殿の忌憚ない意見を伺いたい。遠慮なく口にしてほしい」
スクイーズが促すも、それでも少し迷いながら、ルービスは言葉を選ぶ。
「グリードル皇帝、ドラク=デラッサは民衆の人気が高く、各国からも義勇軍に参加するために集まったと聞いております……」
そこまで言って、再び口をつぐんだ。これで分かるだろう、という意思を感じる。同時に、スクイーズにも言いたい事は十分に伝わった。
「ズイストの民の反乱、そのように言いたいのだな」
「あくまで可能性の一つとしてのお話です。気分を害されたのなら謝罪いたします」
確かに諸将達の中には不快な顔でルービスを見ている者も少なくない。だが、ルービスの指摘は間違っていない。
むしろ、その可能性が最も高いようにすら思える。
現に、グリードルがここまで大きくなったのは、民衆の支持を得たことが大きい。
ウルテアはもちろん、ナステルですら、敗北後に大きな混乱が起きていないどころか、グリードルを歓迎する声は少なくない。
自国内にもそのような勢力が存在し、今回、ロスターを制圧せしめたのであれば。
―――少々厄介だな―――
自国の民を鎮圧。これは後々に大きな禍根を残す。しかも、可及的速やかに鎮圧しなければ、各地に伝播しかねない。
これでは、グリードルへ攻め込むどころではない。
スクイーズは決断を迫られた。
ロスター奪還のため、全軍を向かわせるか。それとも……。
スクイーズはもう一度、ルービスを見る。
ルービスは厳しい表情をしているが、グリードルに侵攻せよと進言はして来ない。良い女だ。この相手を失望させたくないという気持ちが、微かに浮かぶ。
「……兵を分ける。本隊はグリードルの砦を囲み圧力を加え、その間に別働隊がロスターを奪還。奪還後は速やかに本隊へ合流させる。ロスター奪還の指揮官は、ホーゲル、お前に任せたい」
ズイストでも名将と評される男だ。ホーゲルならば上手くやる。
これで、間違っていないはずだ。
スクイーズは自分に言い聞かせるように、部隊の分割を差配し始めるのだった。




