帝国記(8) 春嵐8
デドゥ王自ら、8000の兵を率いて出兵。その知らせは程なくしてドラク達にも届いた。
「8000って、そんな……」
自分たちの10倍の兵力。衝撃的な知らせを受けて誰かが呟いた言葉は、静まり返った室内に妙に響く。
王自ら出馬することも、ましてやこれほどまでの兵力を差し向けてくる事など、ドラク達の想定を遥かに超えた事態だ。
見込みが甘いと言われればそれまでだが、ドラクは所詮地方の1領主。自分で言うのもなんだが、これほどまでの大軍を向かわせる価値などない。
「……王都を狙うのがバレていたってことか?」
ドラクが苦々しく口にするが、それはエンダランドが否定した。
「いや。絶対とは言えんが、このやりよう、どちらかといえば……王の短慮のように思う。圧政への批判が思った以上に効きすぎたか?」
「つまり、俺達の言っていることが事実だから、これ以上民草に不満が出ないように、威圧で口を封じようって腹か」
「ああ。その方が“あの王”らしい行動原理だな。それに加えて、バウンズが焚き付けたのかもしれん。ここで我らを根絶やしにすれば、統治が楽になるとでも、な」
碌でもない奴らだ。だが、今は向こうの理屈を考えている場合ではない。大軍勢は刻一刻とドラクの領地へと迫ってきているのだ。早急に対処を考えなければならない。
「どうする、何か、良い考えはあるか?」
ドラクは皆に問う。
最初にネッツが口を開いた。
「ひとまず逃げて、再起を図るってのはどうです?」
ネッツが言った。ネッツの提案は客観的に見れば悪い献策ではない。命あっての物種だ。しかし、どこへ逃げ出す? 逃げる段取りなどしていない。行き当たりばったりで逃げてどうにかなるのか?
それに、何もせずに尻尾を巻いて逃げるというのは感情的にも納得できない。どうにかして一矢報いたい。ゆえに、首を振ってネッツの案を却下。
「そりゃあ最終手段だな」
「それじゃあ、最初の予定通り王都を狙ったらどうっすか?」
別の奴がそのように言うが、横からフォルクが難色を示す。
「王都を狙うのは、王の首を獲るためであったはず。王不在の王都に乗り込んで運良く一時占拠できたところで、全滅は時間の問題かと」
フォルクの言うことは尤もだ。王都案も却下。
「やはり、打って出るしかないな」
他に幾つかの案が出て、それら全てが消えたのち、エンダランドが言った。
「……それしかねえよなぁ」
結局どうあれ王の首を獲らないことには、こちらの勝ちは無い。だが正面からの戦闘は無理。ならば残されたのは……
「奇襲か」
ドラクの言葉にエンダランドも頷く。
「ああ、それも夜襲だ。兵力差を考えれば、味方に扮して忍び込んで、王の寝首を搔くしかなかろう」
少数で王の首を獲るとすれば、ほとんど唯一残された方法であろう。幸いなことに、王都になだれ込むための用意として、親衛隊に似せた鎧は揃えてある。だが……
「厳しいな……」
ドラクから見ても、あまり現実的ではない。いくら味方に扮して夜陰に紛れたとしても、王の寝所は親衛隊がしっかりと守っている。気づかれることなく近付くのは無理がある。
エンダランドとて承知の上のようで、言葉を続ける。
「私も難しいとは思っている。成功したら幸運くらいなものだ。だが夜陰であればそのまま逃げることもできよう。何もせずに逃げるより、なんらかの実績を持って逃げた方が、再起の可能性もある」
「負け前提の話って訳か……」
「無論、奇襲がうまくいく可能性もある」
そのように添えたが、エンダランドの表情は冴えない。
ドラクは後頭部を乱暴に掻いた。仕方ねえ。それしかねえか……
「ねえ、ドラク。負けたらどこに逃げるつもり?」
ここまでずっと黙っていたサリーシャが聞いてきた。
「さあな。隣国か、その向こうか……いずれにせよこの国にはいられねえな」
「なら今、結婚して」
「は?」
サリーシャの唐突な一言。
確かにバウンズの息子の件があったので、婚儀は先延ばしになっていた。この一件が解決したら婚儀をあげようと約束していたのだ。しかし、こうなってしまっては、婚儀どころではない。
「いいえ、こういう時だから婚儀を上げるの。立ち合いはここにいる人達だけで構わない」
「おいおい、サリーシャ……」
「ドラク、あなたもしかして、私を置いてゆくつもり?」
言葉に詰まる。もしかしなくてもそのつもりだった。最悪中の最悪だが、ドラク達が死んでも、バウンズがサリーシャを手にかけるとは考えにくい。本人次第ではあるが。もちろんそのまま口にすれば、サリーシャは激怒するだろう。
沈黙するドラクに、サリーシャは詰め寄る。
「やっぱりね。ドラクがなんと言おうと、私も戦場についていくわよ。置いて行くなら、勝手にやる」
「おい、そりゃあ……」
「無茶でしょうね。でも、やる。だから連れて行ってくれるなら、今、あなたと婚儀を結んでおきたい。ドラクのいないこの土地に未練なんかない」
サリーシャは実父を殺されているのだ。王やバウンズへの怒りはドラクよりも深い。サリーシャの真剣な目に見つめられ、ドラクも覚悟を決める。
「分かった。ここには祝いに使えるものなんぞ何もねえが……」
「構わないわ。それじゃあ、勝ったら改めて盛大にやりましょ」
「そうだな。おい、ここにいる奴ら全員が証人だ。俺は今この時を持って、サリーシャを妻に迎える!」
皆の祝いの言葉が飛び交う中で、サリーシャを抱き寄せ、
ドラクには珍しく、そっと、優しいキスをした。