帝国記(61) 伝播
始まりは、吹けば飛ぶような小さな貴族から。
エニオスの国境近くにあるナステルの小貴族は、ルデクの大鷲が平野に乗り込んできたことを、ナステル国内で誰よりも早く知った。
その貴族に情報をもたらしたのは、エニオスの小さな貴族だ。
貴族の格の差により、小さな貴族は同程度の貴族との縁を結びがちである。結果的に小貴族は独自のコミュニティを形成し、生き残りのために様々な情報を交換している。
小さな貴族にとって、情報は命綱。異変があれば、家名存続のための最善手をすぐに打たねばならない。
中規模以上の貴族と違い、のんびりしていると簡単に切り捨てられる存在である。
自領にルデクの大鷲が攻め入ったということは、援軍に来ているエニオス軍は退くだろう。残るはナステル軍のみだが、肝心の軍は先だってグリードル軍に完敗している。
さらに、南部最大の有力貴族であるワールナート家はグリードルへ靡、いつの間に話をまとめたのか、皇帝ドラク=デラッサとの婚儀を結んだと聞く。
つい先日もそのワールナート家から、グリードルへの鞍替えを打診されたばかりだ。
同時に、ナステル王からは『1年待てば、ランビューレと共にグリードルを滅ぼすので、おかしな気は起こすな』という通達も届いていた。
ランビューレが強国なのは知っている。そして、エニオスと連動している限り、1年は守り切れると思っていた。しかし状況は一気に変わったのだ。
エニオスの援軍は去り、国内に残ったのは精強なグリードル軍と、頼りになるのか分からない自国の本隊。
そして今なら、ワールナートを介してグリードルの傘下に加われば所領は安堵されるという。さらに、協力的であればナステルから奪った領土での加増もあり得ると。
小さな貴族の主は決断し、使用人を呼ぶ。
「急ぎ、レガヴィス=ワールナート様の元へ親書を運べ。それから―――」
最初の小さな貴族から、縁続きの小さな貴族へ。そしてさらに、中規模の貴族へ。人々の間を虚実入り混じった情報が爆発的に広がってゆく。
それから数日もしないうちに、南部貴族への降伏を促していたワールナート家には、多数の貴族からの使者が殺到する事となった。
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南部貴族が静かな混乱の渦中にある中、ナステルの王都においても、小さくない影響が広がっていた。
突然のエニオス軍の撤退。
止めようとしたが、エニオス軍も他国に構っている状況ではない。ナステル側もそれは十分に分かっているので、どうしようもなかった。
それでも、残された自軍兵の数だけなら攻め寄せるグリードル軍と遜色ない。どころか、若干だがナステル軍の方が多いくらいだ。
加えて王都の近くには、大軍を収容できる大きな砦もあるし、王都もしっかりとした準備が整っている。
通常で考えれば、グリードル軍の攻めを弾き返せるだけの条件は揃っていた。
にも関わらず士気が上がらない。前回の敗戦が大きな影を落としている。そこにワールナート家の降伏が上乗せされている。
ワールナート家の処分については、中枢を掌握する国王派の貴族によって内密に進められていた。
具体的には、戦場でワールナートの私兵を殲滅し、グリードルを撃退したのち、一部の部隊を差し向け、そのままワールナート家を滅ぼす腹づもりであったのだ。
結果的にこれが裏目に出た。ワールナート家の心変わりについても、情報が錯綜する。
国王派は『事前にワールナート家が裏切っていた』と公表したが、元々政敵であった側からの発表のため、多くの者から疑惑が湧き上がったのだ。
実際、戦場で唐突にワールナート家の私兵を襲ったのは紛れもない事実。それは同じ戦場にいた多くの兵士が目撃している。
『このような状況で、戦場を権力争いに利用したのか』と憤る声も上がっていた。
さらに、ワールナートがあっさりと帝国の庇護下に入ったことから、『早く降伏すれば赦されるのではないか』という保守的な声も上がり始める。
降伏派と交戦派で言い争いが起こるほどに、王都の状況は悪化しつつある中、猛然とグリードル軍が迫ってきたのである。
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「別働隊は、ネッツ、お前に任せる」
ナステル王都の守りの要であるダットの砦を前にして、ドラクが宣言する。
「うす!!」
気合いの入った返事を返すネッツ。
砦に籠るナステル軍はグリードル本隊が囲み、ネッツの別働隊が王都の制圧を行う二面作戦である。
当然ながら、王都の守りが手薄ということはあるまい。必死になって抵抗してくるだろう。寡兵で進む別働隊の方が危険度は高い。
しかしながら、攻略が成功すれば別働隊の戦功は大きい。ネッツにとっては、臨むところであっただろう。
「出陣する!!」
勢いよく飛び出すネッツ隊を見送ってから、ドラク達はゆるりと砦攻略に動き出した。




