帝国記(49) もうひとつの戦い(下)
ライリーンが摘み出され、しばしの気まずい沈黙ののち、ランビューレ王がひとつ咳払いをする。
「……どうあれ、他国の使者を前に失礼した」
「我は気にしておらぬが、ランビューレ王、我が口を出すようなことではない事は重々承知の上で言わせて頂きたい。“あれ”は毒虫ぞ」
オリヴィアがライリーンを“毒虫”と表現すると、ランビューレ王は顎髭を触りながらニヤリと笑う。
「何、虫は籠に入れておけば何のことはない」
「……王がそのように仰るのであれば、我はこれ以上何も言わぬが……」
「ライリーンのことはもう良い。それよりも本題に戻る。確かにフィクス=クリアードは我が国の大切な人材であるが、あの者とて、グリードルに捕らえられた時点で覚悟はできておろう。返事は変わらぬな」
ランビューレ王は壇上からオリヴィアを見下ろしながら、再度告げる。
「そうか、それは残念じゃ。では、フィクス=クリアードは帝都で華々しく散ってもらおう。ランビューレが見捨てたと大々的に喧伝してからの」
「ふん。それまで帝都があれば良いな。グリードルがナステルに攻め込んだ事はとうに承知しておるわ。今なら我が軍が手薄なウルテア領を刈り取り放題でないか」
「かもしれぬの。だが、あのドラクが、ランビューレに何も手当せずに南へ進んだとでも思うておるのか? 我が父を討った時も然り、ナステルに攻め込んだ時も然り。あれは手段を選ばんぞ」
「それは矛盾しておる。ならば、休戦を我らに提案する必要はなかろう?」
「この交渉さえ、ドラクの罠だとしたら?」
「……オリヴィア姫よ。私とお主は知らぬ仲ではない。だからこうして礼を払って対応しておるし、多少の無礼は許容している。確かにライリーンとは蟠りもあるだろうが、かといってドラクの手先としてこのような真似をする必要もなかろう。どうだ、我が国に降らぬか? 相応の待遇で迎え入れるぞ」
「お気持ちはありがたく。しかし我にとって真の仇は、我の母と兄を殺したあの毒虫である。あれを討ち果たすのが、我の最大の望み。ランビューレ王は我の前にあの毒虫の首を差し出してくれるのかの?」
「……残念ながらそれはできぬな。それは姫も分かっていよう」
ランビューレはライリーンを取り込むことで、旧ウルテアの北部を労せずに得たのだ。
「そうじゃの。故に、この交渉は成立せぬ。そして、ランビューレ王には何も含むところはないが、ライリーンがいる場所は我の敵と言わざるを得ぬ」
「……これまでの事を考えれば、仕方のないことか……では、議論は堂々巡りであるな」
「いや、そんな事はない。ランビューレもここのところずっとグリードルと戦い続けておったであろう。戦費は決して軽くはない。王よ、本音を言えばここで一度国内を落ち着かせたいのではないか?」
「さて、それこそ要らぬ世話だ」
「では、もう少し踏み込もう。休戦を受け入れるのであれば、その間はルガー王国も貴国に手を出さぬように手を回そう」
「そのようなことが、オリヴィア姫にできると?」
「できなくは、ない」
「それはつまり、ルガーを煽ったのは姫であると認めるようなものだが?」
「そう申しておる」
「それはあまり好ましい話ではない。我が国が旧ウルテアを手にし、ドラクの首を刎ねた暁には、貴殿の首も飛ばさざるを得なくなるが?」
「もとよりその覚悟でこの場におる」
睨み合う王とオリヴィア。そして王が大きく息を吐いた。
「……今回はお主の気迫に免じよう。フィクス=クリアードの身柄の引き渡し、及び、ルガーへの干渉を今後一切せぬと約束するなら、休戦を締結しても良い」
「それはよかっ……」
「だが、休戦は1年だ。これ以上は1日たりとも引き伸ばさん! それならば、受けてやろう」
「相分かった。それで良い」
「……良いのか? 貴様らは2年でナステルとの戦いにケリをつけるつもりであろう。だがナステルとて簡単にやられはせぬ。2年どころか、その倍、4年でもどうなるかわからぬぞ」
「そうじゃの。だがそれは我の役割ではない。1年しかないのであれば、1年でやり遂げるしかなかろうて」
「……ドラクはそれほどの者か?」
「わからぬ」
「分からぬだと? 今、姫は命を賭してここに来ているのだぞ?」
「あれは大物かもしれぬし、大馬鹿かもしれぬ。答えは、1年後に」
「……それもそうだな。1年後を楽しみに待つとしよう」
2人の会話が終わりかけたその時、ライリーンを連れ出して戻ってきたスキットが「発言を宜しいですか」と声を上げる。
「構わぬ。申せ」
王の許可を得て、スキットはオリヴィアの近くにやってきた。
「条件に1つ追加をして頂きたい」
「何かの? その分、休戦期間を伸ばしてでもくれるのか?」
「王がお決めになったこと、それは出来かねますな。ですが、別に大した条件ではない」
「……まずは聞かせてもらおう」
「フィクス殿の身柄の引き渡しには、私が向かう。そして、ドラクと直接話す機会を得たい」
「しかし、ドラクはナステルにおるが?」
「ならば私が出向く。段取りを整えて頂こう。王よ、宜しいですか?」
「好きにせよ」
「ランビューレ王が構わぬなら、そのように手配するとしよう。他に条件などはもうないであろうな? これ以上は休戦期間の見直しをしてもらうぞ?」
これ以上は何の声も上がらず、この日より、ランビューレとグリードルは1年の休戦に突入するのであった。




