帝国記(42) 海岸沿いの戦い
フィクスは自分の周囲にいる兵の数を見て、満足気に大きく頷く。
すでに何度も繰り返された動作だ。7000もの兵を率いる指揮官であるという事実が、フィクスの気持ちを否応なしに高揚させた。
ウルテアの旗を掲げる部隊もある。元ウルテアの親衛隊達だ。彼らはバウンズに身を寄せていたが、本来の王家に忠誠を捧げるためにやってきた真の勇士達。
ウルテア奪還ののちは、王の側近として取り立ててやろう。フィクスはすでに、ウルテアの王の義父、いや、実質的なウルテアの王としての自らの姿を瞼の裏に見ている。
名門クリアード家、その中興の祖と呼ばれる日は近い。そのように浮かれながら進むフィクスを、副官に据えられたメルブが冷ややかに見ていた。
メルブの任務は、おそらく罠であろうこの出陣において、ランビューレにより被害の少ない形で撤退をすることだ。
無論、何事もなく旧ウルテア領へ傾れ込むことができればそれに越したことはないが、三宰相が罠だと断じている以上、何事もないとは思えない。
フィクス軍は海岸線を粛々と進む。兵士の誰かが蹴った石が、飛び跳ねて崖から海へと転がってゆく。
旧ウルテアとの国境に近いこの辺りは、切り立った崖が続いている。
と言っても、特に珍しい風景ではない。入江が少なく崖が多いのはこの地域の特徴である。もう少し進めば緩やかな下りに入り、砂浜も見えてくるだろう。
メルブは「罠を張るとすればこの辺りではないか」と考えている。左手は崖、その先は海。右手は林。側面から奇襲をかけるにはおあつらえ向きの場所だ。
にも関わらず、危険とわかっている場所を進軍しているのは、フィクス曰く信頼に足るという貴族より、このルートが最も手薄と知らせがあったから。
メルブは最低限の対策として、部隊を細かく分け、一定の間隔を開けて進軍している。どこかの部隊が奇襲にあっても、他の部隊は被害を避けて攻勢に回る狙いであった。
しかし今のところ静かなものだ。林の中に伏兵がいないかも随時調べさせているが、未だ敵兵の姿はない。
正直、撤退するのなら早いほうが良い。下手に奥深くまで進軍してしまっては戻るのが面倒だ。
そんな状況の中で、前方で初めて動きがあった。
先発隊から伝令がこちらへ駆け寄ってくる。
「何があった?」
フィクスがとりわけ重々しく言うと、伝令は一礼して、
「ドラクの手の者と思われる兵士を発見いたしました」
「来たか! して、数は?」
前のめりになるフィクスに対して、伝令は少しだけ言い淀んでから、
「10ほど」
その言葉にフィクスはきょとんとして首をひねる。
「10? 10部隊ということか?」
「いえ10人ほど。警備兵がたまたまこちらを発見したようで、あっという間に逃げ出しました」
そのように説明されたフィクスは高らかに笑い出す。
「ふははは! メルブよ、聞いたか? たった10人だと。やはり私貴族たちの情報は間違いなかったようだ。ドラクはこれでようやくこちらの存在に気づいたぞ! 今頃慌てても遅いわ! 一気呵成に攻め入り、王都まで進軍してくれよう!」
「しかし、行軍は慎重に、と命じられておりますが?」
「メルブほどの将が臆したか? ここが好機だ。皆のもの! 進め、進めー!!」
メルブが引き止めるのも聞かず、行軍速度を早めようとするフィクス。指揮官の命令だ。前方の部隊の速度が上がる。
メルブはフィクスに分からぬように、背後の部隊に合図を出した。背後の部隊は坂の頂点で足を止め、様子を見ることになる。
その場にとどまるのは2500ほど。何も起こらなければよし。なんらかの仕掛けが待っていたとしても、後詰としては十分な兵力だ。
先行する4500の兵は下りの勢いにも乗って、次々とウルテア領へ傾れ込んでゆく。後詰に残った兵士たちとの距離は開くばかり。
坂の上から見れば、500ほどのドラク軍の兵士が迎え撃とうとやってきたのが分かる。近くの砦からの出陣か、こちらが大軍と分かると慌てて逃げてゆく。それを見た先行部隊は500の敵の背中を追い始めた。
すでに後詰に残った部隊から見て、フィクスの軍は小さくなり始めている。これ以上離れてしまっては合流が面倒となる上、後詰の意味をなさないかもしれない。
メルブの命令で後詰部隊を預かっていた副官が一瞬悩み、進軍を決めて部隊に命令を下そうとしたその時、背後にいる兵士の悲鳴が聞こえた!
悲鳴を上げた兵士は崖の向こうへ吹き飛び、海へと落下してゆく。
「敵襲!」
その声を聞いた副官は「即時反転、迎え撃て!!」と命じ、自らも槍をしごいて馬首を向けるのだった。
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「ぬうん!!」
ガフォルが巨大な剣を振り回すと、それだけで10人近い敵兵が血飛沫を上げながら海へと落下する。
ガフォルはいちいち斬った相手を気にすることなく、ひたすらに剣をふるってゆく。下手すれば槍より射程のあるガフォルの剣に、敵兵たちはなす術もない。
「ガフォル、適当なところで逃げるぞ!」
「ああ。わかっている。リヴォーテよ! お主は巻き込まれんように離れていろ!」
背後から奇襲を仕掛けたのはリヴォーテとガフォルが預かった500の騎兵だ。敵兵にそこそこの被害を与えると、相手が怯んだ隙を見て背を見せる。
「ランビューレの弱兵ども! 俺のような子供さえ殺せぬとは、噂通りの見掛け倒しよ!」
リヴォーテに挑発されいきり立った敵は、リヴォーテたちを追って、本隊とは逆の方向へと駆け出し始めた。
その先には、フィクス軍が通過した後にリヴォーテが配置した、3000の伏兵が待ち受けているとは知らずに。
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最初に異変に気づいたのはメルブだった。
坂の頂上に残した兵士との距離が気になり、そちらに目をやると、兵士が逆側に降ってゆくのが見えたのだ。
「フィクス様、後ろの様子がおかしい! やはりなんらかの罠だ。一旦兵を引き、後方の部隊と合流すべき!」
そのように言われたフィクスは、初めて部隊の一部が離脱していたことに気付いたようだ。
「なぜ兵士たちが勝手なことをしているのだ!? すぐにこちらに追いつくように伝えてまいれ!」
「フィクス様!! これ以上は危険だと申し上げている! 撤退の命令を出されよ!」
「危険? 目の前にいるのはたった500程度の敵ぞ、何が危険なものか。つべこべ言わずに進め!!」
「ならば、勝手に進むが良い! 我らはこれ以上は付き合えぬ!」
「ふん! 貴殿がそのような弱腰とは失望した、メルブよ! 逃げたければ勝手に逃げよ!」
言い捨ててなおも先へと進むフィクス。明らかに囮である敵に釣られて、興奮した一部の兵士も付き従ってゆく。前方にいたものも含めて、フィクスに付き従ったのは1000ほど。
メルブは、メルブの指示によってその場にとどまった3500の兵をまとめると、速やかに後詰の部隊との合流のために後退を開始するのだった。




