帝国記(41) 欲
ウルテア攻略軍の指揮権を、一時的にフィクスが預かる。
そのようにスキットから了承を得たフィクスは、「感謝する。これより王にお話しさせていただく。悪いが、私はこれにて」と言い残して、早々に退出していった。
残ったのはスキットと、同じ三宰相の1人、キャナンド。フィクスが閉めた扉の音が完全に消えてから、キャナンドが話しかけてきた。
「……無理を言って、すまぬな」
「いえ。すでに内々で決まっておられたのではないですか?」
「やはり勘づかれておられたか」
「流石に」
「先だって、フィクス殿から『どうにか頼む』と泣き付かれてな。王にも私からそれとなくお伝えさせていただいた」
まあ、そんなところだろう。いくらキャナンドがいたとて、指揮権の移譲などこのような場で勝手に決めて良いものではない。
「王はなんと?」
「スキットが良いと言えば、一時的に認める、と。貴殿に相談せずにすまぬとは思っている」
「いえ、キャナンド様、頭を上げてください。それよりも、やはりフィクス殿は相当焦っておいでで?」
フィクスが自ら兵を率いたいのは、今後の自分の存在価値に関わるからだろう。
名門のクリアード家ではあるが、現在の貴族派閥の主流というほどではない。それがクリアード家の立ち位置である。
そんな家が、旧ウルテア王家の妃を妻として迎え入れた。
実際のところ、我が国においてもライリーンの評判は良くない。デドゥ王の前妻を謀殺したのは、国内でも有名な話だ。
ライリーンの輿入れをいくつかの貴族に打診したが、あのような毒婦を迎え入れて、謀殺されてはたまらないというのが大半。
キャナンドの頼みとはいえどこもおよび腰の中、フィクスがライリーンとの婚儀に積極的だったのはその辺りの事情があるのだろう。
ゆえにこのまま何もせずにウルテア領が我が国の統治下に収まった時、果たして自分の立場はどうなるのか不安なのだ。
ライリーンの子は傀儡としてウルテア“地方”の王座につくだろうが、その人形の糸を操る場所にフィクスが立てるのか。
そのような懸念を抱いていることは想像に難くない。
スキットにせよ、キャナンドにせよ、フィクスを軽んじるつもりはなかった。本来の計画であれば、お膳立てが整ったところで適度に活躍させて、今回の策に協力した功績に報いるつもりではあった。
ただし、それはフィクスの思うような場所ではない。フィクスに傀儡の糸を握らせるつもりは、ランビューレ王からして、ないのだ。
その気配を感じ取ったのか、それとも単に待つことに焦れたのか、フィクスは動いた。
「ところで、今回の話はやはり罠かの?」
キャナンドが話題を変えた。スキットは頷く。
「確信を以て“是”とは申し上げませんが、何かと都合が良過ぎますな」
「そうよの……なるべく被害は抑えねばならん」
すでにキャナンドもこの出陣が負け戦と見ている。スキットも同じ。互いの共通認識でありながら、フィクスの出陣を止めなかったのは、この話し合いの最中においても、計画が柔軟に修正されつつあるからだ。
すなわち、フィクスに一敗地に塗れてもらい、今後大人しくさせるための首輪をつける。
故に、負けても良いが被害は抑えたいという発想に変わっているのである。
「とりあえず私はフィクス殿とは別に、いつものように出陣いたしましょう。今までの経緯を考えれば、ドラクは私を無視することはできないでしょう。牽制にはなるかと」
「……うむ。本音を言えば貴殿にはフィクスについて行ってもらいたいが、フィクスが嫌がるだろうな」
「でしょうな」
ここで2人して少しだけ笑う。咳払いをしたキャナンドは、改めてスキットに問うてきた。
「ならば誰が良いかな」
「そうですな。ロクーレ将軍か、メルブ将軍あたりではいかがですか?」
「……まあ、無難なところか。念の為、救出用の別働隊を密かに用意しておこう。……やれやれ、戦費がかかってたまらぬよ」
「全くです。ドラクより先にこちらが干上がってしまいます」
また2人で笑う。
正直なところ、戦費に関しては笑い事ではない部分もある。今回も一度に3つの大掛かりな軍が動くとなれば、費用の負担は大きい。
負け方によるが、被害がそれなりとなれば、旧ウルテアの攻略も足踏みは避けられなくなる。
もしそうなれば、ドラクはどう動くだろうか?
ここが反転の好機と見てランビューレに攻め寄せるか。それとも南のナステル、或いは西のエニオスに攻め込むか。
いずれにせよ、旧ウルテアの国力が疲弊していると見られる現在、どれもあまり良い手とは思えない。
むしろ、どこかに攻め入ってくれれば、今後スキット達の攻略はやりやすくなるはずだ。
まあ、今までの戦い方を見ればドラクもそれなりに頭の回る男だ。最も無難な選択肢としては、こちらが一度息をつくのを見て、国内の立て直しを図る。これが一番ありうる。
すでにスキットもキャナンドも、フィクスの出陣そのものは問題の対象にしていない。
「ルーゴにも相談しなくてはなりませんな」
三宰相の最後の1人。ルーゴ。
「左様ですね。今からでも伺いましょうか?」
そうしてスキット達は敗戦後の対応について話し合うために、ゆっくりと席を立った。




