帝国記(4) 春嵐4
「ドラク様、エンダランドの旦那が帰ってきましたぜ」
手下の一人が報告にきた。放っておいてもエンダランドはやってくるはずだが、わざわざ知らせに来たらしい。
「おう、分かった」
手下に軽く礼を言いながら、ドラクは書類仕事に勤しむ。普段手下を連れてただ遊び歩いているように見えるドラクだが、一応やるべきことはやっていた。
特にここ最近は新しい政策などにも取り組んでいるため、少しばかり忙しい。その原因はエンダランドにもある。
大口を叩くだけあって、エンダランドは優秀だ。ドラクが聞いたこともないような他国の統治方法にも明るい。
ドラクはそれらに耳を傾け、面白そうなものは片っ端から試している最中である。
当のエンダランドは時折実家に帰りつつ、なんだかんだとドラクの元に1年以上滞在している。
自分で放蕩息子と認めていた割には、ちゃんと定期的に実家に戻るのは少々意外であったが、エンダランド曰く、
「そうしておけば金を貰えるからな。色々見聞きするには金がかかるのだ」と、つまらなさそうに返してきた。
今回もしばらくぶりの帰還だ。実家や他の地域を巡ってきたのだろう。
「よう。お帰り」
ドラクに声をかけられたエンダランドは顔を顰める。
「別にお前に仕えると決めたわけではない。帰ってきたと言うのは違う」
エンダランドはそう言いながらも、領主舘にしっかりと自分の部屋も確保している。そうして日々、ドラクの政策に助言を与えているのだから、ほぼ配下みたいなものである。
まだ19になったばかりのドラクには、近しい歳の取り巻きは多いが、経験豊富な側近が少ない。父に仕えていた者の多くが、若造であるドラクに不安を覚えたのか、次々に去っていったことで、その状況に拍車をかけていた。
そのため、20以上歳の離れたエンダランドはドラクにとってはありがたい存在であった。試している政策のいくつかは、幸いにして今のところ領民に好評のようだ。
エンダランドにしても、提案した事をドラクが実行しようとしているのが楽しいのであろう。なんだかんだと悪態をつきながらも、どこからか新しい話を持ち込んでは、ドラクへの土産としていた。
ドラクの手下たちも特殊な立ち位置のエンダランドに一定の敬意を払い、いつの頃からか「エンダランドの旦那」と呼ぶようになっている。
ドラクはにわかに、領土運営に手応えを感じ始めていた。
―――こうして領土を豊かにするのも、悪くねえ―――
そんなふうに思い始めた頃、事件は、起きた。
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その日の夜は、霧雨が降っていた。
深夜と言って良い時間帯、ドラクの屋敷の戸を叩いたのはサリーシャだった。
雨具もつけずにやってきたサリーシャ。ガタガタと体を震わせ、顔色は真っ青だ。今までに一度も見たことのない只事ではない様子に、ドラクはとにかく濡れた髪を拭くように布を渡し、冬の残りの薪を暖炉に入れて火を焚べる。
執事が持ってきた温かな紅茶を口にしたサリーシャは、ようやくゆっくりと息を吐く。
その様子を確認してから、ドラクはサリーシャに声をかけた。
「一体何があった?」
サリーシャは身体を固くして、まだ少し震える唇から言葉を絞り出す。
「お父様が、帰ってこないの。王都で拘束されたって……」
「親父殿が? なぜだ?」
「分からないわ。何か王の不興を買ったらしいとしか……」
サリーシャの父親、コードルは安易に王の怒りを買うような人物ではない。それはドラクもよく知っている。しかも領主という立場の人間が、突然拘束されたとなれば……
「陥れられた、のか?」
政治的な戦いで、親父殿が敗れた。そして政敵の謀略で拘束されたと考えるのが、この国においては一番自然だ。
サリーシャはただ、手にしたカップを見つめながら、小さく頷く。
「……親父殿と敵対していた貴族に、心当たりは?」
「……ないわ。少なくとも、私は知らない」
ドラクも自身の記憶を弄ってみるが、親父殿が何か諍いを起こしたと言う話は聞いたことがなかった。
「……とにかく、夜が明けたら早々に王都へ向かうぞ。親父殿の引き取りをする」
「……お願い、ドラク」
ドラクはしおらしいサリーシャの肩を、そっと抱く。
「安心しろ。親父殿のことだ、うまく立ち回るに違いない」
「……ええ。そうよね」
サリーシャは自分に言い聞かせるように、「そうよね」と繰り返す。そんなサリーシャの様子を見て、とにかく休むように促して、執事へ客間へと連れてゆかせた。
サリーシャを部屋に送り届け、執事が戻ると、ドラクは指示を出す。
「主だった奴らにすぐに集まるように伝えろ、寝ていても叩き起こせ。エンダランドも、だ」
こうして夜中にも関わらず、ドラクの屋敷には多くの手下が集まってきた。
「とにかく事情が分からん。どんな状況にも対応できるようにしておくぞ」
そのようにして意見を集めているうちに、夜が明ける。
しかし、ドラクが王都へ出立することはなかった。
朝一番で、コードルが横死したとの知らせが届いたのである。