帝国記(32) バウンズの思惑
グリードル軍、バウンズ領へ侵攻。
知らせはすぐに、バウンズの耳にも届くこととなった。にも関わらず、バウンズ軍の動きは鈍い。
「なぜゆえに、出陣せんのだ!」
バウンズに噛み付いているのは、親衛隊を率いるワックマンである。
「こちらの方が寡兵なのに、わざわざ野戦に出るなど馬鹿のやることよ!」
ワックマンの意見を真っ向から否定するのは、バウンズの息子、ズドタル。
「では籠城ならば、砦に移るべきであろう! このような満足な塁壁もない街で、なにをどうすると言うのか!」
バウンズ領内にもそれなりの砦はある。だが、バウンズの本拠であるケイーズの街に止まっていたのは、他ならぬバウンズ本人の指示だ。
ワックマンが何度か本拠を砦に移転するように進言したが、聞き入れられなかった。
ワックマンはこの件に関して、ズドタルと何度も衝突している。戦いに関しては素人のズドタルは、机上の空論を振りかざして否定しようとするのだ。
「これからウルテアの王を名乗る一族が、こそこそと砦に隠れていられるか! 同盟者のナステル王国へ援軍に来てもらうように打診している! あやつらが到着すれば、反逆者など何するもの! それまで街に篭って待てば良い。それがわからんのか!」
ズドタルの反論に、ワックマンはただただ呆れていた。
ズドタルの言葉には、なんの根拠もないのだ。ナステル軍が援軍を了承したと言う話など、微塵も聞こえてこない。ただ、こちらが一方的に援軍の打診をしているだけ。
そもそもつい先日まで、ナステルから早くグリードルへ攻め込めとせっつかれていたのである。ナステルの要望に押される形で出陣した親衛隊は、自滅に近い形で敗走という最悪の結果を生んだ。
ナステルの側に立って考えれば、我々は益のない存在とみなされていてもおかしくはないだろう。
兵は少なく、援軍は不確定。内輪もめをしている状況ではない。しかし、ズドタルは親衛隊が敗北したという一点のみを取り上げ、ワックマンに対して増長を見せていた。
「ワックマンは私と、父上の指示に従っておれば良い。そうですよね、父上」
ズドタルがバウンズに同意を求めるのを、奥歯を噛み締めながら見つめるワックマン。そのワックマンに視線を向けたバウンズは、小さく息を吐いた。
「ワックマン殿の意見にも一理ある。しかし、息子が言った通り我が方の兵数には少々不安がある。そうではありませんかな?」
親衛隊は文字通り半壊した。8000もの堂々たる陣容は、たった一戦で3400の兵を失い、残すは4600。加えてバウンズがかき集めた兵士は、僅か1800に過ぎない。
傘下の貴族からも供出させ、一時期は2800を超えていたバウンスの私兵。親衛隊の敗北ととともに逃げ出すものが続出し、みるみるうちに数を減らしていった。
つまり、バウンズの総兵力は、あてになるかも分からぬ兵を含めてたったの6400。
ここに至り、ワックマンはこの男に付き従ったことを後悔し始めていた。
そんなワックマンの気持ちを知ってか知らずか、バウンズはズドタルへと視線を向ける。
「とはいえ、ワックマン殿はウルテア随一の将。ズドタルよ、ワックマン殿にあまり失礼な口を聞くではない。謝罪をせよ」
「ですが!」
「私は、ワックマン殿に謝罪せよと言ったのだ。聞こえなかったか?」
「くっ。申し訳……ない……」
息子の謝罪を確認したバウンズは、再びワックマンに向き直る。
「……私は、ワックマン殿に、私の運命を委ねようと思っておる」
「……どういう意味ですかな?」
「我が軍の指揮権全てを貴殿に預ける。それを持って今一度あの逆賊と一戦を交え、返り討ちにして頂きたい」
「全軍を? では貴殿はどうされるのか?」
「私はこの街の主。そしてこの街は我が領土の中心である。勝つも負けるも、運命をこの街の民とともにするつもりにて」
「ほう。しかし、それならば前線に出て指揮を取るもまた、民のためではないですかな?」
「そうしたいのは山々ですが、残念ながら私はワックマン殿ほど用兵に明るくはなく、指揮経験も少ない。我がウルテア最高の将であるワックマン殿を差し置いて、私が出しゃばって良いことはないでしょうな」
「……では、ご子息殿だけでも出陣されてはいかがか? もし貴殿らがウルテア再興を目指すのであれば、その方が外聞が良いのでは?」
そんなワックマンの言葉に、バウンズは首を振る。
「私もそのつもりだったのだが、今の2人の会話を見るに、我が愚息が戦場に出るのはまだ時期尚早のようですな。ワックマン殿に対する物言い。戦場で同じようなことがあれば、味方の士気を下げかねん。残念ですが」
しばし、ワックマンとバウンズの睨み合いが続く。そしてワックマンが小さくため息を吐いた。
「……では。私が全軍を率いて出陣いたしましょう。本当にそれでよろしいのですな?」
「無論。聞けば、王族は王家の誇りを捨ててランビューレの軍門に降ったようですな。全く恥ずべきことです。結果的に、ウルテアの誇りは我らにしか宿っていなかったということですな。期待しております。頼みますぞ、ワックマン殿」
「……」
その言葉にワックマンは答えず、一礼して部屋を出てゆく。
しばらくしてズドタルが忌々しく、「あの程度の無能になにゆえ私が」と吐き捨てる。
「ズドタルよ。捨て駒というのはきちんと持ち上げてやって、うまく使うのだ。“亡命先”では、そう言ったこともしっかり学ぶが良い」
バウンズは低い声で、ゆっくりと笑った。
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「打って出ることになった」
兵達を前に、ワックマンが宣言し、出陣準備が粛々と始まった。
そんな中、ワックマンは一人の側近にある命令を下す。
グリードルの軍勢はもう、数日後にはやってくるはずであった。




