春と巨人
春。それはあらゆる物語の始まりの季節である。
入学、入社、入職。日本ではあらゆるものの起点として春は象徴される。
それは私にとってもそうなのかもしれない。
この春にわたしこと高橋葵は高校1年生になる。
実家のある街からは離れて、少し遠くの高校を選んだ。
学校を選んだ理由は偏差値が丁度良く。何より落ち着いた雰囲気の学校だったからだ。
私は登校すると少し古ぼけた靴箱にローファーを入れクラスに向かった。
扉を開けるとにぎやかな声が教室から聞こえて来た。
今日も朝からみんな元気なようだ。
「高橋さんおはよう!」
とすれ違った子たちと挨拶を交わす。
「葵ちゃんおは~」
私が席に着くと隣に座る女子がスマホを触りながらあいさつしてきた。
彼女は秋田瑠璃という。
まだ学校が始まって3日ほどだが彼女は私とよく話してくれる。
彼女はいわゆる陽気者という感じで、少しウェーブがかった薄茶色の髪が特徴的であった。
「おはようございます!秋田さん」
と私は勢いよくあいさつを返す。
「るりで良いって~、お堅いな~」と彼女は笑う。
私はつい癖で誰にでも敬語を使ってしまう。
「それよりもさ、アオイちゃんは何やるか決めた?」
秋田さんはまたスマホに目を向けながら訪ねる。
「何をやるかって?」
「そーそー、部活。なんか今日から勧誘が始まるらしいよ」
私はそう言う情報には不案内だったので
「へぇ」
と腑抜けた声で返してしまった。
そしてそのまま私は少し黙って、考えに耽る。
「部活かぁ」
部活。正直言ってあまりいい思い出が無い。
私は小学校から運動部を続けているが、どれもこれと言って結果を出したわけでもない。
それに、中学校の時の部活は最悪だった。
だから部活というのに私はあまり乗り気ではなかった。
「なんか興味あるスポーツとかないの~?」
と秋田さんは聞く。
「うーん、わかんないなぁ」と私は首を傾げた。
「そっかぁ、まぁ私も特にこれと言って決めてないんだけどね~」
と秋田さんは言った。
私はそれから一日中部活を頭の隅に置きながら過ごした。
ーーー
放課後のチャイムが鳴った。
私は一度腕を伸ばして肩をほぐした。
古い学校なもので椅子が固く、ずっと座っていると体が痛くなってくる。
「ねぇ~アオイちゃん結局部活どこへ行くか決めた?」
「決めてないなら友達と一緒にバドミントン見に行くんだけど一緒に来ないー?」
と秋田さんは訪ねて来た。
だが私はあんまり部活動に乗り気ではなかったので
「うーん。今日は良いかな」
とやんわり断ってしまった。
「えー何でよー!ん~じゃあまた今度は絶対来てよ?」
せっかく誘ってくれた秋田さんには悪いが、あまり部活に乗り気ではない。
私はバックに教科書を詰め込んで、机の上の消しカスをゴミ箱へ入れるとさっさと教室を離れようとした。
がしかし廊下に出た瞬間、私は角から現れた人影にぶつかってしまった。
私は咄嗟に謝ろうと相手を見た。
そこに立っていたのは見上げるほど大きな女子生徒で、長い長髪が印象的だった。
「あ、あの!すみません」
「あぁん?」
ぶつかった彼女はだいぶ大人びた顔つきをしていた。
堀が深く、輪郭の鋭い彼女は3年生だろうか。その圧たるや、およそ尋常の者ではない。
私は少し怖気てしまった。
彼女は私の顔を覗き込むように見ると「ほぉう・・・お前」
と小さく頷き笑いながら「よし、お前グラウンドへ来い」と腕を引いた。
私はそれを断る間もなく連れて行かれた。
この人は怪獣か何かか。都会に来ると恐ろしい事もある物だ。
地元にはこんなめちゃくちゃな人は居ない。
一体どうなってしまうの。私の高校生活・・・・
ーーーー
グラウンドは校舎の裏手にあった。入学して日の浅い私たちはこちらのグラウンドに来たことが無い。
右手ではサッカー部が球を突いていた。
「サッカーですか・・・?」
「あほ、私がサッカーやる様に見えるか?」
「そんなもの知りませんよ!」
と私が言うと彼女はそのままずかずかとグラウンドを横切り、更に左手のほうへ向かった。
そこまで来てこれが部活の勧誘であることに気が付いて私は少し胸をなでおろした。
てっきり私は因縁をつけられて身ぐるみはがされると思っていたから。
そこには十人ほどの人だかりがあった。
彼女らは何やら楕円型のボールを持っていて、腕や足にはテーピングを巻いていた。
ボールを持つ選手が走り出す。
素早い走りで敵役の選手たちを置いてきぼりにする。
だが、それを阻むように一人の選手が前に立ちはだかる。
するとボールを持つ選手はそれを避けるでもなく、加速してそれを正面からぶつかりに行った。
両者が衝突する。然し、行く手を阻んだ方の選手の方がやや相手の芯を食ったようで、ボールを持つ選手はそのまま後ろへ吹き飛ばされた。
「わっ、」
私はその激しさに思わず声を出してしまった。
さながらそれは格闘技の様であり、そのような競技になじみのない私は少し驚いてしまった。
だがしかしプレーをする彼女らの顔は清々しさそのものであった。
選手たちは今のプレーの良かった点を褒めて次の練習に向かった。
それはとても平和で、尊敬に満ちていて、まぶしかった。
もちろん単にその一場面を見て単純に直感したに過ぎないが、すくなくとも私がイメージしていた部活の様子とはだいぶ違う。
「これがラグビーだ」
「ラグビー?」
「そうだ。ラグビーだ」
と長身の彼女は私に言う。
私は胸が騒めくのを静かに感じていた。彼女たちの姿にだけではない。私の直感によって。
だが部活は私の中での暗い記憶と結びついている。
友情とか、努力とかそういう言葉が安っぽく連呼される時代に、私はそんなものに心動かされるなんてありえない。
だがしかし、これは純粋に面白そうだ。
「お名前はなんていうんです?」と私が彼女に聞く。
「あたしか?私は諸星悠。ユウって呼んでくれ」
彼女は口角を上げて私の眼を見つめた。
私もそれに答えるかのように笑顔を作った。
新しい物語の始まりとしての春。
私の首元にもその風は通り過ぎて行った。
ーーー 数日前 県立スポーツセンター ーーー
風を切って、風を切って、少女は走る。
追いすがろうとする者は、腕を伸ばして飛び掛かったが
誰もその速度に追いつけなかった。
彼女にとって、敵は障害足りえなかった。
彼女にとって、グラウンドは独壇場だった。
そのまま少女は運動場の端に建てられたゴールポールを最大速度で振り切って、ボールを地面に打ち付ける。
「強い!強い!!県央高校、これで4トライ!ラストワンプレーも彼女が決めた!」
試合の様子を中継する地方局のキャスターが興奮気味に叫んだ。
その言葉と共にカメラはトライを決めた少女の顔を画面いっぱいにズームする。
彼女はヘッドキャップを降ろし、綺麗な髪をたなびかせて
その鋭い顔立ちをゆっくりとカメラの方へ向けた。
そして勝ち取ったトライ(ラグビーでゴールを決める事)を誇るかのようにゆっくりと右手を掲げた。
「なんといってもこの少女!天童ルイ!超高校生級のスーパー選手!!」
「曇りがちなこの天候の下でも、太陽王は一切の陰りなく輝いています!」
彼女は夕日を背にして今一度観客席に会釈した。
堂々たるその表情はおぼろげな夕景の中でもはっきりと見えた。
その光景は、敗者にとっては終生忘れる事のない覇王の背中として。
そして憧れる者にとっては英雄の肖像として焼き付いた。
海岸から登った風が、このグラウンドまで届いて天童の髪を静かに揺らす。
そして彼女は残照を背に静かに笑った。
彼女は試合後に地元のテレビ局や新聞記者からインタビューを受けた。
「全国区でも注目の選手である天童選手ですが、今日のプレーは圧巻でした。まずは何か一言ございますでしょうか」
と記者が言う。
それに彼女は「まずは相手チームに感謝を。彼女らが居なければ試合はできなかった」と王者たる風格で堂々と答え、記者たちを感嘆させた。
「名門ひしめくこの激戦区にも関わらず、すでに県内に敵は居ないという声も聞こえますがやはり意識は全国に向いていますでしょうか?」
「もちろん私は、自分とチームに自信を持っています。しかしながら敵を侮ることはありません。
更に素晴らしい相手と全国でやりあえることをもちろん望みますが、県下でもこの後の世代が、或いは今日私に敗れた選手たちの誰かが牙を磨き、私を打倒する程までに成長する事を望みます」
「それは何故でしょう」
記者が興味深そうに聞くと天童は待ってましたと言わんばかりの笑顔で答えた。
「さらにその彼女らを打倒し、私がさらなる高みへ登るためです」
これは県下の選手たちに対する”私を倒して見ろ”という明確な宣戦布告であった。
天童はカメラのレンズ越しに自信を帯びた表情で微笑む。
そして何処からともなく吹いた風が、首元を通り過ぎた。
●言い訳と諸々
※この物語はフィクションです!!
高校生女子ラグビーは実際に結構行われています。
ただ競技者数が少なく、15人制を行っている事は(女子では)多くありません。
基本的に7人制がメインです。また、物語では幾つもの競技校が出てきますが、
男子・女子共に近年は減少傾向にあります。