表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

若き高山誠の苦悩

 新進気鋭、誰もが羨む若きイケメン独身・天才脳科学者・高山誠は、プライベートでは実は密かに苦悩していた。

 ここまで彼を支え、女手一つで育て上げてくれた母に、これからやっと恩返しができるという矢先、彼の母は認知症を発症してしまったのだ。

日に日に症状が進行していく非力な母の介護ベットの隣の丸椅子で、高山は悔し涙を噛み締める。

「母さん・・・辛い浪人時代、母さんが夜のパート先のコンビニ弁当工場から持ち帰ってくれた弁当が身に染みて旨かったよ。あの味に俺は支えられてここまで来た・・・母さんが作ってくれた、落とし卵の熱い味噌汁と・・・

貧乏を我慢しきれず待ちきれなくなって去って行ったガールフレンドも居たけど、母さんだけは僕の成功を一緒に信じてくれたね・・・

僕の方が挫けそうになったときも、夢を諦めて簡単に就職することを良しとせず、母さんは叱り支え励ましてくれた・・・

僕達二人で苦労を乗り越えてきたんだよ、母さん・・・弁当は今もそこら辺のコンビニで売ってるけど、母さんが持ち帰ってくれた物とは、何だか味が違う・・・もう一度台所に立ってよ、母さん・・・行きたがってた温泉旅行にだって、今ならいくらでも連れて行ってあげられるのに・・・」

看護婦達は大いに高山をチヤホヤしたが、彼の方では母への対応を真面目にやって貰いたいので当り障りの無いよう紳士的に礼儀正しく対応するだけ。

母の病室に二人きりになると、なんとしても苦労をかけた母に恩返しをしたくて、皺の刻まれた母の手に唇を寄せながら、天才脳科学者としての高山の頭脳はフル回転した。

母が不安定ながらも眠りにつくと、毎夜そこから高山は研究に没頭した。


 そしてついに、試作品が完成!!

これを脳に埋め込めば認知症が治るはずの、革新的なナノチップである。

しかし、これを誰の脳で試せば良いものか・・・?

左手の中に試作品を握り締め、右手で母の小さな手を包み、高山は母の細い寝息を聞きながら、その夜は一晩中、母親が寝入った後も病室に居残り、悩み続けた。


 翌朝。まだ母が目を覚ます前の早朝、窓に掛かったカーテンが白い光に染まりだす頃、冷たい水でバシャバシャ顔を洗った高山は、洗面台の鏡に映る自分の顔を見詰め、決意する。携帯電話ですぐに電話をかける。相手は、大学時代からの付き合いで脳研究学の同僚でもある古田君だ。

「古田君、僕の脳で実験してみないか?」

高山からの熱い頼みを断り切れず、「最初は動物で実験だろう・・・せめて猿から・・・」と初めは渋っていたF君も、「時間がない!お前しか頼れないんだ!!お願いだ!!」と説得され、根負けして、承諾。

「分かった。第2実験室を使おう。一応念のため信頼の置ける看護師も近くに待機させておくが僕一人で執刀する。死ぬなよ」

「きみの腕は確かだ。だからきみに頼んだ。一時間後、第二実験室で」


 手術は一時間で終わった。麻酔から目を覚ました高山が最初に目にしたものは古田君だった。

F君は同僚が麻酔から覚めるのを待ちながら鍵を掛けた秘密の手術室でベッドの隣の丸椅子に腰掛け、何やら論文雑誌を集中して読んでいた。そのF君の背中から立ち上る蒸気のような気配、彼の体を取り巻くまわりの空気、雑誌に向ける視線に、青い炎のようなオーラが揺らめいて見えた。

高山は目をシパシパ強く瞬き、頭を軽く振ってみたが、F君のまわりの青いオーラは消えない。見間違いではないようだ。やがて、F君がこちらを向いた。

「あ、気が付いたね。と言うことはまず手術は成功だね?問題はなさそう?」

「うん。ありがとう。今日一日で試してみる」

「何かあったらすぐ連絡してくれ」

F君がベッドの上に上体を起こす高山の背中に手を添え、助けてくれる。その時、高山の方でも、F君の肩の(今は優しいオレンジ色の)分厚いオーラの炎を突き抜け、友の肩に掴まったが、焼けるような熱や焦げる匂い等は感じなかった。

自分の手を見下ろしてみる。微かな白い炎が不安げに揺らめいて見えた。これが今の俺のオーラか・・・

「ん、どうかしたか?」とF君。

「いや、なんでもない・・・」高山は説明のつかない違和感はもう少し自分の中でよく分かるようになってから打ち明けようと、友の目を見詰め、それから首を横に振った。

「ありがとう」

「困ったときはお互い様さ」


 第二実験室を出る。時刻は正午。脳科学研究所の廊下は研究員、教授、助手、掃除のおばちゃん、配達員、大学院生、様々な人々が静かに足早に目的を持って行き交っている。皆それぞれにオーラの色、厚み、揺れ方が違う。

書類に目を通しながら足早に角を曲がってきた研究員生が、宅配便のアルバイト青年とドンと正面衝突した。

「おい、コラ、注意しろよ!」と自分が悪いのに怒鳴って自分の分だけ落ちた荷物を拾い集めると、員生はサッサと去った。

ぶつかるまでは二人の青年は二人とも黄色い薄いオーラに包まれていたのが、衝突の瞬間、燃えるような赤い炎のオーラが二人の肩からブワッと上がり、悪態を吐いた方の青年はすぐにオーラの炎の勢いが収まり色も淡く元通りに戻っていったが、黙って落ちてしまった荷物を集めている宅配員は怒りの炎をメラメラと肩に宿らせたままだ。

すると大きなゴミ袋を持った水色の制服に白いオーラの掃除のおばちゃんが今度は廊下の反対側から現れ、「あらあらまぁまぁ」と言いながら宅配員青年の落とした荷物を拾う手伝いをしてやりだした。

「・・・あんたの荷物はこれで全部かね?」

「はい、ありがとうございます。助かりました」

「いえいえ」

優しい世話焼きおばちゃんが立ち去る頃には、配達員青年のオーラは緑色の柔らかい揺らめきに変わっていた。


 高山は眼鏡を外し、目頭を揉み、それから意を決して研究所を出、さらに人混みの多い街中を自宅へ向かって歩き出した。

(あれは小学三年生の頃のこと・・・)高山の回想が始まる。(まるで眼鏡を人生初めてかけたあの日のようだ・・・突然物がよく見えるようになり過ぎて、2、3日は酔ったようだった・・・気持ちが悪い・・・)

街は街自体、行き交う人々の服や髪や鞄の色自体、狂ったペンキ屋がペンキの全色をぶちまけたよりも色で溢れているというのに、それにさらに揺れ動き虹色に刻々変わる色彩のオーラが加わったのだ。街の人口が突如倍に増えたようなものだ。ギリギリで身を躱して擦れ違う人々のオーラは重なり合って混濁した色に見えるし、肩幅を縮めて歩く人々のオーラはまるで体積の分だけ上に伸びたように空に向かって尖っても見える。

もともと若干繊細なタイプの高山は駅へ向かうにつれ混み合う人波に、真っ直ぐ歩くのにもヘトヘトに疲れた。

 片方はピンク色のラブラブオーラ、もう片方は氷のようなブルーの打算的オーラを身に纏わせた一見幸せそうなカップルのそばを通り過ぎた時、

(嗚呼、ダメだ、一回休憩しよう・・・)と近くにあったカフェに倒れ込むようにフラフラと入った。

コーヒーを一杯注文し、カップの中の小さな丸い黒い水面だけを見詰めて呼吸を整える。茶菓子に出されたサータアンダギーが香ばしく、脳に程よい糖分をもたらす。

やがて高山はコーヒーショップの窓から外に視線を向ける。未だ陰りを見せぬ9月の残暑、蜃気楼揺らめく表の通りをあくせく行き交う通行人達。飾り加工のガラス越しに見ると、外を行き過ぎる人影は滲んで本体がないカラフルな幽霊達のようでもある。

 カップ一杯のコーヒーとサータアンダギーで一息吐いただけで、稀代の脳科学者高山の才気は蘇る。

窓からの更なる人間観察により、高山はだんだん理解した。

それは、この全ての人間が放っているらしいオーラというものは、カメレオンのように気分と共に体色を変化させるものであること。そして、興奮の度合いや体調、体力の大小で、その人の体のまわりに揺らめくオーラの幅は太くなったり消え入るように細くなったりするようだ、と言うこと。

(こんなものが見えるようになってしまったと言うことは・・・人の感情や欲するものに気付かないフリをしようにももうダメだ・・・)


その夜、高山はいつもより早めに母の入院している病院に来た。

「母さん・・・」

「あんた、誰だっけ・・・?」

「嗚呼、お母さん、僕だよ・・・母さんの一人息子の誠だよ・・・」

「誰?」母は耳に手を当てて聞き返した。「聞こえないよ!」

高山は老いた母の耳に屈み込んだ。鼓膜が心配だが、そうも言ってられないので、大声で繰り返す。

「お母さん!僕はあなたの息子です!!」

「嘘つけ!あたしゃ嫁入り前の16歳だよ!おっさん!軽々しく近寄らないで頂戴ッ!」

「嗚呼・・・母さん・・・」

高山は指先で自分のこめかみをグイと押さえた。正しくは、チップを埋め込む際に丸く刈り上げたこめかみの円形禿げの中の縫い跡に。

(お母さんに直接チップを埋め込まなくて良かった・・・失われていく記憶、記憶力に加え、余計な変な物まで見え出したら、もっと大変だったろう・・・しかし・・・これは認知症を治す特効薬ではなく別の用途に向いているチップだったな・・・あるいは、健康な脳に埋め込んでしまったから余分な能力が更に開花されてしまったのか・・・?人々の感情がオーラとなって目に見えるだなんて・・・)

こうして苦悩する高山誠の苦悩のタネが一つ増えてしまったのである。





苦悩する高山誠の苦悩・前編・おしまい!

後半に続く!!





 高山は興奮してしまった母親から離れた場所まで椅子を引き摺っていき、しばらくそこに腰掛けて彼女の様子を見守った。盛んに燃えていた母のチカチカ危険信号のような赤いオーラがやがて落ち着いていき、いつものスミレ色に戻るまでに、高山は母の使って汚したパジャマや下着類を持ち帰る用の汚れ物を入れる袋に纏め、かわりに家からスーツケースに入れて持ってきた洗濯済みの畳んだ衣類を出して病室の戸棚にしまった。

蓋と取っ手付きのコップに林檎ジュースを注ぎ、ストローをさして母の手の届く介護ベッドのテーブルに置いてやり、寝たきりで退屈しないようテレビを点けて、しばらく二人で一緒にくだらない番組を眺めた。

やがて消灯の時間を知らせに看護師が個室の病室ドアをノックしに来た。

「高山さん、そろそろ・・・」

「あ、はい・・・」

看護師が行ってしまうと、高山はウトウトしかけている母をソッと眺めやり、耳の遠くなってしまった母に聞こえなそうな小さな声で辛い胸の内を打ち明けてみた。

「お母さん、僕、変な能力を手に入れてしまったよ・・・普通の人は見えない物が見えるようになっちゃったんだ・・・カンニングするつもりがなくても答えが透けて見える試験を受けてるようなものだ・・・真面目にやってる同期達の中で、上司の気持ちが良く分かる僕が一番早く出世してしまいそう・・・勘の良い奴は何かおかしいと妬むかも知れないな・・・」

「例えば?何が見えるというの?」母親は本能的に息子の不安な心境を鋭く感じ取ったようだ。ベッドの上で目を開け、息子を見上げた。

「例えば、お母さんのオーラだよ。淡い淡い虹色の仄かな光だ。たまに、視線の矢印が集中して注がれる・・・テレビを垂れ流して見るとも無く見てるけど、何の印象も無いのかと思いきや、桃が映るとパッと華やいだオーラが燃え立つね。食べたいんだね。明日買ってくるよ・・・」

じゃあもう行くね、と、高山が病室を出かかったとき、母がその背中に声をかけてきた。

「使える物は使ってね?」

「え?」桃の皮を剥く包丁か何かの事を言ってるのかと高山は母を振り返った。

「使える物は使いなさい。新しく開いた目の事よ。捨てることが出来ないなら、使いこなせる度量も合わせて手に入れなさい。見えない他の人の事など気にかけていたってダメ。仕方がないじゃ無いの。あなたは生まれつき人よりもよく出来る子よ。それは抜け駆けじゃないわ。ただ、あなたが天才なだけ。そう生まれついてしまっただけ。だったら、自分の宿命を受け入れて、凡人を蹴散らして上へのし上がりなさい。天から授かったせっかくの才能をただの悩みの重しにして沈んでは罰が当たる。天才とは孤独なものよ。可哀想に。でも、私だけはいつも味方よ。クヨクヨせずサッサと開き直って幸せを掴むためにその才能を使いなさい。使いこなせば有用な能力じゃない。人のためになるように使い、自分のためになるようにも使いなさい。誰に何と言われたって私はそれで良いと思うわ。あなたが幸せになってくれることが何より私への一番の親孝行なのよ」

「お母さん・・・!」

高山は今はハッキリと頭も明瞭そうに見える母に駆け寄り、骨と皮だけのようなその痩せた体をギシギシ軋むほど抱き締めた。

「分かったよ、僕は成り上がる!見ててね、お母さん!そしていくらでも桃食べさせてあげるよ!」

こうして高山誠は脳内ナノチップによって手に入れた特殊能力を使いこなす事への良心の呵責を乗り越えたのである。


 彼は自らの研究資金の獲得や人間関係の操作にこの能力を大いに利用し始める。

彼の母は好物の桃やマスカットをたらふく食べ、少し太って血色も良くなり、自分の一人息子を思い出したり忘れたりの日々を介護士や療法士に付き添われながら病院のベットで過ごし、ゆっくりゆっくり三歩進んでは二歩下がっての、最愛の息子に看取られながらのまずまず幸せな人生の幕引きに向けて歩んでいた。

 そんなある日、更なる痴呆症改善への研究に打ち込む高山の研究室に一本の電話が鳴り響く。ピリリリリ!ピリリリリ!高山は携帯電話の画面を見てハッと息を飲む。

「はい。高山の息子です」

「お母様の担当医Sです。至急病院へお越し下さい。お母様が危篤です。今夜が山場です」

「い、急いで今から向かいます。」

高山はとるもとりあえず病院へ駆け付け、母の手を握り締め、最愛の人の天国への旅立ちに立ち会うのに間に合った。

「赤ちゃんは?私の赤ちゃんは?どこ?」

母は自分のベッドを取り囲んで自分を見下ろす医師や看護師、夫に似た面影の高山の心配する顔を見て、誠君を出産したときの光景に重なったのか、赤ちゃんを早く抱きたいと言う風に布団から両手を出して宙にゆらゆら広げた。

「僕だよ、お母さん」

「あら」高山の母は息子の目に最後に焦点をピッタリと当て、満ち足りた様子で安らかに息を引き取った。


 それからしばらく高山には放心の日々が待っていた。母の死ぬまでになんとか間に合わせるため日夜頑張ってきた痴呆症の研究も、もはや彼にとっては無意味な物となってしまったのである。

心の支えを失い、ガバガバに開いた高山の大きな心の隙間に付け入ろうとする女性はいくらでも居た。しかし、この女こそはと言う女には滅多にお目にかかれない。

みんな高山の知名度やら財布の中身やら顔の造形、キャリアにばかり興味を持っていて、それがオーラの興奮度にとって易々と本人にバレてしまうのだ。彼の存在の全てを良い面も悪い面も含めて愛し、例えズルをしてもサボっても汚い真似をしてもそれすらも受け入れて、かつ嫌われることを恐れず叱り、にこいちで我が身のように二人での乗り越え方を考えてくれた母には比べようもない。

 どうしようもなく人肌が恋しくなれば、ともかく適当なそこら辺の女を捕まえて来て抱けば数日間は持ちこたえることが出来た。

 高山は隣に置く女性をとっかえひっかえし、いつも新鮮な相手を欲し、ちょっと味見してはポイと捨て、ちょっと囓ってみては横へ置いといて別の女をまたお味見、と言った感じに、あまり恋人としての女性は大切にしない男だと言う評判を自他共に広げ認識し始めた。

「お前はマザコンか。お母さんが亡くなられてからのお前を俺は好かない。シャキッと立ち直れよ!もうそろそろ早く」

友達のF君も自分の紹介した女性を適当にあしらわれ気を悪くして高山を見限りかけた。

「だってどいつもこいつも浅はかなんだよ!みんな俺の一部分、どこかだけちょっと知ってちょっと気に入っただけで阿呆のようにポヤポヤとピンク色のオーラを全身から放ち、あなたの全てを愛してる、なんて安っぽい嘘を吐いてくる。気分はコロコロすぐ変わり、そうすれば情熱的な誓いの言葉もすぐ嘘になるというのに・・・!」

「そら恋ってそういう風に勘違いで始まるもんだろ。ある一面を見て残りの100%を想像で良いように解釈して好きになってるつもり。誰でも始まりはそうさ。だけどちょっと違ったなぁと分かっていって夢が覚め、魔法が解け、現実を見て、それでも、二人でなんとかやっていこう、勘違いをも本物にしてしまおう、って言うところまで来て本物の愛にしていくんじゃないのか。二人の努力で。その時間も手間もお前は相手に与えないで、表面的な温もりだけ頂戴して、一晩の寂しい夜を乗り越えるのに使い、朝には捨てる。ポイと。まるでゴミのように。失礼じゃないか?相手はこれからずっとお前と寄り添え続けられるならと期待して身を捧げてるのに・・・」

「だったら、本当の事を言って欲しい!本当は蕎麦が食べたいのに僕が魚か肉かと聞いたら、どっちも好きです、なんて可愛らしい声で大人しく言う。だけど蕎麦屋の前を通って寿司屋に入ると後ろ髪引かれてるんだ、お見通しの嘘をつかないで欲しいね。これから先もずっと一生気を遣われるなんて疲れるよ。バレバレだし、そんなの飽き飽きなんだよ!」

「子供が欲しいと言わなかったか?」

そうなのである。母の口から最後に「赤ちゃん」と言う単語を聞いて以来、高山の胸にわだかまり続けてきた。

(母は孫が見たかったのではあるまいか?死ぬ前に孫が抱かせてやれなかった・・・)それが今になって悔やまれた。

端から見ていて、高山の身辺の荒れよう、落ちぶれように、同僚のF君にも、こいつには女性と言うよりも支え合える家族が必要なのではないか、自分を絶対必要とする存在が有ればまたこいつはシャンと立ち直れるのではないか、と思えたのである。

 別に寂しさを適宜埋め合える間に合わせの相手には事欠かない。高山君は黙っていてもモテたし、それに人には見えぬ相手の感情の起伏、求めているものがオーラとして目に見えるように分かる能力がある。

なかなか寝付けない寂しい夜にはバーに行ってみれば良い。そこで大体こちらとよく目が合い赤みを帯びたオーラをしてモジモジしている女性が居れば話しかけてみる。落ちたいと思ってる熟れた果実がチョイと枝を揺らせばホロリと自然に手の中に落ちてくるようなもの。実に簡単。

そしてそういった女性は、つまりそういった女性なのだ。朝には、キャッチアンドリリース。彼女たちも、きっと一夜の相手を求めていただけ。これから作る子供の父親を真剣に欲しがっている女はバーでは見付けにくいだろう。

「子供はね、欲しかったけど、遅すぎたかな・・・」

「そうか。残念だったな。」

ついに親友だった古田君も高山を見損ない、あまり飲みにも誘ってくれなくなった。

(まぁ良い。友達も女も、その日その日で適当に簡単に作れる。今の俺には)

人のオーラが見える高山は動じなかった。


 そんなある日のこと。

こんなことは初めてだった。昼過ぎ。行きつけになったコーヒーショップで、窓の外を行き交うカラフルな亡霊達をボーッと観察していたときのことだ。

ハッとするほどの美人が、窓の外を通り過ぎた。別に美人が珍しいわけではなかったが、何かが高山君の興味を沸き立たせた。彼女を追って釣りも貰わずに勘定を大急ぎで支払い、駆け出す自分の姿がショーウィンドウに映る。派手なピンク色の火花散るオーラ。まるで桜吹雪。これまでにこんなオーラを自身が放つのは見たことがなかった。

「あの!すみません!」肩を叩いて例の美女を呼び止める。

「はい・・・何でしょう・・・?」振り向く彼女。高山はジッと彼女の体のまわりを舐めるように見入る。

「あのー・・・何でしょう・・・私、何か落としましたか?ぶつかりました?それならごめんなさい・・・」

「いいえ、あの、・・・」高山は口籠もった。目を擦ってみる。

見えない。不思議だ。こんなことは、オーラが見えるようになってから初めて。あの手術以来、初のことである。

 いつもなら、相手が何を考えているか、少なくともこちらへ好感を持っているかどうかぐらいはオーラの色合いの温かみや燃え方で分かるのだが、この人だけは、オーラが全く見えないのだ。オーラが存在していない。

 遠目からではオーラが薄すぎたりその色が淡すぎたりして見えにくい人もこれまで居るには居たが、ここまで近付いてジッと見ても見えないことは一度もなかった。

「あのー・・・」

謎の女は大きな澄んだ目で高山の目を覗き込んでくる。その瞳に映る自分の体が薔薇色のオーラの炎に飲み込まれんばかりに包まれているのが高山には見える。

「あなたのお名前が知りたかっただけです。僕は高山と言います。下の名前は誠。」

「美咲です」美女はちょっと微笑んだ。だが一向にオーラは見えない。チラとも。

「喉が渇いてませんか?一杯だけお茶を奢らせて下さい。この近くに僕の行きつけで美味しいコーヒーを出す店があるんです」

「一杯だけなら・・・」美咲はチラッと腕時計を見てから頷いた。


 珈琲屋の店主はさっき窓から見えた美女の後を追って飛び出していった高山君がその美女を捕まえ頬を薔薇色に上気させてホクホク顔で戻って来たので、噴き出しそうになるのを我慢しながら注文を取りに来た。

「ここはミルクティも美味しいんですよ」

ついでに常連を増やそうと売り込む店主。「ロイヤルもやってます」

「じゃ私はそれにしてみようかな」

「じゃ僕も」

 何を考えているか全く分からない女は高山君にとって久しぶりだった。

学者になり認められるまでは女性にうつつを抜かす暇など微塵も無く、我武者羅だった。脳にナノチップを埋め込む手術をするずっとずっと以前、まだ学生時代の頃の甘酸っぱく儚く散った初恋が思い出される。

あれ以来、目の前の女がニコリとしてもその意味は無限にあると知ってしまい、一時は怖くなった。その後には、あるパターンが見えてきた。喫茶店でのニコリ、その意味は、「退屈」「早く帰りたいな」「この人嫌い」「注文取りに来るの遅くない?」「早く好きって言って」「本当は彼氏いるけど、まぁバレないでしょ」「ケーキ頼んじゃったけど本当は甘いの苦手なんだよね」等々・・・

(でも、あまり時間が無さそうな中、それでも呼び止めれば付いてきてくれたんだ・・・僕への印象は好意的と見て良いんじゃないかな、違うかな・・・)

高山君はドキドキしながら、この次に会える日の約束を取り付け、連作先を聞き、慎重に事を運ぼうと浮き足立つ気持ちにブレーキを必死にかけた。これが恋なのかどうか、自分の気持ちさえ良く分からないし自信が無い。

 しかし、早くも美咲と自分の間に出来るであろう赤ちゃんならきっと天使よりも可愛らしく、愛さずにはおれないだろう等と、彼女を見送ってから家までの帰り道に出くわしたベビーカーの中の赤ちゃん達にしきりにニコニコ微笑みかける。

俄然、どんなベビーカーが赤ちゃんに乗りやすく、それを押すパパママに使い勝手が良さそうかなど、これまで一切目に入ってこなかったベビーグッズにまで興味が湧き出す。

(美咲さんは何人子供が欲しいだろうか、いやその前に結婚願望はあるんだろうか、いやいや、待て待て、まずその前に僕のことが好きかどうかだ、今はそれほどでもないだろう、)冷静になってみれば高山君にも分かる。(さっき出会ったばかりだ、こちらの一目惚れなんだから・・・)

(でもこれからだ。何としても僕を好きになり愛するようになって貰わなくちゃ・・・あの子を嫁に貰うんだ・・・!)

高山は目標さえ定まれば直向きに一直線な真摯な男である。


 半年後。

「結婚してくれないか」

「誠さん・・・!」

場所はコンラッドホテル最上階。美咲と誠はディナーを食べ終えたところだった。そこで誕生日でもないのに登場するケーキ。そしてシェフが背中に隠しきれない100本の深紅の薔薇の花束を厨房から背中に隠して持って来て、誠にコッソリ受け渡す。

「受け取って下さい・・・!」膝を折り100本の薔薇を胸の前に掲げ美咲に差し出す誠。

「どうしよう・・・嗚呼、どうしよう、誠さん・・・」

花束が物理的に重たそう過ぎて受け取れないわけでは無いだろう、美咲は泣きたそうな顔になってしまった。どうしたというのだ。ここへ来るまでには必要な段階は全て踏んできたはず。二度目のデートで手を繋ぎ三度目のデートでキスをして四度目で男女の仲に。USJにも行ったしTDLにも行った!来年は海外に行こうねと約束もしている。では後はプロポーズ、ではないのか?先に両親に見知りおいて貰うべきだったか?!ミスったか?!

人も見ている、断らないでくれ、頼む・・・美咲・・・!

「私も結婚したいの、誠さん、あなたと・・・いつまでも・・・!添い遂げたいの・・・!」

「なら、受け取って?花束の根元にキミの薬指のサイズの婚約指輪が・・・」

「違うの、誠さん・・・!」

「何が違うの?泣かないで、言ってごらん」

「まだ話してなかったことがあるの・・・」

「なんだい?」

誠にはピンと来た。重い薔薇を床にソッと下ろし、立ち上がって美咲の涙を拭ってやりに近寄る。近頃では美咲の他にもチラホラ、オーラの見えない人間が街中に出歩いている。決まって若い美男美女。彼女彼らの謎を今こそ美咲の口から聞くことが出来るかも知れない。

「ここでは周り中のテーブルのみんなが見ていて聞き耳を立ててるから・・・言えない・・・また後で・・・」

「そうだね、悪かったよ。日を改めようか・・・」

「私の心はあなたのものなの。完全に。だけど、結婚は・・・許されるのかどうか・・・」

「そうだな。先にキミのご両親に挨拶だったかな・・・順番は・・・」

「・・・」

「こんな大事なことをサプライズで急にでごめんよ。キミの気持ちだけは分かった」

「私達、気持ちは一つよ」

「うん。キミが嘘を付かない子なのは知ってる・・・」

プロポーズの答えは有耶無耶になったが、高山は自分が悪かったのかなとその夜は納得した。


 そして、その数日後。

高山はまたあのコーヒー店に居た。また窓からカラフルなオーラを引き連れて歩く亡霊達を眺めていた。美咲のことをぼんやり考えていたためか、自分の願望が作り出した幻影が見えているのかと、しばらく現実味がなく、目で窓の外を歩いて行く彼女の姿を追いかけていた。

「あっ」現実に窓の外、通りの向こうを彼女が歩いているのだとやっと気付いた高山君の口から声が漏れた。

「あれは・・・」珈琲屋の店主もカップを拭く手を止め、窓の外の同じ女性を見詰めている。

「美咲・・・」

オーラの見えない男と隣り合って歩いて行く。まさか、二股を掛けられていたのか?それともそんな関係の男ではないのか、兄とか弟とか?・・・どことなく顔立ちも似通っているような気がする・・・お似合いのカップルとも言えなくもない・・・

高山君がコーヒー代を支払わずにフラリと店から出て行っても、店主は呼び止めなかった。

 高山君はオーラの見えない男女二人を追いかけ街を歩いた。気付くと、オーラの見えない人間は美咲と男の周りにもう一人、二人、次第に数を増していく。彼らはみな同じ街外れにあるビルに向かって歩いているようだ。高山君はそのビルの入り口の前で立ち止まった。彼を追い越して入り口から中へ入っていく人々は、みんなオーラの見えない連中ばかりだった。


 ビルの正面入り口脇に、金木犀の植え込みがあった。力なく、苦悩する高山君はその植え込みの端に腰掛けた。

「そうか、このビルは有名だ・・・」高山君は呟いた。まるで目の前に美咲が居るかのように。

「そうか、それでキミは歳を取らず、いつまでも変わらず綺麗なんだな・・・」

彼の座り込む隣には石版があり、ビルの表札、館銘板が記していた。

"最先端ヒト型ロボット研究所"と。





おしまい!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ