接敵
「ラウル、正気か? あんなやつの手を借りるだなんて……」
「大真面目だ。俺たちだけで誰ひとり欠けることなく、あの子を無事に助け出せると思っているのか?」
「そ、それはそうだが……信用していいのか? 着いた途端、後ろからグサッとなんて……」
「あいつはステーを殺さなかった。それが答えだろ?」
捕らわれているとの情報を得た駐屯地へ向かう道すがら、前方からひそひそとそんな会話が聞こえてきた。男のほうは声をひそめているようだが、対してラウルはいたって普通の声量で隠すつもりはないようだ。
会話の合間に振り返り、仲間に話しかけるのと変わらない砕けた口調で、
「悪いが、帝国のオートマータはお前さんに任せるぞ」
「ああ」
それに関しては異論がない。
むしろ手を出されると邪魔になる可能性のほうが高い。
「見えたぞ、あそこだ」
一番先を行っていた男が声を上げ、小高い丘の上から、下方を指さす。この辺りは知り尽くしていると言ったのは伊達ではなかったらしい。思っていたよりも着くのがかなり早かった。
「よし、みんな散開しろ。作戦通りに頼むぞ。無茶だけはするなよ」
ラウルの合図とともに男たちが散っていく。
作戦はごくシンプルだ。正面から向かうのはユシュエルと黎明とラウル他数人だった。ユシュエルたちが敵を引き付けている間、それ以外は裏からまわって仲間を助け出す。もし万が一、帝国兵を倒しきることができなくとも、仲間さえ無事ならそれでいい。もし仲間を救出できたら、この場所を通らずにキュテジーヌまで安全に抜けられる道を教える。それが彼らとかわした約束だった。
だが、ユシュエルには何となく自信があった。前の、奪われた陣地でのオートマータの戦いを知っていたためだ。
傍らにたたずむ淡い金色の人形に声をかける。
「黎明、準備は?」
「いつでもどうぞ、マスター。――あなたに勝利を」
戦いは一方的だった。彼らとの約束など意味がなかった。
黎明はもちろんのこと、ユシュエルも強くなっていた。
体がまるで羽を纏ったかのごとく軽い。一歩が、ひとつの踏み込みが、今までよりも格段に大きい。
「これが、リンクの恩恵か」
噛み締め、ひとりごつ。
不思議な感覚だった。集中すると、自分以外の周囲のあらゆるものが緩慢になり、まるで蜜の中を移動しているようにゆっくりとして見える。銃弾が空気の層を波紋のように軌跡を残しながら進むのが分かる。五感が研ぎ澄まされ、全ての情報が頭の内側で高速で処理されていくのが感じられる。指先ひとつに至るまで、身体が余すことなくそれに応えてくれる。
銃弾の雨の中をユシュエルは難なく走り抜ける。
兵士たちの輪に飛び込んでは、次々に斬りつける。その後方で連続した破裂音が響いた。縫い目のごとく連なった穴が、再び走り出したユシュエルを追って地面に穿たれていく。銃口炎は長い梯子の先の高台から上がっている。銃で撃ち落とすには角度が、剣で倒すにもいささか距離があった。
「黎明!」
「お任せください」
命じるまでもなくすでに駆けだしていた黎明が一足で飛び移り、上にいる機関銃の銃手を蹴り落とす。放物線を描いて折れ曲がった影が落下し、重たい音を辺りに響かせる。さらに別の方角から銃口炎が上がり、弾が発射される音と黎明の金属の身体がそれをはじく音がきこえた。つづいて黎明からも銃声が一発だけあがる。その一発で、黎明を襲っていた銃弾は止まった。
「人形だぞ! 銃はきかない、剣を使え!」
「こっちも人形を出せ!」
「色付きだ! 人形使いを先に殺せ!!」
混乱の中で怯えと苛立ちを含んだ帝国兵の声が錯綜する。
途中から、いや最初からラウルたちはただ眺めているだけだった。自分たちの命と引き換えにしても子どもは取り戻すと息まいていた彼らも、ユシュエルと黎明の動きを前にして、ただ邪魔にならないよう物陰からひっそりと見守るだけのほうがいいと判断したようだった。
そのほうがユシュエルにもありがたかった。身を守るために、と彼らが持ってきた武器は丁寧に手入れこそされていたものの、どれも旧式で役に立つとは言い難かったからだ。
陣地には事前に知らされていた通り、兵のほかに複数のオートマータと人形使いがいた。しかし、いずれもユシュエルと黎明の前にはかなわなかった。人形は呆気なく黎明の手によって破壊され、銃はユシュエルに当たらずに地に落ち、爆発物は投擲される前に投げる人間が倒される。
人形使いの演習で、最新鋭の火器の扱い以上に近接戦闘術を徹底的にたたきこまれた理由がユシュエルにはようやくわかった。もちろん銃それ自体は便利ではあるのだが、銃よりも剣を使ったほうが早い。あるいは、自分の拳を。
ユシュエル自身が凶器なのだから。
「お見事でした、マスター」
「黎明もいい働きだった。怪我はないな?」
「はい、報告すべき損傷はありません。マスターもご無事で何よりです」
数十人はいたはずだったが、戦闘はものの数分で終了した。警戒線がキュテジーヌ側にしか想定されていなかったのも有利に働いた。
潜入と捜索を担当していたグループが目的を果たすよりも先に終わったのだ。子どももなんとか見つかったらしい。彼らは大喜びで、中には「あんたのおかげだ」と握手を求めてくるほどの者もいた。
副作用も前回よりは軽く、短く済んだ。
頭痛を受け、木陰で何度か嘔吐しつつ幹に爪を立てて耐えた後、少しでも情報をと残された帝国の資料を確認しているところに、ラウルがやってきた。
少年は捕まった際に暴れたらしく殴られた跡があり、怪我もなくとは言い難かったが、生きていた。手当ても終わり、彼らの住処へ連れて戻ったらしい。
そう伝えてきたあと、去らずに机の端に腰を掛けて子どもみたいに片足をぷらぷらさせつつ、ラウルはユシュエルと横で一緒に手伝っているオートマータの組み合わせを面白そうに見やる。
「驚いたな。お前さん、汎用型とリンクを結んでいるのか。つまり、調整もなしに。もしかして、お前さんってとんでもないやつなんじゃないか? ますますあのときステーをとめてよかったよ」
「ああ」
協同しただけで仲間ではない。ここに来るまでもラウルは親し気に何度も話しかけてはきたが、下手に情報を与える必要はないため、ユシュエルはラウルとほとんど会話をしていなかった。
だが、それが彼の興味をさらに惹いてしまったらしい。書類に集中したいのに、そう伝えたのに、あれやこれやと話かけてきては作業の邪魔をする。
「で、お前さんはなんで兵士に?」
「――……金が欲しくて」
根負けして、ユシュエルは一旦手を止め、ラウルを見て答えた。骨を欲しがる犬のように、何かしら投げてやらなければ満足してもらえそうにないと判断して。
問題は、どの骨を与えるかだ。
答えたのは至極私的な、それでいて軍の情報とは関係のない話だった。
相手をしてもらえたことにラウルは顔を喜ばせる。
「なにか、でっかい野望でもあんのか?」
「腹いっぱい食べたくて」
「は?」
目を丸くして、口までぽかんと開いている。ユシュエルの回答に本気で驚いているようだ。
「孤児で、生まれてこの方、美味しいものを腹いっぱい食べたことがないんだ。だから、一度でいいから贅沢にはちきれそうになるまで食べてみたい」
「それだけ……?」
「ああ。学校も行ってないから、これ以外に稼ぐ方法がなかった」
本当のことだった。この男、妙に勘が鋭い。適当に返答したり、嘘をつけば、それに気がついてさらに突っ込んでくるのだ。
だから、正直に答えた。
ラウルは何度か目をしばたたかせたあと、
「……いや、あの、えっと、ひ、人の夢を“それだけ”だなんて失礼だよな! 悪かった。夢を持つことはいいことだもんな、うん。人生の目標は、大事だ!」
本気で呆気に取られていたのだろう。目に見えてうろたえ、誤魔化すようにごにょごにょと口走る。
恥ずかしそうにひとしきり言い訳を並べ立てた後、
「――で、ふたりはいつ出発する予定だ? 俺はどのくらい待てばいい?」
言っている意味が分からず、ユシュエルは首をかしげる。
「……待つ必要はないと思うが」
「案内するって約束しただろ」
「帝国兵は倒したから、裏道を行く必要がない。地図は頭に入っている。それに、おれには黎明がいる」
「はい。マスターにはわたしがおります」
ユシュエルの言葉に、今まで作業に準じていた黎明がすかさず応じる。それをおかしそうに見送って、
「それでも、俺がいたほうがお得だと思うぜ。強いのは知っているけど、何が起こるか分からないだろ?」
借りはすぐに返したいタイプなんだ、とラウルは食い下がる。
どう言っても、同行すると決めているようだ。断ったら、むりやり付いてきかねない雰囲気だった。
確かにここに着くのは早かったし、少しでも時間が短縮できるのなら、それに越したことはない。道程で彼から地図上では把握できない地勢の情報も得られるかもしれない。
言葉のとおりの善意の申し出なのか、何かしら他意があるのかかは判断がつかないが、後ろをこそこそと付いてこられて終始気を張るくらいだったら、視界に入れておいたほうが気持ちが楽だろう。
「……わかった。なら、案内を頼む」
「決まりだな!」
ラウルが破顔する。相手に何となくいいことをしたと思わせるような、ユシュエルですら一瞬そう思ってしまったような、そんな笑顔だった。
しかし、ユシュエルはすぐに後悔することとなる。道中、ラウルは喋り通しだった。休みなく、ひたすらに話しかけてきた。悪意のないさわやかな笑顔でユシュエルが返事をするまで延々と質問が続き、答えても次の質問がやってくる。その繰り返しだった。
「ほら、あそこだ! 見えるか」
ようやくラウルが立ち止まって前方を指さしたとき、ユシュエルは心底ほっとした。実際にかかった時間は想定より短かったはずだが、体感はその何倍もあった。精神の疲労はさらにその倍だ。
「俺が案内できるのはここまでだ。敵じゃあないが味方でもないんでね。撃たれたくはない」
ラウルはそう言ってすぐに来た道を戻り始める。
「元気でな!」
笑顔で親し気に手を振りながら。
その直後、何か思いついたのか、立ち止まる。口に丸く囲った手を当て、ラウルは大声で叫んだ。そんなことをしなくてもまだ聞こえる距離だというのに。
「いつか機会があったら、お前に俺の手料理を御馳走してやるよ! 贅沢品は無理だが、結構美味いと思うぜ!」
色付き:同期済みのオートマータの蔑称。髪や目、肌の色は製作時に人形使いの好みを反映させている。人形使いに希望がない場合は調整員やオートマータ自身が色を選ぶ。オートマータがなぜ色づきたがるのかは解明されていない。