山中の出会い
山を抜け、道なき道を行く。
この島で一番峻険なホロノス山脈ほどではないが、それでも山間は気温が低いため、夜は火を熾して暖をとる。長距離の軍行は予定しておらず、もともと白兵戦、しかも後方支援用の装備一式しかなかったユシュエルはたどり着くまで日々のすべてをその場でまかなうしかなかった。
道のりは快適とは言い難く、しかしユシュエルはまったくと言っていいほどに気にならなかった。ずっとひとりで生きていたために単独行動に心細さはなかった。また外見こそ細身ではあるが、下層で最底辺の生活をしてきた結果、この程度のことでは動じず、良くも悪くも世間ずれしており、神経が図太かった。
食糧事情が改善したのも関係した。携帯食以外に、途中で出会う野生生物や植物を食べたからだ。
食事とは、工場で作られ期限切れで捨てられた酵素ドロップか、誰かの食べ残しの缶詰の底にへばりついたペーストを指すユシュエルにとって、いわゆる自然の食物というのは自前の農場を持つ金持ちに限られたものだったため、口にできるのが味を整えるものも添えられてないただの丸焼きだったとしても何の不満もなかった。
辺りに響くのは侵入者の警戒を知らせる鋭く甲高い鳴き声、がさがさと葉を揺るがす生き物の気配、夜に聞こえる何がしかの虫の音。むしろ、これほどまでにたくさんの生き物を目にしたのも初めてだったために、若干の感動すらあった。首都で目にできたのは、せいぜいげっ歯類か雑食性の有翅昆虫くらいだったからだ。
また、黎明は戦闘で頼りになるだけでなく、同期して以降、条項のおかげか前にもましてユシュエルに協力的だった。彼がもつ知識は役に立ち、野生生物の捌き方も黎明から教わった。ユシュエルが定期的に張りつめた神経を緩め、休息をとることができたのも、疲れを知らず睡眠の必要もない黎明のおかげだった。かかる日数には到底足りない浄水用錠剤を節約できたのも――黎明が問題ないと言わなければ、あの色水を飲もうとは決して思わなかったことだろう。
「マスター、ご注意を。そちらは椎の実に似ていますが別種のものです。食せば舌に痺れが残ります」
「ありがとう、助かった。じゃ、こっちは?」
「そちらは無害です。皮のまま焼くことを推奨いたします。――こちらもどうぞ。寄生虫もいませんので、生で食べるのが一番栄養を効率的に摂取できます」
「それは絶対に嫌だ」
どこから捕まえてきたのか、腹側に横一杯に裂けた口から長い触手めいた舌を何本も蠕動させている気色の悪い芋虫を突き出され、ユシュエルは断固拒否する。
黎明は2日前にも、蛍光紫に発光しながら謎の粘液を吐き続けるとてつもなくくさい茸を、栄養の偏りを根拠にすすめてきた。
たいていのものは食べられるとは言っても、さすがにユシュエルにも好みはある。
しかし黎明にはその線引きが理解できないらしく、具体例を提示してほしいと言われ、路地裏で残飯をあさっていた過去の食歴を語ってはそれは食べ物ではないと否定されるという会話をここ数日繰り返していた。
彼に言わせれば、食べ物とは言い難いものは口にできたのに、なぜ栄養面において非常に優れているこれらを食べられないのか理解できないらしい。
そんな問答の日々が続き、ようやくキュテジーヌにはあと2~3日で着くあたりまでやって来たときのことだった。
「マスター」
痕跡を残さないよう枝を避けながら木々の間を抜けていると、黎明が注意を促す声を出し、立ち止まった。
「どうした?」
「……囲まれています」
「この前に言っていた気配か?」
「はい。一気に距離を詰めてきました。しかし、これは――」
みなまで告げるいとまもなく、茂みから影が飛び出してきた。
そのまま黎明に飛びつき、彼を組み敷こうとする。帝国兵の軍服ではない。共和国のものでもない。葉をすかす光を反射させ、白刃が煌めいた。
「黎明、とまれ!!」
「ステー、やめろ!!」
ふたつの声が同時に響く。
襲ってきた男の胴の上にまたがり、今にも頭部を貫こうとしていた黎明の刃先が相手の眼球の直前で停止する。同じく、人形に馬乗りになられていた男の持つ刃が、黎明の首筋に当てられたところでとまった。
木の陰から、地に組み伏せられているのとは別の若い男が姿を現す。
先ほどの声の主らしい。両手を頭上に掲げ、敵意はないことを示しつつ、他にも数人、男に倣うように出てきた。
「すまなかった、帝国兵かと思ったんだ」
声をかけてきた男の着ているものも何処かの所属を表すような衣服ではなく、一般人が着るような普通のものだった。端正な顔立ちの、年齢は20代半ばくらいだろうか。こんな状況でもどこか気さくで陽気な雰囲気を漂わせてはいるが、それだけではない芯の強さのようなものが表情に見え隠れしている。
「悪気はなかったんだ。人形をとめてくれて助かったよ」
言いながら、いまだ停止命令を受け付けたままぴくりとも動こうとしないオートマータに目をやる。
「ついでに俺の仲間の上からどくよう命じてもらえると、もっと助かるんだが」
「――黎明、おれのところへ」
「はい。マスターの仰せのとおりに」
すっと手をおろし、なにごともなかったかのように黎明がユシュエルの横に控える。
一方、若い男は寝転がったままの仲間に手を差し伸べ、苦々しく言った。
「何を考えてる? 向こうがとめてくれなきゃ、もう少しでお前は死ぬとこだったんだぞ」
若い男の言う通りだった。
黎明の反応が遅れたのは交戦規定で定められているためと、基本原則として敵以外には敵性行動をとらないようになっているからだ。だが、飛び掛かってきたことでその制限が外れた。
逆にもし男がユシュエルにとびかかってきていれば、マスターの保護は基本条項の第1項目、つまり何よりも優先される条件であるため、制止するユシュエルの声が届く前に男は死んでいただろう。
「いいや、俺だってやれた」
身を起こしながら反論するステーと呼ばれた男に対して、リーダーらしき若い男はやれやれと呆れたように首を振る。
「強化加工された人形の首を掻っ切るって? そんなことができたら、とっくにお前は英傑と呼ばれてるだろうよ」
リーダーの男のほうは今のところ、こちらとやり合う気はないらしい。
無届離隊した兵士にしては小綺麗すぎるし、帝国兵ではないのならばユシュエルにとっても相手は敵ではない。とはいえ、警戒をとくのもまたいささか早いように思える。何といっても、突然襲ってきたのだから。
それに、両陣営に属するものではないのならば、なぜこんな辺鄙なところにいるというのか。
黎明も無表情で隣に並んでいるものの、いつでも命令されれば忠実に実行できるようにしているのがユシュエルには分かっていた。
まず、相手の正体を確かめなくてはならない。正直に答えてもらえるのかどうかは、ともかくとして。
「あんたたちは何者だ? すくなくとも帝国兵ではないように思えるが、共和国側の人間でもないだろう」
ユシュエルの質問に、男は仲間に向けていた視線をこちらに向ける。
「俺か? 俺は――いや、俺たちは、この島の住人だ。もともとの、な」
「……島民? 生き残りがいたのか!?」
驚愕するユシュエルを見て、男は口元をわずかに皮肉に歪めて笑う。
「ああ、もちろん。少なくはあるが、細々とやってるさ。お前さんたちと違って、故郷はここしかないんでね」
「ラウル、何のんびりしゃべってなんかいやがる!? そいつは共和国の人間だぞ、やっちまおうぜ!」
話をしている最中にステーが怒りを込めて、割り込んでくる。
眉をしかめ、ラウルと呼ばれた男は体ごと仲間のほうに振り返った。争う意思はないという言葉を体現するように、あまりにも無防備な背中をこちらにさらして。
ラウルの抑えた、たしなめるような声が響いた。
「共和国の人間だから敵?」
「そうだ!!」
随分と恨まれている。
ユシュエルは小さく息を吐き出した。
ラウルのほうは分からないが、ステーがこちらを憎んでいるのは声からも表情からもはっきりと伝わってくる。
「ならお前は、たとえ今ここにいるのが10歳にも満たない子どもだったとしても、共和国で生まれた人間だからという理由で殺すのか?」
「い、いや、子どもは殺さない。あたりまえだろ? 子どもに罪はない」
「なら、こいつらと子どもの違いはなんだ? 年齢か? 年の違いでお前は死ぬべき者と生きるべき者をわけるというのか? たとえば成人と未成年か? あと1日で成人するやつは生き残れて、1日前に成人したばかりのやつは死ぬべきだとでも?」
「そうじゃない! 何を言っているんだ? こいつは兵隊だ。共和国の人間だ! 俺たちが一体何をした!? なにもしていない! それなのに何もかもが壊され、奪われたんだ!」
ステーがユシュエルを指さす。まるでユシュエルが彼から島を奪ったとでも言いたげに。
ラウルはその手を包み込むようにしてやんわりと押し下げ、
「故郷を奪ったのは帝国だ。たしかに共和国も乗り込んでは来たが……。それに、あいつの年齢を見ろ。共和国や帝国が俺たちの島を潰していたときに一緒に暴れまわったように見えるか? どう見ても勝手におっぱじまった戦争のツケを払わされてるだけだろうが」
対してステーは一瞬反論しようと口を開いたが、結局のところ何も言わなかった。ユシュエルをにらみつける目に変わりはないものの、おとなしく一歩下がった。
少なくとも、先頭に立っているラウルという名の男は、ステーからある程度認められた存在らしい。男のほうにも、ごくわずかではあったが人の上に立つ者特有の威厳のようなものが見て取れた。
ラウルは最後に静かに、
「お前の怒りと悔しさは理解している。だとしても、ぶつける相手を間違えるな」
そう言い含めてからやっとこちらに向き直ると、苦笑する。
「すまなかった。仲間が消えてな。捜していたところに人の気配を感じたもんだから、つい先走っちまった。悪かった」
「あんたはおれが憎くないのか? その男の言うとおり、進駐は共和国も同じだと思うが」
「さっきも言ったが、確かに人の故郷で戦争を勝手におっぱじめたのはお前さんがただ。それでも、帝国が来なきゃ、共和国は動かなかったはずだ。許してはいないが、少なくともセアーガスに関しては、納得できるところもある」
そう言ってラウルは肩をすくめる。
「で、こっちも聞いてもいいか? 共和国の兵隊さんがなんでこんな山奥に? 共和国はキュテジーヌまで撤退したんじゃなかったのか?」
「ナーズ戦線で取り残された。そのキュテジーヌまで戻るところだった」
ユシュエルの言葉に男たちの間に衝撃が走る。
「あのナーズで生き残りがいたのか!?」
「いったい、あそこで何があった!? 教えてくれ!」
「俺たちの仲間も数人あそこで行方不明になったんだ!!」
詰め寄られ、次々に質問を投げかけられた。
ユシュエルはどこまで話したものかと迷い、正直に伝えることにした。結局のところ何も知らないので、言えることなどないのだから。
「わからない。おれは後方部隊を担当していたから、交戦域からはかなり離れていたんだ。だから生き残れたんだと思う。突然音が響き、衝撃を受け、気を失って埋まっていた。帝国兵も共和国兵も一瞬にしてやられた」
「じゃあ、何も見なかったんだな?」
ラウルの声がわずかに固くなったように感じた。目も真剣みを帯び、飄々としたものが消えた。
「……黒い、大きな影のようなものを見た気がする。気を失うほんの一瞬前だが。ただ、脳震盪を起こしていたので幻かもしれない」
「……そうか。いや、ありがとう」
男の肩から力が抜ける。
「俺たちもナーズ近辺にいた仲間と突然連絡がつかなくなった。どんな情報でもありがたい。助かったよ」
その言葉に少なくとも嘘はないようだ。少しだけ、彼らの態度が柔らかくなった気がする。もしかしたら、行方不明になった民間人は共和国兵に殺されたと思っていたのかもしれない。
「マスター、足音が。誰かが近づいてきています」
ふいに発した黎明の注意を促す声に、一瞬にして周囲に緊張がみなぎる。オートマータが指さす方向に向かって、みなが身構える。
「ラウル!」
だが、現れたのは彼らの仲間だったようだ。同じような身なりのひとりの青年が転がるようにして、緊迫した声で叫びながら走り込んでくる。
「みつけた!」
その言葉に先ほどとは異なる緊張感が辺りに漂い始めた。走ってきた男はラウルの前で大きく肩を上下させ荒く息をつき、とぎれとぎれに言葉を述べる。
「こ、この先の駐屯地だ! 帝国軍のやつらに捕まったらしい!」
途端に周囲から失望にも似たため息が漏れた。
「よりにもよって、あそこか……」
「だから、あれほどひとりでうろうろするなと言ったんだ、あの馬鹿!」
「ラウル、どうする?」
みなが指示を待つように青年の周りに集まりだす。
「ナーズで消えた人間か?」
ユシュエルはラウルに訊ねた。
もしそうなら、自分も会いたいと思っての発言だった。上層部への報告のためにも、あそこで何があったのか、把握しておきたかった。
しかし、
「いや、今まさに捜していたほうの仲間だ。まだ14歳の子どもでな、言い聞かせてはいたんだが、どうにも好奇心旺盛でやんちゃな奴で……」
「ラウル、何してる? 乗り込もうぜ! 早くしないと殺される!」
「みんな、待て」
こぶしを突き上げ勇みの声をあげる仲間たちを諫めるようにラウルは両手を掲げ、
「気持ちはわかるが、相手は帝国兵だ。あの駐屯地には結構な数の兵士がいる。無駄死にさせるわけにはいかない」
「じゃあ、どうしろってんだ! だた黙ってあの子が死ぬのを待つってのか!?」
「そうじゃない。落ち着いてくれ。俺にいい考えがある」
そこまで言って、ラウルがこちらに振り返る。
「お前さん、基地に戻りたいんだろ? だとしたら、この先の帝国軍はどうしたって邪魔になる、そうじゃないか?」
「何が言いたい」
男は笑う。
「――つまり、俺たちと共闘しないかってお誘いだ」
酵素ドロップ:滋養豊富な飴。バニラやチョコなどいろいろな味がある。食物繊維が入った酵素シェイクと一緒にどうぞ。
缶詰ペースト:謎肉、もとい大豆ミートのペースト。この時代、大陸で本物の動物の肉を食べられるのはよほどの富裕層に限られる。