同期
「信じられない。全て壊滅したのか……?」
ふらつく体を叱咤し、ようやく戻った陣もまた、ただの瓦礫と化していた。
数日前、宿営地としていたそこを今は複数の帝国兵と数体の汎用型オートマータが巡回している。こちらに関してはユシュエルのように謎の攻撃を受けたのではなく、帝国兵に乗り込まれただけのようだったが。
元の形を残し無事だったものは何ひとつなく、味方の生き残りも見当たらない。鋭利な槍が交差した紋様の旗は焼き払われ、かわりに王冠をいただく5本足の獅子がはためいていた。
慎重に近づいて、ようやくユシュエルは歩哨の会話をいくつか拾うことができた。
その結果わかったことは、ここにいた仲間たちは前線が崩壊した隙をつかれて奇襲を受けた結果、前進基地キュテジーヌまで防衛線を後退させたらしいということだった。今いる帝国の兵たちは、敗走兵を追って先へ行った中隊の残りらしい。
キュテジーヌ、と名をユシュエルは舌の上で転がす。ずいぶんと味方は後退したようだ。ここからはかなり距離がある。山を越えなければならないだろう。
だが、おそらくキュテジーヌへ行けば、共和国の皆と合流できる。それが分かっただけでも少し気が楽になった。
問題は、そこへ行くにはどうしてもこの陣地を抜けて行く必要があるということだ。
多くはないが決して少ないとも言えない数の敵を戦場に出たばかりの新兵と汎用型オートマータでどうやって捌けというのだろう。
ユシュエルの悩みを察したように、オートマータがある解決策を提示した。
「ひとつ提案があります。わたしとの同期を推奨します。そうすれば、わたしの能力は解放され、敵を蹴散らすことが可能です」
「冗談だろ? お前は固有じゃないし、おれはまだ負荷の試験を受けてすらいない。リンクなんてしたら、おれの神経が焼き切れてしまう」
「このままでは、どちらにしろ焼かれて終わるでしょう」
「笑えない冗談だな」
「人形は冗談を用いません」
「つまり、おれに死ねと言っているのか」
「明確に否定します。人形は味方に危害を加えてはなりません。あなたの神経が焼き切れる前に終わらせてみせます 」
すぐには返事ができなかった。
ユシュエルとて、リンクすることを考えなかったわけではない。
だが、どうしても自分が負荷に耐えきれるとは思えなかったのだ。それだけの訓練を積んでいない。積む前に、実戦に投入されてしまったのだから。
とはいっても、もはやそれしか生き残る術はなさそうなのも事実だった。
あらためて荒れた陣地に目をやる。たしかにこのままでは、この場所を抜ける前に遅かれ早かれ帝国兵に見つかるだろう。
オートマータは人に代わり戦うために造り出された機械兵士だ。
もともとは古代文明の技術だったと聞いている。はるかなはるかな時代、今よりももっと優れた文明が繁栄していた時代があったそうだ。
強大な帝国が100年以上その力を固持していられるのも古代文明の遺産が多数国内から発見されているからであり、大陸間輸送列車の機構などいくつかの現代技術もまた、そこからヒントを得て作られたのだと教わっている。
物心が付くころにはすでに戦争が始まっており、学校に行ったこともないユシュエルには、古代文明が本当にあったことかすら確かめようがなく分からないのだけれど。
この人形が投入されることによって戦場は一気に様変わりし、徴兵開始の年齢も17歳から20歳に繰り上がり、免除条件も緩和された。
オートマータは強固な金属ミリチウムとペリシチニウム鋼の合金の骨格と、頑丈でバネのように弾力性のある腱と球体関節によりできている。その体は抗堪性に優れ、小型の銃弾をものともせず、小規模の爆弾程度なら耐え、人よりも速く、強い。
人形を倒せるのは人形か、人形と同期し並外れた身体能力を持った人形使いだけ。
リンクを繋げれば、人形の動きは飛躍的に上昇する。むしろそれこそがオートマータの本来の機能でもある。
ただ、人間側の負担も大きく、リンクは慣れた者でなければならない。徐々になじませて馴致していくことが必要なのだ。脳と体に負荷を覚えさせる必要がある。そして絶対に限界域を超えてはならない。
そうでなければ、神経が焼き切れ、廃人になるのみ。
黙っているユシュエルを見て、オートマータは少しでもユシュエルの心の不安をやわらげようとでもいうように言い添えた。
「ご安心を。万が一神経が焼き切れたとしても、廃人にはなりますが死ぬことはありませんから」
それのどこに安心しろと……?とユシュエルは思った。
人形の言葉に、かつて見た、あるひとりの人形使いが行きついた先の姿が脳裏に浮かんだ。
自分の限界を見誤った男の成れの果て。寝棚の上に横たわる、死んでいないというだけの存在。勇猛果敢と謳われたかつての姿はどこにもなく、歪んで開いたままの口からは糸のようによだれが無精ひげを伝い流れ落ちていた。そして垂れ流されているものは上からだけではないと、部屋中にこもってしみついたにおいが示していた。
くそっ、考えるな。
自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をして、ユシュエルはオートマータの額に手をかざす。
世代にかかわらずリンクは額から行うと決まっている。ここから自分の名を刻むのだ。それは帝国も共和国も関係がない。古代技術を応用した部分であり、額以外から行う方法が未だ確立されてない以上、なぜなのかは解明されていないのだろう。
いずれ完全解析ができたあかつきにはこんなことをする必要はなくなり、戦場は全て機械化される未来がやってくるはずだ。
オートマータの額の奥、人間でいう脳髄にあたる部分には脳や心臓の機能を兼ねたコギト機関が内臓されている。これを破壊されればオートマータは稼働停止になる。言い換えれば、コギト機関さえ無事なら新しい躯体に乗り換えることも可能だった。
そしてオートマータのコギト機関には、同期した人形使いの保護、敵以外への非敵対性、命令の遂行と服従、自己防衛の4つからなる基本条項も組み込まれている。
今は何よりも優先される第1条項“人形使いの保護”が空欄だ。そこにユシュエルの名を署名するのだ。それがリンクだった。
自分の名前、最初の1文字目を刻み終える前に荒々しい抵抗を受けた。
凄まじい頭痛、めまい、光の明滅。目を閉じていても瞼の裏に強烈な光が差し込んでくる。突然の攻撃に体が硬直し、上下の間隔が失われ、立っているのか倒れているのかもわからない。聞こえる荒い息は自分のものだろうが、喉の奥から絞り出されたような喘鳴めいたか細い悲鳴も自分のものだろうか。
何かが体の内側で暴れまわり、膨れ上がり、皮膚を突き破って外に出ようとしている。空の上に引っ張り上げられるような感じがしたかと思えば、直下に放り出され、地面にめり込んでどこまでもどこまでも落ちていく。胃がぐんと沈み込む不快感に襲われる。みぞおちが熱いのは嘔吐の前兆だろう。いや、すでにもう吐いているのかもしれない。
さらに1文字。
1文字増えるごとに頭の中に直接情報が注ぎ込まれ、虫のように脳内をのたうち回る。振り払いたいのにまとわりついて払えず、他のことを考えようとしてもしつこく繰り返す歌のごとく全ての思考を凌駕する。
奔流のように暴れまわるそれらを押しのけて何とか最後まで書き切った瞬間、突如訪れる静寂と暗転。
一切の感覚が失われ、自分が自分でないように感じられる。さらにそれを飲み下すのに時間を要した。
やがて、静かな声がユシュエルの意識を引き戻す。
「マスターを承認いたします」
感覚が一気に解き放たれ、いつもの自分が戻ってきた。
光も静寂も暗闇も苦痛も、もう存在しない。
一瞬の出来事だったはずなのに、永遠にも近い感覚だった。短い名前であればこの苦痛も短時間で済んだのだろうか。ふと、そんなことを思った。思う余裕ができた。
「あなたはただ今よりわたしのマスターです。そして、わたしはあなたの人形です。どうぞご自由にお使いください」
同期が無事完了したことを告げる声。
目を開けば、オートマータの身体が光を帯び始めていて、収まったあとにあったのはごく淡い金色の髪にペールブルーの瞳だった。
「……なんなんだ、その色」
「マスターの記録の中より頂戴いたしました」
「記録じゃなくて記憶だ。勝手に読まないでくれ」
マスターと人形は一部の情報を共有するとはあったが、こんな弊害もあったとは。
今の彼は小型なことも相まって、まるでいたいけな少年のようだった。13歳くらいの。
無色のときはそうでもなかったが、こうなるといっそう人に近づいて、まるで子どもを使役しているような気になり若干の罪悪感がつのる。
「マスター、名前をお願いいたします」
「名前?」
「オートマータのままでは、汎用型人形なのかわたしを指すのか判別に時間を要します。円滑な情報伝達のためにも、固有人形には識別名称が与えられることが一般的です」
固有人形、とオートマータが口にしたとき、かすかに誇らしげに感じたのは気のせいだろうか。
名前――もちろん、ユシュエルも夢想したことはあったが、その機会がこんなにも早く訪れるとは思ってもいなかったため、咄嗟に思いつかない。
空転する頭の中で言葉を何とか探して、
「じ、じゃあ……黎明」
ユシュエルは勉強を習ったことはなかったがために、絵を見たときに題名が読めなかった。
しかし、記憶力だけはよかったから、文字を図形として覚えていた。のちに、独力で字をおぼえたときに一番最初に調べたのがこの言葉だった。
「黎明――夜明け、明け方。転じて、新たな出来事の始まりの時を指す。……なるほど。確かに、マスターとわたしの新たな関係に相応しい言葉ですね、さすがです」
別にそこまで深く考えたわけではなかったが、ユシュエルは否定することなく相手の解釈のままに任せて黙っていた。なんならしたり顔で頷いてもみせた。
名を冠したオートマータはひとり満足なる様子を見せ、
「了解いたしました。わたしはただ今より≪黎明≫と相成りました。マスター、今後ともよろしくお願いいたします」
すっと綺麗な弧を描いて頭を下げた。そして、
「では、挨拶も済んだところで――」
黎明が腰元の鞘から細身の剣を抜く。
オートマータと同じ貴重な金属、チタニウムとペリシチニウム鋼製の剣だ。これでなければ、オートマータを倒すことは難しい。ユシュエルの腰に提がっているのも同じものだった。
「敵をせん滅いたします」
黎明は戦いの場に躍り出た。
「驚いた。ほんとうに全員倒したのか」
あっというまの出来事だった。
戦場を舞うように駆け抜けた黎明が立ち止まったとき、すべてが終わっていた。小柄さを活かした俊敏な動き、的確な急所への一撃、まさに自律機動に相応しい働きであった。
「ぐぅっ……!!」
戦果に驚愕したのもつかの間、突如横から殴りつけられたような激しい頭痛に襲われ、ユシュエルは地面に膝をつく。
「頭がっ、割れそうだ……!」
リンクの副作用だ。神経の障害が始まった。
猛烈に吐き気がこみあげてきて、たまらず嘔吐した。ここ数日は濃縮された携帯口糧しか口にしていないため、ほぼ胃酸だった。
鼻を突くすえた臭い。口の中がいやな酸っぱさでいっぱいになって、そのせいでまた吐きそうになる。喉がひりひりして焼けるように痛い。
寒くもないのに体が震える。痙攣し始めた体を丸め、唇を噛んで苦痛に耐えるユシュエルの姿を見おろし、黎明が進言する。
「マスター、最近のマスターの栄養摂取状況は良好とは言い難いものです。マスターのお身体のためにも、胃の内容物は排出せず、留めておいたほうがよろしいかと提案いたします」
「……覚えておくよ」
皮肉を言い返す気力もなかった。
コギト機関:永久機関であり、造りは再現できてもなぜそう動くのか90%以上が解明されていない古代文明の技術のひとつ。現代のオートマータはただこの技術をデッドコピーしているだけの状態。コギトはこの機関に最初に気が付き、人形を起動させるのに成功した研究者の名前。
カロリートローチ:携帯食料の一つ。飴。1粒約4000キロカロリー。エネルギーの摂取のみを目的としており、食物繊維やほかの栄養素などはいっさい加味されていない。血糖値の急激な上昇を防ぐため、胃や腸で長くとどまりゆっくりと溶けていく仕様。なので舐めずに呑みこむことを推奨されている。口中で溶かす場合15時間くらいかかる。噛みくだくこともできない。呑むためか味も考慮されていない。