初陣
翌日のこと。
前線が倒し損ねた兵を片付ける指示を受け待機していたユシュエルは、余りの平穏さにため息をついた。
最初は遠眼鏡で戦況を逐一確認していたが、共和国のオートマータが帝国のオートマータの群れとぶつかり合い、押し返し、その腹におさめてしまってからは、確認するのをやめた。
警戒だけは怠っていないとはいえ、辺りにもはや戦を鼓舞する鬨の声も、銃撃も爆発音も剣戟の音も響いてこない。風が、なにもない薄緑の延々と続く平地とぽつんぽつんと小さく丸くかたまって茂った灌木の枝を揺らし、葉を鳴らし、吹き付けるのみだ。
静かなのはいいことだった。勝っているということなのだから。だが、静けさを前にしてもユシュエルの胸騒ぎがおさまることはなかった。
昨日の男の話を聞いたからだろうか、とユシュエルは考える。ただの酔っ払いのたわごとのいったい何が自分をこうまで焦らせるのかと疑問に思う反面、どこかそれを笑い飛ばせない自分がいるのも確かだった。
まるで見えないカーブの先に何かがいるような気配。予兆、予感、虫の知らせ、天啓。
何かが胸にひっかかり、訴えてきてならない。
それゆえ、前線が押しあがり、戦況に気をよくして我こそはとともに待機を命じられていたはずの同じ隊の仲間たちが進むことを選んでも、ユシュエルは断ったのだ。
名をあげたいと逸る気持ちも分からなくはない。戦功を立てれば、国からとてつもない褒章や待遇を約束されている。そういうもの目当てで兵になった者のほうが多いのだ。ユシュエルのように、単に孤児がくいっぱぐれないですむという一点で選んだ道とは違って。もちろん功を上げ、名誉除隊ともなれば、その先の道はやはりユシュエルにとっても明るいであろうが。
「……やっぱりおかしい」
「いかがいたしましたか」
直立不動で隣に並んでいたオートマータが、ユシュエルのつぶやきを抑揚のない声で拾い上げる。
背の高さはユシュエルの胸の下あたりまでしかなく、筋肉質ではあるものの無駄な脂肪のない痩身のユシュエルと並んでも、なお小さい。大きさで言うなら子どもサイズ。外見も人間と遜色なく、ただし肌も髪も白い、無色――汎用の貸与された新型オートマータだった。
「こっちの戦力が圧倒的すぎる。オートマータの数の差がこんなにもあるとは……なぜ、帝国はオートマータを出さない?」
「今回の戦いにおいて、共和国は本土に保有している人形とマスターの15%を島に輸送しました。結果、現在共和国保有の人形とマスターの42%がこの島に集結しています。戦力差があるのは当然だと思われます」
「半分近いじゃないか! 戦線の維持とはいえ、たかが、小さな島ひとつに!? さすがに多すぎる」
あの男も多いとは言っていたが、これほどとは思わなかった。
そもそも人形使いは貴重だった。
オートマータは自律機動人形――正確には“知的機能を搭載した、様々な状況に対応可能な流動的かつ機動的な自律型人形”であり、人的損耗を最小限にとどめるための兵力として非常に有用ではあるものの、躯体を構成する金属が貴重であるため、ある程度の量産しかできていないのが現状だった。
さらに、人形の能力を最大限まで引き出すにはリンクという、人形と人間をつなぐ機体性能の向上機構が不可欠である。
そして、そのリンクに耐えうる並外れた強靭な神経をもつ者が人形使いと呼ばれる者たちだ。もちろん、リンクには相性という問題もあるが、これは調整をし、人形使いに合わせる固有体を作りだすことでクリアしている。それでも固有を所持する人形使いの数は決して多いとは言えない。
人形使いは人形の感覚を拡張し、能力を飛躍的に上昇させる。その逆もまた然り。
熟練した人形使いは歴戦の勇士のように強く、そして真に優秀な人形と人形使いは圧倒的な強さを誇る。たったふたりで戦況を覆すことができ、そういった類まれな力を持つ稀有な者たちは味方からは尊敬のまなざしで、また敵からは畏怖を込めて、“英傑”と呼ばれている。
だが最前線で戦うため、どの兵種よりも殉職率が高い。優れた人形使いを失うことは、手練れの兵100人を失うよりも損失が大きいと言われている。
その人形使いを、優劣はあるとはいえ、大量に本土から離して送り込むとは。しかも、ユシュエルのような候補生まで引き連れて。
新型オートマータの駆動限界の情報収集のためにあてがわれた軍事命令と思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。
冷たい手に首筋をなでられるような気分だった。
「ほんとうに嫌な空気だ」
「空気に変化はありません。酸素濃度正常。揮発性不純物の検知なし。生理活性物質の過剰分泌による精神的な落ち込みは、横隔膜の機能を低下させます。深呼吸をお勧めします」
「ご忠告どうも」
「どういたしまして」
どうやら彼は皮肉を受け付けないようだ。
見当違いの進言に対してそんなやりとりをしていると、ふいに、首のうしろがちりちりとするような感覚をおぼえた。
幼い頃からユシュエルが持っていた危険察知能力。脳で分析し判断するよりも、五感全てで感じ取った些細な違和感により導き出された早期警戒警報。幼い子が路上で生きていく上で培った生存本能が、間違いなく何かを告げていた。
「気を付けてください。異常信号を検――」
空気が揺れる直前、微動だにしなかったオートマータが声を発し動いた。今までとは異なる、注意を促す音をはらんで。
それが耳に届いた瞬間、大地が振動するとともにとてつもない轟音と衝撃波がユシュエルたちを襲った。周囲の木々はなぎ倒され、オートマータが咄嗟に背に手を当て支えたものの耐えきれず、ふたりそろって身構える前にあっけなく後方に吹き飛び、地面に叩きつけられた。
巻き上げられる何かの残骸や砂礫が弾丸のように降り注ぐ。それが軍服に食い込み、絶え間なく襲いかかる熱波と空気の圧に押し潰され、状況を理解する暇もなく、ユシュエルは気を失った。
気を失う前のほんの一瞬、はるか遠く、砂嵐のように舞い上がる土埃のなかに、うっすらともやのような影が映った。その影もまた、土埃と同じくらい、大きなものだった。
15クラヴァン(1クラヴァン約1.3m。15クラヴァンは約20m)はあるようにユシュエルの目には見えた。それは細い小山のようでもあり、巨大な人のようでもあった。少なくともユシュエルにはそう思えた。
まもなく世界は白くなった。
新型オートマータ:第5世代。性能は旧型と同等ながら小型化することで金属の使用量を今までより15~20%ほど低減させることに成功した試作機。試用で良好な結果が得られれば、今後、共和国の主力となっていくとみられている。