ユシュエルの夜明け
「そちらに敵が! 警戒してください! わたしは後方を確認してまいります」
オートマータの緊張を含む声に、了解とユシュエルは答える。
岩陰から顔を出し、「4……7……9」と人数をかぞえ、おそらく2班からなる分隊だろうとあたりをつける。ずいぶんと若い部隊だった。年のころはユシュエルとそう変わらないはずだ。
銃と剣、どちらで迎え撃とうか悩んで、銃にした。敵方に人形はいないことは報告を受けてわかっているし、それにまだ、背が空いているのに慣れていない。万が一ということもあった。
背を任せて戦っていた時の癖で短銃を持ってきてしまったことを少しばかり後悔しながら、ユシュエルは拳銃を構えた。
薬室にはすでに弾が一発送られている。弾倉も装填済みだ。撃鉄をさげ、安全装置も解除する。引き金を引くと同時に銃口炎が輝き、銃身がわずかに跳ね上がる。スライドが後退し、空薬莢が排出され、装弾ののち再び発射される。
数秒で先頭を行く人影のいくつかが道に沈んだ。
とはいえ、距離もある。弾は着こみで減衰され、とまったはずだ。しかし、かなりの衝撃を受けたのはたしかで青と紫の火花のようなひどい内出血痕ができるし、心臓付近を的確に狙われ撃たれるのはけっこうな恐怖となる。
案の定、撃たれた者は地に伏し、痛みに悶えていた。それでも練度の高い兵士ならすでに撃ち返してきているはずだが、その様子もない。
銃声に慌てて物陰にとびこんだ残りの者たちが、どこから撃たれたのかと周囲を見回すように頭だけ出して確認している。
あれでは狙ってくれと言っているようなものだ。
ユシュエルは呆れた。
本来、練達であっても動く標的の狙った箇所を拳銃で正確に撃ち抜くには腕三本程度の距離が限界だが、今なら、人形か、同期している人形使いならばはずすことなく眉間を撃ち抜けるだろう。
「戦いに慣れてないな」
帝国のやることだ。一瞬罠かとも考えたが、オートマータが向かった方角からはあれから何の音も聞こえてこない。
ここ数日続いていたの電磁嵐のせいで進む方向を間違えたのか、もしくは暇を持て余した新兵が愚かな肝試し代わりの勝手な行動を起こし、戦線を越えてきたのか。
先日、こちら側でも似たようなことが起こって新人が処罰されたばかりだった。
前者でも後者でも、自分たちが境界線を超えていたことがわかれば撤退するはずだ。もしどちらでもなければ、そのときこそ剣を使い本格的に交戦する。
狙いを定めたまま、ユシュエルは岩陰から出て姿をさらした。いっせいに撃たれてもユシュエルの反射神経ならば楽によけることができる距離だった。
「セアーガスのユシュエル……!?」
きょろきょろと左右を見回していた頭がぴたりととまり、こちらの姿を認めたとたん、驚愕の声をあげる。
名乗った覚えもないのに名前を知っていることを、ユシュエルは訝った。英傑、という言葉も転がってきた気がする。
戸惑っているあいだに、ひぃと悲鳴をあげつつ兵は倒れていた者を文字通り引きずって来た道を戻るように脱兎のごとく駆け出していってしまう。
「……追いかけますか?」
ちょうど確認を終え戻ってきた汎用オートマータが、すぐさまユシュエルに指示を仰ぐ。
「いや、やめておこう。警戒の指令しか出ていない」
共和国は大勢の人形を失い、帝国は巨人といくつかの基地を失った。互いの損失は大きく、現状、にらみ合いの状態が続いている。下手に藪を刺激して、蛇を飛び出させる必要はない。
今の部隊も動き方といい、洗練されたものではなかった。捕虜にしたところで役に立ちそうにはなく、見逃したとしてセアーガスにとって脅威になることもないだろう。
もはや姿も見えない帝国兵を振り返り、ユシュエルはそう判断を下した。
「――オートマータ、おれたちは基地まで戻ろう」
「了解しました」
ホロノスで戦ってから、ふた月がすぎた。
あの日、ユシュエルは壊れた黎明を抱き上げ休憩をとることなく基地へと戻り、一縷の望みをかけてワルズに引き渡した。そののち上層部には、ホロノスにて戦闘をしたこと、人形が壊れたこと、巨人もすでに破壊されており回収は不可能であること――実際にはラウルとの約束をユシュエルが守っただけなのだが――を報告した。
それらはほとんど真実ではなかったが、英傑がいたという事実のおかげで、人形の破損もユシュエルがぼろぼろであることも納得され、深く追及されることなくすべては終わった。
“甚大なる損壊により修復不能”――黎明の廃棄が決定したという通達だけを残して。
ユシュエルも初めて知ったことなのだが、一度神経が解放されれば、人形が壊れて同期は解消されたとしても、ある程度の身体能力はそのまま残るらしい。ユシュエルは次の人形があてがわれるまで、歩哨として基地周辺部の警戒を担うことになった。
当然ながら、軍を離れることも一時は考えた。しかし、それでもとどまったのは、黎明についていまだに諦めきれない部分が自分の中に存在していたからなのかもしれない。
すでに裁断され、廃金属になるのも見送っているというのに。
ユシュエルは小さくため息をついた。
喪失感はとほうもなく大きかった。慣れる日は来るのだろうか。
「神経衰弱の兆候がみられます。深呼吸をお勧めします」
そんな言葉がかけられるのをつい探しながら自室に向かっていると、数値で確認したいことがあるので医療室に寄ってもらいたいとワルズに言われていたのを思いだした。新たな人形を調整する必要があるからだ。
いつものように入室許可を得てから入ると、またしても検査室が開いており声が漏れ聞こえてくる。それになつかしさを覚え、もう二度とないことにユシュエルは胸を痛めた。
しかし何かの手違いとはいえ、前の診察の人の時間に踏み込んでしまったのはいただけない。
個人情報を聞いてしまう前に退散しなければ、と踵を返すユシュエルの耳に電子的な少しだけ甲高い声が届いた。
「早くしてください、ドクターワルズ。さぁ、働いて」
対してワルズの声がそれに応える。
「あの、僕、ずっと働きづめなんですけど。たしか、味方に危害を加えてはならないって条項にありましたよね」
「わたしには現在基本条項が刷り込まれておりません」
「ああ、そうでした……」
「それよりも、マスターには近々新しい人形が調整予定と聞いています。このままではわたしはお役御免。本当にただの人形になってしまいます。さぁ、早く新しい体を作ってください!」
「その寄せ集めを作るだけでも、どれだけ危険な橋を渡ったか知ってますか? 機関の部品は軍の管轄で、官製品を盗むって重犯罪なんですよ? 見つかったら僕、懲罰どころじゃないんですよ?」
「……あの、失礼?」
会話に差し込まれたユシュエルの声に、検査室が静まり返る。そして、
「ドクター、元に戻ってからという約束だったではありませんか!!」
悲鳴のように声が上がる。その声の持つ調子に、ユシュエルの中に込み上げてくるものがあった。
「……黎明なのか?」
検査室の扉が開いて、まず出てきたのは医者だった。
いつもの肩の浮いた白衣を着て、こんにちは、と言いながら歩いてくる。そして、その後ろから恥ずかしそうにおずおずと出てくる影があった。
しかし、本来頭があるべき高さにない。ユシュエルはもっと目線を下げた。
「ち、縮んだな……」
そこにいたのは謎の生物だった。
この島にしか生息していない未確認生物、と言われたら信じてしまいそうほどに以前とは似ても似つかない。全体的になだらかな曲線でころんとして丸く、球体が連なったようなくびれのない胴体に短い手足、そんな形だった。
ジュリウスにはああ言ってしまったが、玩具屋の広告に掲載されていてもおかしくない独特の見た目だった。
恥ずかしそうにうつむきながらも、目の位置にある左右の淡い青と金色の光がちらちらとこちらを盗み見るように動いている。その様子に、ユシュエルは笑いを堪えるのに苦労した。
しかし、姿かたちが変わってもユシュエルには分かった。間違いなく黎明だった。理屈などなく、理由などどうでもいい。自分でもよくわからない確信だったが、これは黎明なのだ。
ユシュエルの表情をうかがいながら、ワルズが申し訳なさそうに言葉を告げる。
「すみません。軍の目を盗んで修復するのに時間がかかりまして。それに部品は今、これが精いっぱいで……」
「でも、通知書には機関は完全に壊れていたと……」
「それは本当です。ただ、前に不定愁訴を受けて、黎明さんには念のため機関のダーネル流路を観測し、全値を機構上に包括的に再現できるようエメ係数に変換し順番に位置づける非接続型神経回路を――……簡単にいうなら、情報取得以外の一切の権限を剥奪させた記録装置をとりつけていました」
ユシュエルが眉根を寄せたことで、まったく理解できていないことを察したワルズが説明の途中で言い換える。さらにつづけて、
「どうやら、条項による強制機構がコギト機関内で指令を打ちこんでいた際、黎明さんはその非接続型神経回路を無理矢理に書き換え疑似コギト機関として仮想域にたち上げたのちに一部を――……つまり、黎明さんはコギト機関から僕が取り付けた回路に一部の機能を移管させていたために、僕の手元に残っていた記録と合わせてなんとか復旧させることができたというわけです」
もう一度ユシュエルが眉根を寄せたところで、今度は一気に説明が省かれた。
「言い訳をするようですが、そもそも装置はコギト機関に充当するほどの容量はありませんでしたし、僕としても想定外の運用方法で、すぐには気が付けなくて。残った装置の情報を確認しているときにおかしな電気信号を発見しまして、もしやと思い。さすがに全てを収容できなかったようで、学習済みの情報のほとんどは失われていましたが、ユシュエルさんと出会ってからの記録だけは、大切に、予備装置の奥底にしまってありましたよ。それから、安心してください。黎明さんはもう軍の干渉を受けていません。コギト機関の機構を、峡谷の巨人の解析情報と照らしあわせて再構築しましたから」
ワルズ機関とでも名づけましょうか、ははは。と医者は乾いた笑いを漏らす。10人いれば10人ともが、疲れている、と断じる表情だった。
言うまでもなく巨人の情報は最重要機密に当たる。
そのようなものを盗み見、応用するとは、想像していたよりももっとはるかにこの男は優秀なのだとユシュエルは衝撃を受けた。
そういえば、ラウルたちは最初は黎明を奪う予定だったと言っていた。軍の人形がそのまま使えるはずがない。コギト機関をいじれる人間が、かなりの技術を持った人間が必要だったはずだ。
それが目の前の男だったのだ。
少なくともワルズに目をつけた人事部の人を見る目は間違っていなかったのだ、とユシュエルは改めて思った。そして、今はそれに感謝した。
「その、なんと言っていいのか……ありがとうございます」
自分の気持ちをどう言葉にして伝えようか思い倦ね、ユシュエルがなんとか言葉を絞り出すと、医者はようやくほっとしたようにあたたかな笑みを浮かべ、応える。
「技術者はみな言います。オートマータにあるのは、心ではなく与えられた人工知能だけだと。身体を切り開いて現れるのは回路とチップと電気信号。これがその証だと。でも、僕はそうは思わない。僕は医者でもあるから分かるんです。人の身体だって、どこにも心や魂を見つけられやしないのだから。ですから、これは島の人間として、そしてなにより技術者としての感謝のしるしです。それに、あなたの力になってあげてほしいと、ラウルさんからも頼まれました。一部の部品は、ラウルさんたちが集めてくれたんです」
「ラウルたちが……」
黎明は条項に必死に抵抗していたのだろう。
ラウルたちは軽傷とは言い難いものの、みななんとか急所は外れていて、あの怪我で命を落としたものはいなかった。
黎明が自らの手でもって己を稼働停止させたあと、ユシュエルはぼろぼろの身体を引きずって入り口に向かい、待機していた男たちを呼び寄せ、ラウルたちに応急手当を行ってひと先ず安全な場所まで運びだした。そしてひとり戻り、ラウルたちの願い通り巨人を壊し、黎明を連れて帰還した。
その後、一番傷が浅く数日で回復したステーが、わざわざ基地近くまでやってきてみなの無事を教えてくれたのだ。
ユシュエルのせいでも黎明のせいでもない。誰もお前たちのことは恨んでない。
そう言って、ユシュエルの肩を叩いて帰っていった。
「それから――」
ワルズの声が感傷に浸っていたユシュエルの意識を引き戻す。
「できるなら自分のところに来てもらいたい、と伝えてほしいと。まだ、帝国との戦いは終わりではありませんから」
そう言って、ワルズは返事を伺うようにユシュエルの顔を見る。
なにもユシュエルとて全ての情報を公開し共有すべきだ、などというつもりは毛頭ない。だが、自分は軍の上層部が隠して仕込んだ強制執行のせいで死にかけた。
少なくとも上層部が人形に独自の命令を組み込める以上、ほとんど解析ができていないというのも嘘なのだろう。嘘ばかりなのだ。
生まれた国だから、というだけでついていけるほどこの国に情も未練も持ち合わせてはいない。
ここに残っていたのは、ひとえに黎明のことで見切りがつけられなかっただけである。
加えて、実はラウルたち以外にも明らかに軍所属ではない者からの接触があった。
顎に傷を持つ男はどうやら政府からの差し金らしきこともわかった。
ユシュエルは政治に関心を払ったことが一度もなかった。ずっと自分とは関係のない、別の次元のもののように考えていた。だから今回の人形使いの大量投入が、選挙を前にした予算縮小案と軍閥派への牽制による政治的駆け引きから起こった出来事だったと知って、驚愕した。
国防費の推計という遠く隔てた机上の議論ですら、こんなにも己の人生に多大な影響をおよぼすとは思ってもいなかったのだ。ユシュエルはそのとき初めて、政治というものの重要さを身に染みて理解した。
軍と政治部は今後ますます対立を深めていくのだろう。共和国は二分し、帝国と戦争をしている場合ではなくなるのかもしれない。
また帝国からも、なぜか基地の中にいるというのにユシュエルの部屋に手紙が届いていた。レジスタンスだけでなく帝国の協力者もいるなどと、軍部は本当に大丈夫なのだろうかとユシュエルは不安になった。
おまけに手紙はユシュエルを気に入ったから帝国へと勧誘する内容で、こんなものが見つかった暁にはユシュエルがここでどのような立場へと転落するか分かっているのかと怒りたくなるものだった。むしろそれこそが敵の狙いなのかもしれないが。
とは言え、ユシュエルはつい先刻まではこれからのことを考えられる状態ではなかった。
だから正直に、まだ未定だと告げるユシュエルに、ワルズはわかっていたと言いたげに微笑み、いつまでも待つそうです、とだけ言った。
ユシュエルにとって、人生とは生きることそのものだった。つねに飢え、死と隣り合わせの人生。それ以上でも以下でもない。
自分と自分以外の間には明確な境があった。世界とは他人そのものであった。
しかし、ユシュエルは今、他者がユシュエルの境界に介入してくるのが不快ではなかった。支えられていて、ひとりではないと強く感じていた。
たぶん、ユシュエルもまた世界の一部なのだ。
ならば、次の一歩を踏み出してもいいのかもしれないと思い始めていた。
自分が何者であり、何のために生きているのかということを。この世界のためにできることは、何なのかということを。
そのための相棒もいる。ユシュエルが大好きな美しい空の色を持つ、相棒が。
ユシュエルはひざまずくと、あの日できなかったことをした。
黎明の頭を優しく撫で、それからしっかりと抱きしめた。冷たい金属の奥のあたたかさをユシュエルは、はっきりと感じとることができた。
人形の左右の光が心地よさに目を細めるような動きで光を収束させていく。そして、言った。
「マスター、わたしはあなたの人形です。これからもずっと、よろしくお願いいたします」
お読みいただき、ありがとうございました。




