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ホロノス山脈_すべての答え

ユシュエルと同じく巨人に鋭いまなざしをむけたあと、ラウルが振り返る。芝居がかった仕草で両手を広げ、


「さて、巨人を見つけるまでが約束だったな。で、俺たちは見つけた。その後は、どうする?」


「あんたたちこそ、どうするつもりだ? 」


「俺たちは……壊したい」


「“壊す”――その話を信じろと? 巨人を取り戻して、双国と戦う計画ではないのか?」


ユシュエルはラウルに剣を突きつける。


ふたりのやり取りに気づいた島の男たちが、にわかにあおざめ、慌てて駆け寄ってきた。


「ユ、ユシュエル、どうした?」


「何か気に入らないことでもあったのか?」


彼らはみな一様に驚いているだけだった。


ユシュエルとしては一斉に襲いかかってこられる覚悟もしていたのだが、ラウルは馬鹿正直に誰にも何も伝えず、そういう手はずは整えていなかったらしい。


同時に今この状況であっても、ユシュエルの強さを知っているからか、事態に戸惑い、問いかけることはしても、力ずくでとめようとする者は出てこない。


ラウルも喉元に剣をむけられてもいっこうに動じることなく、


「みんな、大丈夫だ。落ち着いてくれ」


手のひらを仲間に向けて押しとどめるような仕草をする。それからユシュエルのほうに首を転じ、


「ユシュエル、前に見せたいものがあるって言っただろ。こっちだ」


刃など目に入っていないかのようにすたすたと勝手に歩いていく。ユシュエルは慌てて後を追った。


ラウルに案内された場所は、入れ替わりに島の男らが立ちいっていた部屋だった。


巨人がある場所ほどではないが、ここもかなりの広さがある。


その部屋いっぱいに大量に導線の繋がった大きな繭のような機械が床を埋め尽くすほど並べられていた。


しかし、どうやら装置はすでに稼働を停止しているようで音は聞こえてこない。尋常ではない数の機械と辺りを支配する静けさがあまりに合っておらず、むしろその静謐さは、どこか寒々しく恐ろしくもあった。


「中を見てみろ」


切っ先は彼のほうに向けたまま、首だけを傾けラウルに言われたとおりに覗き込んでみて、ユシュエルはもうすこしで悲鳴を上げるところだった。


巨大な繭の筒の中には人間が沈んでいたのだ。


覗き込んだひとつだけにではなく、ここにあるすべての中に。年齢性別関係なく、本当に大勢の人間が。


透明の容器は中が鮮やかな懸濁液で満たされており、目を凝らさなければ気づくことはできなかった。


そのあまりのおぞましさゆえ、自分でも知らない内に後ずさりしていたユシュエルの態度にラウルはどこか安心した様子を見せ、


「不思議に思わなかったか? 帝国と共和国の戦争で島民が死に絶えるなんて話」


「どういうことだ」


答えは聞かずとも何となくわかっていた。それでも目の前の光景はあまりにも信じがたく、口にせずにはいられなかった。


「あいつらは、爆破事件の協力を拒否したために犯人隠匿の共犯として帝国に移送すると言っては、島の奴らを連れ去っていったんだよ。実際には、巨人を動かすための実験台としてな。俺のじいさんは島の代表者だった。身体を張ってみんなを逃がしたために、捕らえられ拷問を受けたんだ。俺はそのとき学業で島の外に出ていて、やっと戻ってこられたときには親や兄、幼い弟や妹もみんな捕まっていた。連れていかれた島の人間も、誰ひとり帰ってこなかった」


以前ステーがラウルの弟妹のことを話すときに、“いた”と過去形で語ったことを思いだした。てっきり、島の外で生活し、今は離れて暮らしていることを示唆しているのだと思い込んでいた。


だからなのか、とユシュエルは納得した。


彼よりも年のいった者もいるというのに、みながこの若い男に付き従っていた理由がやっと分かった。島長しまおさの血筋だったとは。


そして文字通り、彼らは身分がもたらす責任と義務でもって他のものたちを守ったのだ。


上層部のように高みの見物を決め込む奴らとは違って。


「考えてみろ。小さなオートマータですら、本当の力を発揮するためにはリンクが必要だ。この巨人を動かすためには何人を犠牲にする必要があると思う?」


ラウルは容器のひとつひとつを――中のひとりひとりを指さす。


告発するように。ユシュエルに、ここにある罪を見ろと言わんばかりに。


「もし共和国がほんとうに帝国の介入を阻止したいだけだったら、この事実を世界に公表すればよかったんだ。だが、しなかった。その理由、お前なら分かるだろ?」


共和国もまた他国の介入を恐れた。自分たちが確実に巨人兵を手にしたいがために。


会議室で告げられた言葉がよみがえる。


“巨人を手に入れろ。我々の手で戦争を終わらせるのだ”


巨人を手に入れれば終わらせられるのではない。巨人を手に入れるために始まった戦争だったのだ。


上層部が告げる通り、これを共和国が手に入れれば帝国を武力で圧倒し戦争を終結に導けるかもしれない。それどころか大陸を統一することさえできるかもしれない。


だがオートマータ1体を動かすだけでもあんなに苦しむのに、これほどまでに大きな人形を動かすとなればどれだけの人間を使い捨てにしなければならないのだろう。


同時に、戦争を終わらせることができたとしても、今度はこの技術の奪い合いが始まるはずだ。ひとつの終わりは、また新たな火種を生み出す結果に過ぎない。


それに帝国から巨人兵を取り上げたとして、同じ実験を共和国が、他の国がしないとなぜ言い切れる。


「俺たちがここに来たかったいちばんの理由は、じいさんやばあさんを、兄弟姉妹を、連れ去られた人たちを、安らかに眠らせてやりたかったからだ。そして、未来の島の子どもたちがこうやってまた踏みにじられないようにするために、 巨人を壊したかった」


この島に古代技術の遺産はもう残っていないのだとはっきり分かるまで、双国が手を引くことはないだろう。そして、それがわかった時、島の全てが掘りつくされ、もはやこの場所から生命の気配を感じ取ることはできなくなっているだろう。


巨人を壊し戦争が長引いても、今ここで巨人という圧倒的な力を用いて終わらせても、どちらにしろたくさんのものが壊れ、大勢の罪もない人が犠牲になる。


どちらも正しくないことは分かるのに、正しい答えだけが見つからない。


唯一はっきりしているのが、これは人の手にはとうてい余る技術だということだ。


故郷を取り戻すのに利用するのではなく、破壊するのだというラウルの考えが今は何となく理解できた。ラウルらしいと、思った。


「頼む、ユシュエル。俺たちに巨人を壊させてくれ。俺は殺されても構わない。帝国からは賞金が掛けられてる。死体をジュリウスに見せれば、報酬がもらえるはずだ。セアーガスのお偉方だって、この首の価値は分かっている。持っていけば、褒章が与えられるだろう。お前の夢がかなうぞ」


ラウルはそう言いながら向けられた刃を迷うことなくつかみ、切っ先を己の心臓に導いた。


ユシュエルとラウルの視線がかち合う。どちらも目をそらさなかった。互いにその視線で相手の心を探ろうとしているかのように。


だが、真っ直ぐ射貫くように見つめてくるラウルに対して、ユシュエルは自分の瞳が揺れているのが分かった。


この部屋には大切な人の最期を確認し、別れを告げた者たちの怒りと嘆きがまだ残っていた。息をするとそれがまとわりついてきて、胸が詰まり、苦しくなってくるほどに。


ユシュエルは長々と肺にたまった空気をはき、やがて、剣を握る手をおろした。


「……あんたの好きにしろ。首もいらない」


ラウルが驚きに瞠目する。


「ほんとうにいいのか? 巨人を手に入れろと言われているんだろ? これがバレたら、お前は命令違反で懲罰に掛けられるんじゃないか?」


「そっちが気にすることじゃない。自分のことは自分で何とかする」


確実に懲罰房が待っており、拘禁され、ユシュエルは懲戒除隊となるだろう。そうなると身分を得るどころか経歴には取り返しのつかない傷がつく。市民が当たり前に持っている権利は剥奪され、雇ってもらえるどころか、眉を顰められ石を投げられるようになるかもしれない。


だとしても、ユシュエルは揺るがなかった。


それならそれで別の場所で生きればいい。今までも何も持たずにやってこられたのだ。これからだって何もなくともやっていけないはずがあるまい。


そう判断して。


こちらの返答にラウルの肩から力が抜けたのがユシュエルには分かった。


ラウルは死を覚悟していたのかもしれない。真実、自らの首でもって、その覚悟をユシュエルに理解してもらおうと思っていたのかもしれない。


「ありがとう、ユシュエル」


ラウルはゆっくりと、今までで見た中で一番の笑顔になった。例の、人にいいことをさせたと思わせる、あの笑顔だ。


「お前がいなきゃ、こんなに早くみんなを解放することなんてできなかった。ほんとうに、ほんとうにありがとう。……なあ、前から考えていたんだが、もしお前さえよかったら、俺たちの仲間にならないか? お前ならみんな大歓迎さ。特典は、俺の手料理が食えるくらいだが。片付けは苦手でも、料理の腕ならかなり自信があるんだ」


「……考えておく」


「ああ、しっかり考えておいてくれ。俺は本気だ!」


そう明るい笑顔で言うと、先ほどの部屋へ戻る。


ふたりが無事に戻ってきたのを確認して、亀のように首を伸ばしては様子をうかがって待っていた男たちの間から安堵の声があがった。


ラウルは中央まで歩くと仲間に向き直り、注意を引くように両手を打ち合わせ、言った。


「みんな、聞いてくれ。ユシュエルは俺たちの考えを理解してくれた」


しんと静まり返った次の瞬間、歓声が上がる。


ありがとう、と同志にするように次々に親し気にユシュエルの肩や背中が叩かれた。ステーなどは抱き着いてくる始末だ。あまりにあちこちから力強く感謝の意を示されふらついたユシュエルを、ラウルは苦笑して見やる。


騒ぎが静まるのを待って、


「あとはこれを爆破させれば終わりだ。長かったな。だが、ようやくだ。みんなも、よくやってくれ――……」


その瞬間、言葉が途切れ、ラウルの胸から細長い白刃が突き出た。みなの見ている前でラウルは血を吐き、足元から崩れ落ちる。


「ラウル!?」


その後ろから現れたのは黎明だった。いつのまにかラウルの後ろに回り込み、彼を刺し貫いていたのだ。


「黎明、何をしている!!」


ユシュエルの声に応えることなく、地に伏したラウルから刃を抜き、黎明は首だけをこちらに向け表情をかえず宣告する。


「ただ今より≪基本条項00:古代技術の保全≫を発動、任務を遂行します」


「基本条項00!?」


ユシュエルは耳を疑った。


そんなナンバーの条項は聞いたことがない。数字から察するに、おそらく全ての条項を上回る絶対原則だ。


その証拠に、制止するユシュエルの声が届いているはずなのに、黎明は逃げ惑う島の男たちにも次々と切りかかっていく。


基本条項はオートマータの生産時に組み込まれる。後から記すのは不可能であるし、変更も不可能だ。汎用型であるこの人形が特別なわけがない。共和国のオートマータにはすべてこの命令が刷り込まれているのだろう。いざという時のために。


軍が、技術を確実に手に入れるために。


「くそっ。考えておくべきだった」


古代技術が自分の元に運ばれて来るまで、上層部がただ手をこまねいて静観しているわけがない。


干渉してこなかったのは、ユシュエルの元には黎明がいたからなのだ。いざという時、自分たちの手先になる人形が。


「黎明、やめろ!!」


剣を抜いて飛び出し、島の男たちにとどめを刺そうと振りかざされた黎明の刃を代わりに受ける。


剣が甲高い音を立ててぶつかり合う。


「黎明!!」


何度呼び掛けても反応はない。今までとはまったく方向性の異なる無感情の瞳がユシュエルをとらえていた。ユシュエルが黎明を見、黎明の瞳もユシュエルに焦点があっているのに、決して互いに見つめ合っているわけではないのが、なぜだか胸にひどく響いた。


黎明はためらうことなくユシュエルにも襲い掛かってくる。


続けざまに突きが入れられ、薙ぎ払った刃が身体をかすめる。


傾いだ上体を狙って繰り出された一撃をはじいた次の瞬間、腹部に強烈な蹴りが入った。とっさに身体を曲げ防御態勢をとって威力を緩衝したものの、ユシュエルは壁に強く叩きつけられた。よろめき、膝をついて前かがみになり、うめく。痛みに視界がぼやけ、衝撃を受けた胃からは吐き気がこみあげてくる。


歯を食いしばりなんとか身を起こそうとしたところに白いものが視界をかすめ、とっさに転がって避けた。


澄んだ音を立て、今の今までユシュエルの頭があった場所を刃が真っ直ぐに突きとおす。


黎明は正確にユシュエルの頭を、心臓を、狙ってきていた。動きには一切の遠慮がない。


本気でやらなければ死ぬだけだと、ようやくユシュエルは悟った。


震える手で剣を握り直す。


黎明がゆらりと振り返った次の瞬間、息つく間もなく高速の突きあげがくる。機械による予備動作のない静と動の切り替え。目だけで動きを予測するのは限界があった。


「ぐっ……!」


一瞬体が沈み、食いしばる歯の間から呻きが漏れる。


首の付け根めざして振りおろされたのをかろうじて受け止めたが、ジュリウスのそれよりも重い。


力が今までの比ではなかった。細身の剣が人形の全体重とあらん限りの力でもって大剣となり、襲い掛かってきていた。


おそらく、制御機構が外されている。自身の損壊すら意に介さない、あとを考えていない動きだった。


それにつられるように、熱暴走した回路のごとくユシュエルの脳も沸騰していく感覚を覚える。こめかみで何かがどくどくと脈打ち、破裂しそうに膨れ上がってきているのを感じた。眼球の奥が針で刺されたように鋭く痛み、視界が赤くにじんでいく。


このままではオートマータの限界が訪れるよりも先に、ユシュエルの神経が今度こそ焼き尽くされてしまうだろう。


一刻も早く、黎明を壊さずに彼を停止させなければならない。


手足をひとつずつ落とし戦力を奪うほどの余裕は、ユシュエルにはなかった。


全力のひと振り。それで決められなければ次はないだろう。


「首を……!!」


一撃で仕留めるならば、首を落とすしかない。コギト機関と切り離されれば、体はただの塊と化す。


だが、それが分かっているからこそ、人形の頚部は強化フレームでさらに補強されている。


落とすのは容易なことではない。額を貫くよりも、そこは固く、難しいのだ。


それでも、コギト機関を破壊するわけにはいかない。彼の死を意味する、それだけは。


これは黎明のせいではない。黎明の意思ではない。


斬り上げた手首を返し、剣の柄を黎明の右肩に全力でたたきつける。


衝撃に回路の流れが一瞬乱れ、人形が剣を落としかけた。その隙を逃さず、ユシュエルは首を狙い、半円を描くように剣を薙ぐ。しかし、瞬時に持ち替えた左手で黎明は正面からその一撃を受け止めた。


オートマータに利き腕はない。たとえ突然どちらかが使えなくなったとしても、人間ほどには機能が衰えはしないのだ。


再び剣が交わり、つばぜり合う。


「くっ……!!」


せり合うどころか、自分より小さい黎明にユシュエルはじりじりと押されていた。


力の拮抗に腕が震える。剣をふるうたびに血液が酸になって沸き立つような激痛がユシュエルを襲い、顔が苦痛に歪む。身の内を熱傷で蝕まれたような痛みに体が竦み、筋肉が硬直しかける。とてつもない勢いで打ちつづける己の心臓の鼓動が、耳の奥で切迫した警鐘のように鳴り響いていた。


息遣いが歪み、震えが来たかと思うと、とうとつに喉の奥からこみあげるものがあった。血だ。たまらず吐き出したが、剣を握っているため口からつたう赤い筋を拭うこともできない。


今、ユシュエルの全身が、悲鳴を上げていた。血が、脳が、神経が、限界を叫んでいた。


「まだ……だ……!」


ともすれば痛みにのみ込まれ混濁しそうになる意識を渾身の意志で乗り越えて取り戻す。


雄たけびを上げ、身をひねり、地を蹴りあげる。かかげた剣に自重を載せて振り下ろした。ガツンと重い音が窟内に響いて消えていく。


黎明が、避けた軸足で回るように勢いをつけユシュエルの心臓めがけて剣を伸ばす。


ユシュエルも退くことなく、避け、躱し、斬りつける。


一瞬たりとも気を抜けず、瞬きをする時間すら惜しい。息をすることも忘れていた。


横に回り込み剣身で切っ先を滑らせ、狙いをそらす。斬り降ろし。回転薙ぎ。高速の振り上げから、タイミングをずらした叩きつけ。そのすべてが受け止められ、かわされる。


逆に黎明から降ってくる攻撃はすべて耳と肌を頼りにさけた。剣先が踊り、火花が舞い散る。軌跡が交差し、互いの横切った切っ先がぶつかり、反動で跳ねあがる。


ユシュエルは必死に人形の動きに食らいついていた。


しかし、このままでは自分の方が命を落とすであろうことが分かっていた。


疲労も息切れもない人形ではいずれ押し負ける。互角ではだめだ。上回らなければだめなのだ。


上回る――できるのだろうか。はるかなる時代の、今ですら全容を掴むことのできない技術の結晶に、力も身分も知識ももたず、ただの身ひとつの元孤児がはたして勝てるのだろうか。


よぎった考えをユシュエルは即座に捨て去る。


迷うまでもなかった。選択の余地などない。答えはひとつだった。


今、ここで倒れるわけにはいかない――今はまだ!!


ユシュエルは必死に考えた。


力と技だけではどうにもならない。


斬り合うたびに、ユシュエルの体力は削られていく。もう時間がない。今や、この身体は割れかけたガラス同然で、かろうじて持ちこたえているものの、蜘蛛の巣状にひびが入り砕ける寸前だ。限界はとっくに過ぎていた。


ユシュエルの身だけでは叶わないのなら、それ以外のものを利用するしかない。


それ以外――答えを求めるように視線を走らせるも、見えるのは巨人と地面と倒れ伏した男たちだけだった。


意識が他所へ行くのを断じるように黎明の切っ先がユシュエルをかすめ、地に線を残す。


その軌跡にジュリウスの斧が地面を削り土煙を上げていたのを思いだした。


黎明に注意を受けた、ユシュエルでは穿つことのできない硬い岩盤。しかし、ジュリウスの上を行くオートマータの力ならば、どうだ。


賭けるしかない。


意志に身体が応じるよう命じながら、ユシュエルは強引に攻勢に転じ、つぎつぎと剣戟を繰り出していく。それは技量などというものではなく、相手を打ち負かすためのものでもなく、ただがむしゃらに繰り出されるだけのものだった。相手の手を止め、押し戻すための。あとのことは考えなかった。


今この瞬間、あらん限りの力をふり絞るようにして、ユシュエルは黎明を壁際に追い詰めた。


「これで終わりだ……!!」


とどめとばかりにユシュエルが大きく振りあげ、斬り降ろした瞬間、黎明は身をひるがえし垂直の壁を駆け上がり、ユシュエルの上をとる。


斬るはずの相手を失い、勢い余ってユシュエルは膝から崩れ落ちるようにして地面に手をついた。


身を崩した形となったユシュエルに黎明が体を反転させ上空から飛び掛かる。


さぁ、来い。


そう念じ、ユシュエルは下を向いたまま誘いこむ。首の後ろがちりちりとして死のきわの警報を発し続ける。だが動くことはできない。己の生存本能ともいうべき勘にすべてを賭け、黎明の切っ先がユシュエルの首を噛む直前、紙一重で避けた。


風を切る音が顔のすぐ横を通り過ぎていく。風圧で頬と耳の肉が切り裂かれ、焼けつくような痛みとともに血の飛沫が飛ぶ。


ジュリウスを上回る力と部品が詰まった人形の体重も載ったせいで、黎明の剣が地に深々と突き刺さる。あまりにも深くめり込んだため、途方もなく硬い地面からそれを引き抜く黎明の動作がわずかに遅れた。


そのわずか、狙っていたユシュエルにはじゅうぶんだった。


抜きざまに斬りつけようとする人形と、この一太刀にかけて渾身の力を込めたユシュエルと。


ユシュエルの強い意志が条項によってしばられた人形の能力を上回った。


ユシュエルのほうが速かった。勝負は、一瞬だった。


勝ちをとるための、剣の動くべき道筋がユシュエルには見えていた。剣筋は黎明の額を指し示していた。


首は無理だが、今なら額を壊せる。いや、首を――、


「黎明……!!」


ほんのわずかな瞬間、迷ってしまった。それが、別れ目だった。


ユシュエルの手から剣が弾き飛ばされ、あらぬかたへと弧を描きながら飛んでいく。


あとに残るのは無防備な、完全に懐ががら空きの、ユシュエルの身体だけ。


終わった。そう思った。


走馬灯だろうか。幼い頃の自分がよみがえった。


記憶の中にいるのは、初めてあの絵を目にした時の自分だ。寒くて空腹で、でもそれすらも忘れるほどの衝撃だった。


ユシュエルが知っているのはいつも共和国の淀んだ空ばかりだった。煙った灰色の。


ほんとうにあんな鮮やかな空があるというのなら見てみたい、強くそう思った。


白刃を煌めかせ、淡い金色とペールブルーが近づいてくる。一番好きな色の組み合わせが。


あの空を見ることは叶わなかったけれど、最後に目にするのがこの色なら悪くない。


ユシュエルは覚悟を決め、目を瞑り最後のときを待った。


「――……マ、……スた……」


膝をつき、終わりが訪れるのをただ待っていたユシュエルの耳に雑音交じりの声が届いた。かすれた、振動板をむりやり震わせ絞り出しているかのような声だった。


「……ユシ、……、ル」


「黎明!?」


いつのまにか黎明の動きが止まっていた。目を開けば、剣はユシュエルのはるか頭上にとどまり、今や人形はまるで何かにあらがうように小刻みに揺れている。


何が起こっているのか理解できず、そして何よりも体の限界が訪れていて、ユシュエルはただぼうっとそれをながめていることしかできなかった。あんなにも感じていた脈動が今は他人のもののように遅く、遠い。


「アァ、わ、ワ、タシ、ハ……」


空気をたどって、黎明の内にある混乱と恐れが伝わってくる。自分の身体が判断とは無関係に動いて行動を起こしたのは確かにとてつもない恐怖に違いない。しかも他者を、なによりもマスターを傷つけたのだから。


今も命令との狭間で引き裂かれそうになっているのが分かった。


「マス、タ 、ワタ、シは……」


ジジッと機械混じりのこもった雑音で、黎明は言葉を発していく。必死に、ユシュエルに何かを伝えようとしていた。


黎明が泣いている。そう感じたのはどうしてだろう。人形は涙を流さないというのに。


大丈夫だと、ユシュエルは無性にこの小さな子どもを抱きしめてやりたくて仕方がなかった。


そんな自分にとうとつに気が付き、あのときに迷った手の行き先が、ようやく今、分かった気がした。


そして、それが天啓のようにユシュエルの頭に新しい考えをもたらした。固く閉まっていた蓋があいたような、鍵のかかっていた扉が開かれたような、あるいは物語の謎が解き明かされ、ほどけるようにすべてが繋がったような、あの感じ。


ユシュエルは思い至った。


峡谷でユシュエルの中から生じた、あの奔流の正体、ユシュエルの中で日々存在を増していった感覚は同期とは関係のないものなのかもしれない、と。


ユシュエルには家族がいない。いたことがないため、身近な人への情などというものがどういうものか知らなかった。想像もつかなかった。自分には一生縁がないものだと思い込んでいた。


人はもちろん、物にすら気をやったことがなかった。存在を惜しむという感情を、何かを大切に慈しむ感覚を、教わらなかった。理解できなかった。


だから、いざ自分がその立場になった時に分からなかった。


――ユシュエルはただ、黎明が大切なだけだったのだということが。


それは単純な、ごく単純な答えだった。それなのにこんなにも遠回りをしてしまった。


きっと自分の子や自分の子以外も愛せるような、誰かをいつくしむことができる人間ならば、この謎の本質を問うまでもなくわかっていられたのだろう。


「黎明、大丈夫だ」


限界を超え、筋肉の引き攣れた重く震える腕をユシュエルは何とか動かし、怯えた人形へと伸ばす。


せめてユシュエルが黎明を何よりも誰よりも大切に想っていることを伝えたくて。その一心で。


「マスタ……」


掠れた、紡がれる音。黎明の必死の声が耳に届く。


「ワタ、シハ、ア、ナたノ、人形デス……」


「ああ、分かってる、黎明」


「ユエニ、アナた、ノ、敵ヲ……」


とぎれとぎれの言葉で、しかし、黎明は震えるユシュエルの手を拒むように一歩身を引いた。それからこう告げた。


「――抹消、シマス」


その瞬間、黎明の手の白刃が煌めき、自らの額を貫いた。

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