隠れ場
「ようこそ、俺たちのアジトへ」
再びの協同関係を結んで数日が経った頃、巨人兵の在処が分かりそうだと連絡が入り、ユシュエルと黎明はラウルたちの拠点を訪れていた。
協力の、信用の証としてラウルが招いたのだ。
幾つか存在するはずの中のひとつとはいえ、懐ともいえる場所にユシュエルたちを誘ったのだから、少なくともラウルが力を合わせて巨人へと至りたいと言ったのは本気なのだろう。
案内された場所は、彼らと初めて出会った山間からややキュテジーヌ寄りにある森の奥深くで、急傾斜の岩を抱きこむように根を張った木々の下に貼りつくようにしてその小屋はあった。光は差し込まない代わりに、たとえ飛行できたとしても上空からではこの場所を見つけるのは難しいはずだ。
また辺りにも大小さまざまな岩石が至る所に転がっており、岩の間から地面に顔を出した太い根のために自然の高低差が生まれていて非常に歩きづらい。よほどの理由がなければ、このような場所を探りに来ることはないだろう。現にこの場所は共和国も注視していなかった。
建物の中は、いかにも独身男たちのねぐらという感じだった。
複数人で利用しているだけあってそこそこ広いのだが、中の空気は淀んでいた。酒や男たちの汗や、そのほかのものが入り混じったにおいが漂っている。たばこの吸い殻が灰皿に山と盛られていて、空になった酒瓶もいくつか転がっている。中央の大きなテーブルを囲むように乱雑に置かれた椅子と、床に散らばっているゴミとしか言いようのない何か。オイルランプは黒く煤けたまま、桟にはほこりがたまっており、全体的に汚く、必要最低限の使用する部分以外は長い間掃除をされていないことが分かる。
「この部屋の空気は汚染されていて、大変不健康です。マスターの肺によくありません」
憤慨した黎明が勝手に板戸の窓を開け始め、自覚はあったのか仕方ないといった感じでラウルもそれに倣う。
風が吹き込み、積もっていた埃が舞う。空気がかき回され、余計にひどくなったようにユシュエルは感じた。今の今まで外にいたというのに、窓は開け放たれているというのに、新鮮な空気が吸いたいと切実に思った。身体は正直で、不思議なものだった。ずっと暮らしていた共和国も決してきれいな空気とは言えず、それでも何も感じていなかったのに、いつの間にかこの島に慣れたら、淀んだ空気が受け付けなくなる。
鼻の頭にしわを寄せたユシュエルに気が付いたラウルが苦笑し、
「悪いな、片付ける奴がいなくて。俺も片付けはあんまり得意じゃないんだ。……そういや、ユシュエルはひとり部屋なんだろ? やっぱり、散らかってるのか?」
「一緒にしないでください。マスターの私物は整理整頓が行き届いています」
「おお! さすがだな」
当人が答える前に、なぜか誇るように黎明に話をされてしまう。ただ物が少ないだけの結果なのに手放しに褒められ、ユシュエルは複雑だった。そもそも、最後には相容れない関係になるであろう相手側の陣地で、自分たちはなぜこんな会話をしているのだろう。
「ここに女や幼い子はいないのか?」
「……全員、島の外に逃がした」
荒れ具合から感じたユシュエルの疑問に、窓辺にいるラウルが堅い声で答える。
賢明な判断だとユシュエルは思った。
民間人への暴行・殺害は戦争法で禁じられている。しかし、そもそも他国に侵略するような帝国が法規を遵守するとはとうてい思えなかった。目撃者を残さなければ、実質何もなかったことにできるのだから。
軍による情報操作を差し引いたとしても、帝国は碌な噂を聞かない。兵に捕まればどんな酷い目に遭うか。力のない者ならなおのこと。
共和国の兵だってそんなことをする者がいるとはユシュエルも考えたくはないが、絶対にないとは言い切れないのが悲しいところだ。とくに徴兵免除の条件が緩和されて以降、まともな判断ができる者ほど戦争に参加していない。
もちろん、純粋に国のために戦いたいという者も大勢いる。ユシュエルも出会ったことがある。だが、それはそれで厄介なのだ。ときに国のためなら多少の付随的損害――犠牲は厭わないという考えの者もいるのだから。
この戦争の行きつく先を想像し、暗い考えになりそうなのを頭を振って追い払う。
どのように決着をつけるかはユシュエルの知ったことではないし、当然ユシュエルが変えられるものでもない。ユシュエルはただの末端、ひとつの駒、いつも腹をすかしていたひとりの元孤児に過ぎないのだから。
気を取り直し、あらためて室内を見回して壁の地図と、いくつもの情報が書かれているであろう貼られた紙片を目にする。地図はこの島の地形図でそこには3か所、すでにバツ印が付いていた。
問おうとラウルのほうを向けば、彼はいつのまにかこちらを見つめていて、確かに巨人がいたと思しき痕跡があったが、すでに片付けられていたのだと尋ねるまでもなく説明があった。
「峡谷と同じように壊れた残骸が残ってはいた」
その時のことを思いだしたのか、ラウルは渋面を作る。
もしかすると、当時何かしらの犠牲があったのかもしれない。だから峡谷ではラウルがひとりで行き、逆に周囲はユシュエルを待てと進言したのだとユシュエルは推察をめぐらせた。
「……言われたとおり、たしかにここは空気が悪いな。少し、新鮮な空気を吸いにいかないか」
ふと思いついたようにラウルがユシュエルを誘う。当然のごとく付き従い共に外に出てきた黎明に、ラウルは家の中を指さして言った。
「掃除を頼みたいんだが……俺は苦手だし、仲間が戻ってくるまで、ユシュエルにはもうしばらくいてもらうことになりそうだからな」
なにかふたりで話をしたがっている。
ユシュエルはそれに気づいて、黎明に清掃を頼む。ラウルに言われたときには反駁し一切従うそぶりを見せなかった黎明がユシュエルのお願いには従順なさまを見送って、ラウルは苦笑する。
「前も思ったが、ずいぶんと慕われているんだな」
返事を期待しての言葉というより、話すきっかけを探してのひとりごとに近かった。できることなら触れずにいたい。けれど、話さなくてはいけない。ラウルは今そういった雰囲気を纏っていた。
だから、ユシュエルはただ黙っていた。彼が、胸の内に留めている言葉を明かす気になるまで。
小屋の前の少しだけ開けた場所でラウルは立ち止まる。
普段は見張り台として使っているのだろう。いい場所だった。ここからなら周囲の岩やうねった根、起伏のすべてを見下ろすことができ、反対にやって来る者は転がった大きな岩や張り出した枝のせいでここを視認できないはずだ。彼らたちの存在も秘密もうまく隠してくれる。
「――……12人だ」
ラウルは木々の彼方、こちらを向かず、はるか遠くを見つめたまま、やがてぽつりと零れるようにそう数字を口にした。
「巨人のいる3か所を特定し、中を探るまでに俺たちが失った仲間の数だ」
思っていたよりも多いな。
少なくともそれを声には出さない慎みをユシュエルは持ち合わせていた。
おれと協力したがるはずだ、とも。
「これ以上、仲間を失うわけにはいかなかった。だが、あともう少しだった。あともう少しで、巨人をこの目で確認することができるところまできていたある日、ロンダから連絡が入った。共和国から人形使いが大量投入される。新人までがやってくる、と。だから、利用することを思いついた」
ラウルはそこで言葉を切って、こちらを振り返った。ユシュエルが非難の言葉を口にする機会を待っているかのごとく。
しかし、ユシュエルは前にも述べたとおり何とも思っていなかったために一切の反応を示さなかった。話の続きをただ待った。
ラウルはそれを察し、困ったように笑う。責めてくれたほうが救われたとでも言うように。
「お前が、腹いっぱい食べたいって言ったとき――……衝撃だった。俺は、ようやく自分が何をしようとしていたか気づいた。そんなことすら叶わなかった人生を歩んできた人間を、未成年を殺して兵器を奪おうとしていたことに。それに対して何も感じていなかった自分に」
話の途中から声はかすれ、軽蔑の調子が含まれはじめていた。対象はユシュエルではなく、自身に向けてなのだろう。
「俺はあの瞬間までお前を利用することしか考えてなかった。出会ったときはお前を騙すために偉そうにああ言ったが、相手を人間だと思っていなかったんだ。俺は蜂の巣になっても、戦場につるされたとしてもかまいはしない。これは、俺が選んだ道だからだ。それでも、越えてはならない一線はあった――……あったのに、わかっていたのに、いつのまにか、俺はそれを越えようとしていた。しかも俺だけじゃない。俺は、仲間たちにも越えさせようとしていたんだ。俺を……いや、じいさんを信じてついてきてくれていた仲間たちを」
畳みかけるように告げた後、ふとラウルは目を伏せ、怯えた顔つきになった。まるで、化け物がいると聞かされていた深穴を覗き込んだら、自分が映っていて驚愕したといった具合に。
それはユシュエルが彼に出会って以来、初めて見る弱気な姿だった。
その姿に驚く一方でユシュエルはラウルの言葉が気にかかっていた。
じいさん、とはラウルの祖父のことだろうか。その人物がどうしたのだろうか。この件に祖父がどうかかわっているのだろうか。
とはいえ、さすがのユシュエルもこの雰囲気では疑問を口にはできずただ耳を傾けるしかなかった。
「もし、お前が野心にあふれ谷に向かっていたら、人形と同期せず陣地で帝国兵に殺されていたら、俺はこの世で誰よりも生きる価値のない人間に成り下がっていただろう」
胸の内にためていたものを吐き出すように長々と息を漏らし、ラウルはそう言った。
ユシュエルはただ瞬きを繰り返すだけだった。ラウルの告白に、なんと返事をしてよいものか分からなかったのだ。
別段自分は何もしていない。
身もふたもなく言ってしまえば、勝手にラウルが悩んで勝手にラウルが答えを出しただけのこと。
ただひとつ思ったのが、これも演技なのだろうかということだった。
そのことに関しては全く分からない。世の中には息を吐くように嘘をつける人間もいる。
特にラウルは本心を隠すのが巧みだ。今も、何かを隠しているはずだった。
演技だったとして、もしくは演技ではなかったとして、自分はどう行動すべきなのだろう。
もとより、彼は何を求めてユシュエルにこのような胸の内を明かしたのだろう。ラウルの心中を推し量ってはみるものの、全く想像がつかず、分からないことだらけだった。
だが、隠すというのなら、ユシュエルだって任務のことを告げていない。たぶん、ラウルにはお見通しだろうが。そして、おそらくそれを見越してラウルは手を組みたいと提案した。
ならば、今はそれぞれ気がつかないふりをし続けるしかあるまい。必要なら、いずれ自分がどう動こうとも答えが出るはずだ。
ユシュエルはそう判断した。だから返事も質問も恨み言をぶつけることもせず、話を聞いた証としてただ同意するように頷き、わかったことを示した。
ラウルの表情がわずかに明るくなる。喜びというより、罪を告白したことで荷が少し軽くなったことへの安堵の反応だった。
「……ありがとう、ユシュエル。出会えたのがお前で良かったよ。俺はほんとうにお前が――」
ラウルが突然言葉を止め、首を下方へめぐらせる。
「……来たな」
ユシュエルも剣の柄に手をかけながらその視線の先を追った。もし帝国兵ならばこの家に気づかれる前に排除しなければならない。そう思って。
しかし、そこにいたのは見知った姿だった。
取り立てて特徴がなく、その特徴のなさこそが個性であるような男、ステーだ。彼に続いて数人が、ひっかけるようにのびた木の根やこぶを乗り越え、やってこようとしていた。
「ステー、判明したのか?!」
待っているのもじれったいといった感じで、ラウルは駆け降りて男たちを迎えに行く。ユシュエルも片手で岩を飛び越え、それに続いた。
「ラウル、ああ、そうだ。やっぱり、俺たちの思ったとおりだった。あのばしょ――」
足に加えて手も使ってのぼってきたステーは、顔をあげユシュエルに気が付くと唐突に口をつぐんだ。それから、意向を伺うようにラウルの顔を見る。
「かまわない。話してくれ」
了承を得てステーはラウルとユシュエルの顔を交互に見つめ、もったいぶるように一拍だけ間を置いてから地名を告げた。
「巨人がある場所は――ホロノス山脈」




